太陽が頭上をじりじりと焼く。
 砂を踏む軽い足音が聞こえ、スクアーロはそちらに顔を向けた。地元の住民らしい、褐色の肌の少年である。赤茶けた髪を見下ろしつつ、スクアーロは言った。
「女を知らねェかァ」
「知ってるよ」
 どこに、と問うと少年は黙って空を指差した。
「銀色の髪をした綺麗な男の人がきたら、代わりに答えてくれって」
「そうか。いつの話だ」
「一年くらい前。たくさん血を吐いて、砂浜が真っ赤になっちゃった」
 少年はトントンと砂を蹴って、他人事のように言った。
 スクアーロも他人事のように聞いていた。
 海に来たから死んだのではない。死のうと思って海に来たわけでもない。女の病はここを訪れた時点で、いや、あの街でスクアーロに会った時点で、すでに取り返しのつかないところまで進行していた。海に殺されずとも、いずれ勝手に死ぬ女だった。
 ただ、最期の場所をここに定めただけなのだと、一度会っただけの女のことを、彼は手に取るように理解していた。
「あの人、不思議だった。海が好きで毎日ここにいたのに、絶対に海の中へ入らなかった。結局さいごのさいごまで。入ったら楽になってしまうからって。楽になるなら入ったら良かったのに」
 かの奇病についての数少ない記録には、断末魔の苦しみが延々と綴られている。激痛に悶え、血を吐き散らし、のたうちまわりながら、時間をかけて死んでいく。安楽死という選択肢を誰もが想像し、また許諾する病だった。長く闘病しながらも死に顔は穏やかであった、とあらゆる記録において締めくくられているのは、つまりはそういうことだろう。
 女はおそらくただ一人の例外になった。
 顔を合わせた最初で最後、一生に一度のあの日、死の気配を濃厚に漂わせつつも、それを頑なに忌避していた。迎えに来た死神の喉元さえ食いちぎらんばかりの、いっそ潔い未練がましさだった。
 女の生き方は子供の描いた絵のように単純明快で、現実味がなかった。だからなのか、“海”だの何だのといつも現実味のないものばかりを欲しがっていた。欲しくなったら最後、どんな手を使ってでも手に入れようとする、身の程知らずの、底抜けに強欲な女だった。
 舐めやがって、と吐き捨てた。まんまと踊らされたわけだ。
「おいガキ、死体は海へ捨てたのか?」
「まさか! ちゃんと土の中に」
「なんだ。鮫に食わせちまえばよかったのに」
 少年はぎょっとした顔でスクアーロを見上げた。その頭を掴み、鼻先を近づけた。
「それとも、テメエが替わりになるかァ?」
 口元を歪めてみせただけで、少年は声もなく腰を抜かし、こけつまろびつ逃げ去った。
 そう、あれが正しい。
「ったく、人の家に穴開けてんじゃねェぞ」
 少年の後ろ姿が見えなくなった後、自分のことは棚に上げて、スクアーロは悪態をついた。
 再びひとりになった彼は、無造作な手つきで、ポケットから例のガラス球を取り出した。“明星ルチーフェロの瞳”などと大層な名を戴くくせに、太陽の下で見るとなんともちっぽけな玩具だった。明けの明星ルチーフェロ―― 光をもたらす天使の長にも美の女神にも喩えられ、夜明けの空にのさばる火も、天の支配者が顔を出した途端に霞んで消えてしまう。
 スクアーロは小さなガラス球を口に放り込み、奥歯でバリバリ噛み砕いた。硬そうなのは見た目だけで、その実、砂糖菓子のように脆かった。口の中に血の味が広がる。
 海を知らずに死んだ女は、死んでも海には迎えられない。太陽のような、炎のような、苛烈で強欲なあの女には、相応しい行く末だろう。かの御使ルチーフェロのように冷たい地の底へ投げ落とされることすら許されず、火だるまのまま、永遠に踊り狂い、燃えつづけるといい。
 思う存分砕いたガラスを、血と一緒に飲み下した。
 この鮫を、喰らえるものなら喰らってみせろ。音を立てて、最後は跡形もなく。
 激痛に悶え、血を吐き散らし、のたうちまわる日が来てやっと、この身は満たされる。穏やかな死など、野良犬にでも喰わせておけばいい。
 人を喰らいながら、喰らわれながら、思うがままに。
 日差しに手をかざしてみた。人に触れたように熱かった。
「見下ろしてんじゃねェ」
 


見下ろす明星、見上げる虫獣

Sono innamorato.



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