「今年の花見は君にお願いしよう。ひとつ活きのいい余興を頼む」
ピチピチのギャルをだな、と課長はすでに死語となった言葉と手の動きで己の願望を表現した。
「なんなら他の課の女の子を連れてきても構わんぞ」
肉ののった頬がだらしなく緩んでいる。入社二年目の新人に課長の依頼を拒否する権利などあろうはずもなく、またそれをわかっての言動である。漫画に出てきそうなセクハラ上司ぶりにほとほと呆れ果てた。石坂―― 気のきつい同期の彼女が知ったら烈火のごとく怒るに違いない。
「……分かりました」
「幹事は朝山くんがやってくれるらしいから、適当に声をかけておくといい」
自ら名前を出した癖に、課長は面白くなさそうに顎のホクロを掻いた。仕事もできれば見た目も性格も良い後輩社員に、年甲斐もなく嫉妬しているらしい。
「課長、お電話です」
離れたデスクから声がかかる。課長は内線通話ボタンに指をかけながら「じゃあ頼んだから」と言って電話をとった。
「お電話代わりました。ああ、はい、いつもお世話になっております」
ぽりぽりとホクロを掻きながら、とってつけたような挨拶をする中年。せめて外面だけでももう少し取り繕ってくれればいいのに。
窓の外、咲き始めた桜を見ながら心中でため息をついた。
第十四話 春のこころは(一)
「ということで、鶴丸さん、何か良いアイデアありません?」
「花には酒があれば十分だがなあ」
家に帰って相談すると、至ってまともな返事が返ってきた。
「風流を解する人ならそれでいいんですけどね。今の世の中、どんちゃん騒ぎの宴会も春の風物詩みたいなものなんですよ」
「俺は騒がしい宴にお呼ばれしたことがなくてな。思いつくものと言えば……声色なんてどうだ。今の言葉でいうと『ものまね』ということになるが」
「確かに万人受けするところではありますね。でも花見のプログラムに載せるとなるとなるとなあ」
ソファに腰掛けたまま、考えを巡らせる。隣の彼もふうむ、と唸る。
「家主殿、何か特技はないのか」
「それがさっぱり」
生憎と習い事や部活の類はしたことがない。学生時代、人よりも得意だったものと言えば、身体を動かすことくらいである。体育の成績は抜群とは言えずとも、平均よりはかなり上だった。
「一発芸じゃなくて、万人受けして、盛り上がって、かつ課長の機嫌も取れる宴会芸……」
一人で悩み始めた私に退屈したのか、鶴丸さんがテレビのチャンネルを変え始めた。バラエティ、ドラマ、ドラマ、と来て、急に画面がチカチカと輝き、アップテンポの曲が流れ出した。
「あ」
テレビの中で踊っていたのは、鶴丸さんが言うところの“四十七士オマージュ集団”だった。
「あなたのここ、こころ……が……」
思ったように身体が動かず口ごもった。曲だけが私を放ってどんどん先に進んでいく。一時停止ボタンを押すと、室内は虚しいくらいに静まり返った。
携帯電話をティッシュペーパーの箱に横置きに立てかけて動画の真似をしているのだが、アルファベットを指で表現するところが何度やっても追いつかない。
この調子で本番に間に合うのだろうか。
鶴丸さんと花見の話をしてからもう数日が経っていた。結局、私は同僚数人と一緒に懐かしのヒットソングを踊るという極めて無難な選択をした。二十をそこそこ過ぎた女が愛を絶叫しながらポーズを決めるのが無難かどうかは悩ましいところだったが、私の乏しい想像力ではそれが限界である。
再生ボタンを押して、再びステップの練習をする。古い畳がぺたぺた、ギシギシと鳴った。
私が花見の余興の稽古場として選んだのは、ここ二階の和室だった。つまりはリビングの真上である。今頃一階では、鶴丸さんがため息をついてテレビの音量を上げているだろう。いくら気安い同居人とはいえ、練習中の怪しげな動きやポーズを見られるのは勘弁願いたかったのである。ここにいるかぎり、その点は安心できた。
なぜなら彼は絶対に二階にはあがって来ないからだ。
私と同居するにあたっての、彼なりのけじめ―― 言い方を変えれば境界線―― なのかもしれない。また彼は、女の私室に上がり込むのは気が引ける―― とも言っていたけれど、それはそれで鶴丸さんの考えそうなことではある。日頃はあれほど失礼な癖に、肝心なところで紳士なのである。おかげで鍵をかけずに済むし、部屋を散らかしておくこともできるから、ありがたいといえばありがたいのだが。
ひとしきり歌って踊った後、入浴の準備をして階下に降りた。
案の定、リビングでは鶴丸さんがテレビの前で仏頂面をしていた。深く腰掛けず、ソファの手前の方に足を組んで座るのが彼のいつものやり方である。彼の秀麗な眉目が不機嫌そうにこちらを見上げた。
「うるさい」
「すみません……でももう今週末だし、仕上げてしまわないと」
「他になかったのか?」
実のところ、彼の機嫌があまりよろしくないのは今日にはじまったことではなかった。練習をはじめて以来、むっすりと口数を減っている。
「ものになりそうなものはこれくらいしかなかったんです。今更変えるわけにもいかないし」
「それにしたって、もっとやりようがあるだろう。見苦しい」
私を視界から追い出すように、彼はふいと前を向いた。
彼の好きな平安言葉で、”うたてぞ見ゆる”といったところだろうか。今の私の出で立ちは動きやすいひざ上のハーフパンツに半袖のTシャツである。外出できる格好ではないが、人様に不快感を与えるほどのものではない。
棘のある態度に珍しくカチンときた。
「騒音については申し訳ないと思ってます。けど、いくらなんでも『見苦しい』はひどいですよ」
「思ったことを口に出したまでさ」
「私だってやりたくてやってる訳じゃないんです」
「つくづく分からないな。嫌なら止めればいいだろう」
こちらに見向きもせず、こともなげに言う。その整った白い横顔が無性に腹立たしかった。
「働くっていうのは大変なことなんですよ!わからないなら、放っておいてください!」
そう言ってしまった後、誰よりも驚いたのは自分自身だった。失態に気づいて、心臓が嫌な感じに冷えた。
「……今日はもう寝ます」
震える手で閉めたドアの音は、思いのほかバタンと大きく響きわたった。