Sette
夫妻に見送られ街を出たスクアーロは、スパイダーのエンジンを存分にふかし、日が暮れる前にアパートに戻った。
二週間前、大家に無断で切り割った床は、そのままの状態で残してあった。
彼はゆっくりと床下に手を伸ばした。40センチ……50センチ……改めて確認すると床下の空間はひどく広かった。彼の腕長をもってしても、なかなか底にはたどり着かない。
床下に住む珍妙なルームメイトについて調べた時、このアパートについても資料を揃えたのだが、それによると築云十年のこの老建築は、増改築を繰り返すうちに偶然、二階と三階を仕切るこの部分にだけ、やけに広い空間ができてしまっていた。女がそれを知った上で、ここに移り住んだのかまでは分からなかったが、仕掛けを施すのにこれ以上の環境はなかっただろう。
「これか」
床下をまさぐるうち、ついに指先が何かつるりとしたものに触れた。木の台に嵌めこまれたそれは、外の光が一条だけ通る、大変奇跡的な場所に固定されていて、スクアーロは思わず感心してしまった。
少し迷った後、彼は“明星の瞳”の眼窩に爪を引っ掛けた。指先に力を込めて、ぐり、と鈍い音をさせる。奇妙な感触とともに、彼は容易く女の瞳をえぐりだした。
“明星の瞳”は、あの母親が言った通り、一見ただのガラス球だった。視神経がしっぽになった柔らかくぬめる塊、あれとは正反対の透明さを持つそれは、夕日に透かすとうっすらとその本性を現した。浮かび上がる精緻な幾何学文様。夕暮れの色に染まった“明星の瞳”は火のように赤く、だがスクアーロはその中に、青や白さえ見い出した。
―― たかだか、こんなものに。
空虚だった。腹立たしくもあった。あまりに小さく、あまりに複雑で、あまりにも取るに足りない。
苛立ちに似た何かを滲ませつつも、彼の心臓は燃え立つことなく、夜の海のように涼しげに鎮まり返っていた。
無造作につまんだ“明星の瞳”を、上着のポケットに放り込んだ。
これでもう二度と“海”が誰かの目に留まることはない。見下ろすことも、見上げられることもない。
ソファを動かして、穴を塞ごうとしたスクアーロだったが、思い直してもう一度、床下に手を伸ばした。さっきとは少し違う場所で、かさりと薄い感触を得る。指先に挟まっていたのは、海ではない、もう一枚の方の写真だった。
彼はそれを表返すことなく、胸ポケットにしまった。