「僕が今どこにいてどういう状態か、っていう説明はいらないんだろ。どうせ」
『あはは、そうですね』

 悪びれもせず位置探知と盗聴の事実を認めたトウコは、『あっ、そこの棚に応急セットがあるみたいですよ。使っておきましょう』とのんきにRPGのチュートリアルのような助言を伝えてきた。
 あんな別れ方をしたのにどういう神経をしてるんだ、とさすがの彼も半目である。

「まあいい、その辺のことは後でたっぷり聞かせてもらうとして。ナビ頼んだぞ」

 無線の相手がほんの一瞬、息を止めたのがわかった。
 だが、じきに堪えきれなくなったような、むずむずと伸びあがるような、心底嬉しそうな声が返ってきた。

『はい、お任せください!』



Chapter.2 浮淵のクリアライン

File.25 ステイ・エンド・バイト(Ⅳ)


『右に出て、三十メートル直進です』

 トウコの指示に従って、部屋を出る。

『こちらで外部から施設全体の制御を奪って、あちこちで電気の遮断と防火扉の施錠を行っている状態です。これからあなたの移動にあわせて扉を開閉し、逃走経路を確保します』

 言いおわらないうちに、今しがた通りぬけた通路にガチャンと扉が降りた。かわりにどこかで別の扉の上がる音がする。

『ここのセキュリティ、どうやら徹底的に一元化されてるようですね。ここまでするとなるととんでもない資金が必要ですよ!昨今、国内ではなかなかお目にかかれない規模感とバブリー感です』
「そのせいでこんな目に遭ってるんだけどな」
『最近のトレンドはセクション分散管理ですからね』

 施設のセキュリティシステムは複数のセクションにわかれている、という組織からの事前情報を愚かにも鵜呑みにしてしまった背景がそこにある。

 一部分だけ崩せば問題なく侵入できると思っていたらとんでもない。予備セクションのセキュリティをひとつ解除しただけで施設全体に警報が鳴りひびき、今に至る大失態の幕開けとなったわけである。

『ま、外部からちょっかいを出す側としては、こういった中央集中型の方が楽で助かりますが』

「集中させるとまさにリスクがあるからな。だが逆にいえば復旧も簡単だ。管制室からアクセスを弾かれるおそれはないのか」

『ないとは言いきれません。が、しかし大規模なシステムほどややこしいのが世の常であります。敵の管理者、どうやらこの施設の仕組みをあまり理解できていないみたいですね。外部アクセスをシャットアウトするどころか、現状の把握だけでいっぱいいっぱい』

 経験だけでのし上がってきた人間が、上の方針で無理やり完全デジタル管理のご立派な設備を押しつけられたというところだろうか。ハードにいくら金をかけたとしても、使いこなせなければ意味がない。

「どこの世界でも中間管理職ってのは大変だな。しかもそのうえ、君みたいなのから目をつけられて。ここの責任者には同情するよ」
『し、失礼な。私はいつだって正々堂々・正面突破が信条ですよ。なんなら逆探知して反撃してくれたって構わないんですから。久々の対人バトル、こちらにもいろいろと楽しい備えがありますし』

 腕がなるぜ、とまったく顔に似合わないセリフを口にして、トウコはペキペキと薄っぺらく指を鳴らした。敵はこの際、機械オンチで良かったのかもしれない。その“楽しい備え”とやら、想像しただけでもぞっとしない。

『次の角を左に』

 壁を盾に用心深く角を曲がったが、行く手に敵の姿はなかった。彼を取り囲み、フロアに溢れていたはずの気配は、今となっては微塵も感じられなかった。

「敵は?」
『大部分は防火扉を利用して数カ所に分断、隔離しています。徹底した完全防音・完全防弾がかえって仇になりましたね。ですがそれでも、一割ほど所在を確認できていない人員がいます。気をつけて進んでください』
「九十パーセントオフになっただけでも御の字だよ」

