第六話 爺と爺(後)



 縁側で黒髪の青年が茶を啜っている。
 人の気も知らずに呑気なものだ。
 山姥切国広はのん気に日光浴をする横顔に苛立ちを抑えられなかった。初日から今日に至るまで、彼はこの黒髪を徹底的に避けていた。あの無感情な黒い瞳を思い浮かべるだけで、苦しいような耐え難いようななんとも不快な気持ちになるのだ。
 決して怯えているわけではない。あの非力な身体のどこを恐れる。例え写しだ偽物だと言われたところで、今更悲しみを感じるような柔やわな己ではない。彼は自分に何度もそう言い聞かせていた。
 自分以外の刀剣男士たちが次第に彼を受け入れ始めたことも、彼を苛立たせる要因のひとつになっていた。
 くそ、なぜ俺がこんな面倒な思いをしなければならないんだ。
 お前さえ来なければ。
 ぎりりと拳を握る。どこまでものん気な彼の様子に、溜め込みつづけたものがついに弾けた。それはもはや憎しみに近かった。
 腰に掛かった刀に手をやる。少し距離はあるものの奴は丸腰だ。驚いて立ち上がる前に一瞬だろう。もはや主の客人だろうと構わなかった。俺を軽んじたことを後悔させてやる。
 その時、自分を見つめる視線に気付いた。はっと動きをとめる。黒髪の青年はいまだに前を向いたままである。
 では一体。
 振り返ると少し離れたところに三日月宗近が立っていた。
 こちらを眺めているにも関わらず、山姥切が今しようとしたことを咎める雰囲気はない。いつも通りの無関心な瞳である。というよりも彼自体が目に入っていないようだった。山姥切を通してその後ろの青年を見つめている。
 天下五剣か何だか知らないが、人を馬鹿にしやがって。これだからこの男は嫌いなんだ。
 山姥切は三日月が苦手だった。お前など物の数にも入らぬ、会う度にそう言われているような気がしてならない。正面を切って噛み付いてくる分、蜂須賀虎徹や加州清光の方がまだマシだった。
 気分が悪い。舌打ちをして、彼は三日月の横を通り抜けていった。黒髪の青年が何か独り言を言っていたようだが、もう耳には入らなかった。


◇◇◇


「私は彼を怒らせてばかりですね」
 歩を進めると、青年が話しかけてきた。
 気付いていないような素振りで全てお見通しとは。ぼんやりとしているようで案外目ざといのかもしれない。
「まあ、半分は俺に対してだな。あの男にはどうにも嫌われている」
 自分を手招く青年の横に腰掛けた。温かなひだまりに身体がほぐれていく。
 この代理に反発していた面々はここ数日でどんどん鞍替えを行っていた。もちろんまだまだ信用されているとは言いがたい立場であったが、自分の気まぐれな興味を引くには十分だった。
 まさか小狐丸が絆されるとは。いったいどんな手を使ったのやら。
 それまで全くの無関心だった三日月も、かの代理がどのような人物なのかほんのわずかに興味が湧いた。そこで暇つぶしに青年の元を訪れることにしたのである。
「今日はいいお天気ですね。まあお茶でも飲みましょう、三日月くん」
 初日以来顔すら会わせなかった三日月を、彼はまるで旧知の友であるかのように親しげにもてなした。準備の良い性質らしく、すぐに茶の入った湯のみを差し出してくる。
「三日月くん、か。そんな若人のような呼び方をされたのは久しぶりだ。かれこれ数百年は爺で通っているものでな」
「ふふ。それは奇遇ですね。私も仲間内では爺と呼ばれています。そろそろ若者についていけなくなりそうです」
 そう言って茶を啜った青年はどうみても二十そこそこである。もしかしたらもっと若いかもしれない。自分も似たような見た目をしているが、それは人間ではないからだ。黒髪も艶やかな目の前の青年がそう呼ばれているのは、おそらくこの爺臭い言動からだろう。
「まだまだそなたも若いだろうに。そんなことでは先が思いやられるぞ」
「……ぷ」
 ちらりと見やると、青年は肩を震わせて笑っていた。
「何かおかしいことでも言ったか?」
「いいえ。でも、ふふふふ。面白い」
 ひとしきり笑った彼は、置いてけぼりになった三日月に向き直った。
「すみません。ただ三日月くんがそんな爺臭いことを言っていると思うとなんだか面白くて。気を悪くしましたか?」
「いや。そなたはそうして笑っていると齢相応に見えるな」
 彼はまたふふふと笑った。
 それから少しだけ真面目な顔をして言う。
「でも、あなたの言う通り覇気のないのはいけませんね。私にはまだまだやることが山のようにあるのに」
 三日月は黙って耳を傾けた。彼は自らを奮い立たせるようにつづける。
「例えこれからどんな荒波に揉まれようとも、引退するわけにはいきません。ここまで支えてきてくれた人たちのためにも、これから生まれてくる人たちのためにも。私の命は私ひとりのものではありませんから」
 年若い青年の語る言葉ではなかったが、不思議と違和感はなかった。いつも通りののんびり顔が少しだけ辛そうに見えた。
「すみません、つい調子に乗ってぺらぺらと。お恥ずかしい。ところでおまんじゅうはいかがです?」
 話題を変えた青年は置いてあった箱を開いて見せた。目がキラキラと輝いている。さきほどの雰囲気はもうどこにもない。
 そういえば、かつて自分を三日月くんと呼んだ者がいた。誰だったろうか。
 記憶を辿ろうとしてやめた。詮なきこと。例え思い出せたところでむなしくなるだけだ。今更どうしたって再びその声を聞くことは叶わないのだから。孤独は決して癒やされない。
「どうしました、三日月くん?」
「そうだな、ひとつもらおうか」
 いつもの思考に囚われかけた三日月は、何事もなかったかのように返事をした。こうするのもいつものことである。長い時をたったひとりで過ごすうち心に蓋をするのがすっかり上手になってしまった。
 受け取った饅頭を一口齧る。
 実体を得るまで物を食べたことなどなかったはずなのに、ふわりと口内に広がった甘さはどこか懐かしいものだった。


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