淡いピンクのお花柄。

 思ったより「女の子」だったワンピースを慌ててハンガーラックにかけ直す。さりげなく周りを見回したが、幸いにも店員はこちらを見ていなかった。

 ハネた髪を手櫛で整えながら、Tシャツのコーナーに移動する。さっきよりも中性的な色使いの棚に、居心地の悪さが少しだけ緩和された。

 横の姿見に目をやると若い女が不景気な顔でこちらを見返していた。重そうなカバンを下げて、安物のスーツに身を包んだ女。

 背伸びするのはやめなよ。どうせ似合わないのに。

 鏡にうつったもう一人の私が話しかけてくる。

 もっと女の子らしく生まれていれば、自信を持って手を伸ばすことができたのだろうか。遠い人だとむなしく思うこともなかったのだろうか。

「お客様、Tシャツをお探しですか?」

 客がぼんやりしているのが気になったのか、栗色の髪を伸ばした若い店員が近寄ってきた。桜色に整えられた指先が眩しい。

 場違いなところに来てしまった感じがして、急に恥ずかしくなってしまった。

「いえ、少し見ていただけです」

 視線から逃れるようにそそくさとその場を離れ、その足で店を出た。

 ありがとうございました、という言葉が後ろの方から聞こえてくる。

 少し離れてから振り返ると、さっき見ていたのを同じワンピースがショーウインドウを彩っていた。ピンクの袖をひらめかせて、彼女はこう言った。

 臆病な人におしゃれはできないわ。

 悲しくなった私はショーウィンドウに背を向けショッピングモールの長い通路をとぼとぼ歩き出した。



第二十九話 老いも若きも男も女も(中)


 ハトが一羽、地面をつついていた。

 夕暮れの公園はどこまでも平和で退屈だった。ベンチに腰かけて、ぼんやりと景色を眺める。公園という名はついているものの、駅裏に位置するここは芝生の敷かれたただの広場だった。すぐ前のフェンスにはまだ新しいポスター。「敬老の日 ミステリーツアー」とかなんとかかんとか。もうそんな時期になったのか。

 七夕の時、星を見たのはこの場所だった。

 どきどきして、頬が熱くなって、夜なのに隣の銀色がやけに眩しく見えた。一緒にいるだけで嬉しいなんて、所詮は物語の中だけの話だと思っていた。

 指に挟んだ「デートのお誘い」が夕焼けを反射している。

 例えば会社の上司。例えば大学時代の友人。例えば、自転車屋の新人。穏やかに生きられる道はいくらでもあった。そして今でも、残されている。

 どうしてあの人なんだろう。

 金の瞳を想う。この気持ちがどこから出てくるものなのか、自分でも良く分からなかった。 

 優しくしてくれたから?寂しさを埋めてくれたから?かっこいいから?

 どれも正しいようで、どれも違う気がする。

 優しい人ならいくらでもいる。きっとその人は私の寂しさも癒してくれるだろう。そうなれば見た目なんて気にならないに違いない。

 冬の湖。美しいが、底の見えない恐ろしい場所。氷上にいる綺麗な鳥を捕まえたくて、愚かな女が片足を踏み出そうとしている。そんな滑稽な心象風景。

 ガタンゴトンという音が次第にゆっくりになり、すぐ後ろでぷしゅうと扉の開いたのが聞こえた。

 今ならまだ間に合う。あげた片足を元あった場所に着地させればいい。想いも「なぜ」もぜんぶ見なかったことにして。当分は苦しいだろうけど、時の流れがすべてを洗い流してくれるだろう。そしていつか人生をともにする人に出会い、その人と一緒に穏やかに生きていく。例えば、会社の上司。例えば、大学時代の友人。もしかすると、この「お誘い」をくれた青年と。

 そうすれば、下らない冗談を言い合って、濡れた頭を拭きあいっこして、肩を並べて桜を眺める日々が再びこの手に戻ってくるだろう。遠い人だろうが、釣り合わない相手だろうが、恋人がいようがいまいが、何も関係なくなる。だって「従兄」なんだから。

 遠くから眺めているだけの、体温の交わらない関わり。そう長くは続かないだろう。一年、うまくいけば数年、いずれにせよ近い将来必ず限界が来る。しかしその刹那の安楽に身をゆだねるのも悪くはないと思った。薄氷うすらいを割って、今すぐにすべてを失ってしまうよりかは。

 駅からアナウンスが聞こえた。まもなく扉が閉まります。ご注意ください。

 一緒に暮らしたことで、身近な人だと勘違いしていただけだ。あらゆる点で、私と彼は隔たっている。越える術なんてない。

 羽ばたきの音とともに、鳩が一羽が新たに舞い降りた。元からいたのと一緒になってしばらく地面をつついていたが、く、と首をあげると再び白い翼を広げた。フェンスのポスターを掠めるように飛翔する。鳥の習性か、もう一羽の鳩も追いすがるように飛び去っていった。私はすうっと息を吸い込んだ。

 馬鹿野郎、と叫んだ。

 犬の散歩をしていた老人がぎょっとした顔でこちらを見た。自分たちには関係ないと分かると、そうっと目を逸らし、きゃんきゃん吠えるこげ茶色のダックスフンドを引っ張って、速足で歩き去っていった。

 手の中のチケットはすっかり湿っていたが、ありがたいことにボールペンのインクは流れていなかった。

『来てもらえるなら、連絡をください』

    鞄から携帯電話を取り出す。

 手が震えた。本当にこれでいいんだろうか。一回決めたらもうやり直せない、不器用で頑固な女なのに。

 前を向いてボタンを押した。ぴ、ぽ、ぱ、ぽ。耳元で聞こえ始めたコール音。ワンコール、ツーコール、がちゃり。愛想のいい男の声が聞こえた。

 境界は定まった。


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