CAT AND HUNTER

02 汚い刀剣男士を拾ったので虐待することにした



 近寄って確認しても、倒れこんだ少年はぴくりとも動かなかった。
 死んでいるのかと思って首すじにそっと手をやれば、そこには確かな鼓動と血潮が感じられる。
「まじか。うわー、どうしよ」
 とんでもない非常事態にあたふたする。
 時の隧道を通って、刀剣男士が現代に来てしまうなんて前代未聞の大事件だ。
 ああ、本当にどうしよう。私は昔からこういう予定外のことに弱いんだ。
「とりあえず人を呼んで、それから――
「……っ、主……」
 意識のない少年がうわ言をささやいた。眉間に皺を寄せて苦しげにまぶたを閉じている。まだあどけない子供の顔だった。そう、ちょうど私の弟ぐらいの。
 携帯電話の通話ボタンから指を離す。
 人を呼んで、そしたら彼はどうなる。
 そうだ、すぐに破壊されるだろう。歴史の異物として。他の道が存在しないことを私は誰より良く知っている。
「主」にも仲間にも、彼はもう二度と会えない。

 再び耳に物音が届いた。
 今度は人の話し声だ。これから出発する部隊がやってきたんだろう。
 こんな時にかぎって、と携帯電話を握りしめた。
 金属のこすれ合う音が近づいてくる。がしゃりがしゃりという耳慣れた足音も。
「ええい、もう知るか!」
 着替えが詰まったスーツケースを開き、小さな身体をつめこむ。だらりとした脚が上手く入らない。ぐにゃりと曲げて無理に押しこむ。
 死体を隠す時の殺人犯の気持ちがちょっとだけ分かった。できれば知りたくなかったけど。
「おい、そこのお前、何をやっている」
「えっ、いや、今から帰るところであります!」
 スーツケースを閉じると同時に、青い光を立ち上らせた鎧の集団が視界に入ってきた。
 思わず敬礼してしまう。もちろん検非違使にそんな習慣はない。
 拍子抜けしたように鎧の男が力を抜いた。
「……ああ、君か。こんなところでごそごそしているから誰かと思ったぞ。それに少し違う気配……そう『刀剣男士』に似た気配を感じたものだから、つい警戒してしまった。すまないな」
 心臓が跳ねる。さ、さすが隊長殿であります。
「さっきの仕事がそうだったんです。少し彼らの気が留まっていたのかもしれませんね。問題なしです」
「そうか。確かにこの現代にまで奴らが現れたらびっくりしてしまうな。万一そんなことがあれば―― いや、ありえん話をしても仕方がない」
「ええ、そんなことは決してありえません!こちらは私たちでしっかりと守護します。ご武運を」
 私の言葉に軽く応じた鎧は、部隊を率いて横を通りすぎていった。
 その間、軍人顔負けの直立不動に徹していた私は彼らの姿が見えなくなった瞬間にすっ転びながら走り出した。心臓は爆発寸前で、冷や汗と脇汗と涙と鼻水であちこちがぐちょぐちょだった。
 スーツケースよりもはるかに重たい心を引きずって、ひたすらに家路を急ぐ。
 うわーん。天国のお父さん、お母さん。私はどうしたらいいですか。


◇◇◇


 そして今に至る。
「怪我は痛くない?」
 そう親切に問いかけてやるも、少年はじろりとこちらを睨むだけで何も言わない。
「気に入らないかもしれないけど、返事ぐらいしなよ。こっちは心配して言ってるのに。会話のキャッチボールって知ってる?えっと、昔風に言うと会話の蹴鞠?いや、それは何か違う気がする」
 また無視された。なかなか堪えるものがある。
「頼むから何か喋ってほしいんだけど。このままだと、私が一人で滑ってる奴みたいになるよ」
 今度はこちらを見ようともしなかった。
 半日前にこのボロアパートに連れ帰ってきて以来、ずっとこの調子だった。いや、これでもずいぶんマシになった。
 なにせこの恩知らずは、スーツケースを開けた瞬間にいきなり刀を構えて襲いかかってきたのだ。
 職業柄なんとか避けられたものの、普通の人間なら今頃は柄までぶっすり通されてこの世とおさらばしていただろう。どう控えめに見ても殺す気満々だった。おそろしや。
 自分を殺そうとした相手を気遣ってやるなんて、私はなんてできた人間なんだろう!それなのに彼氏ができないなんて、わけがわからないよ。
「ねえ、名前は?」
 ちらりとこちらを見た瞳には、明らかな侮蔑の色が浮かんでいた。
 『テメエに教えるくらいなら死んだ方がマシだ』
 顔にそう書いてあった。はいはい、分かりました。

 私はその後も辛抱強く語りかけた。
 お腹空かない?お風呂わいてるけど入らない?
 しかしその全てが一方通行に終わった。
 繰り返される不毛な会話。

 そのうちにさすがの私もだんだん腹が立ってきた。
 私はこう見えて意外に気が長い。けれどこれはあんまりだ。
 仮にも命の恩人にその態度はないだろう。
 確かに助けてくれと頼まれた訳じゃないし、私だって善意100%で連れて帰ってきた訳じゃないけれど、あそこにいたら確実に今頃お前はgo to hellだったんだぞ。
 猫を飼いたいなんてうかつに言うんじゃなかった。確かに美人な黒猫だけど、こんな性格の悪い猫、私じゃとても手に負えない。
 今もふいと向こうを向いたきりこちらを見ようともしないクソガキに、ついに堪忍袋の緒が切れた。

