Chapter.3 モディ・ドゥは理想郷の夢を見るか?

File.40 ユートピア(Ⅱ)


「うん、似合うね」

 心にもないことをいけしゃあしゃあと口にしながら、笑顔のイケメンがネズミ耳のカチューシャを押しつけてくる。
 すでに右手にはリリカルなステッキ、背中には妖精とコウモリと天使の羽が三重で生やされたカオスな状態である。

 少年のような無邪気な顔でつぎつぎに新しいパーツを装着してくるあたり、着せかえ人形というより、戦隊モノの合体ロボ的な遊び方をされているように思う。

 全身に仮装グッズを纏った、もとい、纏わされたトウコはげっそりと息を吐いた。いくら夢の国とはいえ、さすがに酷な仕打ちではなかろうか。

 地味すぎると逆に目立つ、場にあった格好が必要だ、などとそれらしいことをのたまった本人は、サングラスをかけてパーカーのフードを被っただけの無難な出でたちである。こちらがすでにキメラのようなありさまであることを考えれば、悪気があるとしか思えない。

 つい遠い目になってしまったトウコに、安室は困ったように眉を下げた。

「僕が選んだの、気に入らない?」
「もう少し、個々のグッズの世界観を大切にしてくれたら嬉しいなあ、なんて思ったり思わなかったり……」
「世界観?わあ、君って意外と難しい言葉を知ってるんだね」

 安室はいかにも驚いたというふうに首をかしげた。きゃぴるん、とすでに死語になったオノマトペがぴったりくる動作である。
 とんでもない童顔アラサーだ。わかってやってるあたり果てしなくタチが悪い。

 黙りこんだトウコに、安室はまた困ったような顔をした。

「さっきから元気がないね。せっかくこんなに楽しいところに遊びに来てるんだし―― 君も笑えよ」

 彼氏然とした甘っぽい声が、最後の部分で一気に二トーンくらい下がった。

 トウコはおもわず「ひっ」と悲鳴をあげて、両腕を擦りあわせた。もうそろそろ春なのに寒気がするぞ。

「ねえ君、僕の話聞いてる?」

 周囲に怪しまれたらどうしてくれる、と笑顔がますます深くなる。

 このままいくと人気のない場所に連れこまれてこっぴどく虐待される。
 ネズミのように鋭敏に未来の危機を予知したトウコは、引きつる頬にむち打って一生懸命に飼い主のご機嫌を取った。

「そ、そんなに似合ってるかな。あはは、髪の色と同じだからかなあ」
「へえ」

 黒いネズミカチューシャと己の髪を交互に触って答えてみたが、ブリザードは吹きやまない。

 この程度じゃダメなのか。
 追いつめられたトウコは、「ど、どうするべきか」と眉毛をぴこぴこさせたすえ、清水の舞台からバンジーを決めるくらいの覚悟でテイクツーに臨んだ。

「そ、そんなに似合ってる?さっすが私、全部盛りでもカワイイ〜!」

 てへ、と自分で自分の頭を小突いたあと、トウコは、ぺろり、と舌を出した。
 出してしまった。

「五点」

 冷ややかな視線と舌打ちのコンボのあと、渾身のテヘペロに残酷極まりない点数がついた。

「あああああ」
「コメントをつけることすら憚られるな。やらないほうが何倍もマシ。反省しろ」

 容赦ない言葉の暴力がトウコを襲う。

「お、おゆるしくだせえ、お代官様……」
「夢の国に代官を呼ぶな。設定が甘い。やりなおし」
「ご、ごめんちゃ。ダーリン」
「五点」

 くうう、とトウコは頭を抱えた。
 状況に迫られなきゃ、誰が好き好んでこんな真似するか。今すぐに日本海溝よりも深い穴が欲しい。埋まりたい。

 トウコは泣きそうな顔で最後の希望に縋った。

「ご、五点っていうのはもちろん、十段階評価の『五』ですよね?」
「あはは」

 そうして彼は、穴があったら入りたかったトウコを日本海溝よりも深い墓穴にきっちりと埋めたててくれたのだった。

「おバカさんだね。ペーパーテストの満点を知らないの?」

 さすが仕事のできる男である。


 

◇◇◇

 息を吸いこむと、キャラメルポップコーンの香りが幸せを運んでくる。すれ違う人びとはみんな、上気した頬で弾むように道をゆく。

 ここはワンダーランド。誰もが夢みる夢の国ユートピアだ。

 ふわふわの耳が生えていたり、背中に妖精の羽がはためいていたりするのは当たり前。
 敷地を埋めつくす群衆は街中よりもずっとカラフルで寛容だ。隣の人間がどんな格好をしていようと気にもとめない。

 が、しかし。それでもやっぱり目立つものは目立つのだ。

 トウコは隣の長身を見上げた。
 頭ひとつぶん抜けたガタイとモデル体型、あげくのはてに日本人離れした派手な髪色が、彼をやすやすと人混みには溶けこませない。
 かろうじて顔はサングラスで隠れているが、それはそれでバッチバチに似合うため、結果的に衆目を集めてしまっている。

