走る。走る。
 雨に打たれながら、通りを抜け、街を出て、海岸に向かって走りつづけた。



chapter3 “DEAD OR ALIVE OR ESCAPED”

21 “DEAD OR ALIVE OR ESCAPED”(Ⅱ)



 船に着いた時には全身ずぶ濡れで、息も絶え絶えだったが、そのままの勢いで縄梯子を登って船に乗り、船長室へと駆け込んだ。

「バギーさん!」
「ノックぐらいしろっつって―― 何かあったのか?」

 海軍が来た、と言おうとして、喉に言葉がひっかかった。

 私は何のためにここへ来た?
 ―― それはもちろん、バギーから約束の情報を聞き出すためだ。

 煙草屋によると、あと半時間もしないうちに海軍がこの島に到着するらしい。もしそれが真実なら、追いつかれる前に一刻も早くここを去らなければならない。
 しかし、私は今それとは正反対のことをしようとしている。

 「海軍が来た」などと伝えてしまえば、情報を聞き出す前に、バギーは荷物をまとめてさっさと逃げ出してしまうに違いないのに。
 あちらに帰ると決めたのなら、彼らを出しぬいてでも、囮にしてでも、自分の行く道を確保しなければならないはずだ。

「アア?言いたいことがあるならさっさと言いやがれ」

 気の短いバギーはイライラと眉間に皺を寄せた。
 たった三日。たった三日、一緒にいただけの人たちだ。助けてもらった訳でも、良いことをしてもらった訳でもない。
 仲良くなったと思っているのは、きっと私の方だけ。
 分かっているのに、結局、言葉を違えることはできなかった。

「この島に、海軍が来たかもしれません。早く逃げてください」

 相手を思いやったわけじゃない。ただ、数少ない繋がりを断ち切る勇気がなかっただけだ。少しの間だけでも彼らの仲間になれたのだと、そう思っていたい私の弱さが吐かせた言葉だった。
 決意を貫くこともできず、かといって誰かを真に案じることもできない己。情けなくて仕方がなかった。

 私の報告を聞いたバギーは予想通り眉を顰めた。

「おいおいおい、デマじゃねェだろうなァ?」

 モージ!カバジ!と呼ぶか呼ばないかのうちに、廊下を走ってくる足音が聞こえた。蹴破るようにドアを開け、カバジが入ってくる。いつものクールさとはほど遠い様子で、汗を垂らし肩で息をしている。

「キャプテン・バギー!大変です!」
「海兵だろ?今すぐ出港の準備を――
「北西の海岸に“赤髪”が上陸しました!」
「ハァァァ!?“赤髪”だとォ!?」

 海軍と聞いても大して動揺しなかったバギーが、今度はイスからずり落ちた。

「あの野郎は“新世界”にいるはずだ!今更こんなところへ来るわきゃねェ!」
「偵察がジョリーロジャーを確認したので、間違いありません」
「何だってこんな時に……!気に入らねェ!気に入らねェな!」

 バギーは聞くに耐えないスラングを床に向かって吐き捨てた後、カバジに出発の手はずを整えるよう指示した。

「鉢合わせは死んでもごめんだ。すぐに出るぞ!」

 船長の命に、カバジは二つ返事で室外へ駆け出していった。

「クソ野郎が、どこまでもおれの計画を邪魔しやがって……!まだ“アレ”が手に入ってないっていうのによ」
「“アレ”?」
「……ログポースだ」

 言われた単語にピンと来ないでいると、バギーが右手に何かを掲げた。丸いガラスが光を反射してきらりと光る。

「磁場が狂った“偉大なる航路”では普通のコンパスは役に立たねェ。島から島へと渡るには、コイツもしくはエターナル・ポースが必要だ。といっても、俺の探しているのはちっと特殊なモンなんだが」
「ログポースって、まさかコレのことですか?」

 思い当たるままに、ポケットから同じ形の物を取り出した。さっき煙草屋からもらったばかりのガラス球が、手の上に転がり出た。

「へえ。ログポースって言うんだ」

 興味薄そうに眺めていたバギーだったが、球体の中身に目を留めた途端、急に顔色を変え、私の手首ごとぐいとそれを引き寄せた。

「これ、どこで手に入れた?」
「ついさっき、煙草屋さんにもらったんですけど……」
「指している方角を見ろ」

 言われるままにガラス球を除くと、磁針は“西”を指していた。

「“偉大なる航路”の“前半の海”、最西端の島のひとつであるポーンショップ島から、さらに“西”を指すログポース。それが何を意味するか分かるか?」

 西の果てをさらに西に行く。行き着く先は―― 外だ。

「これは、“偉大なる航路”から脱するための道標だ。そして、おれが探している物でもある」

 そこでバギーは口を噤んだ。続く言葉を言うか言うまいか逡巡しているように見えた。
 ぎり、と歯を噛み締めた後、彼は再び口を開いた。

―― おれは“偉大なる航路”を出る」

 窓の外で稲光が走った。空を覆う暗雲が、いつしか激しい雨を降らせはじめていた。
 “偉大なる航路”は海賊たちの夢そのもの。ボンちゃんにそう教わった。そこから出るということは、掲げた旗を破り捨てるも同然だとも。

