第一話 “来日”



「すまない皆。十日ほどここを留守にすることになった」
 大部屋に集まった自分たちに向かって、主は心底申し訳なさそうに言った。
 留守、それも十日。
 急な話に加州清光は当惑した。一、二日の外出は今までだってたまにあったけれども、こんなに長いのは初めてだ。隣の大和守安定も不安気に眉を寄せている。
 他の仲間たちも同様に思ったようで、大部屋の空気はにわかにざわついた。
 主が皆を鎮める手振りをする。
「まあまあ、落ち着いて最後まで聞きなさい。どうしても外せない用事でね。もちろん留守の間に困ったことがないようにきっちり準備をして行くつもりだよ。何かあった時のためにすぐ連絡が取れるようにもしておく」
 思案するように少しだけ黙った後、彼は再び口を開いた。
「それで、ここからが良く聞いて欲しいところなんだが……実は代理を頼んであるんだ」
 主の口から飛び出した言葉に今度は皆静まりかえった。代理が来るなんて古株の清光にも経験がないことである。ますます困惑してしまう。
 見知らぬ部外者に主の代理が務まるとは思えない。誰も言うことを聞かないだろう。知らない奴の指図を受けるなんて考えただけでぞっとする。それならいっそ居ない方がいい。
 静かになっていた聴衆が再び騒ぎ始めた。
「他の審神者が来るのか?ぽっと出の指示で出陣なんてごめんだぜ」
 不機嫌そうな声の和泉守兼定が皆の気持ちを代弁した。
「いいや、彼は審神者ではないよ。だから留守の間の出陣はなしだ。審神者がいなければ負傷しても手入れできないからね。そのあたりはまた改めて詳しく説明するよ」
 清光はますます訳が分からなくなった。
 それなら代理を置く意味がないだろう。単なる留守番なら自分たちだけでこと足りる。幼い子供ではないのだから。
 疑問を感じとった主は宥めるように付け加えた。
「実は先方のたっての希望でね。留守にするならどうしても自分を代理にしてほしいと。なあに、心配は要らない。とても信のおける方だよ。それに、もしかしたら…君たちの中にも彼を知っている者がいるかもしれないな」
 ここを訪ねてくるような『知人』など、清光は誰一人思いつかなかった。各々心当たりを探し始めた刀剣男士たちを、主は面白そうに見渡すと「さあ、そろそろ時間だ。続きはまた今度」と言って出て行ってしまった。
 取り残された彼らは納得のいかない顔を互いに見合わせて首をかしげるしかなかった。


◇◇◇


「皆さんこんにちは。代理で参りました本田菊と申します。今日から十日間どうぞよろしくお願いいたします」
 主の出立の日、彼らの前に連れられて来た人物は礼儀正しくそう挨拶した。
 色白の小柄な青年である。落ち着いた低い声がかろうじて大人の男であることを知らせていたが、黙っていれば子供に間違えられてもおかしくない。頬までの黒髪を揺らして頭を下げた彼は、少年どころか少女のように見えた。
 記憶を辿ってもその姿に一致する人物はいない。知人に会えるやも、そう思っていた鶴丸国永は少しがっかりした。思いがけない再会を期待していたのだが。
 隣の三日月宗近に尋ねてみる。
「お前の知っている人間か?」
「いや、記憶にないな」
 あぐらをかいた三日月はどうでも良さげに返事をした。この男は代理になどハナから興味がないのだろう。
「顔見知りがいるとすればお前だと思ったんだがなあ」
「長く世に存るからと言って知己が多いわけではない。人の寿命がどれほどのものかお前とて良く知っているだろう」
 言われてみればその通りだった。自分にしろ三日月にしろ、製作者やかつての主を含め己を良く知る人間はとうの昔に居なくなっている。今生きている人間のうちで深く接したことがあるのは現在の主ぐらいである。なにせこうして呼び出されるまでの百年近くは大切に大切に奥へとしまいこまれていたのだから。
「まあ、お飾りになった俺を見物に来た者の中にはいたかもしれんが」
 天下五剣に名を連ねる男は自嘲の笑みを浮かべた。
「ふん、相変わらずの高慢ちきめ。世の人間がいつまでもお前にばかり関心を持っていると思うなよ。畑仕事で泥まみれになっているのが知れたら、最も美しい太刀とやらもあっという間に格下げだ」
 昨日の畑番、頬を土で汚した三日月を思い出して笑いが出る。鶴丸の軽口に当の本人は「それもそうだな」とおかしそうに返した。
 二人はいまだ前で自己紹介をする代理の青年を尻目に小さく笑いあった。 


