この時間、いつもならすっかり寝静まっているはずの夜の商店街は、祭に詰めかけた人々でにぎわっていた。いたるところに下げられた提灯の薄明りが、普段とは違う独特の雰囲気を生み出している。

 アーケード下、通路の両側に立ち並んだ夜店から威勢のいい客引きの声が聞こえた。

「そこのお二人さん、射的はどう? 今ならいい商品並べるよ」

 呼び止められたカップルは顔を見合わせてから、店をのぞきこんだ。その横では親子連れが輪投げに興じている。

 私は夢心地で祭りの夜を歩いていた。下を向くと美しい藍色が目に飛び込んできて、その度に胸が弾んでならなかった。肌に当たる上等な感触に、まるで自分がおとぎ話に出てくるお姫様にでもなったような気持ちがする。

 隣を歩く贈り主は白地の浴衣を纏い、小慣れた様子で通りを練り歩いていた。黒髪ではないにも関わらず、これ以上ないというほど良く似合っている。彼曰く、これも道場の主に借りたものらしい。

 ぼうっと見上げていると、視線に気づいたのだろうか、彼がこちらを向いた。穏やかに微笑んでいる。

「さて、何をしてあそぶ?今日は俺のおごりだぜ」



第二十四話 天つ羽衣(後)


「俺の道場での仕事は指導というよりもチビたちの打ち込みの相手でな。剣術と剣道は同じものではないから、教えることはできん。でもまあ、俺にとっては上等な役目さ」

 片目をつぶり、的に狙いを定める。ぱん、と軽い音がして、駄菓子の小箱が後ろに落ちた。

「身体を動かすことと、お小遣い稼ぎが同時にできるなら、これ以上ぴったりの仕事はないかもしれませんね」

「それは正式に許可が下りたということで良いだろうか」

 彼は笑いながら景品を受け取り、そのまま私に渡した。

「止める理由がありませんよ。家主としては、店子が心身ともに健康で充実した生活を送ってくれればそれで」

 と、私は数日前とは打って変わって物分りのいい返事を返した。現金なものである。

 ちなみに梅雨の時期にコインランドリーに行っていた謎も解けた。雨のせいで胴着が乾かなかったため、乾燥機を使いに行っていたらしい。私にぎりぎりまで内緒にしておきたかった彼は、バイトにまつわるものを徹底的に隠していた。驚きの仕込みには一切手を抜かない鶴丸さんである。

 景品の駄菓子をつまみながら、私たちは次なる娯楽を探した。

「じゃあ、続いて定番」

 と言って、指さした屋台は「金魚すくい」。

「金魚すくいか。昔からある遊びだな」

「そうなんですか?」

「江戸のころにはあったぞ。やったことはないけどな」

 青いプラスチック桶の前にしゃがんで、ポイを受け取った。袖はすでにまくってある。鶴丸さんはいつもの器用さを発揮して、するりと華麗に金魚をすくいまくり……と思いきや、意外と苦戦をしていた。

「珍しいですね。こういうの得意そうなのに」

「道具や物を相手にするのは得意だがな。生きて動くものとなるとこれまた勝手が違うんだ」

 これは私に一日の長があるかもしれない。すくい紙を破らないように水面と並行にくぐらせる。私の小指よりも小さい小赤が手元の入れ物にちゃぽんと入った。

「やった、まずは一匹」

 もう一匹、と今度は欲張って少し大きな金魚を狙いにいったところ、すでに弱っていたすくい紙は簡単に破れてしまった。

「残念」

 鶴丸さんがいたずらっぽく舌を見せる。

 結局、一匹もすくえず終いだった彼は、屋台の店主から同情の一匹をもらうことになった。

 金魚の袋を手首にかけて、再び屋台をめぐる。

 わたあめ、やきそば、串焼き、これでもかというほど定番なものばかりを回るうちに、次第にお腹が膨れてきた。次が最後かなあ、とあたりを見回すと、ふさわしい屋台が目に飛び込んできた。

