『それ』をひと目見るなり、鶴丸さんは私の知る中で最も嬉しそうな叫び声をあげた。
第八話 休日(後)
買い物に行くにあたって、私が裏から引っ張りだしてきたのは例の自転車である。荷台のついた赤いママチャリ。つい先日修理から戻ってきたばかりの彼女は全身を磨き上げられて万全の状態で待機していた。
「これに乗っていくのか。ああ、楽しみでたまらないな」
鶴丸さんは自転車の周りをまわりながら金の瞳を輝かせた。犬に散歩用のリードを見せたら、だいたい同じような反応をするだろう。
「よし、早く行こう。善は急げというからな」
待ちきれなくなったらしい鶴丸さんが催促をしてきた。
「その前に聞いておきたいことがあります。運転できたりは……しませんよね?」
我が家の自転車はこれ一台しかない。となると、これを使って二人の人間が移動する方法はたった二つだ。つまり、私がこぐか、彼がこぐか。
「もちろんだぜ!だからこそ楽しみなんだ」
「やはりそうでしたか」
「馬なら乗れるがな」
馬。
参考になるどころか、またひとつ新たな謎が増えてしまった。この人は本当に今までどこでどういう生活を送ってきたんだろう。
「残念ながら、この辺に手軽に乗れるような馬はいません。ということで私がこぎます。鶴丸さんは後部座席へどうぞ」
「女に乗せてもらうなんぞ男としてどうかと思うが、今日ばかりは仕方がないな!残念残念!さあ、頼んだぜ家主殿」
荷台へさっと華麗に跨った鶴丸さんは、そう言ってサドルをぽんぽんと叩いた。
週末のショッピングモールはやはりごったがえしていた。
新しいもの好きの鶴丸さんも、さすがにこれには閉口したらしく、あちこちを見まわしながらも、時折眉間に皺を寄せていた。基本的に何事にも肯定的な姿勢を見せるであるから、こういう表情はなかなかお目にかかれない。
「見て、すごい」
「染めてる?いや、地毛?本物の銀髪なんて初めて見た」
「外人さんかな」
「あの目の色、どこの国の人だろ」
老若男女の視線を独り占めし、一歩ごとに周囲をざわつかせる彼はさながらランウェイを歩く人気モデルである。通路の中央で騒いでいた田舎のヤンキー達も思わずあんぐりと口を開け、ついでに道もあけてくれた。来週以降、このショッピングモールには彼をリスペクトする銀髪頭が多数出没するかもしれない。
ようやくエスカレーターまでたどり着いて、鶴丸さんは疲れたように息を吐いた。
「揉みくちゃにされたのは生まれて初めてだ。視線を浴びるのは慣れっこなんだが」
まあ、当然だろう。これだけ目立つ姿をしていたら。
が、それが予想できながらこんなところへ引きずり出してしまったのは私である。罪悪感に胸をぴしぴし打たれながら、鶴丸さんの肩を叩いた。
「もうすぐメンズフロアにつきますから。そしたらさっきよりかは人が少ないと思いますよ」
「そうであることを祈る。退屈しないといえば確かにその通りだが……」
鶴丸さんはもう一度、ため息をついた。
初めての買い物は少し刺激が強すぎたらしい。
入浴後、ソファに座ってテレビを眺めていると、リビングの戸が開いた。お風呂上がりの鶴丸さんが裸足でペタペタ入ってくる。
「寝間着の着替え方、分かりましたか?」
「これでいいんだろう?」
鶴丸さんはオフホワイトのシャツの袖を引っ張って見せた。入浴も着替えももう心配なさそうだ。
「どうしてそんなに白い寝間着にこだわるんですか?やっぱり白が好きだから?」
昼間から気になっていたことをたずねると、なんだか洗剤のCMのようなセリフになってしまった。
というのも、ショッピングモールで買い物をしている時、普段着を買う間はほとんど注文を付けなかった鶴丸さんが、なぜかパジャマを選ぶという段になって、急に「白でないと嫌だ」と言い出したのを思い出したからである。
最初に来ていた着物も真っ白だったし、やはり白が好きなのだろうか。それなら普段着の方にもこだわりを持っていいはずだけれど。
「確かにそれもある。ただ俺個人の趣向を超えて、俺たちが身体を休める時は『白』と相場が決まっているのさ」
鶴丸さんはそう言いながら優雅な仕草でソファに腰を下ろした。単なる寝間着なのに、なんだかとてもハイセンスな衣装に見えてしまう。美男衣を選ばず、である。着用者の容姿がファッションに与える影響の大きさを改めて思い知った。
「ヴァンパイアが棺桶でないと落ち着いて寝られないのと同じ原理ですかね」
「棺桶、ねえ」
彼は何か嫌なことを思い出したように眉根を寄せたが、すぐに元の表情に戻った。
「落ち着かないというのは、まあその通りだが。ところでヴァンパイアとはなんだ?」
鶴丸さんの好奇心が新しい単語に反応した。気になることがあれば、その場で何でもたずねるのが、彼の流儀である。
「ふうむ。日本や中国の妖怪には水木しげるみたいに詳しいのに」
鶴丸さんときたら、こんな見た目なのに西洋のことになるとまるでダメなのである。
「ということは、外海の妖怪か。棺桶でないと眠れないとは、こりゃあまたおどろおどろしい」
「興味があるなら、また図書館で挿絵入りの本でも借りてきますよ。多分、想像しているのとは少し違うと思いますが」
そんなくだらない話をしているうちに、どんどん夜は更けていった。
そうして、気付けば一時を過ぎていた。
「そうだ。明日は早めに起きて大掃除しようと思っているんです」
「煤払いだな。こちらの暦で師走の十三日はとっくに過ぎているぜ。遅すぎやしないか?」
「昔と違って今は大晦日に掃除することも多いんですよ。だから明日というのはまだ早い方」
へえ、と驚いた後、鶴丸さんはやはりここでも妙な感想を付け加えた。
「習慣ってのはあっという間に変わるんだな」
こういう不思議な物言いは今に始まったことではない。彼は、なんというかこう、やっぱり少し変なのだった。
「ということで、早起きのためにそろそろ寝ましょう」
「こんな時間に寝て起きられるのか?またいぎたなく寝坊するんだろう」
「……し、ま、せ、ん」
こう見えて生まれてこの方、学校や仕事に遅刻したことは一回もないですからね、と己の名誉もついでに主張しておく。
「そういうことにしておいてやろう」
鶴丸さんはまるっきり人を馬鹿にした態度で笑った。黙っていれば鑑賞にたえる好青年なのに、こういうところがいただけない。
廊下に出て、鶴丸さんは和室へ、私は二階へと足を向けた。
「おやすみなさい」
「おやすみ」