 スーパーの特売じゃないんだから、と通信機の向こうからこれまた俗っぽいコメントが返ってきた。

『次の角も左、階段を降りてください』

 角を曲がると目の前に分厚い防火扉が立ちふさがっていた。行きどまりかと足を止めかけたとき、プシュ、と圧搾空気の音とともにあっさりと扉が開いた。

『開扉しました。先へどうぞ』

 自動ドアも顔負けのタイミングに、彼は何ともいえない気持ちになった。発信器で正確な位置がわかるとはいえ、とんでもない操作精度である。
 才能の無駄遣い、いや今回はさすがに無駄ではないけれども。

『降りたら右。つきあたりをさらに――

 トウコが言葉を切る。彼も同じく敏感に反応して、臨戦態勢に入った。ぴちゃり、と水漏れでできた水たまりに靴のつま先を浸す。

『三人います!』

 言い終わる前に、現れた敵の顔面に向けて、水たまりの水を思いきり跳ねあげた。怯んだ隙に、壁から古い鉄パイプを引き剥がし、横一列で突っこんでこようとする敵にそのまま投げつける。

 槍投げよりもむしろ砲丸投げに近い威力でかっ飛んでいったパイプは、わずかに先行していた一人の顔面にクリティカルヒット、残りの二人の腕や肩口にも少なからぬダメージを与え、突撃の足を止めさせた。

 もちろんその隙を見逃す彼ではなく、鼻血を出して今まさに倒れていかんとする一人目を盾にしながら、二人目の顔面に右ストレートを決めた。そのまま後頭部から壁に叩きつけておく。

 ひっ、と震えあがった最後のひとりにはハイキックを叩きこみ、よろけたところを鼻面ごと膝でかちあげた。
 聞くに堪えない呻き声を立てて、敵はずるずると地面に倒れ伏した。

『……ゴリラ』

 通信機の向こうでトウコがぼそりと呟いた。

「悪口は顔見て言いなよ。怒らないから」
『笑いながら人のことボコボコにできますもんね、あなたは。と、まあそれはおいといて。残念ですが、また敵が来ます。今度はもっと大所帯のようですよ』

 聞きたくなかったアナウンスに、彼は露骨に眉間を狭めた。倒した敵から武器を奪おうとしたが、生憎どれも弾いた拍子に通路の端から階下に落ちてしまっている。
 チッ、と舌打ちをした。最後の最後で詰めが甘い。

「まずいな」
『どうしたんですか?も、もしかしてさっきので傷口が開いて』
「傷は大丈夫だが、武器がない」
『えっ、そんな……』

 『そんな、どうしよう』という絶望の滲んだ声は、聞こえてこなかった。結論からいうと『そんな』は、彼の思っていた『そんな』では全然なかったのである。

『そんなことですか。なあんだ』

 心配して損した、とでも言いたげにトウコは答えた。テレビを見ながらこたつで鼻くそでもほじっていそうな気の抜け具合である。

「あの人数だぞ、あきらかに生命の危機だろうが。もっと全力で慌てろ」
『はい、わかりました。たっ、たいへんだー。そのストラップ、大急ぎで裏返してください』

 どんどん近づいてくる敵の気配に落ちつかない気持ちになりながらも、彼は言われたとおりにストラップを裏返した。

『裏返したら、蓋を剥がしてください。斜め四十五度くらいの角度で持ちあげれば開きます』
「蓋?」

 一見、桜の形をしただけの金属塊である。だがよく見ると、たしかに端のほうにうっすらと切れこみのようなものがあった。
 小指の爪で引っかけて、指示どおりのやり方で蓋を持ちあげる。

 中には丸くて薄い親指の爪ほどの何か―― 極小タブレット型の装置のようなものがきっちりと収納されていた。
 まさかの展開に引きつりつつも、彼はそれを指先で摘みだした。

 つるりとした表面にはスイッチとおぼしき赤いボタンがひとつついているきりである。そして、そのすぐ下には、緊張感のない油性マジックの字で一言、『投げる用』と書かれていた。
 見るからに不吉だ。