 無言でソファから立ち上がり、どすどすと近づいていく。
 私の突然の行動に驚いた少年は、縛られながらも低い声で威嚇してみせた。
「俺に近寄るな」
 それがどうした。頭に血の上った私には怖くもなんともない。
 汚れた首根っこをひっつかみ、そのまま運搬を開始する。
 力仕事に従事する私は子供一人ぐらいなら簡単に運べる。この時ばかりはこのいかつい職業もそう悪くないと思った。
「放せ、どこへ連れて行く気だ。おい、答えろ!」
 暴れる少年をあっさりと押さえつけて、淡々と歩きつづける。
 誰が答えるか。アンタだって散々私のことを無視したでしょうが。
 クールぶっていた少年は、ついになりふり構わず喚きはじめた。
「触るな」とか「殺すぞ」とか品のない言葉でぎゃんぎゃん吠えている。が、無視する。
 細い廊下に出て、少し歩いた先の薄汚い戸を開けた。湿った暖気がもんわりと溢れ出してくる。
 中は狭い風呂場だった。ボロボロの湯船にはすでに湯が張ってある。
「くそ、さては水責め――
 言い終わる前に洗い場へ投げ込む。彼は縛られながらも獣を思わせる動きで綺麗に着地した。
 牙を剥かれる前に、用意してあったバケツを頭の上からひっくり返す。もちろん中身はお湯だ。私の手や顔にも心地よい湯の飛沫がかかった。
 水責め?ぜいたく言うな、私は風呂どころかまだシャワーも浴びてないのに。くそったれ。
 突然のことに驚いたらしい彼は、全身から湯を滴らせながら目を丸くしている。そうしているとますます猫みたいだ。
 しかしそんな表情をしていたのは一瞬だけで、彼はすぐに眉間に皺を寄せた。身をかがめ全身をバネに変えた気配がする。敵に飛びかかる直前の姿勢だった。
 もちろんそれを許すつもりは毛頭ないので、即座に襟首を掴んで今度は湯船の中に投げ込んだ。
 少し湯を飲んだのか、咳込みながら水滴をはね散らせる。
「女、テメエ、殺してやろうか」
「あっはっは。やれるもんならやってみな、少年」
 暴れる腕を押さえて、滝のようなシャワーを頭から降らせる。
 降り注いだ水滴が服と身体の汚れを洗い流していく。バスタブの湯は血と泥でじきに濁りはじめた。
 少年がしっかりと水分を含んだところで、シャンプーボトルからポンプをひっこ抜く。そのまま黒髪の天辺めがけて逆さまにひっくり返した。
 風呂場に充満した安物シャンプーの匂いに、彼は形の良い眉をしかめた。
「近所の薬物販売店におきまして198円で購入した高級洗髪剤でこざいます」
 頭にかけられた薬品に手をやった少年はついに暴れるのをやめて後退りをはじめた。怒りよりも怯えが勝ってきたらしい。
 そりゃあ刀がシャンプーなんて初体験だろう。
 しかし我が家の狭い風呂場で敵から逃げ切ることなど到底不可能である!
 がっしりとホールドしてそのままばしゃばしゃと黒い髪の毛をかき混ぜた。ついでに顔、手足、服の上から身体も洗う。怪我をしているところは洗剤を付けないで丁寧に汚れだけを落とすようにした。
 こうやって昔は良く弟を洗ってやったもんだ。

 適正量をはるかに超えて投下されたシャンプーによって、少年はあっという間に泡だらけの羊さんになった。血と泥色の哀れな羊。
「痛っ、苦っ、くそっ毒か!?」
 眼と口にちょっとずつ入ったらしい。慌てて擦ったせいか余計に酷くなったようで、顔を押さえて悶絶している。恵みの雨とばかりに顔面にシャワーをかけてやった。
 汚れた泡を軽く流して、再びシャンプーをぶっかける。
 そうやって何度も繰り返し洗っているうちに、彼はとうとう白くて清潔な羊さんへと進化した。純白の泡に包まれた少年はこの世の終わりのような顔をしていた。ふふん、いい気味だ。
 抵抗が弱まったので、縄と上着を剥ぎ取ってシャツの上からもう一度身体を洗う。シャツに染み付いた汚れはもう取れそうにないが、身体の方は少しは綺麗になっただろう。
 慣れないことを強いられたせいか、ただでさえ色素の薄い少年の顔はさらに白くなってきていた。
 よし、ここらへんで切り上げよう。
 本当はもう一度ぐらい洗い直したいところだが、これ以上はもたなさそうだ。
 バスタブの栓を抜き、仕上げのシャワーを浴びせかけた。
 濡れそぼった身体にバスタオルを巻きつけた時には、少年はもううんともすんとも言わなくなっていた。
 ちょっとやりすぎたかな。

「じゃあ、着替えはここに置いておくから。ちょっと大きいかもしれないけど、着る分には問題ないと思う。お風呂を掃除するついでに私も入ってくるわ。あんなに汚れたまま放っておいたら後々大変だから」
 本当はすぐにでも着替えさせてドライヤーと手当をしたかったが、無理に服を脱がせるのは犯罪の臭いしかしない。結構な数の法律に抵触しそうだ。
 この黒猫少年は私が近くにいるかぎり、決して隙を見せないだろう。
 そう思って今はもう使わなくなった弟の服を押し付ける。さっきまで大人しく水分を拭き取られていた彼だったが、やはりそれには手を出そうとしなかった。
「すぐに出てくるけど、もしその時に今のままだったらもう一回お風呂に放り込むからね」
 笑顔で脅迫すると、顔面蒼白の黒猫少年は渋々それを受け取った。


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