歳末も無事に過ぎて、大晦日。
年末の休日というものは、忘年会や大掃除など一年間貯めに貯めた雑事で溢れかえるため、かえって平日よりも忙しい。今年も休みらしく休むことができたのは最終日の午後になってからだった。
今年は年越しに備えて、食べ物でも何でも倍以上買い込まなければならなかったが、その分人手も二倍ということで、肉体的な負担は少なかったかもしれない。
掃除に買い出し、散々こき使った相手は、私の向かい側でこたつに入り、テレビに映った紅白に「ほう」と感心した声を上げていた。ちょうど大御所が画面いっぱいに翼を広げたところである。
「白に勝ってもらいたいところだが、彼女が相手じゃあ難しいかもしれんな」
「あくまで歌で勝負ですからね」
確かに衣装はすごいけれど。
パーティ開きにしたポテトチップスの袋から中身を口に運ぶと、鶴丸さんも負けじと二枚重ねてつまみ取っていった。
「それにしても、本当に変わるもんだな」
鶴丸さんはテレビを見つめてしみじみと言った。
今から一時間前、紅白が始まって五分後に、彼はこうつぶやいたのである。
「俺の知ってる歌合戦と違う」
第十話 三白
厳かな雰囲気の中、名だたる歌人が居並び、ひとりひとり歌を披露する。おそらく鶴丸さんの想像はそのようなものだったのではないかと思われる。それは歌合戦ではなく、歌合ではなかろうか。歌の定義からして違う。
しばらくは呆然と画面に見入っていた鶴丸さんだったが、時間が経つとともに馴染みはじめ、今では立派な視聴者である。応援するのはもちろん「白」である。
「赤も捨てがたくはある。が、赤というのは白があってこそ映えるものだしな」
というこだわりと美意識によるものらしい。
「ところで、この一座はどういった訳でこの人数なんだ。ここまでくれば普通は四十七人だろう」
「少なくとも忠臣蔵を意識した結果ではないと思いますが……」
アイドルに討ち入りをさせてどうする。さすがの吉良上野介も「この田舎侍が!」なんて言ってる場合じゃないだろう。
舞台の上では今も女の子たちがマイクを握って踊っていた。短いスカートから惜しげもなく晒された腿がまぶしい。
ふと気になったことを尋ねてみた。
「鶴丸さんはこの中だったら誰が一番好みですか」
軽快軽妙な返答を旨とする鶴丸さんだが、今回は少し考え込んだ。
「それがなあ、人の美醜は良く分からん」
「みんな同じ顔に見えるってことですか」
「そういう訳でもないんだが。ほら、家主殿だって魚屋に並んだ鰯を見て『美味そうだ』とは思っても『どれが好みだ』だなんて思わないだろう。それと同じでな」
何が同じなのかさっぱり分からない。鶴丸さんは時々、真面目な顔をして私には理解できないことを言う。
「すまん、例えが粗野に過ぎたな。要するに君たちとは価値観が違うということだ」
鋼のような光を帯びていた瞳が伏せられる。再び目があった時にはいつものはちみつ色にもどっていた。
画面の中が入れ代わり立ち代わりするうちに、大トリの時間になり紅白は終わった。今年の優勝は赤組だった。
ごおん、と遠くからかすかな鐘の音が響いてくる。
「鳴りはじめましたね」
「大晦日の鐘打ちか」
「年越しそばを食べましょうか。用意してきますね」
「葱は多めで頼むぜ」
「はいはい」
ごおん、とまたひとつ鳴る。
除夜の鐘は物寂しい。ずっとそういう風に聞こえていたのに、今年はそうでもない。嬉しくなって、鶴丸さんには大きめのかき揚げをサービスすることにした。
年が明けた。
備蓄した食べ物を少しずつ消費しながら、私たちは三が日を寝正月で過ごした。鶴丸さんは口では退屈だ退屈だと言いながらも、こたつから一歩も出ようとはせず、寝転んでテレビとポテトチップスに齧り付く日々を送っていた。もう立派な現代日本人である。
