「どうしてこんなことになってしまったんでしょうか」
隣から聞こえてきたため息混じりのつぶやきに、安室は同じくげんなりと返した。
「そう思ってるのは君だけじゃないよ」
サングラスの向こうへやる気のない視線を飛ばすと、トウコはそれを払いおとすように、よそ行きに結いあげた後ろ髪をふるんと揺らした。
二人は今、毛利の提案もとい命令により、ターゲットを追跡中である。
こともあろうか、カップルに扮して。
File.11 アドニスと犬(Ⅲ)
「今日は『AI:BO―The Final』の上映開始日だったんですよ。いちばん乗りで観ようと思ってたのに」
「文句なら毛利先生に言ってくれ。仮面カップルだなんて、ぞっとしないことを言い出したのはあの人なんだから」
「わかってますよ。男女のターゲットを尾行するには同じ組み合わせがいちばん目立ちにくい、というお考えなんでしょう。ただ、どうせやるならもっと別の人がよかったなあって。それこそ毛利先生とか」
憧れの探偵とコンビを組んで調査する自分の姿を想像したのか、トウコはうっとりと頬をとろかした。
「言っておくけど妻帯者だからね。一応。別居中なだけで」
「そういう方向の愛じゃないですって。もっとこう愛は愛でも、敬愛とか信愛とかそういう系統の」
安室は、わかったわかったもうたくさん、と手を振って目の前にただよっていたパステルカラーの妄想を断ちきった。
「安室さんだって、梓さんにいちどくらい頼んでみてもよかったんじゃないですか?」
「答えなんて訊く前からわかってるよ」
「と、言いますと……」
安室とトウコはぽわぽわとその光景を想像してみた。
『ええ!安室さんと、仮面カップル!?嬉しいような気もするけど、それは完全にアウトですっ。まだ生きていたいので、他の人をあたってくださーい!』
「考えるまでもありませんでしたね」
「だろ」
想像の中でもまったくブレない。さすが梓さん、と感心するトウコのつむじに目をやりながら安室はすこし考えた。
「まあ、それだけが理由でもないんだけど」
「ん?」
「知りたい?」
首をかしげるトウコに近寄って、安室は彼女の腕をぐっと強引に引きよせた。
突然のことにバランスを崩し、よろけるトウコ。目を白黒させるその表情が悦に入り、彼は笑いをかみころした。
「なぜって、とてもじゃないけど、ほかの女の子相手にこんな真似はできないからね。さあ、ターゲットが移動した。走るぞ!」
「えっ、ちょっ」
ぎょっとしたトウコにかまわず、彼は思いきり駆けだした。腕をつかまれたままのトウコも無理やり走らされるかたちになる。
「ぎええ!いだだ、速っ!」
足をもつれさせながらも、なんとか追いすがってくるトウコ。
ヒールを履いてようが、スカートを履いてようが関係なしか。このやろう。
とか、思ってるんだろうな、とまた腹の底がむずむずするような、もう久しく忘れていた、いたずらっ子の時代に戻ったような感覚に、なんだか楽しくなってしまった彼は、自分の気がすむまで連れまわしてやることに決めた。
「探偵は足が命だ。さあさあ、しっかり走れ!」
奥側の席に陣取り、さりげなく後ろをうかがう。対角線上の端では、若い男女がきゃっきゃとランチを楽しんでいる。
「充実してますね」
「後ろを向かないように。気づかれる」
トウコは砂を噛んだような顔で「ちっ」と舌打ちをした。プライバシーもデリカシーも要らないからイケメンカレシーが欲しいとは、いつかの彼女の言である。
本日、安室とトウコが追っているのは、十勝の元彼女であるルミカと、そのルミカが狙っているという男の二人組だった。なお『いろいろうるさそう』という意見の一致により、依頼人の十勝は連れてきていない。
彼がぞっこんだというルミカは、ぷるんとしたリップとぱっちりした二重がチャームポイントの、たしかに今風にかわいい女子大生だった。
一方、例の男はというと。
「日に焼けてて、髪の色を抜いてて、背が高くて、俳優みたいなイケメンで、誠実だけどどこか影を背負った、Sっ気のありそうな方ですね。十勝さんの証言どおりです。なのにどうして」
似てない、とトウコは残念そうな顔でふたりの男を見くらべた。
「そりゃ他人だからね」
「たしかに方向性は近いものがあるんですよ。チャラさと誠実さが同居するどす黒いほほえみ……ぐえ!サンダルなので足を踏むのは真面目にかんべんしてください」
「それで?」
苦情にまるで取りあわず、先をうながす。トウコは困ったように眉毛を下げた。
「あんまり本人たちの前でこういうこと言いたくないんですけど……完全に上位互換です」
「ふうん」
安室は頬づえをついてトウコを見おろし、口の端にほほえみをのせた。そして、艶のある男声を意識して、わざとこうたずねる。
