「デンジャラス、イズ、ランド。“危険は土地”?じゃなくて、デンジャラス、アイランド、かな。マリーン、ケイム……“海が来た”?」
学校の教科書や辞書をフル動員して、ようやく一文は解読できた。しかし“海が来た”とは一体どういうことだ。
02 “Who are you?”
書きなぐられた筆記体は、ところどころインクが滲んだようになっていて、もはや読み物としての性質を失っていた。なんとか読み取れた部分も、中学生の学習範囲外どころか、辞書にすら載っていない単語ばかりである。どうやらかなり汚いスラングで書かれているらしい。文法に至っては省略、変形が当たり前のように使われていて中学生にはとても解読できそうになかった。
英語の先生に見せれば、意味ぐらいはすぐに分かるだろう。しかし他人のメモを盗み読んでいる以上、教師に相談するのは気がひけた。
完全にお手上げである。
好奇心に負けて持ち帰ってしまったけれど、結局、自分の英語力のなさを思い知っただけだった。新しい世界は開かれなかったのだ。
ハア、とため息を吐いて、もう一度メモを見た。
そのあたりの切れ端に走り書きしたような英語。もしかしたら急ぎの用件だったのかもしれない。そこまで考えて、ふと恐ろしくなった。
デンジャラス、アイランド。
たとえば、これが家族や友達に危険を知らせる手紙だったとしたら。
今頃これを読むはずだった人たちはとても困っているかもしれない。困っているだけならいいが、実際に危険にさらされていたら?
―― 今ならば、この現代日本においてそんなことはあり得ないと断言できるのだけれど、そこはさすがに子供の思考だった。
もしかすると、私は大変なことをしでかしてしまったのかもしれない。
どうしよう、すぐに返さないと。そう思った私は勉強机の引き出しから、水色のメモ帳を引っ張り出した。少なくとも、悪意がなかったことだけは伝えたい。だが、咄嗟に思いついたのはたった一文だけだ。
“I'm sorry.”(ごめんなさい)
しかし、これだけでは、ちょっとそっけない。学校でもらった英会話のプリントをめくって、使えそうな例文を探した。
“I return it to you.”(返します)
この状況に適しているかは分からない。けれど、言いたいことは伝わるだろう。
水玉模様の紙切れと英語のメモをポケットに入れて、私はもう一度、あの岩場へと急いだ。
それからは部活も宿題も手につかず、落ち着かない日々を過ごした。
もうあそこには行かないでおこう。宝石箱も、もう二度と開けない。
そう誓って数日間は我慢したものの、やっぱりそれ以上は無理で、結局3日目にまた岩場へ足を運んでしまった。
誰も見ていないことを確認しつつ、そうっと宝石箱を開ける。
あ、と思わず声が出た。
3日前、確かに入れたはずの2枚のメモはなくなっていて、代わりに別の紙切れが入っていたのだ。真ん中にたった一文だけ綴られた言葉に、どくん、と心臓が跳ねた。
“Who are you?”
―― お前は、誰だ。
勘違いでも、偶然でもない。それは私に対する明確な返答だった。
誰かに監視されているような気持ちになって後ろを振り返ったが、もちろん誰もいなかった。夏休みは後半に入りつつあり、海水浴客どころか地元の子供達の声すら聞こえてこない。
思い切って、カバンからボールペンを取り出す。破り取ったノートの隅に震える手で書き込んだ。
アイム、イチル。
名前を出すのは怖い。お前のせいで仲間が死んだ、なんて言って、黒服の男の人が家に押しかけてきたらどうしよう。馬鹿な想像だとは分かっていても、その短い一文には、そう思わせるだけの迫力があった。
長い間迷ったあげく、私はついにファーストネームを記した紙を宝石箱に入れた。フタを閉じかけて、やっぱりもう一度メモを取り出し、名前の下に一言付け加えた。
“Who are you?”
翌日、岩場に行って、箱の中を確認した。
陶器の箱を持つ手が、鼓動に合わせて揺れている。心臓は爆発寸前で、いまにもどうにかなってしまいそうだった。
予想通り、宝石箱の底からノートの切れ端は消えていた。代わりに日に焼けた分厚い紙切れが入っている。
メモに書かれていたのは、前よりもさらに短い一言だった。
“I'm Shanks.”
それを見た途端、メモをひっつかんで、家まで全力疾走した。
好奇心はネコを殺す。そんな言葉くらい知っている。
けれど、何かが起こりそうな気がしたのだ。あらゆるものをひっくり返し、根こそぎ変えてしまう、大嵐のような何かが。