おーい、イチル。こんなところにいたのか。来てたんなら教えてくれよ。
それができたら苦労してないよ。本当に大変だったんだから。
へェ。ひ弱なあんたも、少しは逞しくなったか?
残念ながら。ドルテン先生にも、ボンちゃんにもお世話になるばっかりで何の恩返しもできなかった。なんでこんなに情けないんだろう。
肉を喰え、肉さえ喰ってりゃ何とかなる。
そう言えば、前もそんなこと言ってたね。
船長の受け売りだからな。
そうだ、訊かないといけないことがあったんだけど、なんだったっけ。思い出せなくなっちゃたな。
ゆっくり考えりゃいいさ。時間はいくらでもあるだろ?―― 俺はそろそろ戻らねェと。仲間が待ってる。
もう行くの?話したいことがまだまだいっぱいあるのに!
じゃあな、イチル。いつか会えるといいな。
ちょっと待ってよ――
「シャンクス!」
18 骨董商人(Ⅰ)
どん、と背中に強い衝撃を感じて目を覚ました。寝起きの視界にシミだらけの天井が飛び込んでくる。横を向くと、顔のすぐそばに昨日脱いだままの泥だらけの靴が転がっていた。
勢い余ってベッドから落ちたらしい。
いろいろなものを蹴飛ばしながら、暗い部屋の中を手探りで歩き、ようやくランプを点けた。懐中時計を確認すると、時刻はすでに七時だった。もちろん、夜ではなく朝の七時。朝なのに室内が暗いのは、いくつかの理由で雨戸を閉めきっているからだ。
外の物音に耳を澄ませてから、ぎしぎし鳴る雨戸をよいしょと引き開けた。爽やかな朝日が部屋に差し込んで――
「……こないんだよね」
外は相変わらず、今朝も今朝とて雨だった。
裏切られ続ける期待に、ため息をつく。いつになったら太陽とともに気持ちよく目覚められるんだろう。雨戸を閉めなければ窓枠からじわじわと雨水が染みこんでくるのだ、この古い宿屋は。
滞在をはじめて三日目になるが、晴れる気配は一向になかった。アンタナ・リボナと”市場の島”がからりと気持ちの良い島だったということもあり、この湿っぽい気候には少々気が滅入っていた。長い間、日光に当たらなければ人間は心身ともに調子を崩す。
唯一の救いは、今のところはまだ海軍の追跡が及んでいないことだ。これほど捜査が遅れているのは、ボンちゃんが私に変装してくれたおかげかもしれなかった。ボンちゃんには本当にいくら感謝しても感謝しきれない。
この隙に少しでも手がかり探しを進めなければ、とだるい身体を引きずって、私は身支度をはじめた。
「骨董商人が売った白い宝石箱?そんなモン、毎日千も二千も流れてきてんだから、分かるワケねェだろうが。冷やかしも大概にしときな、姉ちゃん」
猫背の質屋はヤニ臭い息で、下品に笑った。
「まあ、出すモン出すなら探してやるよ。前金で五十。手がかりになるような現物も写真もねェからなァ、これぐらいはもらわねェと」
「……それなら結構です。ありがとうございました」
薄暗い店内から出ると、背後から、からかうような笑いとともに「まいどあり」という声がかけられた。
朝から三箇所まわったが、いまだにめぼしい収穫はない。昨日、一昨日を含めるとすでに十数軒は覗いている。
通りの両側にぽつぽつと並ぶ闇質屋はいかにも“一見さんお断り”といった感じで、足を踏み入れることさえ躊躇われる雰囲気だった。勇気を出して入店しても、ハナから相手にしてもらえないことも多い。
先ほどの店はまだ良心的な方だ。昨日入った店では情報を得るどころか、もう少しで有り金を残らず騙し取られるところだった。世間知らずの若い女など、百戦錬磨の詐欺師にとってはまさにカモがネギをしょってやってきたというやつである。油断すればあっという間に身ぐるみを剥がされてしまう。カモもカモ、毟り放題の子ガモである。
ただ、そうであったとしても、見本になるような現物があれば多少はスムーズに交渉できたかもしれない、と思うと気分は余計に重かった。あの時、雑貨屋から模造品を買えなかったダメージがこんなところで響いてくるとは。
昼を過ぎたので、街の中では一番まともそうなカフェ(それでも私の基準では十分に怪しい)に入り、サンドイッチを頼んだ。ぼったくりのような値段だが、この街においては妙な食材が挟み込まれていないだけでも価値がある。
お腹が満たされたところで、午後の部に取り掛かった。
三日間まわってきた東ブロックでは手がかりの欠片にも行き当たらなかったので、西に移ることに決めた。ボンちゃんの情報によると、『裏島』は西に行くほど「闇が深い」そうだ。危ない場所に行き着いてしまう前に目的のものが見つかると良いのだが。
中心部を抜けて西側へ足を踏み入れると、途端に空気が変わった。道行く商人の目つきが、より疑り深く、後ろ暗さを感じさせるものになり、東ブロックにいる時はちらほらと見かけた子供もここでは声すら聞こえなかった。
”市場の島”とは違う理由で、帽子を深くかぶり、顔を隠した。この島では、指名手配云々よりも女であること自体が危険を呼び寄せてしまうに違いない。身体つきでバレてしまうにしても、せめて目立たないようにしなければ。
懐に、ドルテン先生が持たせてくれた護身用の警棒があるのを確認して、近くの質屋に入った。
扉がキィとみすぼらしい音を立てて開く。
店内は思ったより明るく清潔だった。奥まったカウンターに初老の男が座っている。
「こんにちは」
「どうも」
店主は新聞に視線を落としたまま、ぶっきらぼうに言った。
「お尋ねしたいことがあるんですけど」
「……へい」
「白い宝石箱を探しているんです。手のひらよりも大きい陶製で、フタの内側に金文字の装飾があります。この街の骨董商人が扱っていると聞きました」
興味薄げに聞いていた男は、鼻の先にメガネを乗せて、フレームの上から探るように私を見上げた。
「それを聞いてどうするんで」
「家に帰る方法を知りたいんです。どんなことでも構わないので教えて下さい」
「……ヘェ」
それだけ言うと、店主は再び新聞を読みはじめた。
「あの―― 」
「名前は」
「ええっと、イチルです」
「違う。その骨董商人の」
検討違いの答えを返した私に苛ついたのか、店主がさっきより大きな声で言った。
「そ、そうですよね。その骨董商人はモジーという名前で……あれ?」
自分の口にした言葉に違和感を覚える。こんな名前だったっけ?
焦りが焦りを呼び、急にどれが正しいのか分からなくなってしまった。さっきまでちゃんと覚えていたのに、どうしても思い出せない。
「ジーモ?ジモジ?」
「もう仕事に戻っても構わんかね」
質屋がしびれを切らしたように言った。とりあえず、何でもいいから近い名前を答えなければ!
「ちょっと待ってください!確か、モ、モ、モ、モージ!」
「おうおうおうおう、この俺の真の名を知るとは嬢ちゃんいったい何者だ?」
口からでまかせを言った時、壁の方から店主のものではない男の声が聞こえてきた。
柱の傍で異様な形の影がのっそりと立ち上がった。言葉で表現するならば……もこもこ?
謎の人物が照明の下へ進み出てくる。身体を覆うキグルミが黄色い光に照らされて鈍くきらめいた。
「さすらいの骨董商人ジモー、その正体はバギー海賊団の副船長。泣く子も黙る”猛獣使いのモージ”たァ、俺のことよ!」