第五話 爺と爺(前)



 とある昼下がり。
 穏やかな陽光が降り注ぐ縁側で、菊は一人お茶を啜っていた。小狐丸から教わったこの場所は早くも彼のお気に入りとなっている。当の小狐丸は内番に当たっているらしく今日は夕方までここには来ない。
 ひとりぼっちの日向ぼっこであったが、菊はちっとも寂しくなかった。この数日でずいぶんと親しい相手が増えていたからである。
 加州清光と打ち解けたことで大和守安定とも話ができるようになった。お互いに嫌いだと言いながら、なんだかんだで一緒にいる二人である。あれ以来、何かにつけて菊の元を訪れるようになった清光は、安定を伴っていることが多かった。
 菊は彼らとさまざまな話をしたが、その中でも特に二人が好んだのは彼らの元の主についての話題だった。その思い出が彼らにとってただ傷を抉るだけのものではないことを、菊は知っていた。
「菊は新選組で誰が一番強いと思う?」
 清光が菊に尋ねてきた。すかさず安定が口を挟む。
「そんなの沖田くんに決まってるだろ」
「うるさい安定、俺は菊に聞いてんの」
「お前が黙れよ清光、沖田くんの三段突きよりすごい技はないよ」
「まあまあ二人とも」
 答える機会を失った菊が苦笑しながら止めに入る。
 安定はまだ少し緊張しているようだったが、まともに話できるようになっただけで御の字である。こうやって二人と他愛ない話をできるのが嬉しくて、菊はうふふと声をもらした。
 思い出話のひとつひとつに的を得た受け答えをする菊。彼らは菊を現代における新選組の熱心な追っかけだと思ったようだった。あながち間違いでもないのだが。
「現代には菊みたいに新選組に詳しい人はどのくらいいるの?」
「それはもうたくさん。新選組はとても有名ですから。その中でもあなた達の元の主殿は特に」
「そっか、そうなんだね。けどそんなことを知ったら沖田くんは恥ずかしがるだろうなあ」
 安定は照れたように、しかし誇らしげに言った。
「ああ見えて、意外とはにかみ屋だったからね」
 懐かしそうな目をする二人に、できることならば菊は一緒になって思い出話をしたくなった。今でもはっきりと思い出せる。自分とてあの快活な青年の姿をこの目で見知っているのだ。
「それにしても詳しいんだね。菊の言ってること、だいたい当たってるよ。まるであの時代を見てきたみたいだ」
 安定が感心したように言った。
「見てきたみたい……ですか。まあだいたいそんなものです。私も私と歴史は切っても切れない関係にありますから」
「へえ。ずいぶんと自信があるんだな」
 突然、別の声が割り込んできた。振り返った三人の前にいたのは和泉守兼定だった。堀川国広はいないようだ。
「この前、人にあんなこと言っておいてアンタは堂々と盗み聞きかよ」
 清光が不機嫌な顔をした。
「堂々とやってるから良いんだよ。テメエらみたいな女々しいことはしてねえ」
 屁理屈をこねる兼定に清光は呆れた。こういう悪知恵が働くところも元の主とそっくりだ。
「おい、モヤシ。知識をひけらかすのは構わねえが、見てきたなんて言葉は軽々しく使うんじゃねえよ。所詮アンタが知ってるのは誰かが書き残した記録に過ぎねえんだ。あの時のことはあそこにいた奴にしか分からねえ」
 淡々と、しかし内には感情を揺らめかせながら兼定が言った。この男はいつだって遠回しな言葉を使わない。
「すみません。あなた方と話せるのが嬉しくて、つい調子に乗ってしまいました。気を付けます」
 菊は眉を下げて素直に謝った。言いたいことを言った兼定はそれで満足したらしい。ふいと背中を向けるとそのまま去っていった。
「菊、気にしなくていいよ。あんなのただのいちゃもんだからさ。混ざって一緒に話したいなら入ってこればいいのに。めんどくさい奴」
「ありがとうございます。でも私ももっと言葉に気を付けるべきでした」
 ぶちぶちと零す清光を撫でながら、菊は反省の色を見せた。清光はしばらくたって口を開いた。
「菊は歴史の改変をどう思う?」
「歴史の改変?」
 突然変わった話題に菊は少し戸惑った様子を見せた。問いかけておきながら、清光は返事を待たずにぽつりぽつりとつづける。
「歴史を変えるのは悪いことです……っていうのが良い子なんだと思う。けど正直さ、俺、遡行軍の気持ちが分からなくないんだ。あの時こうだったら、もう一度やり直せたら、って歴史を遡る度に考える。ねえ、こんな風に思っちゃうのはやっぱり駄目なことなのかな」
 見つめられた菊はしばらく黙り込んで、それからゆっくりと答えを返した。
「もう一度やり直したいと願う気持ちは、否定できません。後悔と無縁でいられる者などいませんから。しかしそれでも過去は変えないで欲しいのです」
 菊があえて『変えてはいけない』ではなく『変えないで欲しい』と言ったことに二人は気づかなかった。もし気付いたとしてもその意図を察することはできなかっただろう。
 菊はそれ以上何も言わなかった。ただ懇願するような菊の声だけが彼らの心に残った。

 
 二人を内番へ送り出した後、ひとり取り残された菊は先送りにしている問題を思い出して暗くなった。
 彼らに言わなければいけないことがある。自分はそのために来た。
 しかしその勇気を持てないまま今日で五日目を迎えてしまった。時間はそれほど残されていない。なのに、臆病な自分はなかなか一歩を踏み出すことができないでいる。
「これじゃあ、アメリカさんやイギリスさんに優柔不断と言われるのも仕方ありませんね…」
 ぽつりとこぼした言葉は青空に吸い込まれていった。


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