 非日常を楽しむ人びとは、外の世界ににいるときよりもずっと好奇心旺盛で人懐っこい。めちゃくちゃなイケメン(たとえサングラスで半分隠れていたとしても)が、連れもなく手持ち無沙汰につっ立っていた日には、あっという間に「ちょっと写真いいですか?」とフラッシュ弾けるプチ記者会見のはじまりである。

 早朝から傍迷惑な誘拐をされた事情が、ここにきてトウコにもようやく理解できた。

「なるほどなあ」
「ねえ、何の話?僕にもおしえて」

 耳元に甘く吹きかけられるのは、夢の国仕様の王子様ボイス。この御仁、入場してからずっとこんな感じだ。
 今回の設定は、プリンセスになりたい年下彼女と、それをベタベタに甘やかしたいアダルト彼氏の組み合わせらしい。いや、説明されていないので本当のところは知らないが。

 アダルト彼氏だろうがプリンセス彼女だろうがプリンセステンコーだろうが何でも好きなようにすればいいが、強制的に相手役を演じさせられるトウコとしては、もうすこし本来の人格に近い設定を採用をしてほしい、と思わなくはない。

 プリプリにお姫様なティアラもブリブリに小悪魔な尻尾も、地味女には荷が重い。

「そういえば、外しちゃったんだね」

 彼はトウコの頭を指して言った。
 全身にこれでもかと搭載されていた仮装グッズは、ネズミカチューシャと天使の翼とリリカルなステッキだけを残して初期装備に戻してある。さすがに全部盛りは重すぎた。

「ネズミカチューシャの後ろから宇宙人のアンテナがにょっきしてるのはやっぱりどうかと思って。世界観的に」

 正直、一番手放したかったのはリリカルステッキだったのだが、それなりにいい値段だったから、とかいう理由で、どうしても許してもらえなかった。子供向けにもかかわらず異様に重い魔法の杖は、ステッキというよりも、もはや鈍器である。

「ふうん、残念。似合ってたのに」

 と言いつつも、小指の爪の甘皮ほども、残念には思っていなさそうな顔だった。トウコはぼそぼそ呟いた。

「安室さんがつけてくれてもいいんですよ、小悪魔の尻尾。あ、いやスミマセン。わざわざつけなくても標準装備でしたね。魔王的なやつが」
「何か言った?」
「言ってません」

 トウコは深く考えるのを止め、隣の男に歩調を合わせた。

 せまい道から広場に出て人垣がなくなったところで、安室は前を向いたままトウコに告げた。

「ここからすこし行った先の店内だ。僕ひとりで入る。君は外で待機。不審者が入店した場合は連絡を入れろ」
「わかりました。合図はいつもどおり二コールで」

 トウコもまた前を向いたまま簡潔な言葉で了承した。

 ちょうどトイレの前を通りがかったところで、トウコは「ねえねえ」と大げさに隣のアダルト彼氏を呼びとめた。

「ちょっとお手洗い。あとから追いかけるから」
「席を決めたら連絡を入れるよ。迷子にならないようにね」
「はーい。じゃ、またあとで」

 と、機嫌良さげに手を振って背を向ける。安室もまたそれに応じ、ふたりはきわめて自然に別れた。

 いったんトイレに入ったトウコは、しばらく経ってから指定された店の向かい側へと移動した。
 近くの壁には、手を繋ぐ幼い兄妹のシルエットがペイントされている。グリム童話『ヘンゼルとグレーテル』だ。

 背後の建物を振りかえる。
 親とはぐれた迷子が、森の中で彷徨い、辿りついた先。お腹を空かせた子どもたちを呼び誘う、甘い楽園。
 トウコが今まさに背にしているものこそ、かの有名なお菓子の家―― を模した建物だった。

 ちょっとばかり古びて色あせたチョコレートの壁に寄りかかり、トウコはさりげなく周囲に視線をやった。中世ヨーロッパの町並みを模した建物を並んでいるだけで、とくにめぼしいアトラクションのない、どちらかといえば売上の低迷していそうな区画だ。

 人通りは多くない。
 が、万が一にも知り合いと出会ってしまったときの用心に、トウコは持参していたサングラスを取りだした。ここまでゴテゴテに飾りつけられているのだ。顔さえ隠してしまえば、そう簡単には特定されない。

