10 市(Ⅰ)
市は港の広場に立つ。
珍しく先生からお使いを言いつかって、私はかれこれ一時間近くバオーブ林の中を歩いていた。舗装されていない地面にどた靴の底が当たってバタバタとうるさい。先生の口添えで、近所の人からもらったお古の靴は、私には少し大きかった。
「もうそろそろなんだけどな」
帽子をかぶり直してもうしばらく歩くと、ひときわ巨大なバオーブが見えてきた。住人が“王様の木”と呼ぶこの巨樹は市の目印になっている。
「hey!イチル、今日は先生は一緒じゃないのか?」
「はい、たまには一人でのんびりでかけなさい、って。先生が」
広場に着くとすぐ、入り口付近に店を構える果物屋が声をかけてきた。
「そういうことなら、奮発するか! これなんかどうだい? 朝とれたばかりのフルーツだが、あんただけには安くしとくぜ。25ベリー、甘さは保証する!」
と、お馴染みの商売文句を口にしながら、右手にマンゴーのような色合いの果物を掲げた。
「皆にも同じことを言ってるくせに。でも、そうだなあ、もう少し負けてくれるなら3つ買いますよ」
「20ベリーでどうだ?」
「あともう一声!」
「くそ、分かった、17ベリーだ! もってけ泥棒!」
お金を支払って、麻袋にフルーツを入れてもらう。先生はああ見えて甘い果物が大好きなので、きっと喜ぶだろう。
「スナハマイワシは30ベリー、イシガレイは35ベリー。どっちも買うなら55ベリー! 朝獲れたばかりで新鮮新鮮!」
「バオーブ油はいらんかね? ミナミ村で作った上物で、食べてよし、美容によし。今なら半額で譲ろう。さあ、よっていらっしゃい」
一歩進む度に両側の店先から呼び込みの声が飛んでくる。地面にバオーブの葉を敷いて、その上に品物を並べているだけの質素な店構えだが、港街なだけあって北部よりかははるかに活気があった。
「バオーブから作った木醤、一杯25ベリー! これでイワシを漬けると美味しいよ!」
声につられて、店先を覗くと、肝っ玉母さんといった風情の女性が木のお玉で大鍋をかき混ぜていた。炒ったとうもろこしのような、煮込んだ木の実のような、香ばしくて濃厚な匂いにヨダレが出そうになる。
「おばさん、三尾漬けるならどれくらい必要かな?」
「そうだねえ、一杯あれば十分漬かると思うけど。でも野菜にかけたり、パンにつけたり、他にも色々使い道があるから、もう一杯どうだい?」
「うーん、分かった、じゃあ二杯ください!その代わり、ちょっとだけおまけしてくれると嬉しいな」
「はいよー!二杯で40ベリーね。まいどあり!」
買い物で値引きをすることを、ここに来てはじめて経験した。徒歩で遠くまで買い物に行くことも、泉から水を汲むことも、あちらにいるうちは全く縁のなかったことである。
頼まれた物をあらかた買い終えた後、私はしばらく市を見て回ることにした。
大半は食料品だが、ところどころに服屋がカラフルな店を広げている。
「あ、靴」
煙草屋らしき軒先に、なぜだか靴が何足がぶら下がっていた。立ち止まった拍子に、どた靴がパタンと音を立てる。
「靴をお探しで? あんたの足だとこれなんかちょうどいい大きさだと思うが」
若い男が日よけからひょいと褐色の顔を覗かせ、商品をつまみ上げた。日に焼けてはいるが地黒ではなく、またあちこちに派手なピアスをつけているところを見ると、外海の商人のようだった。
心の中で二つの思いがメリーゴーランドのようにぐるぐると巡った。
正直に言うと、靴が欲しい。
財布には、ちょうど靴を買えるだけのお金が残っている。でも居候の分際で先生のお金を使い込むなんてもっての他だし、譲ってもらった靴だってある。
履けるうちは、今ある物を履くべきだ。
目の毒、目の毒、と手にとってみたい衝動を抑えて、店の前から離れようとすると、煙草屋がまた引き留めてきた。
「まあお待ちなさいよ。ここだけの話、最近商売あがったりでね。この島の奴らは煙草をやらねえから、俺の客は主に商人や海賊なんだが、近海に“赤髪”が出たっていう噂が流れたせいで、どいつもこいつもみいんなビビってこのあたりから逃げ出しちまった。そんなことある訳ねェのにな。“赤髪”の縄張りは“新世界”だぜ」
私の内なる葛藤に気づく様子もなく、ピアスの男が軽い調子で聞いてもいないことをぺらぺらと喋りかけてくる。
「増えるのは海軍ばっかりで、ほんと迷惑ったらありゃあしない。小銭稼ぎに靴なんか売ってるのはそういう訳さあ。ほら、この哀れな煙草屋を助けると思って、おひとつ!」
「―― あの、今日は大丈夫です」
「そうかい。そりゃあ残念だ。欲しくなったらおいで」
急いで店から離れて、先生がくれたメモを見ながら買い残しがないか確認する。
「針と糸、買った。先生の靴下も買った」
一行ずつ見ていくと、最後の行に先生独特の繊細な字で走り書きがされているのに気づいた。
内容を読み取って、思わず空を仰いだ。
『残ったお金は靴に使うといい』
私はUターンをして、さっきの店へと急行した。
サイズの合った靴を履いて、ほくほく顔で歩いていると、広場の出口に珍しく雑貨屋が出ていた。薬や歯ブラシなどいろいろなものを扱う雑貨屋は、向こうにおけるドラッグストアのような存在だ。もっとも、ここの住人はバオーブの枝や実から、自分で生活に必要なものを作ってしまうので、実際に利用する機会は少ないのだが。
こういう“何でも屋さん”を見ると、用事がなくても立ち寄りたくなってしまう。日本人の性だろうか。
店番をしているのは初めて見る女性で、店先の商品も一風変わったものばかりだった。さっきの煙草屋と同じく、外海の商人なのだろう。
まだら模様の革財布、マトリョーシカのような人形など、村ではまず見かけることのない商品に好奇心が刺激される。ディスプレイを考えず手当たり次第に並べたような店構えのため、歯磨き粉の横に、鉛筆や便箋が置いてあったりもした。
まばらに置かれた商品を眺めていると、視界の隅に見覚えのあるものが飛び込んできた。
「え?」
麻布の上に置かれていたのは、なんと、あの白い宝石箱だった。