File.20 ハウンド・ゲーム(Ⅳ)
レイヴァーマ・テクノロジ。
ようやくたどり着いた明確な手がかりだったが、真の問題はそこからだった。
いくら探せど、情報が出てこないのである。
ネットからアクセスできる企業データベースの類を片っ端からあたってみたものの、登録されていた情報はどれも、ホームページに記載のあった内容に毛が生えた程度のものだった。
海外の裏掲示板などを漁ってみても過去に話題になったことはない。
ここまでくると架空企業も同然である。
こういう場合は現地に直接おもむいて実態を確認するのが、いちばんてっとり早いのだが。
「危なすぎるね。却下却下」
バーボンとベルモットの会話を思い返してみても、レイヴァーマ・テクノロジがまともな会社であるとは到底思えない。むしろ、なんらかの犯罪組織のフロント企業である可能性が激高である。
ただでさえ危ない橋を渡っているのに、のこのこ敵地まで偵察に出向くなんて、カモがネギをしょってミイラ取りに行くようなもの。どんなときでも裏方に徹するのが信条の、ようするにビビリのトウコには絶対ありえない選択肢だった。
何かほかに手がかりはないものか、と紅茶のカップを片手にトウコはレイヴァーマ・テクノロジ社のホームページを眺めた。
セリフ系のフォントをベースにデザインされたロゴには『RAVARMA』とのスペリングがなされている。
「レイブ・ファーマ。いや、レイブン・ファーマか」
ロゴの先頭にあるエンブレム。
そのモチーフは漆黒のワタリガラスだった。
「ん?」
軽いデジャヴに襲われた。よく似たものを最近どこかで見たような。見てないような。
どこで?なにを?
それほど昔ではない。遠くにあるものでも、大きなものでもなかった気がする。
「見た、たしかに見た。何だっけ」
座ったまま、その場でイスごとぐるぐる回る。あともうすこしで思い出せそうなのに、思い出せない。
まだそんなにもの忘れの激しい歳じゃないはず!がんばるのだトウコちゃん!と、脳内のバレたろさんが一生懸命応援してくれる。
パソコンの中に何かヒントがないか、とデスクに手をのばしたとき、ちょうどそこにあった紅茶のカップに小指が引っかかった。
カチャン、という音を立てて、中身ともどもカップが揺れる。慌てて手に乗せて確認したが、さいわい割れてはいなかった。
デスクの上に戻そうとして、トウコは「あっ!」と今度こそ大声をあげた。持っていたカップを目の前に掲げる。
レイヴァーマのロゴによく似たカラスのマーク。
あの男の尾行中、アンティークショップで見たカップについていた!
思いたったが吉日吉時、一時間後にはトウコは例のアンティークショップの店先に立っていた。
尾行中、カモフラージュに使った古いショーウインドーは、手垢の位置まで以前のまま、時間の流れから取り残されたように同じ場所にあった。
ガラスの向こう側には件のカップが、やはり前に見たときとまったく変わらぬ様子で鎮座している。
その持ち手の下に刻まれたカラスの意匠は、思ったとおりレイヴァーマ社のそれと似通ったデザインだった。
「うーん、ちょっと見えにくいな」
エンブレムが見えやすい角度に回るとガラスが反射してしまう。午後になるとアーケードの隙間からちょうど西日が差しこむのである。
あのときだって、この反射を利用して背後の男を見張ったのだ。
ショーウインドーを見つめるうち、心によぎった“もや”に、トウコは俯いた。
『いつもどおり何も残さず。お願いね、バーボン』
あの夜、裏切り者の処遇を訊いたバーボンに、ベルモットという女はそう答えた。
その会話が生まれる要因をつくったのは、トウコだ。男のあとを尾け、この場所で見たものをトウコがバーボンに報告したがゆえに、男は彼らに足取りをつかまれることになった。
そしてきっと、そのあと、あの人は。
彼女は悪い考えを追いだすように頭を振った。
いまだすべてが憶測の範疇である。確証のない内容の反復に時間をとられるべきではない。
何を信じるべきか。
それを確かめるためにこそ、トウコは彼を追っているのだから。
「ごめんください」
意を決して入った店内に、以前見たいかめしい店主の姿はなかった。
ドアベルの音を聞きつけて、かわりに表に出てきたのは、店主と同じ年代の女性だった。上品な服装をした初老の女性はトウコに目を留めると、柔和な顔を見せた。