「バギーさん……」
「うるせェ、テメエに同情されるいわれはねェよ。おれァただ、歳を食って、ヌルい海を泳ぐのも悪くねェと思いはじめただけだ。今更カタギに戻るつもりもねェしよ」

 淡々と告げるその表情から心の内を読み取ることはできなかった。

「とりあえずは“東の海”を目指す。そこでだ、もしテメエがどうしてもと言うならだが……雑用に空きがないこともねェ」

 思わずバギーの目を覗き込んでしまった。つまり、それは―― 「私を、船に?」 
 言われたことが理解できた瞬間、胸が熱くなった。
 ログポースのついでであることは分かっている。仲間になれたなんて思っていない。ただ、大切な船に乗せてもいいと言ってくれたことが嬉しかった。

「バギーさん、ありがとう。でも……」
「なにちゃっかり感謝してんだ。おれはだな、テメエみてェな平和ボケした小娘にこの海は似合わねェって言いたいだけだっつーの。勘違いすんな」

 バギーは睥睨するように私を見下ろした。

「テメエだって、それぐらい分かってんだろうが」
「はい。とても。だからこそ、止まるわけにはいきません」

 似合わないのなら、なおさら早く帰らなければ。私の本当の居場所へ。
 バギーが深く息を吐いた。

「ハァ、やだやだ。この恩知らず」

 何も言えずに突っ立っていると、何かが手元に飛んできた。咄嗟に受け止めると、手の中にはあのログポースがあった。

「ほらよ、テメエのお古なんて要らねェから、それを持ってどこへでも行っちまえ。そんで、散々な目に遭わされたあげく、尻尾を巻いて逃げ出せよ、クソ野郎」

 彼はしっしっと犬でも追うように私に向かって手を払った。

「バギーさんに部下が多い理由がやっと分かりました」
「バラすぞテメエ」

「キャプテン・バギー!出港の準備が整いました!」

 外からクルーの声が聞こえた。
 バギーに続いてデッキに出ると、親の仇にでも対するかのうな激しいスコールが、私を頭の先から足の先まで打ちすえた。

「全員配置につけェ!すぐに出港する」

 船の中央で海を見据え出航を命じた海賊に向かって、雨の音に負けないように大声で叫んだ。

「お世話になりました!」

 船から降りるため縄梯子に手をかけた時、バギーが一度だけ振り向いた。

「テメエの探してるアレは“偉大なる航路”の申し子だァ。それを承知で進むのなら、ひとつ教えておいてやる。”四つの海の交わるところ”を目指せ!」

◇◇◇

 錨が上げられ、船が走り出す。
 その後ろ姿を見届けて、私は街の方へと歩き出した。

 手首の時計を確認すると、大急ぎで走ってきてから一時間近くが経過していた。海軍はすでに到着し展開をはじめているはずだ。
 荷物を取りに宿屋に戻るのは危険だ。あそこの主人は私の顔を知っている。宿屋はすでに海兵に張り込まれていると考えた方がいい。しかし、身ひとつで先を目指せるかと言うと、それもまた不可能なことだった。

 なんとかして荷物を取りに戻らないと。

 早足で歩くうち、案の定、街の方から制服姿の海兵が近づいてくるのが見えた。
 人数は一人だけ。私と同じように傘もささずに雨に打たれている。濡れているはずのジャケットとスラックスがやけに白く綺麗に見えた。
 近くまで来て私を見咎めた海兵は、丁寧に頭を下げてから声をかけてきた。

「お嬢さん、海岸の方から来たんですか?」
「はい」

 顔が見えないよう、下を向いたまま答えた。
 幸い、降りしきる雨がベールのように私の姿をぼやかしてくれていた。髪の毛もぐちゃぐちゃで普段の面影はどこにもない。
 海兵は私の正体に気づかないまま、質問をつづけた。

「海賊船を見かけませんでしたか?近頃、とある小物がこのあたりを根城にしているとの報告がありまして」

 即座に首を横に振った。

「でも、北西の海岸に船が泊まっているのは見たことがあります」

 平静を装いつつ、今来たのとは正反対の方角を伝えた。
 これぐらいじゃ恩返しにもならないことくらい分かっている。でも、助けられるばかりはもう終わりにしたかった。

「そうですか。ご協力ありがとうございました」

 口から出任せを言った私に、海兵はまたしても丁重に礼を言った。ほんの少しの罪悪感が心の弱いところをちくちくと突いたが、今更そんなことは気にしていられない。

「お仕事お疲れ様です。私はこれで―― え?」

 顔を伏せたままその場を立ち去ろうとした時、ようやく身体の異常に気付いた。
 足が動かない。
 下を見れば、夏島にあるはずのないものが足首にまとわりつき、私を地面に縫い止めていた。ひやりとした冷気が足元から立ちのぼる。

「無理に逃げようとすりゃあ、皮膚が剥がれちまうよ。子供の時、氷を素手で触ると危ないってママに言われなかったか?」
「あ、あ……」
「女をいたぶる趣味はないんでね。大人しくエスコートさせてくれれば、俺も疲れねェし、あんたも“霜焼け”せずに済む」

 掴まれた場所からピキピキと冷たい音が広がった。ずるりと海兵の顔が溶け、下から別の顔が現れる。

「さて、風邪ひく前に帰るとするか」

 青キジはのん気にあくびをして、乾いたジャケットをしとどに濡れそぼった私の肩に被せた。


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