「なんだこれ……」
『金属製のものを直接肌につけてはいませんね。よしよし。スイッチを押したらすぐに投げてください』
「おい、ちょっと!」
『百聞は一見にしかず。それではレッツチャレンジ!』

 ポチッとな。

 場にそぐわない掛け声に背を押され、彼は思わずポチッとしてしまった。慌てて手を引っこめたが時すでに遅し。装置がいかにも怪しげな音をたてて起動する。
 彼の動揺などおかまいなしに、トウコは無線の向こうで勝手にカウントダウンを始めた。

『三秒以内に投げないと巻きこまれますよ。三、二、一』

 待ったなしでカウントを減らすトウコ

 ええい、もうどうにでもなれ。ヤケクソになった彼は、思いきり振りかぶって手に持ったそれを通路の向こうに投げつけた。
 『ゼロ』とのカウントとともに、耳を押さえて蹲る。

 ドン、という爆発音とともに激しい爆風が巻きおこる、そう固く信じていた彼だったが、結果からいうとその予想は華麗に裏切られた。

 爆発どころか何の変化も見られない。投げた装置が床に落ちる、こちんという物足りない音が聞こえたくらいである。

「おい、これ不発なんじゃ――

 製作者に抗議しようとしたとき、ギャアア、と聞くに堪えない悲鳴があがった。続いて、あつい、あつい、という呻き声が起こる。

 おそるおそる廊下の先を覗くと、こちらに向かってきていたはずの十数人全員が床の上で転げまわっていた。まるで鉄板で焼かれる生エビのような有様である。

 ちり、と肌が焼ける感じがして、彼は慌てて身体を引っこめた。火傷をした、と思って熱を感じた箇所を見たが、不思議とそのような痕はどこにもない。
 そこでようやくピンときた。これは、まさか。

『ADSです』

 ADS。
 アクティブ・ディナイアル・システム。

 おもに戦意を減退させる目的で使用される、非殺傷の対人兵器である。
 ADSの照射を受けると皮膚表面にオーブンで焼かれているような強い熱感をおぼえるものの、実際に火傷することはない。電磁波を照射し物体の温度を上昇させるという、いわゆる電子レンジと同じ仕組みの装置だった。非常に高い周波数を利用しているためごくごく表層部分にしか作用しない。
 最近になって、米軍が導入したという話を聞いたが。

「写真で見た時は軍用トラックの後ろにデカデカと載ってたけど。ここまで小型化できるものなのか?」

『電磁波を発生させる発信器も増幅させるためのアンプも、実は高周波用になればなるほど小型になるんです。ADSで使われるのは九十五ギガヘルツの高周波なので、理論上はけっして不可能じゃないんですよ。短時間・短射程でいいなら、このサイズでもいけます』

 トウコは、えっへん、と胸を張った。
 才能の無駄遣い、いや、さすがにここまでくれば素直に認めるしかない。

「いい才能もの持ってるな、君……」
『将来的には宅天市場での販売も予定しています。名づけて、これで君も探偵セットB!』

 Cもあるのか、と訊きたい気持ちをぐっと堪えて、必要最低限これだけは言っておくことにした。

「探偵は電磁波兵器とか使わないからな。一応言っとくけど」

 あついあついと悶え苦しむ敵を尻目に、逃走を再開する。
 メイド・イン・トウコのADSは数分で電池切れになるらしく、放っておいても問題ないとのことだった。

 侵入者対策なのだろう、まるで迷路のような地下施設の中を、指示に従って駆けあがった。

 ところが、地上まであと少しというところで、違和感を感じて急停止した。
 ほぼ同時にトウコが叫ぶ。

『伏せて!』

 そのとたんに、すぐ近くでドラム缶でも爆発させたようなけたたましい音がした。身体をかがめ、すぐそばにあった柱の陰に転がりこむ。

 音が止んでようやく、通信機の向こうから、うげえ、と虫を飲みこんだような声が聞こえた。

 視線を上げると、分厚い防火扉が穴だらけになっていた。金魚すくいのポイを水鉄砲で撃ったがごとくのメッタメタぶりである。

『対物ライフルは室内で使っちゃだめ、ってお母さんに習わなかったんでしょうか』
「人に向けるな、っていうのも追加だ」

 個人で使用可能な兵器のうち最大火力を有するもののひとつ、アンチマテリアル・ライフル。その名のとおり人間用ではないため、万が一人体に当たればピーがピーしてピーするような、目も当てられない惨状となる。

