第十二話 親といふもの(中)



「お前って本当に馬鹿だよね」
 突き飛ばされた清光の目に飛び込んで来たのは、風にはためく浅葱色だった。
「まったくだ。昔なら隊規違反で即切腹だな」
 折った大太刀を蹴り飛ばしながら、和泉守兼定が言う。見慣れた姿を視界に入れて、清光は涙声になった。
「刀が切腹っていくらなんでもそりゃあないよ」
「どうにも気になって探しまわってみれば、一人で出陣しやがった馬鹿の痕跡があった。今回ばかりは――
「和泉守、説教は後だ。格好つけて飛び込んだものの大して状況は変わっていない。まさかこれほど多勢とはな。こういう驚きは好みじゃないんだが」
 軍勢を見ながら、鶴丸が焦りの滲んだ声で言う。小狐丸が後をつづけた。
「時間がありませんでしたので、近くにいた者だけをかき集めて来ました。菊殿にはこれ以上他の者をよこさないように言ってあります。……ぬしさまがお帰りになった時、誰もおらぬのでは申し訳が立ちませぬゆえ」
「ということで助太刀はここにいる俺達だけだ。まあ助太刀と言っても半分は太刀じゃないけどな」
 そう言って薬研が笑った。
 誰の目から見ても状況は絶望的だった。いくら練度の高い白刃隊とは言え、圧倒的な戦力差を埋めることは叶わない。このままぶつかれば少なくない犠牲が出るだろう。この場の全員がそれを感じ取っていた。清光が悲痛な顔をする。
「俺のせいで、皆……ごめん」
 山姥切が鼻で笑った。
「勘違いするな、お前を助けにきた訳じゃない。このまま放っておけば歴史の改変が起こる。それでは今までやってきたことが無意味になるからな」
 刀を構えた山姥切の隣に、同じく抜刀した三日月が立ち並んだ。
「いずれは戦わねばならぬ相手だ。それで命が尽きるならそれまでのこと。ここにいる者は皆それぐらいの覚悟はできているぞ。なあ、山姥切」
 話しかけられた山姥切はそっぽを向いて口調だけは不満気に言った。
「ふん、少しは老眼がマシになったか。それと、俺は山姥切じゃない―― 山姥切国広だ」

 徐々に敵の外囲が狭くなっていた。
 刀剣男士たちはそれぞれの得物を構えて中心へ寄っていった。緊張が高まっていく。
 ぽつり、ぽつり。
 空を覆っていた雲からついに雨が降り始めた。
 あと一歩で間合いに入る。戦いが目前に迫っていた。
 敵の足がずるりと進もうとしたその時、制止の言葉が雨音を切り裂いた。
「おやめなさい」
 落ち着いた低い声は、張り上げたわけでもないのにその場に響きわたった。双方の動きが止まる。
 敵の前に立ちはだかったのは、ここにいるはずのない人物だった。
「なんで来たの!?」
 敵味方の間に割って入った菊を見て、清光は顔を歪ませ悲鳴のような声をあげた。
「菊殿、なんということを」
 彼は誰の言葉にも答えず、敵に向かってゆっくりと歩き始めた。近くにいた薬研が咄嗟に腕を掴む。
「おい、それ以上先に行くな!」
 振り向いた青年に薬研は言葉を失った。怯えの欠片すら見せず、冴え冴えとしたその眼光。およそ戦場を知らない若者の目ではなかった。
「薬研くん、手を」
 有無を言わせぬ口調で促され、薬研は掴んでいた腕を離す他なかった。
 背の寒くなるような威圧感があたりに満ちていた。空気が重苦しくのしかかってくる。戦に慣れた己が思わず身震いをするほどだった。薬研は初めてこの男を怖いと思った。
 いったいアンタは何なんだ。
 誰もが動けずにいる中、菊は再び歩を進めた。のったりとした足取りであっても、眼前に迫る敵の元に辿り着くのにそう時間はかからなかった。
 彼は敵の軍勢のすぐ前でぴたりと足を止めた。
 ―― そして、そのまま地面に両膝をついた。
「申し訳、ありません」
 地についた手が泥にまみれる。押し殺された声が戦場に落ちた。
「今更であることは分かっているのです。あらゆる時代のあらゆる場所で、私は苦しむ者を見殺しにしてきました。禁忌を犯してでも過去を変えたいと願う。それほどまでに悲しんで苦しみ抜いたあなた方を知りながら、いつだって傍観してきたのです」
 ぬかるんだ地面に指を食い込ませながら、菊は語った。
「許されようとは思っていません。どんな理由があろうとも何もできなかったのは事実なのですから。しかしそれを承知の上で、あなた方に申し上げます。どうかこの子たちを殺さないでください。大勢の人の思いが詰まった彼らは私の辿った歴史そのものなのです。どうか私の歴史を変えないでください。過去が変われば、これまで生まれてきた存在も、今生きている存在もなかったことになってしまう」
 白い面に落ちた雨粒が涙のように頬をすべり落ちた。
「これは、あなた方をこれからも苦しみの元に押しつぶす本当に身勝手なお願いです。私にはあなた達の傷を癒やす力も、誰かを救う力もないのですから。申し訳ありません」
 地面に額を擦りつけて、血を吐くような声を出す。
「けれど、どうかどうか歴史を変えないでください。私に過去を忘れさせないでください」
 雨にぬれて泥だらけになった顔がゆっくりと上がった。苦しそうで、けれど全てを背負って全てを守ろうとするそれは、まさに親の顔だった。
「はるかな昔から現在に至るまで、『ここ』に生まれた全てのものが私の愛しい我が子なのです。この子たちも、もちろんあなた方も。その苦しみは私が一緒に背負っていきます。私が存在するかぎり、いつまでも。そんなことしかできなくてごめんなさい。でもそれぐらいはさせてください。だって親ですから」
 雨の降り注ぐ音だけが聞こえる。水滴に打たれながら戦場は沈黙した。誰も彼も彫像のように動かなかった。

