Chapter.4 ゴースト・ハント

File.45 ハイツ・アサヒ(Ⅲ)


 耳元で鳴りつづける平坦なコール音。
 しばらくすると、明るい声が応答した。

『留守番電話サービスに接続します。ピーという音が鳴ったら――

 ブツリと通話を切る。安室は小さく息をつき、携帯の画面をオフにした。
 電話に出ないことについては、本人から事前に申告を受けている。夜行バスに乗って帰ったあと、そのまま法事に参加するのなら、別におかしなことはない。

『あの部屋には、はじめからずっと、誰も住んでいない』

 自宅のベッドに腰かけながら、安室は彼女との連絡専用の携帯電話を手のうちで転がした。
 事実確認自体は難しくない。登記簿から大家を調べ、家を訪ねて住民台帳を見せてもらえばいいのである。

 ―― が。
 携帯をぽんとベッドに投げおいた。

 彼の仕事は気になることを片っ端から調べることでは、ない。
 まず、そもそもが与太話の類である。山崎という男の言葉にどれだけの信憑性があるかはわざわざ考えてみるまでもない。青田についても同様である。

 たとえば、勘違いや思いこみ。理由なく奇妙な嘘を口にする人間もまた、少なからず存在する。ただ人ならいざ知らず、ほかでもない『彼』が、よく知りもしない他人の言葉を鵜呑みにすることなどありはしない。
 そして何より――

「緊急性がない」

 彼は現時点で、トウコを巡る一連の疑惑が所詮は彼らふたりの問題であり、その他の人間や社会的事物に何ら影響を及ぼすものではない、と判断していた。

 そもそも、トウコは正式な『協力者』ではない。
 彼女は、その高度な技術が正しく行使されるよう指導・監督する意味も兼ねて、あくまで彼個人が、彼の責任内で運用している特殊技術者にすぎない。よっていわゆるナンバーも付与されていない。

 いまだに本当の身分を明かさないなど、彼女に対するアプローチが、一般的な『協力者』に対するそれとは何かにつけ異なったものになっている背景には、そういう事情がある。

 現在の彼女は真実、安室透の助手以外の何者でもない。
 だからこそ、彼が今抱えている他の重要な案件にくらべれば、その緊急度ははるかに低いと言えた。

 放りだされた携帯電話を眺める。
 真偽を確かめるのに費やす時間と労力。それによって得られるもの。リターンのない案件に首をつっこむ気はさらさらなかった。

 物事には優先順位がある。
 やらなければならないことを放りだし、己の好奇心や探究心を満たすのは、彼の主義信条からはかけ離れた行為だった。根拠のない話に付きあっていられるほど彼は暇ではない。

 これは、彼の仕事ではない。

 矛盾を問いただすのは彼女が帰ってきてからでも遅くはない、と彼はまぶたを閉じた。
 同じ話をするにしても、一度二度、顔を合わせただけの山崎よりも、一年間ともに過ごしたトウコのほうが、嘘も真意もはるかに見破りやすい。

―― と、いつもならそうなんだけど」

 カレンダーに視線をやった。タイミングが良いのか悪いのか、明日は珍しく『休める日』だった。ポアロのほうも、もうひとつの仕事のほうも。

 パソコンに向きなおり、いくつかのキーワードを入れて検索すると、案の定、それらしき錠前屋のサイトが一番上に表示された。
 ホームページに記載された店の所在地は、身元調査で判明しているトウコの実家の住所とまちがいなく一致していた。
 画面を遷移すると、ブラウザの端に天気予報の帯が流れ、今の彼にとってはまったくもって余計な情報を付けくわえてくれた。

『明日は全国で晴天』

 携帯を拾いあげ、もう一度、息を吐いた。
 まず明日が休みでなければありえない話だったし、仕事以外に別の用事が入っていたとしてもそちらを優先するにちがいなかったし、東京からの道中が悪天候だったとしても腰は上がらなかった。
 何度も繰りかえすが、これは本来、彼が動くような話ではないのである。

「ただのドライブだ、ドライブ」

◇◇◇

 ―― 赤羽錠前店。

 黒ずんだぶあつい木の看板には、古めかしい書体で屋号が刻まれていた。
 事前にホームページで確認していた名称とも一致しているし、何より、冠する家名がトウコの姓そのままである。