 トウコがげっそりした声を出した。

『たかだかネズミ一匹に対してそんなもの使う?って感じですね。ドン引きです』
「その気持ちには全面的に同意するけどな、ネズミって言うな、ネズミって」
『ふーん。チーズをあげて飼い馴らすくらいだからてっきりお好きなのかと』
「君ってさ、けっこう根に持つタイプだよな」

 彼女は「はあ」とこれ見よがしなため息をついた。

『犬ならまだしも、言うに事欠いてネズミですもんね、ネズミ。あなたにしてみれば所詮ネズミ。用済みになったら害獣扱い。あーあ。本当にどういう神経してるんだか』

「あれは言葉の綾で……」

『遺憾の意。ま、いいでしょう。ペットの恨みは怖ろしいってこと、この機会にあなたにも教えて差しあげます。窮鼠猫を噛むってやつです』

 ポチッとな。

 若干キレ気味のトウコが、本日二度目の不吉な言葉とともにエンターキーを押した。

 何も起こらない―― はずはなく、すぐにどこからか低い轟音が聞こえてきた。続いて、建物全体が揺さぶられるような振動。
 嫌な予感がする。

『尻尾をつかんで水の中にドボン、でしたっけ』

 トウコがにやり、と邪悪な笑みを浮かべたのが通信機ごしでもわかった。

 防火扉の向こうで、さばーん!という盛大な水音と野太い悲鳴が聞こえた。同様の音が続いて、施設のあちらこちらから起こる。
 ごうごうと唸る水流と建物の揺れに、彼は自分の予感がずばり大正解だったことを知った。

 水道管メインラインの全開放。
 今まさにこちらへ攻め入ろうとしていた敵が目の前で次々に水に攫われていった。
 無事なのは彼のいる廊下だけである。

 溢れだした水は見ている間に、あらゆるものを綺麗さっぱり押しながしてしまった。

『駆除完了です』

 飛沫を浴び、毛先から水を滴らせながら半目になって立ちつくす彼に、トウコはいい仕事をしましたとばかりに親指を立てた。正確には、立てたに違いない。見えないが。

『お、反応が薄いですね。もう一回やりましょうか』
「いや、もういい。わかった。よくわかった」

 大切なことなので復唱しておく。その返事に満足したのか、彼女は通信機の向こうでポンポンと手を打った。

「さあ、地上まであと少しですよ。ささっと抜けちゃいましょう」

 明るいナビゲーターの声に背を押され、彼はいまだちょろちょろと水の流れる廊下を走りだした。

 長い長い廊下だった。
 だが、今となってはひとつの障害物もない。視線のはるか先、闇の中にたったひとつ浮かびあがるのは、光の漏れるドアだった。
 それが視界に入った途端、疲れきった足に力がみなぎった。ボロボロの身体に、どくん、と新しい血が巡りだす。

 彼は弾丸のように駆けだした。たとえ足が千切れても、心臓が止まっても、何が何でもあの場所まで辿り着きたかった。

 走って走って、一生懸命に走って。
 そして、ようやく光に縁取られた扉の前に立った。ドアノブを握りしめ、ゆっくりと開く。

 途端に、光の奔流が視界にあふれだした。たちまち目が眩んで、彼はとっさにまぶたを手のひらで覆った。
 草の香りのする風が汗だらけの体に優しくぶつかっては、通りすぎていく。

 視界が戻ったとき、彼は雲ひとつない青空の下に立っていた。

 帰れる。

 はるか遠い東の空を見あげ、彼は子供のように笑った。


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