 どれぐらいの時間が経っただろうか。
 突然、最前列にいた大太刀の一人がゆっくりとこちらに背中を向けた。そのままその場を立ち去って、木々の影に溶けていった。それを合図としたかのように、他の部隊も一人、また一人すうっと姿を消していく。
 隙だらけの撤退だったが、追い打ちをかける者はいなかった。
 わずかな人数だけを残して、あっという間に場は空になった。遡行軍はもはや一兵たりとも見えない。
 いつの間にか雨も上がって、明るい月が戦場を照らし始めていた。
 うずくまったままの菊の背に、三日月がそっと手を置いた。
「さあ、冷えてしまう前に帰るとしようか」


◇◇◇


 月はいつも同じ顔を見せてくれる。
 己と同じ名を持つ彼女は、自分を置いていかない数少ない存在だった。
 三日月宗近は柱にもたれて夜空を見上げていた。夜気が少しばかり肌に冷たい。
 衣擦れの音がしたので、彼はそちらに目をやった。縁の端に行儀よく正座をしていたのはここ最近で見慣れた黒髪である。
 同じくそれに気付いた菊は手を上げて彼を招き寄せる仕草をした。
「今晩は素敵なお月様ですね。まあお茶でも飲みましょう、三日月くん」
 いつかと同じ彼の姿に三日月は小さく微笑んだ。

「清光くんはさきほど眠りにつきました。薬研くんの見立てでは、安静にしていれば命に別状はないとのことです。明日主殿がお帰りになったら真っ先に手入れをしていただかなくては」
 命に別状はないといいながらも、彼の瞳は不安気に揺れ動いていた。
「私が不甲斐ないせいで、あなた方を大変危険な目に合わせてしまいました。本当に申し訳ありません。それに、留守の間に大切な清光くんに怪我をさせてしまって、主殿にもなんと言えばいいか」
「そんなことは気にするな。今回の件はそなたのせいなどではない。勝手な行動をした加州清光の自業自得よ。これであやつも少しは懲りるだろう」
 菊の真似をして、爺臭く茶を啜ってみる。
 月を見上げて三日月は口を開いた。
「やっと思い出したのだ。そなたと初めて会った時のことを」
「ふふふ、もうずいぶんと昔のことになりますからね。そういえばあの時もこんな綺麗なお月様が出ていました」


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