表紙の隙間に隠されていたのは、一枚の写真だった。

 建物を背景に、白衣の人物が複数人ならんで写っている。そのうちのひとりに、トウコが先日尾行したあの男がいた。

 どこの施設だろう。

 建物にも周囲にも所名を示すものは見当たらない。場所の手がかりになりそうなものといえば、隅のほうにわずかに写りこんだ車道くらいだが、看板や標識といったものははるか奥のほうにかすんでいて、内容はとても読みとれない。研究員の人種や道路の雰囲気などから、日本ではなさそうだ、というのだけはなんとなくわかる。

 持参した携帯スキャナに写真を通し、データでまるごと保存する。

 帰って解析にかければ、何かわかることがあるかもしれない。居ならぶ研究員を最後にもう一度ずつよく見たあと、トウコは写真を元の隙間にしまった。

 記憶していた原状とまったく同じになるよう、引きだしの中に戻したあと、放ったらかしにしていた金庫も同様に片付けた。

 金庫の中身を確認する必要はない。おそらく侵入者へのトラップである。ものものしい見た目につられて鍵を開ければ、その瞬間、内部の隠しカメラが犯人の顔写真をカシャリ、とか。たとえば。

 デスクまわりを元どおりにしてトウコは部屋を退出した。入ったときと同じやり方で施錠をすれば、作業はすべて完了だ。腕時計に目をやった。現在時刻、十四時三十四分。

 この部屋の前に来てからちょうど七分である。アマチュアにしては、なかなかの好タイムではなかろうか。



Chapter.2 浮淵のクリアライン

File.19 ハウンド・ゲーム(Ⅲ)


 家に帰ってさっそく写真データを解析にかけた。

 複数のソフトを使ってギリギリまで鮮明化をはかったところ、標識に書かれた文字はアルファベット、標識自体の色や形と考えあわせて、地域はおそらくヨーロッパであろうという結論を得た。が、原本がデジタルデータでないこともあって、具体的な内容を読みとるところまでは至らなかった。

 これ以上は得られるものがないと判断して、トウコは早々に解析を切りあげた。そのあとも似た景色の写真がネットに上がっていないかを検索してみたり、研究員の顔から人物特定を試みたりもしたが、めぼしい収穫はなかった。

 ほそぼそと繋がってきた手がかりの線が、ここにきてプツリと途絶えてしまった。

「ああ、いいところまで来てる気がするのに!」

 ごつん、とデスクに額をつけた。そのままの状態で、トウコは重大な決断を下すために三分考えた。

 やるかやるまいか。
 今回はリスクとリターンの話ではない。

 じつはトウコは、安室が思っている以上にさまざまなスキルを持っている。
 しかし、安室からの依頼をこなすときは、あえてそういったものを使わず、やろうと思えば誰でもできるような初歩的なやり方ばかりを選んできた。

 彼を欺こうと思ってのことではない。
 できることが多ければ多いほど、寄越される仕事は自然と“深く”なっていくだろう。彼にそのつもりがなくとも、トウコにそのつもりがなくとも。仕事をこなすたび、一歩ずつ彼の立つ深淵へと近づいていく。

 それはきっと互いにとって良くないことだと思ったのだ。

 隠しごとをしたかったわけではなかった。ただトウコなりに、彼の引いた“線”に触れまいとしてきた結果だった。

「でももう、いまさらだよね」

 彼女はおもむろに顔を上げた。深呼吸をして、モニターと向きあう。足元にある筐体の電源を入れ、部屋にある数台のコンピュータとサーバをすべて起動した。

 デジタルではない写真から、撮影された場所を特定する。そのための最終手段を、講じる。
 衛星写真を使った地表構造物の一斉検索。
 要するに元写真を解析して、地球上に存在する建物や道路と一致するものを探しだそうというのである。

 やり方はこうだ。
 まずは自作の解析ソフトを使い、例の写真から標識・信号機の大きさ、道路の幅、建物の位置関係などを正確に算出、抽出する。
 つづいて、大手検索エンジンの会社が運営するバーチャル地球儀システム(地球上のあらゆる道路や町並みを衛星写真で表示するというあれ)のデータベースに侵入し、登録された衛星写真に同様の解析を行い、独自にデータベース化する。
 最後に、そのデータベースと、件の写真から抽出した情報を片っ端から照合すれば、写真の撮影位置を特定することができる、というわけである。

 手順は比較的シンプルだ。同じことを思いつく人間はトウコ以外にもいるだろう。だが、実行しようと思う人間がいるかというと、答えはおそらくノーである。
 なぜなら、実際の運用には天文学的な演算処理が必要になるからである。自由に使えるスパコンが手元にあれば話は別だが、個人のマシンでは何十年かかるかわからない。

 というわけで、ここからがトウコの真骨頂。不可能を可能にするため、彼女は独自の工夫を編みだしたのである。

「ひとつめは、事前イメージ照合」

 本格的な照合を始める前に、写真イメージを使っておおまかに地域を絞りこみ、計算量自体を大幅にカットする、というものだ。

 もしも絞りこんだ地域内でヒットしなかったとしても、次は第二候補、その次は第三候補と、可能性の高い地域から順に調べていくことで無駄な処理を省くことができる。何の条件もなしに全体検索するのにくらべれば、よほど効率的である。

「ふたつめはグリッド・コンピューティング」

 大雑把にいうと、複数のコンピュータをネットワークで接続し、ひとつのハイスペックなコンピュータとして運用する、というものだ。
 ようするに『スパコンがないならスパコンもどきを作ればいいじゃない!』という話である。非常にシンプル!

