白鳥がドリルくちばしを繰り出した。

 ほとんど残像だけしか見えなかったものの、表現するとしたらそんな感じの言葉になる。
 黄色いくちばしがチンピラもろともレンガの壁をぶち破るのを見届けた後、視界は静かにブラックアウトした。



chapter3 “DEAD OR ALIVE OR ESCAPED”

15 スワン・ハート(Ⅰ)



「ちょっと、起きなさいよ!これぐらいで死んでんじゃないわよ!」

 そんな声と身体を揺すぶられる振動で、目を覚ました。
 目の前には白鳥がいる。

「ドリルくちばしっ!」

 思わず叫んで横に回避した。しかし、白い鳥は攻撃をしかけてくるどころか、うんともすんとも言わず肩の上で佇んでいる。

 肩?
 視線を横にずらしていくと、なんとも言えない奇妙な顔の男と目が合った。その途端、男が洪水のように涙をこぼしはじめた。

「ほんとに死んじゃったかと思ったわよう!何であんたみたいなのがあそこに飛び込んで来るわけ!?」

 どうやら、お腹を蹴られた痛みで貧血状態になったようだ。最近、栄養のある食事を取ってなかったから、仕方のないことだったかもしれない。周りを見回すと、チンピラたちが一人残らず地面で伸びており、酔っぱらいの男はどこにもいなかった。

「良かった。あの人、無事に逃げられたみたいで」
「無事って。無事って!見ず知らずの酔っぱらいに……!これ以上あちしの涙を流させないで」

 両肩に白鳥を搭載した男、もといオカマはハンカチを噛みながら、感極まったように再び泣き出した。さっぱり状況が理解できない。

「だめよ、あちし泣かない!あんたが助けた、男はっ!あちしがマネマネの実で……じゃなくて、ちゃんと逃げるのを確認したから大丈夫よう」

 何か言いかけて口をつぐんだオカマは、立ち上がって私に手を差し出した。

「あちしは孤高のオカマ、ボンちゃん!今日からあんたのダチよ!よろしく!」

◇◇◇

「えええ!“偉大なる航路”を知らないィィィ!?“七武海”や“四皇”もォ!?」

 レストランで斜め前に座っていたボンちゃんが、飲んでいたジュースを噴水のように噴き出したので、頭を傾けて避けた。目の錯覚かもしれないが、心なしか目玉も飛び出したように見えた。彼(彼女?)にはリアクション芸人の素質があるようだ。

「そんなあやふやさで今まで良く生きて来れたわねい。びっくりしちゃう。あ、タコパひとつ追加で」

 店員に机を掃除してもらった後、ナフキンでお口を拭き拭きしたボンちゃんは、信じられないという目で私を見た。

「まさか生きてるうちに、こんなことをレクチャーをする羽目になるとは思わなかったわよう。“偉大なる航路”は今まさにあんたがいるココよ!ココ!」

 ボンちゃんはビシィッと音が出そうな力強さで地面を指した。
 バレエダンサーのような格好をしたボンちゃんだが、実はこう見えて著名な拳法家らしい。人呼んで、オカマ拳法。

 しかし今は訳あって、表舞台に出られないらしい。「カッコ良くてセクスィィィ!な、とある御方の計画のため、身を隠して力を隠して潜入調査中なのよーう!」とのこと。
 潜入調査なのに私にバラしてしまっていいのだろうか、とか、服も顔もものすごく目立ってるけど大丈夫なのだろうか、とかツッコミどころはたくさんあるのだけれど、本人が楽しそうなのでヨシとしておく。

「その“四皇”って人たちの中の、えーっと、なんだっけ、“赤髪”? 前にもどこか聞いた気がするんだけど、有名な人なんだね」
「キエーッ!有名なんてもんじゃないわよ!“赤髪”は誰もが認める大海賊よーう!海賊王に最も近い男、”白ひげ”と対等にやり合える数少ない人物だからねい。まあ、あちしのボスの方が断然すごいけど!」