◇◇◇


 なんだアイツは。
 山姥切国広は苛立ちも露わにずんずんと廊下を歩いていた。
 幼い顔立ち、華奢な身体つき。どこまでも貧弱で頼りなさそうだった。あれで代理が務まるとでも。自分たちの世話をするどころか真っ先に寝込みそうだ。
 同じ流派の山伏国広は
「鍛えがいのありそうな代理殿であったな。ともに修行と参ろうぞ!カッカッカ!」
 などと相変わらず脳筋かつ脳天気なことを言っていた。聞いた自分が間違いだった。
 実力のない弱い者ほど他者を肩書きや見た目で判断する。どうせあの男も自分を写しだ偽物だと蔑むのだろう。忌々しい。
 まさしく己が『人を見た目で判断している』状態なのであるが、血がのぼった山姥切はそれに気付かない。
 彼の中にはさきほどの青年の様子が思い起こされていた。
 どう贔屓目に見ても好意的とは言えない視線を全身に浴びながら、あの男は焦りも怯えもしなかった。山姥切にはそれが冷徹な観察者の態度のように感じられたのだ。感情の波立たない黒い瞳は彼にいいようのない不快感を与えていた。
 自ら望んで来たと言ったが、大方ここを珍しい刀剣の品評会場だとでも思っているのだろう。まあどうせ俺はその目録にすら入っていないだろうが。いつだって自分には誰も興味をもたない。
 自分で自分の傷を抉ってしまって山姥切はひとりで落ち込んだ。
 余計な想像に気を取られていた彼は、曲がり角から現れた人影に気付かなかった。先に気付いた相手が、猫を思わせる動きでひらりと身を躱す。すんでのところで衝突は回避された。
「もう、気をつけてよね。転んだら汚れちゃうだろ」
 じろりとこちらを見たのは清光だった。シミひとつない衣服をこれ見よがしにはたいている。
 嫌な気分の時には嫌な奴に会うものだ。
 同じ古株の打刀でありながら、山姥切と清光はどうにも反りが合わなかった。蜂須賀虎徹ほどではないにしろ、何かと神経を逆なでしてくる。
「アンタさあ、ひとりで頭抱えて何やってんの?気持ち悪いよ」
「黙れ。お前には関係ない」
 あの一瞬で目ざとくこちらを見ていたらしい。いちいち面倒な奴だ。
「ふーん。どうせあの代理殿のことだろ?」
 山姥切は図星を突かれてどきりとした。言った本人を思わず睨みつける。
「別に責めてないから、そんな怖い目で見るなって。アイツに関しては俺も色々思っちゃってるの。急に来て『主の代わりやりまーす』とか訳分かんないよねー。なんでか主もすっごく丁寧に扱ってたしさ。確かに多少は小奇麗なナリしてたけど、服とか髪とかどう見たって俺の方が可愛いよ」
 小奇麗うんぬんのくだりは置いておいて、その他はまさにその通りである。山姥切は毛嫌いする相手の言葉にうっかり頷いてしまった。
 うんざりとした様子で清光がぼやく。
「あーあ、さっさと帰ればいいのに」
「お前のことは気に入らないが、今回ばかりは同意する」
 十日もの間、見知らぬ他人の側にいなければならない。そう思うだけで二人の心はずっしりと沈んでいくのであった。


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