彼が望むなら初詣や初売出しに行っても良かったのだが、当の鶴丸さんが「別にいい」と珍しい反応をしたので結局家に引き籠ることになった。どうやらこの前の人混み揉みくちゃ案件がまだ後を引いているらしい。
「勤めは明日からか、家主殿」
「ええ。また一年が始まってしまう」
「まったく松の内がたったの三日とはなあ。知ってるか?睦月っていうのは元々は正月の別名なんだぜ。親族が仲睦まじくする月だというんで睦月だと」
へえ、知らなかった。銀髪金眼なんていう日本人離れした容姿をしている癖に、この男はやたらと日本文化に造詣が深い。私がここの暮らし方を教える代わりに、彼はことあるごとに私の知らない日本の姿を教えてくれる。
「家主殿が勤めにもどったら、また退屈になるなあ」
雑煮の器を机に置いた彼は、心底つまらなさそうに頬杖をついた。見る人が見れば物憂げな美青年、といった具合だが、私には雨で遠足が延期になった小学生にしか見えなかった。
「仕方ありませんねえ。今日一日は全力で遊んであげましょう」
「本当か!?何をする?」
窓の外へ視線をやって、にやりと宣言した。
「まずは雪だるまです」
「次の砲弾はまだか!」
「ちょっと待ってください!もうすぐできます」
錆びた建材の後ろに身を隠しながら、必死に雪を押し固めた。
「できました」
「よろしい。では攻撃に移る」
ベージュのコートを翻した鶴丸さんが、空き地の反対側の砦に向かって大きく腕を振りかぶった。敵襲を予感したのか、小さな頭が一斉に古い材木の後ろに引っ込んだ。
そう、この戦場の図式は『家主&店子 VS 近所の小学生軍団』である。
きれいな軌道を描いた雪玉だったが、敵に到達することなく外壁にべちゃりと当たって砕けてしまった。
「なかなか手強いな」
すぐさま反撃に出てきた敵陣営の雪玉を躱しながら、鶴丸さんは楽しそうに笑った。
これは当分終わりそうにない、と密かにため息をついた。確かに全力で遊ぶとは言った。しかしこんなに激しい雪合戦は想定外である。
十五分前までは平和に雪ダルマを作っていたのに。
「うわっ」
雪玉が目の前を掠めて、後ろの板塀にぶつかった。
あぶない。もうちょっとで被弾するところだった。子供という生き物は大人に対して実に容赦がない。
「家主殿、戦場で考え事は禁物だ。命がいくつあっても足りないぜ」
金色の目をキラキラと輝かせ、鶴丸さんは人差し指を立てた。
それから雪玉の応酬が続くこと、さらに十分。戦線は膠着していた。
「人数が違うというのはやはり大きいな。ここままでは城攻めに遭うのも時間の問題か」
「大将殿。こんな時にアレですが、雑兵はもう限界です」
ズボンが濡れるのも構わず地面にお尻をついた。小学生も鶴丸さんも新年早々エネルギッシュ過ぎる。そんな元気がいったいどこからわいてくるのか、この疲れたOLに教えて欲しい。
「ふむ。ならば手を替えよう。耳を貸してくれ」
ベージュのコートに少しだけ身体を寄せると、鶴丸さんは片手を口元にあててとある作戦を囁いた。冷え切った息が耳朶をくすぐる。
「なるほど。それだったら確実に首級をあげられますね。けれどそんなこと、できるんですか」
見ているといいさ、と鶴丸さんは瞳を細めて不敵に笑った。
こちらの一投を皮きりに再び雪合戦が始まった。
休憩の間に新造された雪玉が雨あられと降り注いでくる。第一波が終わるのを見計らって、私と鶴丸さんは雪の上を駈け出した。私は両手に雪玉を、彼は右手に長い木の棒を持って。
突然の特攻に泡を食った子供たちが総攻撃を始めた。無数に飛んでくる雪玉の中、鶴丸さんの動きを真似て、ぎりぎりのところで身を躱す。掠った肩口に雪のかけらが散らばった。
敵陣に乗り込んで、至近距離から直接攻撃。
たったそれだけの単純な計画だったが、実行するのはそう簡単でない。作戦成功のカギは鶴丸さんが握っている。
