03 汚い刀剣男士を拾ったので虐待することにした
右手に握ったドライヤーはむなしく温風を吐き出し続けている。
風呂上がりに比べるといくぶん顔色の良くなった少年は、据わった目でこちらを見ていた。
「俺を焼き殺す気か」
ずぶ濡れだった服は上下ともに着替えられている。弟のTシャツとハーフパンツを纏った彼はどこから見てもただの子供だった。刃物のような目つきを除けば、だが。
「ドライヤーで焼け死んだなんて話、聞いたことありません。だいたい君、刀なんでしょ。あっつい鍛冶場でガンガン打たれて生まれたっていうのに、なにを今さらドライヤーぐらい」
疑り深い視線は依然としてドライヤーに向けられている。
このまま続行しても、おそらく延々と同じことの繰り返しだろう。
「分かった。ドライヤーは諦める」
カチッとドライヤーの電源を落とす。そしてそうっと地面に置いた。
少年がわずかに肩の力を抜いた。
「でもっ!タオルドライは諦めない!」
そう言うやいなや側にあったバスタオルを引っ掴み、大きく跳躍した。検非違使の脚力なめんなよ。部屋の反対側にいる黒髪めがけて躍りかかる。
不意を突かれた彼は狙い通り、すっぽりと頭からタオルをかぶることになった。今さら暴れてももう遅いわ。
てるてる坊主のまま、わしゃわしゃと髪を拭く。濡れてぺったりとしていた黒髪は、次第に本来の体積を取り戻しはじめた。
「よし、こんなもんかな。どう、すっきりしたでしょ?」
独り言にもだんだん慣れてきた。そうだ、本物の猫を飼ったと思えばいいんだ。元々返事をしない生き物だと考えれば、別に寂しくないぞ。
「綺麗な黒髪なんだから、ドライヤーで乾かしたらもっとツヤツヤになるのに」
拭き終わった時点ですでにするりと手から逃走していた彼はこちらを一瞥した。大人しくなって以降、無表情を貫いている。何を考えているのかさっぱり分からなかった。
そのまま再び部屋の隅に戻ろうとしたので、慌てて引き止める。
「ストップ!まだ大事なことが残ってる。手当しないと」
彼はぷいと向こうを向いた。やはり拒絶されている。
「ほら、さすがに大人としてそれは見過ごせないというか……そ、そうだ、もし化膿しちゃったら!ダラダラ膿を垂らしながら部屋を歩き回られたりしたら家主として非常に困る!あと服に血を付けられたら洗濯が大変になる!」
とりあえず思いついた理由を片端から述べていく。いや、刀剣男士の傷がどういう経過をたどるのかは知らないんだけど。そもそも膿んだりするのか?謎だ。
もの言わぬ瞳はしばらく私を眺めていたが、ついにこう言った。
「自分で治療する」
◇◇◇
傷口に消毒液を垂らし、脱脂綿で丁寧に拭き取る。
ぱっくりと赤く開いた傷口はなかなか痛そうだったが、彼はうめき声ひとつあげない。刀としての意地か、敵への抵抗か、それとも痛みを感じていないのか。正解がどれであったとしても、やはり普通の人間とは違う。彼は刀剣男士なのだ。
現在、私は遠く離れたソファから彼の治療を見守っていた。
手当は手慣れた様子で行われていた。自分で治療すると言ったのは単なる反発ではなかったらしい。元いた場所でこういったことを受け持っていたのだろうか。
Tシャツの袖から覗く白い腕には、生まれたばかりの傷がそこかしこに散らばっていた。その合間を縫うように、また重なるように無数の古い傷跡も見える。
赤く滲んだそのひとつひとつを丁寧に拭っていった。
できることなら、本体である刀自体を手入れする方がいい。付喪神というのは皆そうだ。刀剣男士については詳しく知らないが、おそらく彼らも同じだろう。
取り上げた彼の本体は返していない。さすがにまだ信頼しきれない。かくまった相手に寝首を掻かれたんじゃあ浮かばれないよ。
私も刀を扱う身。手入れについて最低限の心得はある。彼の手に刀を返さずとも私が手入れを行うことは可能だった。しかし彼自身がそれを許さなかったのだ。
まあ、当たり前か。
本体は彼らの命そのものである。知らぬ他人、それも敵なんかに触られたくないのは当然の心理だ。私は刀を返せない。彼は刀にも身体にも触られたくない。
そういう事情が、今の状況を導いたのだった。
肉体を手当することにどれだけの効果があるのかは分からない。しかし気休めであっても、そのまま放っておかれるよりは心穏やかだった。
それにしても、私はなぜこれほどまでに彼に肩入れしているのだろう。見つかったら大変なことになるのは重々承知だ。検非違使としての自らの誇りに泥を塗る行為であることも、仲間に対する重大な裏切りであることも、良く理解している。
しかしどうしても彼を見捨てる気にはなれなかった。こんなにも生意気で、私のことを嫌っている憎たらしい奴なのに。
あっという間に手当を終えた彼は、きっちりと治療用具を片付けた。
粗暴な言葉遣いに反して、案外几帳面な性格らしい。
「ごめんね、何も手伝ってあげられなくて。背中とか大変だったでしょ」
いつものように独り言を語りかける。
「いやあ、私も結構自分でやるんだけど、背中に手をのばす時にひきつるのなんのって。私は普段、喚き散らしてるわ」
怪我してボロボロになって、独りであの暗い道を通ってきたのか。辛くないわけがない。心も身体も。
「……痛かったろうに」
「これぐらいいつものことだ。俺は刀だからな」
淡々と吐き出された言葉に私は顔を上げた。ソファから立ち上がって彼の元へ急行する。両肩を掴んでぐるんと振り向かせた。
「今なんて言った!?」
急に私と相対する形になって彼はたじろいだ。興奮に任せてもう一度叫ぶ。
「なんて言った!?」
「だ、だからこれぐらいいつものことだって」
「うわあ!初めてまともに会話してくれた……!しかも二言以上……!」
私は興奮と感動の渦中にいた。はじめて、はじめて、まともに会話できた!
そんなしょうもないことで、と思うかもしれない。しかし出会った時から干され続けて会話のハードルがかぎりなく下がっている今の私には、どんな言葉でも愛のささやきのように聞こえてしまう。
「うわ、ほんとに涙出そう。返事してくれてありがとう……!」
アーモンド型の目をわずかに見開いた彼は、
「変な女」
と呆れた声で小さくつぶやいた。
◇◇◇
「ね、ね、もう一回言って!」
「嫌だ」