「ごめんなさいね、夫は外出していて。もしかして何かお約束があったかしら」
「いえ、前を歩いていたらショーウインドーの中に素敵な商品があったので……あそこにあるカップ、見せていただけませんか」
すると彼女はなぜか申し訳なさそうな顔になった。
「ごめんなさい。それはね、売り物じゃないの」
「売り物じゃない?」
「主人が言うには、どこかの資産家が有名な職人に依頼して作らせた一点物らしいの。本当はソーサーや対のカップもあるらしいんだけれど、うちに売られてきたのはあのカップだけだったのよ。だから、そのシリーズについて何かすこしでも情報が集まったら、ということで目立つあそこに置いてあるの」
もちろん見るだけなら大丈夫よ、と元より気の良い性質らしい夫人はお茶目なウインクをひとつ飛ばして、こころよくショーウィンドーのチェストを開けてくれた。
細心の注意を払ってカップを手にとり、エンブレムのあたりに顔を近づけた。
似ている、のだろうか。
実際にこうしてみると、似ているような似ていないような。全体としては似通ったデザインなのだが、翼や尾の描き方には多少の違いがある。空似と言われても否定はできない、微妙なラインだった。
孫のような年頃の娘に気が緩んだのか、もともと話好きなタイプなのか、骨董屋の夫人は眉を寄せてじっとカップを見つめるトウコにふとこんな話をもらした。
「そういえば、つい数日前に貴女と同じことを訊いたお客さまがいたわ」
トウコはぱっと振りむいた。
「同じこと?」
「主人が店番をしていたときだったから、奥からちらっと見ただけだけれど。髪を明るく染めた、それはそれはハンサムな子だったわ。そのカップについて、いろいろと熱心に質問していたみたい」
安室さんだ、と目を見開いたトウコに、何を勘違いしたのか、夫人は「あら、興味ある?」とそれこそ興味ありげな顔を見せた。女性というものは、いくつになってもこういう話が好きである。
突然差しのべられたチャンスの女神の手に、トウコはごくりと唾を飲みこんだ。好奇心をあえて隠さず、ずいと夫人に詰めよる。
「趣味が合いそうな人だな、と思って。その人のこと、もっとおしえていただけません?」
「かなり若く見えたけれど、物腰が優雅で落ちついていたわねえ。二十代の後半か、もしかすると三十代くらいかしら。ああ、私もあと三十年若かったら……」
三十年前にはきっとどこぞのマドンナだったに違いない、整った目元に笑い皺を寄せて、夫人はチャーミングな笑い声をたてた。
「でも、お近づきになるには、今はちょっと難しいかもね。外の車にガールフレンドが待っていたから」
「ガールフレンド、ですか?」
思わぬところから降ってきた特ダネに、背筋が伸びた。
「その子もすっごく美人だったのよ。何とかっていう有名な外国の女優にそっくりな。えーと、何ていう名前だったかしら」
考えこんだものの、夫人は「だめ、歳ね」と早々に思い出すのを諦めた。
「ふたりは一緒には入ってこなかったんですか?」
「もともと彼も、商品を見にきたんじゃなくて人探しに来たみたいでね。ほら、うちってずいぶん古くからここでやってるじゃない。中国かどこかの人の写真を何枚か見せられて、知り合いを探してるんですけど知りませんか、って訊かれたらしいのよ。知らないって答えたら、すぐに帰ろうとしたんだけど、そのときにカップを見つけてね。だからカップの話はほんのついでだったみたい」
中国人の写真を見せたのは、おそらく運び屋さがしだろう。しかしなぜ、彼がカップについて訊ねるのだろう。自分の所属している組織絡みのものじゃないのか。
「どうしたの?」
「いえ。ありがとうございます。このカップも、その男性も今はちょっと難しいみたいですね」
トウコはさっき夫人が見せたような、茶目っ気のある笑みを浮かべた。
「またほかの物を買いに寄せてもらいます。綺麗なカップで紅茶を飲むのが何よりの趣味なんです」
「あらそう。主人が喜ぶわ」
店を出ようとして、トウコは最後にもう一度振りむいた。
「ちなみに、そのカップルってどこに車を停めてました?」
靴も上着もあちらこちらに脱ぎ捨てながら、部屋の中に駆けこんだトウコは、「はやくー!」と足踏みをしながらパソコンを立ちあげた。
アンティークショップ周辺にある防犯カメラがSDカード式なのは帰りぎわに確認済みである。
彼らがアンティークショップに現れてから数日しか経っていない。録画映像はまだ残っているはずだ。