 冷たいかけらを撥ね飛ばしながら、ぎゃりぎゃりと威勢のいい音が響く。白と透明の間の色をした氷の山は、さっとかけられた赤いシロップで少し崩れた。

「はい、おまちどう」

 カップを両手で受け取って、ひとつを鶴丸さんに手渡す。彼は目を輝かせてかき氷を見つめていた。

「近頃は氷が簡単に手にはいるものだとは知っていたし、俺自身、賄いでたまに使ったりするが……こういう形になると、なんだその、わくわくするな」

「でしょう。せっかくだから人の少ないところでゆっくり食べませんか」

 夜店の並ぶ商店街から出て、細い裏道を通った先、小さな広場に腰を下ろした。芝の敷かれた敷地内にはちらほらと人のシルエットが見えたが、そう混雑はしていなかった。こうも田舎になると駅の側とはいえ、なかなかに暗いのだ。足元の見えにくい場所に親子連れは来ない。

 私は浴衣が汚れないようにそうっと座り、鶴丸さんは慣れた様子で裾をさばいて胡坐をかいた。では、と言って彼は慎重にかき氷に口をつけた。

「甘い……が、悪くない」

 文字通り味をしめた鶴丸さんは今度は山盛りにすくってぱくりといった。予想通りの行動に思わずにやりとしてしまう。

 鶴丸さんは少し遅れて頭を抱えた。

「なんだこれは……」

「夏の風物詩です」

「わざと黙っていたな、家主殿」

「もちろん」

「打ち合いで当たり所が悪かった時みたいだ」

 相変わらず良く分からない例えを口にして、鶴丸さんは唸った。要するに頭がきいんとすると言いたいのだろう。

 しばらくして頭痛が去ったらしい彼は今度は大人しく小さじでちびちびと食べ始めた。私も自分の分を放ったらかしにしていたことに気付いて、一緒に食べる。

 はるか後ろの喧騒を抜けて、しゃくしゃく、という音が響いた。

 穏やかで幸せな時間だった。

 さりげなく隣の鶴丸さんに目をやった。銀色の髪も、白い頬もいつもと同じはずなのに、今日はそうは見えなかった。

「どうした?」

 視線に気づいた鶴丸さんがやわらかな笑みを浮かべた。なんとなく気恥ずかしくなって、私は視線を夜空へ投げた。

「すごいですね」

 天には無数のきらめきが散りばめられていた。本当にうっすらとだが、天の川も見える。

「夜店に気をとられてすっかり忘れていたが、今日は七夕だったな」

 白い喉を反らせて、鶴丸さんも夜空を見上げた。

「織姫星と彦星の話は知っていますか」

「もちろんだ」

「じゃあ、この星のどれが織姫と彦星かは?」

 彼が首を横に振ったので、私は指を掲げた。東の空の高い場所を指さす。

「あそこに一際明るい星が見えるでしょう」

「ああ」

「あれがベガ、いわゆる織姫です。それから少し南にいって」

 三角形の一辺を描きながら指を動かしていく。

「織姫よりも少しだけ暗いあれが彦星、洋名でアルタイルといいます」

「なんだ、思っていたより近いじゃないか。てっきり彼らはよほど遠く離れているものと」

「遠目から見ればそう思えるだけで、本当はびっくりするほど遠いんですよ」

「へえ」

 夜空を見上げたまま、彼は感心したような声を出した。

「二つの星の間にうっすらと天の川が見えるでしょう。一年のうちで今日しかあれを渡れないないなんて悲しい話ですね」

「俺にはあまりそうは思えんが」

 いつもは素直な鶴丸さんが珍しく天邪鬼なことを言った。

「どうしてですか?」

「一年に一度も会えたら十分じゃないか」

 手が届きそうな、だが決して届くことのない、はるか遠くの星々を眺めながら、彼はぽつりとこぼす。

「幾十、幾百……千年ちとせ待っても再びまみえぬ別れがあるというのに」

 淡々とした、しかし悲痛な響きを持ったその声に、私の胸はちいさく鳴いた。やはり彼は何かを恋うていた。決して彼の手には戻らない何かを。

 七夕。それは天女の羽衣の逸話と同じくして語られることがある。

 水浴びに下った天女は、彼女を恋うた地の牛飼いに羽衣を奪われ、帰ることができなくなってしまう。

 夜なのに隣の銀色がやけに艶めいてみえた。

 身の程知らずの牛飼いになったのは、いつからだろう。


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