清光がいない。
 一番初めに気付いたのは畑番から戻った大和守安定だった。
 またどうせ菊のところにいるんだろう、そう思った彼は菊の部屋へ行こうとして、当の本人がこちらへ向かって歩いてくるのを認めた。
 「安定くん。こちらに清光くんが来ませんでしたか?」
 「え、実は僕も探してるんだ。菊のところにいると思ったんだけど」
 安定は首をかしげた。寂しがりの清光が一人で本丸をうろつくことはあまりない。
 「どこ行ったのかなあアイツ。まあ居ないんだったら別にいいや」
 そう言って引き返そうとした安定を菊が呼び止めた。
 「どうしたの?」
 「いえ、すみません。やっぱり何もありません」
 いつもと様子の違う彼に、安定は首をかしげた。




第十一話 親といふもの(前)



「清光?見てねえなあ。朝議で会ったっきりだ。俺らはそれからすぐ馬番に入ったからな」
 和泉守兼定は行儀悪く柱にもたれかかりながら言った。隣で正座をする堀川国広も頷く。菊と別れた安定はとりあえずこの二人に清光の行方を聞いてみることにした。しかし結果は芳しくなかった。
「おや、それなら俺が役に立てそうだな」
 意外な声が外からかかった。戸口から顔を出したのは鶴丸国永である。驚きを求めて常に本丸を徘徊しているこの男は人探しに重宝されていた。
「清光なら半刻ほど前、東の中庭で見かけたぞ。北へ向かってなにやら慌てて走っていったが」
「東の中庭?一体何やってんだアイツ。あそこから北に行ったところで何にもないだろ。あるとすりゃあ出陣の時の出入口ぐらいなもんだ」
 一瞬怪訝な顔をしたものの、清光をよく知る男は再びあくびをした。
「どうせまた拗ねてんだろ。放っときゃ寂しくなってそのうち自分から出てくるぜ。それより手合わせしねえか。こう暇だと身体が鈍ってしょうがねえ」
「おお、それなら俺も混ぜてくれないか。三日月の奴も最近あまり相手をしてくれなくてな」
 清光の行動に少しひっかかるものを感じた安定だったが、気のせいだと片付けた。いくら清光でもそんな馬鹿なことはしないだろう。
 先に行った三人を追いかけて彼は部屋を出た。


◇◇◇


 ハア、ハアと荒い息を吐く。
 額から垂れてきた血を無造作に拭い取る。もう髪型を気にする余裕はなかった。
 清光は神経を集中してあたりの気配を探った。
 良かった、とりあえず振り切れたみたいだ。
 木の幹に身体をもたせかけて、少しだけ息をつく。
「なにが少数だ、あの狐」
 この時代に遡ってきた清光を待ち受けていたのは歴史修正主義者の一軍であった。少なく見積もっても二百はいる。どう足掻いても一人でなんとかできる数ではなかった。  
 負傷した肩口は泥に汚れ、じくじくと傷んでいた。戦況の不利を知った時点ですぐに離脱をしたものの、あっという間にこの様だ。
 まともに撤退することすら困難な戦力差。自分の陥った状況に笑いさえ出てくる。本丸に帰るには、来た場所に戻らなければならない。しかしそこは先ほど命からがら抜けだしてきた場所でもある。負傷して体力を消耗した状態で戻ったら、どうなるか。
 弱気になった自分を叱咤する。こんなところで終わるわけにはいかないのだ。
 追手から逃れるために清光は再び歩き始めた。


◇◇◇


 菊は清光を探していまだ本丸を歩き回っていた。
 自分の臆病で優柔不断な態度が彼を不安にさせた。彼はいつだってまっすぐぶつかってきてくれたのに。
 こんなことなら、もっと早くに伝えておけば良かった。後悔の念が菊を苛んだ。
 いつだってこうやって機会を逃してきた。過ぎ去った者たちは二度と戻らず、伝えたかった言葉だけが自分の中に積み上がっていく。永遠に届かない手紙の山。
 ごめんなさい、清光くん、みんな。
 もう逃げるのはやめる。ここに来た目的を果たすのだ。それが自分自身にどのような結果をもたらそうとも。
 その時、ぴしりと何かの割れる音がした。
 見れば廊下の花瓶にヒビが入っている。赤と黒の上品な花器。何かがぶつかったわけでもないのに。胸騒ぎがする。
 外れたことのない勘は菊に人探しを急がせた。


◇◇◇


 もうすぐ日が暮れる。
 どんよりと空を覆った雲の向こうに、沈みつつある太陽がわずかに感じられた。向こうを発ったのは昼の遅い時間だった。ここに来てからの時間を考えると、本丸では今頃は綺麗な夕焼け空が見えているだろう。
 「帰りたいなあ」
 肩口からは今もぽたぽたと血がこぼれてくる。すでに足はろくに言うことをきかなくなっていた。冷たい岩に身体をもたせかける。
 俺、このまま死ぬのかな。誰もいないこんな寂しい場所で。涙がこぼれそうになる。俺のバカ野郎。なんでこんなことしちゃったんだろう。
 皆心配してるかな。いろいろな顔が浮かんでくる。主、大和守安定、和泉守兼定と堀川国広、山姥切国広、それから菊。もう誰にも会えないんだろうか。
 「せっかく主に身体をもらったのに。まだまだいっぱい役に立って、大事にしてもらいたいのに……嫌だよ」
 こんなところで死にたくない。清光は動かない身体にムチ打って立ち上がった。
 少しずつ前に進む。よし、まだ歩ける。とにかく助けを呼ぶ方法を考えよう。
 その時、目の前の草むらが大きく揺れて巨大な影が立ち上がった。
 「なんで、こんなところに!しかも大太刀!?」
 清光の行く手を阻んだのは振り切ったはずの追手だった。それも一体だけではない。ざわざわと草むらを揺らして遡行軍の一部隊が現れた。
 「回りこまれたのか」
 後退ろうとして、すぐ後ろにも気配を感じた。振り返ると今までもたれていた岩の向こうに別の部隊が迫ってきていた。
 長大な得物を構えた大太刀が一歩一歩と間合いを詰めてくる。
 清光も刀を構えるが、すでに激しく刃こぼれし、刀身にはヒビが入っていた。今の状態で大太刀の一撃を受ければ、おそらくは。
 「これが言いつけを守らなかった罰ってやつか」
 つぶやいた清光は振り下ろされた刃を渾身の力で受け止めた。
べきり。
 鉄の折れる嫌な音がして清光の身体が地面に転がった。
 飛び散った赤い血が、草木を濡らした。


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