商店街のカメラネットワークには、案の定たいしたセキュリティ対策は講じられておらず、トウコは数分とかからずカメラ内部に録画された映像に辿りついた。
日時別にずらりと並んだサムネイルを前に、トウコは顎に手をあてた。
彼らが防犯カメラに映るようなヘマをするとは思えない。車は確実にカメラの死角をついて停められていたはずだ。
だが、それは本当に完全だったのだろうか。
カメラの中身を漁り、数日前に遡る。夫人に聞いた彼らの来店時間の前後を確認してみると、やはりカメラの視界内に車は映っていなかった―― が。
トウコはカメラに映るショーウインドーを見た。
強い西日の反射の中に、白いRX-7とその助手席に座る女の姿がたしかに映っていた。
「やっぱり……!」
夫人の証言と一致する豊かなブロンド。サングラスが邪魔をして顔の造作はよくわからない。映像を拡大しようとしたとき、玄関で物音がした。
まずい。
画面を切りかえるのと、部屋のドアが開くのはほぼ同時だった。
背筋に冷や汗が流れる。トウコはドアに背を向けたまま、まずは自分の顔が平静を保っているかよく確認した。
そして、何ごともなかったかのように、イスごと後ろに振りむいた。
「ノックくらいしてくださいよう。お風呂あがりに全裸で牛乳グビグビしてたらどうするつもりだったんですか」
見慣れた長身を視界に入れながら、トウコはいつものように―― もちろん実際には、地雷原を歩くような緊張感と慎重さで―― 軽口を叩いた。
スーツ姿の彼はトウコをじっと見つめたあと、肩を竦めた。
「どうもしないけど。なに、どうかしてほしいの?」
けろりといつもどおりの嫌味ったらしい返事を返した安室に、トウコは体中の空気がぷしゅう、と抜けるような感覚をおぼえて、胸をなで下ろした。
よかった、いつもの安室さんだ。
「自分から『どうかしてほしい』なんて言いだすヤツは私の偽物で間違いないので、見つけ次第コークスクリューでもまわし蹴りでもシャイニングウィザードでもお好みの方法で処刑してやってください」
「こんな感じに?」
「あだだだだだ、ちが、処刑するのは私本人じゃなく!いだいいだい、死ぬ!」
イスの後ろからスリーパーホールドをかけられる。締めてくる太い腕をバシバシたたいて、全力で降伏の意を示すと、ぽい、と飽きたように放りだされた。
今日は、あの香水の匂いはしなかった。
トウコは内心ほっとしながらも、おそれおののいた表情をつくり安室を見上げた。
「突然のプライバシー侵害、および理由なき暴行。お、おそろしい人ですね」
「『プライバシーもデリカシーも要らないから、イケメンカレシーが欲しい』んじゃなかったっけ?ま、僕が与えてやれるものはひとつもないけどね」
残念、とまったく残念に思っていなさそうな顔で言ったあと、彼はネクタイを緩めながらベッドに腰かけた。
「今日は一日何やってたんだ」
「劇場版『AI:BO』を片っ端から見てました。この前、滾る衝動にまかせてブルーレイボックスを買っちゃったので」
トウコは再生中だったディスクをピッと一時停止した。デッキの数字が一時間三十八分で止まる。
ちょうどトウコがいっとう好きな、桜の木のシーンだった。
「好きだな、刑事物。いつも見てる」
「安室さんは警察って好きですか?」
トウコは安室を見つめてそう問うた。安室もまた、読めない瞳でじっとトウコのことを見つめていた。
「僕は探偵だからね。仕事上、仲良くさせてはもらっているよ。毛利先生もそうだけど、探偵をやっている人の中には元警官も少なくない」
とくに何か感情を込めるでもなく、彼は淡々と続きを述べた。
「探偵は、治安が維持され、法が正しく機能している社会においてこそ成立するものだ。裁かれるべきが裁かれない世界では、知と理に拠ってたつ存在はかぎりなく無力に等しい。だからその前提となっている警察という組織を、探偵である僕があえて嫌う理由はない―― というのが、君の望む模範解答かな?」
時間と空間が凍りついた。トウコの目の前にあったのは、あのレストランで見たものとまったく同じ、蕩かすような淫靡な笑みだった。
「はじめまして、ではないかな。君はもう、その名前を知っている」
男性的、武骨な荒々しさを持つ反面、甘くとろけるような芳香を放つ。
「僕はバーボン。さて、役者が揃ったところでタネ明かしをはじめよう」