イチル、ここはこれで合ってんのか?」
「ええ、大丈夫ですよ。でもこうした方がもっと良くなると思います」
「うーん、わかんねェ。どこで切るんだこりゃ」
「ちょっと待って下さいね!すぐに行きますから」

 広い甲板の上、若くてガタイのいい男が三人ばかり背を丸めてペンを握っていた。

「俺らが年上だから遠慮してるのかもしんねェが、もっと砕けた感じで喋ってくれていいんだぜ。なあ、フライ」
「そうそう。ウォーカーの言う通り。ダンピアもそう思うだろ?」
「ああ」

 木箱を机にして、甲板に座り込んだ三人の青年たちは口々にそう言った。リーダー格のウォーカー、優男のフライ、無口なダンピア。シャンクスから預かった新米クルーたちは袖をまくり、日に焼けた逞しい腕を気持よく潮風に晒していた。

『若い奴らに読み書きを教えてやって欲しい。俺も含めてこの船の奴らは座って物を教えるような柄じゃねェし、唯一できそうなベックの奴には時間がねェ』

 数日前、仕事が欲しいと拝み倒した私に向かって、シャンクスはそう言った。「お誂え向きの仕事だろう」という言葉が添えられたのは、もちろん彼が私の元の職業を知っているからだった。

『下っ端をやってるうちは、腕っ節さえあればそれでいい。だが、一人で海を渡るようになった時、知る者と知らない者とでは自ずと世界の広さが違ってくる―― まあ、これも副船長の受け売りなんだが』

 ガキの頃、俺達もそうやって世話になった、と遠い過去を思い出すようにして語ったシャンクスは、私の顔を見て琥珀色の瞳を細めた。

『文字の世界を知らねェってのは味気ねェもんだ。なァ?』



chapter4 RED FORCE

27 名も知らぬ、遠き島より(Ⅰ)



「それにしても、ガキのくせにほんと良く知ってるよ。俺らと違ってちゃんとした家で育ったんだろうな、イチルは」

 鼻の下にペンを挟んだフライが感心したように言った。先ほどから繰り返される『年下』『ガキ』の言葉をいよいよ無視できなくなってきた私は、思い切って訊ねてみることにした。

「あの、皆さん、私のこと幾つだと思ってます?」
「え、ウィックと同じぐらいだろ。皆そう言ってるぜ」

 机に頬杖をついたまま、衝撃的な内容を口走ったのはウォーカーだった。
 つい先日、十代半ばにさしかかったばかりのかの船医はこの船の乗組員の中では頭ひとつ抜けて若い。一方、私は成人式を数年前に済ませた、いわば立派な成人である。

 では童顔なのか? 鏡を見ても、誰に聞いても答えは絶対にノーである。『小さい』『幼い』『子供みたい』といった類の言葉は“可愛さ”という要素が付随して初めて褒め言葉になる。私から言わせれば、『童顔』というのは選ばれた人間だけが自称できるものであって、平凡顔を首の上に乗っけただけの極めて平均的な容姿の人間にとって、『子供っぽい』は、褒め言葉どころか『垢ぬけていない』『内面が子供っぽい』と同義の言葉なのだ。
 図太くできた私のハートも、さすがに微妙にささくれた。私の名誉のために言っておくと、元の世界でそんな風に言われたことは一度もない。こちらの女性が揃いも揃って成熟しすぎているのが問題なのだ。

「ショック」
「違うのか?」

 三人の視線が私に集まった。彼らがまだ二十歳に満たない若者であることは、すでに彼らの船長から聞いて知っている。落胆も露わに本当の年齢を明かすと、ウォーカーやフライはもちろん、普段は無口なダンピアでさえ「年上!?」と悲鳴をあげた。 
 やめてくれ。悲鳴をあげたいのはこっちだ。

「どうせイモっぽいし、田舎臭いし、洗練されてないし……いいよ、もう」
「ついでに胸も尻も無――

 何かを言いかけたウォーカーの口を、フライが手で強引に閉めた。

「いや、何でもない何でもない。他の女に比べたら、身体がちっちぇえからそう見えるんだろうさ。なあ、ダンピア」
「あ、ああ」

 強引に話をまとめたフライに、ダンピアがぎこちなく頷いた。
 次の島に着いたら大人っぽい服を買おう。先生からもらったお金はまだ残っている。心の中でそう決意した私は、持っていたペンを彼らに向かって突き付けた。