 ―― ここでまちがいない。

 すぐ隣には武家屋敷のような漆喰塀がつづいていて、そちら側の門にも同様の姓が刻まれた表札が掲げられている。見るからに、土地持ちの旧家といった風情である。

 車を降りてからここまでの道中も、同じ姓の表札をうんざりするほど見かけた。地名と一緒に検索すれば赤羽某という名が山ほどヒットするあたり、どうやら『赤羽』はこの地域の土着姓らしい。

 ふたたび屋敷に意識をもどせば、景色から浮きあがるようにモノクロのそれが視界に飛びこんできた。

 風に流される白と黒の鯨幕。
 それは、今日まさにこの場所からひとりの故人が見送られていったことを伝えていた。

 思いきって門から中を覗きこめば、予想を裏切らない広大な白砂利の敷地である。
 母屋、離れ、それから蔵。
 門寄りの場所には、急ぎ設営されたであろうテントとイスが並んでいる。

 すでに式は終わったあとのようで、人の姿は見えなかった。
 かわりに、母屋のほうからどんちゃんと騒がしい音が聞こえてくる。『親戚一同による宴会イベント』という不謹慎なたとえも、あながちまちがいではなかったらしい。

 さてどうしようか、と考えたとき、すぐそばから人の声が聞こえた。

「うちに御用ですか?」

 こちらからは見えにくい塀のすぐ裏側に、男がひとり立っていた。
 喪服のスーツを着た青年である。短いながらもツヤのある黒髪に、どちらかといえば白めの肌。そして何よりその眉毛に見覚えがあった。

 トウコによく似た顔の若者は、安室を見あげ、きょとんと首をかしげていた。
 背は伸びきったものの、まだ完全には大人になっていない。成人手前といったところだろう。

 なるほど弟か、と安室はひとり納得した。
 正体を当てるクイズにしては簡単すぎるが、そうとわかった途端、彼にしては珍しく言葉選びに迷ってしまった。

 どんなふうに切りだすべきか。開口一番、『お姉さんとそっくりですね。とくに眉毛が』だなんて言いたくはない。
 のぞきこむように安室を見ていた青年だったが、何を思ったか、黒い瞳をくるりと利発にきらめかせた。

「俺の顔をじっと見てるってことは、もしかして姉ですか? 似てるって言われるんですよ」

 機転の利いた助け舟を出し、えへへ、とはにかむその様子がまさしく姉にそっくりだった。
 姉弟ともども、のんきに見えてよく気がつく性質らしい。
 毒気を抜かれた安室は、結局あっさり身元を明かすことにした。

「申し遅れました、僕は安室といいます。前に貴方のお姉さんにお世話になったことがありまして。帰省されていると聞いたので、近くを通りがかったついでにご挨拶でも、と思ったんですが――

 安室は鯨幕に視線をやりつつ、眉を下げた。
 真実はオブラートに包みつつも嘘はいっさいない、我ながらパーフェクトな自己紹介である。

「なるほど、そういうことでしたか。いやあ、上京している間にこんな俳優さんみたいなひとと知りあっていたなんて、姉さんもスミにおけないなあ」

 ほどよく砕けつつもソツのない受け答えをして、彼は安室を見上げた。

「もちろん帰っていますよ。ええっと、たしかさっきまでこのあたりにいたんですけど」
「いえ、こんなときですし、いらっしゃらないならまた別の機会にでも」

 答えながら、彼は呆れの混じった複雑な思いに襲われていた。問いつめてやろうと思って来たはずなのに、所在が確認できただけでどこか満足してしまっている自分がいる。
 ただのドライブだと言った、昨日の言葉が本当にそのとおりになってしまいそうである。

 そんな安室の心を知るよしもなく、トウコの弟は人懐っこく笑った。

「それならご心配なく。親戚のおじさんたちに絡まれるのが嫌で、そうそうに宴会を抜けだしていましたから。たぶんお手洗いじゃないかな。すぐに戻ってくると思うので、こちらでお待ちください」