 なんだかんだでムダなことはしないんだよなあ、とトウコはネズミカチューシャを押しつけてきた張本人のことをぽわぽわ頭に思い浮かべた。

 一見、唐突で理不尽な行動にも意味がある。何のためにやっているのか、その真意を明かさないのであれば、そこにもまた明かさないだけの理由があるのだ。

 それをよく知っているからこそ、早朝から無理やり連れだされようが、人前で恥ずかしい格好をさせられようが、本気で逆らおうという気にはならないのだった。

 いつのまにか立派なハチ公だなあ、とトウコは苦笑した。

 壁にもたれて、空を見上げた。薄雲の漂うライトブルーの天蓋はいかにも春らしくて爽やかだ。

 今年もまたこの季節が巡ってきた。
 もう少しすれば、きっと桜も咲きはじめる。

「もう一年かあ」

 ガラスのこちらからこっそり写真を撮ったあの瞬間から、彼女の世界は一変した。

 ぱちぱちと青く弾ける光。忘れられない横顔―― だって、本当に興味なんてなかったのだ。

 トウコはぼんやりと道ゆく人びとを眺めた。
 学生のグループ、夫婦、カップル、家族連れ。笑いあう人びと。夢の国ここだからこその光景ではない。それはどこにでもある、吹けば飛ぶようなささやかなものだ。

 完全に透明だったものに、ほんの少し輪郭ができた。その程度のことだ。良いことなのかそうではないのかさえ、いまだによくわからないけれど。

 春の風を胸いっぱいに吸いこんで、伸びをする。
 今のトウコにも、ひとつだけはっきりと感じられること。

 私はいま、生まれてからいちばん、生きている。

◇◇◇

 安室が店に入ってから十分ほど経ったころ、トウコの目はしきりに店の周りを追うようになっていた。

 店の周囲で怪しげな行動をくりかえす、ひとつの影。
 あっちに行ったりこっちに行ったりふらふらと挙動不審なその人物は、本来の基準でいえば十分に不審者なのだが、トウコはそのことをいまだ安室に報告できずにいた。

 というのも、ただの不審者とは少し事情が違うのである。
 さきほどからトウコがハラハラしながら監視している―― いや、見守っているその“不審者”は、幼い子供だった。

 身長と動きからして、まだ小学生にもなっていないであろう少年である。近くに保護者らしき人間は見あたらない。泣いてはいないものの、本人もまた不安そうな顔でしきりにあたりを見まわしている。
 明らかに迷子のそれだった。

 スタッフや信頼できそうな大人がいないか、トウコもさっきから目を皿のようにして探しているのだが、間の悪いことにちょうどメインストリートのほうでパレードが始まった時間で、こちらの方面は閑散としていた。

 現状、不自由な身の上の彼女は、『安室さん早く出てきてー!』と焦れったい気持ちで店のドアに熱い視線を送りつづけている。
 不用意に店の周囲に近づくわけにはいかないし、たとえ少年をうまくこちらに呼びよせられたとしても、今ここで保護者探しだのなんだのといって騒ぎを起こすわけにもいかない。トウコに下された命令は『ひたすらその場で待機』なのだ。

 はじめてのおつかいを見守る保護者のように、「そっちに行っちゃだめ」「ああ、ころぶころぶ!」とトウコはヤキモキ両手を揉みあわせた。

 そうしているうち、子どもが急に立ちどまった。
 さっきまで何かを探すようにきょろきょろと彷徨っていた視線が、いまやとある一点に集中している。
 親が来たのか、とほっとしたのもつかの間、やはり様子がおかしい。

 彼が見つめているのは、建物と建物のあいだの、何もないはずの壁だった。

 何か、変だ。

 ぎゅっと手を握りしめ、少年はそちらに向かってまっすぐに歩きはじめた。今にも泣き出しそうな顔のまま、震える足を叱りつけるようにして一歩ずつ進んでいく。

 そして、トウコの目の前で、少年はするりと壁の“中”に姿を消した。

 どういうことだ、と一度は目を擦ったトウコだったが、じっと見ればすぐに仕掛けはわかった。
 ペンキの色でうまくカモフラージュされているが、二枚の壁の真ん中に隙間がある。少年はあそこに入っていったのだ。

 直感がトウコに告げる。何か普通でないこと―― それもあまり良くないことが起こっている、と。

 どうする。
 トウコは店のドアに視線をやった。彼が出てきそうな気配はない。

 ほんの数秒、彼女は冷静にあらゆる条件を考えあわせた。できること、できないこと。やるべきこと、そうでないこと。

 上司の命令と見知らぬ子供の気まぐれ。本来は比較対象にすらならない。
 彼女は遊園地のスタッフでもなければ、迷子さがしのボランティアでもない。警備員でもなければ警察官でもない。せいぜい名乗れて探偵の助手だ。

 下手に首を突っこめば、かえってややこしくしてしまうかもしれない。遊園地の事務局に連絡を入れて、そちらのほうで捜索を――

「あーもー!」

 トウコはサングラスをむしり取り、その場から駆けだした。

「ほんとそういうところだよ、そういうところ!バカ!」

 バカなのはもちろんトウコである。

 壁の隙間に急行して、中を覗きこむと、そこは薄暗い縦穴になっていた。金属のハシゴが一本、下へ下へと続いている。
 底は見えない。

 縦穴に身体を滑りこませながら、トウコは携帯を取りだし、なんとかひと言だけメッセージを送った。

『ヘンゼル追って』

 サングラスを壁の外に放り置いたあと、ハシゴに両手をかけた。そして、子どもが消えた闇へと彼女もまた身を滑りこませたのだった。


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