 “赤髪”、”白ひげ”、いまいちピンとこないが、どちらも凶悪な犯罪者には違いない。とりあえず「絶対にお近づきになりたくない番付」の上位にランクインさせておいた。

「どんな箱入りで育ったらそんなふうになるのかしらねい。いや、でも何も聞かないわよーう。事情は人それぞれなんだから」
「シリアスな秘密は何ひとつないんだけどね。そうだ、ボンちゃんに訊きたいことがあるんだ。ポーンショップ島への行き方って知ってる?」

 ボンちゃんが再びジュースを噴き出した。予想外のリアクションだったので反応が遅れたが、かろうじて今回も避けきった。

「ポーンショップ島ォ!?じょーだーんじゃなーいわよーう!あそこはねい、“裏島”とも呼ばれていて、島全体が大きな闇市なの。あんたみたいなズブの素人が行ったりしたら、カモってカモってカモられきっちゃうーわっ!よっ!」

 ボンちゃんは立ち上がって、華麗に十回転のピルエットを決めた。肩口の白鳥が優雅に踊って、周囲の席から拍手が起こった。

「でも、どうしても行きたいの。探さないといけない物があって」

 ボンちゃんは逞しいアゴに手を当てて、ふうむ、と考えこんだ。

「……分かった、イチルがそこまで言うなら、このボンちゃんが肌脱ぐしかないわねい。ポーンショップ島に行っても困らないように、ここの常識をゼロから教えてあげるわよーう!」
「ほんとに!?」
「オカマは義理固い生き物なの。ただし次の裏島行きが出るまで一週間しかないから、ハードスケジュールで行くわよう。覚悟はいい?」
「もちろん。でも、何でそこまでしてくれるの?出会ったばっかりなのに」

 ボンちゃんは白い歯を見せて、右手でグッジョブポーズをした。

「友情ってヤツァ、つき合った時間とは関係ナッスィング!!」

◇◇◇

 その日から、ボンちゃん先生によるレッスンがはじまった。ボンちゃんは、ドルテン先生のところでは学べなかった、いわゆる“悪い人”への対処法を重点的に教えてくれた。詐欺師の特徴、危ない島の見分け方、侮られない方法、などなど。私が追われていることは伝えてないはずなのだが、何故だか海軍からの逃げ方もレッスン項目に入っていた。

「それと、こういう顔をして、港の入口に立ってる奴には近づいちゃダメ!ダメ、絶対!奴らは決まってヤク中なのよう。わかった!?」

 後ろを向いて、再びこちらに顔を向けたボンちゃんは一瞬でどす黒い顔をした見知らぬ男に変装していた。

「ええ、ボンちゃん何それ!変装?」
「これは悪魔の……じゃなくて、あくまで私の趣味よーう!オカマたるもの老いも若きも男も女も変幻自在でなくっちゃァねい」
「そういうの大好きなんだけど、他にもできる?」
「くぬう……本当は計画のために集めた“顔”だから見せちゃダメなんだけど……そのリアクションや良し!せっかくだから、このあたりの危険人物をレクチャーしてあげちゃう!」

 そう言ってボンちゃんは次々に顔を変えていった。

「これが”ネコ肉屋”ハム・ハム・グラスゴー、”やんちゃ坊主”ハックルベル、そんでもって“お代官”ヤマブキ。こいつは海軍だけど、黒い噂が絶えなくってねい」
「ふむふむ」
「本当ならこんな小物じゃなくって、うちのボスのセクスィ・フェイスをご覧に入れたいんだけど、大人の事情で無理なのよん。そもそも、ボスの顔に触るだなんて、そんなスリリングなこと……!」