「ねえ、それってどっちが?」
「あーもー!やめてください!そういうところですよ、そういうところ」
頭を抱えてテーブルにつっ伏したトウコに、安室はとうとう堪えきれずに噴きだした。
「ぷっ、はは。君のほうもそういうところだね」
「私が七転八倒するのを見るのが趣味なんですよね。安室さんは」
「否定はしないよ」
机に張りついたトウコの黒い後ろ頭が「いつか覚えてろよう」と呪詛を吐いた。
「さて、冗談はこれくらいにして。そろそろ真面目にやろうか」
「はい」
ちょうど現れたウェイターから料理を二皿受けとったあと、安室はふたたび声をひそめた。
「音量、上げられるか?」
「やってみます」
メールを見るフリをして、トウコは携帯アプリを起動した。耳裏に装着した小型の骨伝導イヤホンから、男女の話し声が流れはじめた。
『そいつほんとしつこくてー。だからパパに相談したの』
『へえ。でも気持ちはわかるよ。ルミカ、俺が会った中でいちばんかわいいからさ』
『セ、セイヤくん!やめてよ、こんなところで……あっ、ケータイ鳴ってるよ』
『おっと』
愛を歌うロックアーティストの熱唱がブツ、と断ちきられた。
もしもし、とセイヤが電話にでる声がする。衆目も気にしない大声の会話が聞こえたあと、ふたたびポケットに携帯をつっ込む音がした。
『宅配便だって。この時間に指定してたんだけど、やっぱりルミカとの予定がいちばん大事だからさ。また夕方にでも届けさせることにしたよ』
細かい会話までよく聞こえる。感度良好、との意味を込めて指で小さく丸をつくると、トウコはほめられた犬のようにぴょこりと口角を上げた。
「お気に召しましたか?」
「かなり。どこから仕入れたんだ?」
耳の後ろを指した安室に、彼女はにやりと笑って答える。
「医療用の骨伝導型補聴器を魔改ぞ……ごほん、カスタマイズしてアプリと連動させました。髪で隠せば外からは見えませんし、水中その他音が聴きとりにくい環境でも使用可能です」
「ふうん、悪くないな。ターゲットに取りつけた本体は?」
今回、盗聴器はセイヤの右袖に仕込んである。ルミカをターゲットにしてもよかったのだが、物理的な接触が必要な仕掛けの場合は、やはり同性のほうがやりやすい。
「本体っていうより、集音用の子機ですね。一応はアプリが主体ですから。でも、あっちのほうもなかなか手をかけてあるんですよ。ターゲットの声を判別できる音声起動式なんですけど、主機能をアプリに移すことで大幅な小型化に成功してます。今回みたいに利き腕に仕込んだって、そうそう簡単には見つかりません」
昨日一晩夜なべしました、とトウコは鼻息を荒くした。
夜なべ。手袋を編んでくれる母さんじゃああるまいし。
「で、その肝心のアプリもその『夜なべ』の結果かい?」
「そう、これぞ私の本領発揮!バレた場合、即座に子機の通信記録を削除してアクセスを遮断する、逆探防止プログラムを組み入れてあります。くわえて、あらかじめ設定したタップ動作を行わないと、ただの録音アプリとしてしか起動しない安全機能つき。アプリと集音器とイヤホン、この三つさえあれば誰だってお手軽に盗聴が可能。名づけて『君も今日から探偵セットA』です!」
どどーん、と声は小さく、夢は大きく、トウコは新開発品のプロモーションを締めくくった。
Bはあるのか、と訊きたい気持ちをぐっとこらえて、安室はランチセットのハンバーグを飲みくだした。才能の無駄遣いもいいところである。
「その特技、もっとほかに活かせないのか……」
「もちろん、将来的には宅天市場でのネット販売も検討しています。探偵に憧れる子供向けに。三千円くらいで」
「安いなそれ。うちでも使―― じゃなくて。商魂逞しいのはけっこうだけどね、そういう意味で言ったんじゃない」
だいたい、子供向けにしては悪辣すぎるブツである。製品化の暁には市場に出回る前にこっちで買い占めさせてもらおう、と安室は心の中で予算申請の算段を立てた。
「お、安室さん。動きがありそうですよ」
ブーンブーン、とイヤホンを通して携帯のバイブ音が聞こえた。はっきりとした音が拾えているあたり、すぐ近くに携帯電話があるようだ。おそらくは集音器を仕込んでいるセイヤの携帯だろう。
着信を切って、ふたたびポケットに携帯を戻す音がした。
『ルミカ。そろそろ出ようよ』
『ええ、もう?食べおわったばっかりなのに』
『三時ごろからバイト仲間で出かけることになっててさ。あんまりゆっくりできないんだ』
『朝はそんなこと言ってなかったじゃん……せっかくパパとの予定をキャンセルして出てきたのに』
『何かあるとすぐにパパ、パパって。オレとパパとどっちが大事なの?』
