chapter4 RED FORCE

28 名も知らぬ、遠き島より(Ⅱ)



「俺の、名前は、ウォーカーだぜ……よし、書けた!」

 羊皮紙とにらめっこしていたウォーカーが、ペンを持ったまま万歳のポーズをした。精悍な造作をしているせいで普段は二十代後半くらいに見える彼も、くしゃりと笑えば十九歳の青年に戻る。

「調子にのるなよ。俺だってもうすぐできるんだからな」

 悪友にちらりと視線をやって、フライは筆記のスピードを上げた。その横で暇そうにあくびをしているのは、とっくの昔に課題を終わらせたダンピアである。

 三人が三人とも、非常に良くできた生徒たちだった。数日教えただけで、基本的なことはすっかり身につけてしまった。さすがは天下の赤髪海賊団、見習いとはいえ一級品の原石を選り抜いてあるらしい。

「皆、覚えるの早いね。びっくりする」
「お頭の命令だったら、どんなことでも手は抜かない」

 当然だという風にフライが言った。

「船長のこと、尊敬してるんだ」
「当たり前ェだろ。俺もフライもダンピアも、クソ溜めみてェな港町でうろついてたのをお頭に拾ってもらったんだからな」

 ウォーカーの言葉にダンピアが頷いた。それぞれ自分の過去を思い出したらしい三人は、明るいとは言いがたい表情で朝の海に視線をやった。

 しばらくして、フライが思い出したように口を開いた。

「そういや、イチルに聞きたいことがあったんだ」
「何?」
「ずっと気になってたんだけどな、イチルってお頭の女なのか?」
「お、女!?」

 予想外の質問に変な声が出た。動揺する私を尻目に腕組みをして唸るフライ。

「でもあの人、気に入った女ができても船に連れ込んだことないんだよな」
イチルがお頭の女ァ?お前、そんなこと考えてたのかよ。ありえねェだろ」

 いくらなんでもこの身体じゃな。私のことを頭から足の先まで観察した後、ウォーカーは憐れむようにつぶやいた。
 お兄さん、心の声が筒抜けですが。

「ひとつ残らずその通りなんだけど、『いくらなんでも』のくだりは心にしまっておいてね。一応傷つくから」

 名誉のため何度でも繰り返すが、向こうにいた時は『ガキ』でも『チビ』でも『まな板』でもなかった。恵まれているとまでは言えずとも、一般的な基準には達していたはずなのに。それもこれもこちらの女性が揃って異常なくらいボン・キュッ・ボンなせいだ。

「じゃあどういう関係なんだ?知り合い?親戚?」

 フライが興味津々といった様子で目を光らせ、矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。「わ、私は」

 問いつめられて言葉に詰まった時、思わぬところから助け舟が出た。

「お頭の“客”だ。それ以外の何者でもねェよ」

 マストにもたれて立っていたのはベックマンだった。いつものことながら、現れるタイミングが完璧すぎる。

「フライ、好奇心旺盛なのは結構だが、度が過ぎるといつか痛い目に遭うぞ」
「すみません……」

 船長と同じくらい尊敬している副船長にたしなめられて、フライは犬が尻尾を垂れるがごとくにしょげかえった。煙を吐き出しながらその様子を眺めていたベックマンだったが、しばらくしてふっと唇の端を上げるような笑みを浮かべた。

「まあでも、三人ともよく頑張ってるみてェだな。俺もお頭の方針に賛成だ。腕っ節だけじゃあ一流にはなれねェ」
「副船長……!」
「期待してるぜ。早く俺の仕事を減らしてくれ」
「ウス!頑張ります!」

 見習いたちは感極まったようにベックマンを見つめ、声を揃えた。
 カリスマとはきっとこういう人を言うのだろう。生まれ持ってのものなのか、それとも重みある人生が生んだものなのか。どちらにせよ、私には天地がひっくり返っても永遠に備わることのないであろう魅力である。
 新人への叱咤激励を終えた彼は、今度は私の方に向き直った。

「ご苦労。疲れてねェか?」
「いいえ、むしろやりがいがあって楽しいです。そうだ、ひとつお尋ねしたいことがあって。お忙しいところ申し訳ないんですけど、後で書斎に伺っても良いでしょうか?」
「構わねェよ。昼飯の後にでも来ればいい」