「家主殿、もうすぐだぞ!準備はいいか!」
「もちろんです」
大人げないという意識はとうの昔に捨て去った。戦場はそんなに甘くない。
鶴丸さんが手にした木の棒で、飛んでくる雪玉を軽々と叩き落としていった。
「投石兵には慣れてるもんでね!」
ところが、いよいよ敵陣に躍り込む段になって、思わぬ方向から急襲を受けた。
木の陰から男の子が顔を覗かせている。なんと、伏兵である。
咄嗟にしゃがみ初撃は避けたが、深い雪に足を取られてしまった。
まずい、動けない。
座り込んだままの私を仕留めようと、最後の一投が放たれる。
ひえっと叫んで頭を下げた私を避けて、鶴丸さんが一瞬のうちに前に出た。
「子供のくせにやるもんだ!だが、甘いぜ」
そう言ったか言わないか、彼はすっと足をさばいて、得物を閃かせた。宙に迷いのない軌跡が描かれる。見ていた者が、あ、と声を漏らしてしまうほどの巧みさだった。
木の穂先に撫でられた雪玉は、驚くべきことに、きれいな球形を維持したまま主の元に打ち返された。少年の上着に白い塊がべったりと張り付く。
すごい、と半ば無意識に言葉が漏れた。人があのように動けるものなのか。手にしていたのが木の棒などという間抜けな得物でなければ、さぞかし見栄えがしただろう。
「ほら、今のうちに本陣を攻めろ」
はっと我に返り、両手に持っていた雪玉を子どもたちに当てていった。鶴丸さんの動きに見惚れていた敵の大将は、ぽかんと口を開けたまま雪だらけになった。
「兄ちゃんすげえなあ。俺らも棒で雪玉を避けたりするけど、あんなの見たことないよ」
「コツ教えてよ」
「剣道とかやってたりする?」
幼い子供たちにも本当にすごいものは分かるらしい。雪合戦が終わった空き地にて、近所の小学生たちから熱烈な質問攻めにあった鶴丸さんは、満更でもなさそうな顔で応対していた。
「こつと言われてもなあ。俺にとっちゃ息をするのと同じようなもんでな。まあ強いて言うとすれば、なにも真っ二つにするばかりが、斬る、ってことじゃあない」
「おお……!斬る……!」
もっともらしくそう言った鶴丸さんに、子どもたちは揃って「なんだか良く分からないけど、すげェ」という顔をした。
一方の私は「斬る」という言葉の言い方に並々ならぬものを感じ、ふと和室の片隅に置かれているあの長い刀のことを思い出した。いまだ中身を見たことのないあれはもちろん模擬刀か竹光には違いない(というか、そうであってくれなければならない)のだが、彼にとっては非常に大事なものらしかった。毎日枕元に置いて寝て、暇になれば手に取って見ている。
知れば知るほど謎の増える御仁なのだった。
昼食の時間が近づくと、子供たちはそれぞれの家へと一斉に散って行った。あの調子だときっと午後も来るはずだ。
隣の鶴丸さんを見上げると、こちらもまだまだ遊び足りない様子である。
小さな子供と大きな子供の相手を同時にするのは疲れるが、たまにはこういうのも良いかもしれない。なにせ年に一度のお正月だ。
「私たちもお昼にしましょう。腹が減っては戦はできぬと言いますし」
「戦がなくても腹は減るもんだ。時に、家主殿」
「なんでしょう」
「さっき俺に見惚れていたろう。ん?」
にやにやしながら私の脇を小突いてくる鶴丸さん。手袋の手をぽんぽんと適当にあしらいながら、私は肩を竦めた。
「すごいものはすごいと素直に表現するタイプなんです、私は。あんなの誰だってびっくりしますよ。あの子たちも聞いてましたけど、剣道でも習っていたんですか」
「剣道というのが剣術とだいたい同じもの指すとしたら、教えを受けたことは一度もない、という答えになるな」
「ええ、我流?」
驚いた気配を感じたとったのか、男は口角を上げ、あの不思議なやり方で瞳を煌めかせた。
「生まれた時から知っているのさ」