「先生の心を痛めつけた罰として、今日はもう一回書き取りしようね」
「卑怯だぞ、イチル!」
「しかも、いつの間にか気安くなってるし」
「手、疲れた……」

 三者三様の答えをして、彼らは机につっぷした。

◇◇◇

 海原を照らしていた太陽が水平線の向こうに消え、代わって月が夜空に顔を出した頃。

 早々に食事と入浴を終えた私は、与えられた部屋にこもり書物机の前で悪戦苦闘していた。辞書や紙束が山積みになった机の真ん中には『日誌』が広げて置いてある。

―― 第三十八章十七節、乾きに心を悩ますことなかれ。約束が果たされる時、無垢なる水があなたがたを潤すからである……あれ、ここ前にも読んだ気がする」

 既視感のある文章に頭を抱えた。
 ポーンショップ島の騒動を無傷で生き延びた『日誌』だったが、ページの間に挟んであった栞はドタバタの間に外れてしまっていた。目次はもちろん、ページ数すら書かれていない書物である。どこまで読んだかを突き止めるだけでも一苦労だった。

「実際のところ、状況は全然変わってないんだよね」

 ポーンショップ島を訪れたのは、元はと言えば、帰るための手がかりを探してのことだった。シャンクスに会えたという点においては、最高の選択だったに違いないが、帰るための手がかりはというと何一つ進展がなかった。
 白い宝石箱のことについては、もちろん昏睡から目覚めたその日に尋ねている。

 どこで手に入れたのか。これは何なのか。どうすれば帰れるのか。
 私は矢継ぎ早にシャンクスに問いかけた。だが彼はすぐには答えを口にせず、薄金の瞳を伏せたまま、何かを重く深く思案していた。

『俺は、アレについて詳しく知らない。ガキの頃、敵船から奪った戦利品の中にたまたま混じっていただけだからな』

 彼は抑揚のない声でつづけた。

『協力はする。イチルがそれを望むなら』

「とは言ってくれたものの、そもそも何を頼んでいいのかも分からないんだよねえ。やっぱりまずは『日誌』かな」

 ドルテン先生を信じるなら、『日誌』には帰るためのヒントがある。できるだけ早く解読を進めなければ。

 ただし今は、それに加えてもう一つ考えなければいけないことがあった。ポーンショップ島でバギーが言い残した、あの言葉についてである。

『“四つの海の交わるところ”を目指せ!』

 怪我が治ってから、ずっとその意味を考えてきた。ベックマンに借りた本や地図を使って、自分なりに導き出した答えがひとつ。
 壁に貼られている、大きな古い地図に視線をやった。
 神話の大蛇のように世界を取り巻く青い帯状の海と、それを引き裂くように縦に走る茶色の陸地。世界の海を四つに分ける、その二筋の爪あとが交わるところ―― “聖地マリージョア”。

 バギーの示した場所はきっとここに違いない。
 ちなみにこの考えでいくと、マリージョアの裏側にある“リヴァースマウンテン”も候補に上がることになる。だが念入りに調べた結果、そこは“偉大なる航路”の入り口にすぎず、めぼしいものは特にない場所だと分かったため、後回しにすることにした。“四つの海の交わるところ”という言葉のイメージから言っても、世界の中枢であるマリージョアの方が求める答えに相応しい気がする。

「マリージョアってどうやったら行けるんだろう」

 青キジとの交渉は非常にグレーなものだったらしく、私は表向きには『人違いだったために釈放。日誌は別の誰かが持ち去った』という扱いになっていた。熱心に追ってきていた海軍にターゲットを見逃させた取引の内容は気になるが、それに関して、シャンクスは一切口を閉ざしていた。

 そういうわけで現状、私は指名手配はおろか、軽い前科すらない潔白の身である。“赤髪”の船に乗っているということで罪に問われることはあるかもしれないが、その程度のことは、総合懸賞金トータルバウンティ推定云十億もしくは云百億の赤髪海賊団の面々に紛れこんでいれば、ネコの毛についたノミ、いや細菌も同然である。彼らの陰でこそこそしているかぎり、私個人が因縁をつけられる心配はまずない。

「というのに喜んじゃだめなんだよね」

 犯罪者でなくなったからと言って、どこへでも入れるようになったわけではないのだ。
 たとえマリージョアに行く手段があったとしても、中に入れてもらえる可能性は非常に低いだろう。首相官邸に一般人が「やあやあ、こんにちは。ちょっと中を調べさせてくださいね」などと特攻したら即叩き出されるか、場合によっては逮捕されてしまうのと同じである。

「近くまで乗せていってもらうことすらできないし」

 “マリージョア”という文字のすぐ隣には“マリンフォード”の表記がある。“マリンフォード”“エニエス・ロビー”“インペルダウン”、海軍の誇る正義の三角地帯がマリージョアを強固に守護しているのだ。対立している相手の本拠地に連れて行って欲しいなどとはさすがに頼めない。

 あれもダメ、これもダメ、と自分を袋小路に追い込むような独り言ばかりをつぶやいてしまったせいで、気分は地を這っていた。

「行き詰まってばっかりだなあ。本当に帰れるのかな、私」

 これ以上考えているとどんどん弱気になっていきそうだったので、いつもより早くベッドに入ることにした。
 夜は思考が後ろ向きになりがちだ。難しいことは太陽の下で考えるに限る。

 明日誰かに尋ねてみよう、と結論づけて、ロウソクの灯りを吹き消した。


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