つまらない。
 今日もここには誰も来ない。




第十三話 親といふもの(後)



 美しく整えられた室内はもうすっかり見飽きてしまった。見事な調度品がいくつかある他は大した物もなく、広い部屋の中に自分だけがぽつんと飾られている。
 ほっそりとした刀身に、優美な曲線を描く太刀。
 何よりも美しいとされていたのは、刃に浮かぶ無数の三日月紋様であった。「打除け」と呼ばれるそれに由来して、彼は三日月と名付けられていた。
 しかし完成され、洗練された本体とは裏腹に、生まれて間もない彼はいまだ幼子の姿をしていた。
 小さな足を投げ出して行儀悪く座る。そのままごろりと横になっても、叱る者はいなかった。

 つまらなさそうに床に転がっていた彼は、しばらくたって突然飛び起きた。こちらに近づいてくる衣擦れの音を聞きつけたのだ。
 目を輝かせて戸口を見る。
 もう長いこと誰も通らなかった廊下に人影が現れた。長い黒髪を垂らした女官が静かに部屋に入ってきた。
 三日月は立ち上がって彼女の側まで走って行った。くるくると周りを跳ね回りながらたずねる。
「ねえ、お客さんが来るの?それとも外に出られるの?」
 女官はそれには答えずに、そのまま部屋の掃除を始めた。三日月は構わず話しつづける。
「ここから見える月も綺麗だけれど、外に行けばもっと綺麗に見えるんだろうなあ」
「蹴鞠って楽しいの?」
「昨日はここに雀が飛び込んできたんだよ。ひとやすみしたらすぐに飛んで行っちゃったけど」
 やはり彼女は答えない。独りで話し続けていた少年は、だんだんと小声になって、そのうち黙りこんでしまった。
 彼はしょんぼりと肩を落とした。
 返事などもらえるはずがないのだ。だって彼女には、いや誰にも自分の姿は見えないのだから。
 三日月はいつも孤独だった。珍重されるが故に大切にしまいこまれて、使われたことがなかった。表に出されることもなく、ずっとこの部屋で飾られたまま。ごくたまに訪れる主と客人が彼の姿を褒め称える、その一時だけが三日月の喜びだった。けれど彼らが去ってしまえばいつにもましてむなしい気持ちに襲われた。退屈で、寂しくて、悲しくて。
 使われなくてもいい、せめて人の側に居られれば。
 そう願わない日はなかった。誰かの側にいられるのなら、どんなに美しい姿だって捨ててしまって構わない。しかし彼がどんなに願おうとも、その望みは誰にも届かないのだった。

 掃除を終えた女官が静かに部屋を出ていった。人のぬくもりが消えた部屋に、心がぎゅっと締め付けられる。
 このままずっとここで独りぼっちなんだろうか。
 座り込んだ三日月は膝に顔をうずめた。


「おやおや、こんなところで寝ていると風邪をひいてしまいますよ」
 柔らかな声が聞こえて、三日月は目を覚ました。ぐずぐずと泣いているうち、眠ってしまったらしい。眠気に耐えて目を開くと、すぐ近くに誰かが座っていた。その影は優しげに三日月の頭を撫でている。
 なんだ夢か。がっかりした彼は再び目を閉じようとした。
 夢の住人にむにゃむにゃと返事をしておく。
「俺は刀なんだから風邪なんてひかないよ」
「うふふ、そうでしたね。齢を取ると忘れっぽくて」
 夢なのに撫でられている頭が暖かい。怪訝に思った少年はとうとう起き上がった。
「おはようございます。といってももう夜ですが。はじめまして、私は菊と申します」
 その青年は確かにこちらへ話しかけていた。目が合うと微笑んでこう言った。
「今晩は素敵なお月様ですね。まあお茶でも飲みましょう、三日月くん」

―― ―― それでね、雀はそのまま飛んで行っちゃったんだ」
 少年は身振り手振りで熱心に説明する。彼に向き合った菊は、うんうんと頷きながら話を聞いていた。話を聞いてもらえるのが、返事をもらえるのが嬉しくて三日月は踊りだしたい気持ちだった。
「それは大変でしたね。元気に親鳥のところへ帰っていると良いのですが」
 菊が心配そうにそう言うのを聞いて、三日月はずっと思っていたことを尋ねてみた。
「小雀にはちゃんと親鳥がいる。けど俺の親は誰なんだろう」
 自分を打った刀匠だろうか。けれどすぐに人手に渡った彼は生みの親をあまり覚えていなかった。今の持ち主も大切にはしてくれるが、少し違うような気がした。
 自分には心配してくれる者も見守ってくれる者もいない。
「寂しいよ、菊。俺は何のために生まれたのかな」
 視界がまたじんわりと滲みはじめた。まぶたを擦ろうとするとふわりと身体が浮いた。気づけば菊の膝の上に乗せられていた。
「それは、愛されるためです。あなたはいずれ多くの人に必要とされ、彼らに喜びを与える存在となるでしょう」
「けど、結局独りぼっちだよ。人間は俺のことが見えないし、長生きもできないから。誰も俺のことを心配しないし、ずっと一緒にもいてくれない―― もう、消えちゃいたい」
 投げやりに言った少年のほっぺたを、菊が両側からひっぱった。
「いたたたた!何するの?」
「そんな悲しいことを言う子はお仕置きです」
 小さな身体が後ろからぎゅっと抱きしめられた。
「こんなに可愛い子をどうして私が放っておけると思うのですか。いつまでだってあなたを心配して見守りますよ」
 月の光の中で、二人の話はいつまでも続いた。


◇◇◇


「私はあの時あなたと約束をしました。必ずまた会いに来ると。こんなに遅くなってしまって、本当にごめんなさい」
 菊は高い位置にある彼の頭に手を伸ばした。さらさらとした黒髪をそっと撫でる。
「放っておかぬと言いながら、よくも千年近くも放っておいてくれたものだ」
「色々あったのです。それに時代を経て、私は『目』を喪ってしまいました。だから審神者殿の話を聞いて飛んできたのです。身体を得たあなた方なら今の私にも見えますから」
 悲しそうに瞳を伏せる菊。
「それにしてもわざわざ身分を隠して来ることはなかっただろう。趣味が悪いぞ」
「爺になった三日月くんを観察するのはなかなか楽しかったですよ。昔はあんなに素直で泣き虫だったのに、こんなに厭味ったらしくなってしまって」
「厭味ったらしくて悪かったな。きっと親に似たのだろうよ」
 頭を撫でられながら、三日月がむくれたように言った。
「うふふ。しかし、私から見ればあなたもまだまだ幼子です。ほら、おいでなさい」
 そう言ってぽんぽんと菊は膝を叩く。三日月は普段の無感情を投げ捨てて、昔のように彼の元に頭を預けた。
「ずっと待っていてくれたのですね。ありがとうございます」
 いいこ、いいこと言いながら、菊は何度も彼を撫でる。
「寂しい思いをさせてごめんなさい。不甲斐ない親でごめんなさい―― 私の元に、生まれてきてくれてありがとう」
 ずっと前に乾いてしまった三日月の目頭が、もう一度役目を思い出した。
 拭っても拭っても流れ落ちるものは止まらない。
 月は千年前と少しも変わらず、煌々と二人を見守っていた。


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