 あっさりと答えたベックマンは、白い煙を一筋残して船室に戻っていった。

◇◇◇

 書斎に入った途端、煙草の匂いに混じって古い紙の匂いが鼻をついた。

 部屋の大半を占領しているのは古書と黄ばんだ海図の束で、それと古い書物机以外のものと言えば、隅の方に仮眠用らしきハンモックがひとつぶら下がっているだけである。

「うわあ!すごい量ですね」
「散らかってて悪いな。そこのイスに座ってくれ」

 海図にコンパスを走らせるベックマンは普段と違い、眼鏡をかけていた。ただでさえ鋭い横顔がますます涼しげに見える。

「……ああ、すぐに消す」
「いえ、そのままで大丈夫です」

 くわえていた煙草を揉み消そうとする彼にかぶりを振って答えると、「ありがてェ」と苦笑が返ってきた。

「こちらこそ、さっきはありがとうございました」
「あんたはウソをつくのが下手そうだからな」

 見終わった海図を仕舞いながら、ベックマンは喉の奥で笑った。

『ここではない遠い場所から来た。帰る方法を探している』

 私と彼を引き合わせる際、シャンクスは実に端的に私の事情を説明した。語った言葉は本当にただその一言だけだったのに、この男は訝しがる顔のひとつも見せず、

『へェ。あんたに客たァ珍しいな』

 と、軽く応じて、あとはいつものように煙草をふかしていた。宙ぶらりんだった私の立ち位置が“客”という名前を得たのはその瞬間で、シャンクスがその表現をいたく気に入ったため、以降船内に周知されることとなった。

 最初の日、シャンクスは私と彼の間にある秘密―― 手紙、宝石箱、私の出身地、その他諸々について『誰にも伝えるつもりはない』と言い、今も頑なにその誓いを守り続けている。だからベックマンを含め、この船のクルーは私についてほとんど何も知らない。

「アイツらはまだガキでな、何でも知りたい年頃なんだ。許してやってくれ」
「とんでもないです。当然の反応だと思います……あの、ベックマンさんは気にならないんですか」

 私のこと。
 そう尋ねてしまってから墓穴を掘ったことに気付いた。これは彼に対してとても失礼な質問だ。

「……すみません」
「お頭が言わねェってことは、知らなくても良いって意味だ」

 気分を害した風もなく、ベックマンは淡々と言った。
 副船長である彼に、船長が何も伝えていない。どれだけ気分の悪いことだろう。人間関係の亀裂はこういう小さな不信感から生じるものだ。うっかり滑った口に後悔が募る。

 当事者たる私がわざわざ蒸し返すようなことを言ってしまうなんて。
 だがベックマンはそんな私の心中をあっさり読みきって釘を刺した。

「あんたが気を回す必要はねェさ」

 小娘に心配されなきゃならねェほど、この船は脆くねェ。
 語られずともはっきりと伝わってくるもうひとつの言葉に、私は黙って己を恥じた。

「まあ、お頭の危惧はもっともだと思うがな。世界には“珍しいもの”を欲しがるクズどもが腐るほどいる。広めたくない秘密は仲間の前であろうと口にしないのが鉄則だ」

 “秘密を知らない者”の側であるはずの彼は、珍しいもの、というところでにやりと笑った。
 まるですべてを理解しているかのような言動に、やっと彼らの関係が読めてきた。シャンクスが彼に何も言わなかったのは、言わなくても自前の頭脳でかぎりなく真実に近いものを探り当てることができると分かっていたからだろう。
 ベックマンという男は、やはりどこまでも“赤髪”の腹心であるらしい。

 会話が途切れたところで、彼は別の話題を切り出した。

「船には慣れたか」
「ええ。皆さん、とても良くしてくださいますから」
「バカだが、気の良い奴らだろう。どいつもこいつも船長似でな」

 いつもどこかニヒルな彼だが、“船長”と口にするこの時だけは心底おかしそうな笑みを浮かべた。

「ガキどもの進捗は?」
「三人ともびっくりするぐらい覚えがいいですよ。ベックマンさんの右腕になる日もそう遠くはないかも」
「ハッハ、そりゃあ楽しみだ。なにせこの有様だからな」

 彼は散乱した書類や地図の間で肩をすくめた。

「こういったことは全部おひとりで?」
「まァな。といっても、航海に関しては航海士に任せているし、まるっきり一人でやってるわけでもねェんだが、肝心の船長が机に座るのを嫌がるもんでな。その皺寄せが俺に来る」

 ベックマンは笑い半分、諦め半分と言った様子で机の上の海図をコツコツ叩いた。
 これだけ大きな船になると、補給ひとつにしても徹底した計画性が必要になってくる。水、食糧、弾薬。どこで何をどれだけ積みこむか、それを考えるのも彼の仕事のひとつだという。

「で、話ってのはなんだ」

 背もたれから身を起こし、ベックマンは灰皿に煙草を押し付けた。最後の煙が、書斎の天井へとゆらゆら登っていく。
 まわりくどい聞き方をするのは、頭の良い彼にはかえって失礼に違いない。そう思った私は単刀直入に問いかけた。

「マリージョアにはどうやったら行けますか」
「そりゃあ、なかなか難しい質問だな」

 突拍子のない質問にも案の定、全く動じないベックマン。彼の唇は躊躇なく続く言葉を吐き出した。

「結論から言うと、あんたがそこへ行く手段はない」
「どうやってもですか?」
「どうやってもだ。命を捨てたとしても、不可能だろうな」

 想像はついていた。だが目の前に突きつけられてみると、やはりこたえるものがあった。

「ですよね……ちょっと頭を冷やしてきます」
「海に落ちるなよ」

 後ろからかけられた声に黙って頷いて、力の入らない手で書斎のドアを閉めた。


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