 何を想像したのか、ボンちゃんは“おそろしい子……!”のポーズで、ぶるりと身体を震わせた。

「さっき言ってた“白ひげ”や“赤髪”は?」
「さすがのボンちゃんもそこまでの大物はコレクションできないわよう。ほら、マネするにもいろいろな条件があるから!」

 そう言って、ボンちゃんは指先で私の頬をつついた。

「どうひっくり返ったって、あんたが奴らと会うことはないわ。ここ“前半の海”にいるかぎりはねい。絶対に会いたくないって言うんなら、外の海へ逃げるのが一番確実だけど」

 ボンちゃんのおかげで、ようやく私は地理的な全体像を掴みつつあった。たまたま諸島部に流れ着いてしまったのだと思っていたが、この世界にはそもそも陸地がほとんどないという。
 向こうで言う赤道のあたりに、“偉大なる航路”という特殊な海域が存在し、それに直交するように“赤い土の大陸”がぐるりと世界を一回りしている。つまり世界は大きく分けて“東の海”“西の海”“南の海”“北の海”、そして“偉大なる航路”の五つに区分されることになる。

「ヤバい奴は皆“偉大なる航路”にいるからねい。あちしに言わせりゃァ、それ以外の場所でのさばってる海賊なんて、どいつもこいつも“偉大なる航路”に入る勇気も力もないド三流ってワケ。あらヤダ!もうこんな時間!」

 公園の時計を見て、ボンちゃんが目を見開いた。

「ごめんねい!あちし、そろそろ行くわっ!じゃあまた明日ァ!」
「ありがとう、ボンちゃーん!」

 ぴょこぴょこ去っていく白鳥を見送って、私も宿屋に帰ることにした。

◇◇◇

 日焼けした表紙をめくると、古くさい紙の匂いが鼻をついた。
 『日誌』には、部屋に篭っている間、嫌になるくらい目を通した。一番最初のページに書かれているのは著者の名前である。

 “ルイス・デ・コーヴラン”

 断言はできないが、多分そう読むのだと思う。
 次ページには手遊びに書いたような『冒険とは斯く在るものだ』とか『カビたパンは捨ててしまえ』とかいう短文が雑多に散らばっており、さらに数ページ進んだところから日付が書き込まれて、ようやく『日誌』の形態を取りはじめている。その内容は著者コーヴランの日常を綴ったものだ。

―― 我が船はいよいよ、大いなる海域に進み入った。ここから先は標なき魔境である。我々を待ち受けるは、災いか、祝福か」

 勇ましい冒頭の文は格調高い文体で書かれており、コーヴランがそれなりの地位を持った人物であったことを偲ばせる。
 ところが、そういった『航海日誌』は数ページで終わってしまう。残りのページのほとんどを占めるのは次のような内容だった。

―― 第一章七節、主は言われた。我が民よ、我が名を讃えよ。さすれば、永久なる地と海とを与えん」

 『日誌』の九割近くがこのような調子で書き綴られていた。
 古い単語や固有名詞が多く、意味の取れない部分ばかりなのだが、ざっと目を通してみて思ったのは、これは何かの聖典ではないかということだった。ここまでの文体からして、コーヴランが創作したものとは考えにくい。おそらくはどこかから写しとった内容だろう。

―― 第三十八章三節、乾きに心を悩ませるな。約束が果たされる時、無垢なる水があなたがたを潤すからである……」

 しおりを挟んだところから数ページ読んで、ため息をついてしまった。ダメだ、全然終わらない。
 譲り受けて以来、時間があれば詳細に読み進めているのだが、如何せん言葉が難しいので進み具合は捗々しくなかった。もし日誌部分でなく、この写しの部分に帰るための手がかりが記されているとしたら、探し出すのは至難の技だ。

「先生は確かにここにヒントがあるって言ったんだけどな」

 少なくとも、今の私には到底見つけられそうにない。それどころか、もう見逃してしまった可能性すらある。

「これはこれで地道に進めていくとして、やっぱり箱を見つけないことには話にならないなあ」

 すっかり癖になってしまった独り言をこぼしながら、私は再び解読作業に戻った。
 ポーンショップ行きの船が出るまで、あと二日。


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