 ただし現在トウコの部屋にあるコンピュータはたった数台、繋いだところでたいしたパワーは出せない。

 よって、使うのはもちろん他所様のコンピュータである。
 同じ規格のパソコンがたくさんあって、かつセキュリティが比較的甘い場所、たとえば高校や中小企業などから、ネットワークを通じてパソコンの脳みその一部を拝借し、トウコのネットワークに一時的に組みいれるのである。

 昨今、大学や大手企業はサイバーテロやら何やらでセキュリティ関連にドカドカ金をつぎ込んで守りを固めているが、十分な予算の出ない高校や中小企業ではこういう方面への対策は後まわしになっていることが多い。異状が発生しないかぎり、バレることはないはずだ。

 なお計算のために能力の一部をお借りするだけなので、機密情報や個人情報には絶対にノータッチのつもりである。
 情報イコール命!命イコール情報!

 とにもかくにも、以上ふたつの工夫により、個人では実現不可能なシステムを、なんとか自宅稼働できるレベルにまで落としこむことに成功した、トウコ謹製のブツ。
 その名も――

「画像解析型地表統合検索システム『とっととバレ太郎』!」

 ぱんぱかぱーん!とトウコはイスの上に立ちあがり拳を掲げた。

 大学に入ってから暇に飽かせて作った『バレ太郎』。
 せっかくカワイイ名前をつけたのに、実際には使う機会がまったくなくベータ版のままアップデートが止まっている不遇な子でもある。

 トウコはさっそくパチパチとキーボードを叩きはじめた。「すみません、すみません」と謝りながら外部のパソコンを『バレ太郎』のネットワークに取りこんでいく。

 借りたパソコンにはあとからクリーンアッププログラムを走らせて、借りる前より綺麗にして返す予定である。本当にすみません。

 ある程度の台数が集まった時点で、トウコは作業をいったん停止した。

 台数が増えれば増えるほど処理速度は上がるが、そのぶんバレる可能性も高くなる。欲ばらずに適当なところでストップしておいたほうがいい。能力の不足分はさっき即興で作った追加の効率化プログラムで補えるはずだ。

 写真を読みこませ、パッチをあてたら準備完了である。

「いくぞ、バレたろさん!今こそ窮鼠猫を噛むのだ!」

 へけえっ!と原作とは似ても似つかない雄々しいかけ声とともにトウコはエンターキーをたたいた。
 ごうん、と猛獣の咆哮のような音を立ててマシンのファンが回りはじめる。

 ついに眠れる獅子もとい、画像解析型地表統合検索システム『とっととバレ太郎』が起動した。

 信号機の種類、車線数、標識のタイプ、建物の形。あらゆるものを条件に検索が始まる。処理が進むにつれて、画面に候補地の一覧が表示されていった。
 やはり多くがヨーロッパだった。

 事前照合が終わり、詳細な検索が始まると、室内はたちまち蒸し風呂になった。たった数台とはいえ、本気のパソコンはアツいのである。

 流れる汗を拭いながら、トウコは可能性の高い候補地をひとつひとつ確認していった。

 しばらくして、とある地域の解析中にアラートが出た。
 適合率98.2パーセント。
 これまで見た中ではダントツに高い数字である。

 場所はイギリス・南ウェールズ。
 スノードニアの森林地帯にほど近い国道沿いの一画だった。

「どえらい田舎だなあ」

 『バレ太郎』が示した座標を元にネット検索をすると、一件だけ該当する施設があった。
 とある海外の製薬会社が所有する研究所である。

 会社名はレイヴァーマ・テクノロジ。

 社名を入力して再度検索したところ、あっさりとホームページが表示された。表には出てこない怪しい企業に違いない、と考えていたトウコとしては、肩透かしをくらったような気分になった。

 レイヴァーマ・テクノロジ社、南ウェールズ総合研究所。その主な研究内容は、バイオインフォマティクス。

「バイオインフォマティクス?」

 トウコはおもわず眉を寄せた。日本語では生命情報科学と訳される。生物学のデータを情報科学の手法によって解析する学問で、おもに、ゲノムプロジェクトによる大量のデータを処理・蓄積するために発展してきた分野である。

 研究所の設立年は一九四九年となっており、バイオインフォマティクスの研究施設にしてはかなり古いものだといってよかった。

 そんな施設が彼にどう関係あるのか、いまいちよくわからないまま、トウコは英語で添えられたごくごく簡単な紹介文に目を通した。

「『当研究所は、テロメラーゼ活性によるテロメア短縮への介入およびテロメア伸長に関する生物学的知の集積を目的として設立されたものである』」

 トウコはきょとん、と目を丸くした。
 テロメア短縮への介入。それは、つまり。

「不老不死の研究……?」


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