 どうぞどうぞ、と青年は安室を敷地内へと導いた。

 案内されたのは、離れの縁側だった。
 古いが、手入れのゆきとどいた美しい建物である。

「こんなところで恐縮ですが。そちらの座布団、よければ使ってくださいね」

 日当たりがよく、じんわりと暖かい木の床に腰を下ろしながら、安室は同じく隣に座った青年を見た。

 純朴で愛嬌のある横顔である。姉さんまだかな早く早く、という心の声が今にも聞こえてきそうだ。
 見知らぬ人間を招きいれたうえ、平気で隣に座らせる警戒心の薄さは、彼個人の性質だろうか、それとも土地柄だろうか。

「ありがとうございます。こんなときに、お邪魔してしまってすみません」
「そんなこと気にしないでくださいよう。曽祖父ももういい歳でしたから。こうなったら田舎の葬式なんて親族の親睦イベントみたいなもんで、式さえ終われば数日は飲めや騒げやの大宴会です」

 彼はトウコによく似たしぐさで、肩をすくめてみせた。顔だけでなく思考回路も似ているらしい。

「あはは、お姉さんと同じことをおっしゃるんですね」
「姉が?」

 弟はぴこぴこと眉毛を動かして、意外そうな顔をした。

「姉さんにしては珍しいなあ。顔はともかく、性格は父似のカタブツなのに」
「職人のお父様とプログラマのお母様でしたっけ?」
「わ!よくご存知ですね」

 いつかトウコが言っていた内容をそのまま口にしてみたところ、青年は手を打って喜んだ。

「父親はぶっきらぼうで頑固な職人気質、母親は頭は良いんですけど凝りだすと偏執的に凝る人で。近所では変わり者で通ってます。いやあ、子供に遺伝しなくて良かったのか悪かったのか」

 張った糸に、何かがピンと引っかかった。
 しかし安室がそれを口に出す前に、トウコの弟は話題を次に移した。

「それにしても、よくここがわかりましたね。『赤羽』というのは、長野県ではわりと多い姓なんです。この辺なんかはとくに、犬にあるけば『赤羽』に当たる、って感じで。だからはじめて来たときには、訪ねる家がどれなのかわからなくなってしまう方が多いんですよ」

「ご実家が錠前屋だという話は聞いていましたから。わかりやすい看板で助かりました。詳しい住所もまあ、お店のホームページを見ればすぐに……」

 事実半分、嘘半分である。来る前に店のホームページを確認したのは本当だが、最初の身元調査の時点で実家住所は調査済みである。
 弟は納得したように、ぽんと手を打った。

「あはは、家と店が同じ住所だとプライバシーも何もないですねえ。にしても、姉が実家のことを人にいうなんてますます珍しい。安室さんのこと、よほど信頼してるんでしょうね」

 安室はわずかに眉をひそめた。

「普段はあまり、そういうことをおっしゃらない方なんですか」
「『実家が錠前屋ならドロボウし放題じゃん』って言われるのが嫌だって言うんですよ。あの不器用な姉ちゃんに、そんなのできるわけないのに」

 弟が面白そうに笑う。その言葉に、また何かが引っかかった。
 不器用だからできるわけがない?

「君のお姉さんは――
「あっ、戻ってきたみたいです。おーいこっち!お客さんが来てるよ」

 弟が立って手を振る。敷地の奥のほうからこちらに向かって歩いてくる、喪服の女が見えた。

 近づくにつれてはっきりする見慣れた顔。
 つやりと光る黒髪の先が、黒いワンピースの肩で歩調に合わせて揺れている。

 弟とともにいる安室を見て、彼女は途端に怪訝な表情になった。
 こんなところで何やってるんだ、と言わんばかりの不躾な視線に、さすがの安室も少々気恥ずかしい思いになった。
 『こんなところで何やってるんだ』は今まさに自分が自分に対して言ってやりたい言葉である。

 彼は「やあ」と立ちあがって、取りつくろうように頭を掻いた。

「ちょうど別件で近くを通りがかってね。べつに君に会うつもりはなかったんだけど……ま、成り行きってやつさ。ああそれと、忙しいときに何度も携帯を鳴らして悪かったね」

 すぐそばまで歩いてきた彼女は、安室の前で立ちどまった。アーモンド型の黒い瞳が、真意を探るようにじっと覗きこんでくる。
 そして、彼女はいつもとまったく同じ声で、だがしかし、心の底から訝しがるように、こう言ったのだった。

「どちらさまですか?」


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