ルミカが口をつぐむ。
『わかった。じゃあ、最後にもうちょっとだけぶらぶらしようよ』
『んー、まあそれなら』
気のない返事のあと、ふたたびガサガサと服を漁る音がする。
『マズ。財布忘れたかも』
『また!?』
『ほんとごめん、来るときルミカのことばっかり考えてて』
『もー!セイヤくんったら忘れっぽいんだから。今回が最後だよ?』
『ごめんごめん。次は絶対おごるからさ』
今度はルミカがカバンを持ちあげる音がした。
「ターゲットに移動の素振りあり!急げ!」
と、自分に発破をかけながら、トウコは残っていたスパゲティを慌てて掻きこみはじめた。一方、とっくの昔に食べおわっていた安室は一足先に席を立った。
「会計を済ませてくる。一分以内に表に出てくるように」
「ごひになりまふ!」
「口にものを入れたまま喋るな」
「ごちになります!」
もぐもぐと頬張りながら、ビシッとトウコは場違いな敬礼をした。
セイヤとルミカの歩く後ろを、すこし離れて歩いていく。
ここは俗称『カップルロード』として知られる場所で、とくに若い男女に人気のあるデートスポットだった。通行人の多くが男女の二人組である。安室とトウコも必然的に肩を寄せあうかたちになる。
安室は不自然にならない程度に、前を歩く男を観察した。
涼しげな麻生地のジャケットを纏ったセイヤは、癖なのだろう、常にポケットに手を入れて歩いている。ぱりっとしたセンタープレスのスラックスを履いているところを見ると、服には金と手間をかけるタイプらしい。
しばらくするとまた、ジャーン、とベースがうなって『僕のォ、愛はァ君ひとりのものじゃないィィ』と例のロックな着信音がした。
めんどうくさそうに白い携帯を取りだしたセイヤは「だから四時ごろに届けろって言ってるだろ!」と怒鳴ってすぐに切った。
「その宅配業者、ほんとしつこいね」
セイヤに寄りかかり、ルミカは甘えたように口を尖らせた。
「ねえねえ、そろそろ座らない?向こうにベンチがあるよ」
「ベンチか。何か拭くもの持ってる?パンツ汚れるのヤなんだよね」
セイヤが嫌そうに言う。そんな彼らの後ろで、トウコは肩をすくめた。
「十三時十分、ターゲット依然として尻尾を出しません。って、自分で言っておいてアレですけど、そもそも尻尾ってなんでしょうね?犯人がいるわけでもなし、いったい何を調べているのかだんだんわからなくなってきました。こんなことをつづけていて、本当に十勝さんの依頼を解決できるんでしょうか?この方法を選んだ毛利先生のお考えは、私には深遠にすぎて……」
十中八九、『やらせてみたら、なんかおもしろそうだから』という傍迷惑きわまりない理由に決まっているが、彼女はまだ気づいていないらしい。
普段はそこそこ頭も切れて機転も利くくせに、毛利関連になるとなぜ途端に判断力を失う。
「そういうことは僕じゃなくて、毛利先生本人に申したててくれ……と言いたいところだけど、やると決めた以上は、一応僕の方でも作戦を考えてるよ」
カップルの後をつけまわしてその痴話を盗み聞きするだけの非生産的な活動に、貴重な時間をただ費やすはずもない。彼は彼で、この件に一応の決着をつける方法を用意していた。
気が進まないと言えば、気が進まない内容なのだが。
「ま、そろそろターゲットの関係性も裏が取れてきたし。頃あいかな」
自然な会話に見えるよう、安室はトウコに肩を寄せてささやいた。
「さて、ここで問題。僕が見たところ、彼にはとある秘密がある。今までで何か気づいたことは?」
「気づいたこと、ですか」
トウコは腕組みをしてうなったあと、人さし指を立てた。
「そういえば、やたらと電話がかかってきますね。あのうるさい着信音。本人も本人で食事中でもデート中でも平気で出るし」
「ふうん。なかなかいいところを見てるね。ただ、もうすこし考えてごらん。本当に“いつも”そうだったかな」
トウコがはっとしたように目を見開いた。顎に手をやって、しばらくじっと考えたあと、彼女は安室を見上げた。
くるりと利発に黒い瞳がつやめく。
「もしかして、右と左の両方に、ですか?」
よくできました、と安室はほほえんだ。打てばひびく、こういうところが悪くない。
「つまりそういうことさ。答えにたどりついたところで、解決までの道のりを教えよう」
助手の推理に満足した安室は、背をかがめて、トウコの耳元に『計画』をささやいた。
ひととおりの内容を聞いた彼女は、納得したように頷いた。
「なるほど。たしかにそれなら依頼の解決になりますね。でも、この計画……」
眉毛を下げて、自信なさげに安室を見上げるトウコ。その眉じりを親指で軽くなでて、はげますようにこう告げた。
「そう、作戦の要は君だ。やれるかい?」