色とりどりの果物に、思わず声が漏れた。
「これ、全部食べられるんですか!?」
「もちろんだとも!どれも新鮮で美味しいよ。おひとついかが」
見たこともない形の果実が鼻先に差し出された。完全な星形をした水色のそれは、甘く涼やかな匂いを振りまいて興味と食欲を同時に刺激する。
「ではひとつ……じゃなかった。すみません、また今度お願いします」
「そうかい、またおいで」
衝動買いはダメだ。お金は節約しないと。
緩みそうになった財布の紐を慌てて締めなおし、私はその場をあとにした。
30 路地裏の追走劇(Ⅰ)
「……おい……イチル!話聞けよコラァ!」
「うわっ、ごめんウォーカー」
肩を掴まれて振り向いた先には、眉根を寄せたウォーカーがいた。
こういう不機嫌そうな顔をすると、彫りの深さも相まって実年齢よりもたっぷり十歳は年上に見える。貫禄のある壮年に囲まれているせいで仲間内では子供扱いされているが、私の基準からすれば彼は間違いなく老け顔の部類だった。
「目を離したらすぐにいなくなるもんな。ひやひやしちまう」
ようやく追いついてきたフライが、買い物袋を抱えたままため息をついた。ダンピアも疲れたように首を振る。「女の買い物、辛い」
「ごめん。でもさ、あれ見てよ」
人でごった返した広場の中央を指差す。今しがた惹きこまれるように見つめていた輪の中心では、派手な恰好をした大道芸人らしき男たちが度肝を抜くパフォーマンスを繰り広げていた。
ピエロ風の男が高く放り投げたナイフを口で受け止め、そのままの状態で火の玉をジャグリングする。そこに大きなバケツを持った別の男がやってきて、ピエロ男の頭に中身をぶちまけた。どろっとした油の匂い。観客の悲鳴。火柱を上げて燃えはじめた男は、あっという間に黒焦げの塊になった。ところが、バケツ男が駆け寄ってきてその塊を蹴飛ばすと、蛹が羽化するように中から火傷ひとつない男が顔を出し、観客に向けておどけたお辞儀をしてみせた。
「おお、なんと見事なパフォーマンス……!」
「こんなバレバレの手品に感心してんじゃねェよ。さっき人形と入れ替わってたろうが」
「良くあるやり方だな、これは」
熱心に拍手する私を尻目に、ウォーカーとフライは冷めた見解を述べた。
「入れ替わってたって、いつ?」
「燃え上がった瞬間」
いつの間にか隣に来ていたダンピアも含め、見習い三人組は声を合わせた。
「あのなあ、これぐらい見えて当然だろ。イチルは目までポンコツなのか」
「古参に比べたら俺らなんて足元にも及ばねェけど、あんたよりかは何万倍もマシだな」
「イチルはポンコツ」
そこまで言わなくてもいいのに、というぐらいに散々こき下ろされた。
「はいはい、どうせ私の目は節穴ですよ」
「事実だからって拗ねるなよ。で、次は何を買うんだ?」
「靴も買ったし、石鹸も買ったし。えっと、どこまでいったかな」
ポケットに突っ込んであったメモを取り出し、残った買い物を確認する。
「あっ、そうだった」
「なんだ?」
ちょっと待って―― と手元を隠すより早く、ウォーカーが上からメモを覗きこんでくる。が、書き連ねられた漢字とひらがなを見て、彼は眉間の皺をさらに濃くした。
「何で買い物のメモに暗号なんか使ってんだ」
「と、特に理由はないよ!そういう気分だったの!」
怪訝な視線を送ってくる青年の気を逸らすために、私は顔の前で激しく両手を振った。
日本語で書いていて良かった。あぶないあぶない。
「なんでもいいけどよ。さっさと終わらせちまおうぜ。次はどこに行きたいんだ?」
「服屋にね」
ウォーカーの顔色を見ながら、おそるおそる次の言葉を口にする。
「でも、そろそろ皆も疲れてきただろうし、ちょっとの間私ひとりで回ろうかな、なんて」
「ハァ?これぐらいで疲れるかよ。それより勝手に歩き回られる方が―― 」
「俺疲れてきたかも。なあ、ダンピア」
「あ、ああ」
何かを察したらしいフライがウォーカーの口を手で抑えた。
行ってこいよ、イチル。王子様風のハニーフェイスがにっこりと微笑みかけてくる。さすが三人組唯一の優男枠、女の機微はひとつ残らずお見通しらしい。
「フライ、テメエ、何すんだ」
暴れるウォーカーをダンピアが静かに羽交い締めにした。
「そうかそうか、そりゃあ仕方ないね。私一人で行ってくるから、ここで待っててくれる?」
「おう、遅くなったら探しに行くからな」
フライとダンピアに手を振って、ウォーカーには心の中で謝りつつ、私は再び人混みの中に分け入った。
ポーンショップ島を出て、約一ヶ月が経った今日、レッド・フォース号ははじめて島に寄港した。
めぼしいものは何もない、平凡な小島である。だが私にとっては喉から手が出るほど待ちわびた陸地だった。島の名前は、到着前にヤソップが教えてくれたのだが、発音が難しすぎて覚えられなかった。
一ヶ月の航海の間どこにも上陸しなかったのは、『人のいる島がひとつもなかったから』という理由ではもちろんない。面倒な小競り合いを回避するために、軍の監視が厳しい島はダメ、他の海賊の縄張りもダメ、と吟味を重ねていったところ、結局こんなに先まで延びてしまったのらしい。
“四皇”の船にしては慎重過ぎるようにも思えるが、無理を押し通すだけの力があるからこそ、強引な手はなるべく使いたくないのだろう。
そういうわけで、この島においてすらレッド・フォース号は街から離れた海岸沿いの岩陰に姿を隠し、クルーたちも使い走り以外は上陸を許されていなかった。ベックマン曰く、海軍の巡視船がたびたび姿を見せる海域のため、長居は無用とのこと。買い物に行きたい私のためにわざわざ寄ってくれたようなものだった。
タダ飯喰らいに飽きたらず、とうとう船足まで引っ張りはじめたなど、考えただけでも胃が重くなる。本当にすみません。
たくさんの人に迷惑をかけつつ、ようやく念願の買い物に出ることができた私には、荷物持ち兼用心棒として例の三人組が付けられた。まだ大して顔の売れていない彼らなら、堂々と島を歩きまわっても問題が起きないだろうとの判断である。
なおそのことが決まった時、案の定シャンクスは「俺もついて行く」と散々ゴネて(私を心配してというよりも、退屈が限界に達して、というのが実態に即している)、ベックマンにお灸を据えられた。というのはもちろん、縄張りでもない島に“四皇”が現れたなどと知れたら、大変な騒ぎになるのが目に見えていたからである。心臓の弱ったお年寄りなどは、びっくりして寿命を縮めてしまうかもしれない。
海賊船に乗っている私がこうやって平穏な島をのんびり散策できるのは、すべてにおいて抜かりない副船長の手腕があればこそだった。
「ここかな」
考え事をしながら商店街を歩きまわっていた私は、しばらくしてお目当ての店にたどり着いた。人目を避けるようにして店構えをチェックする。見上げた蛍光ピンクの看板には、“LINGERIE”の文字があった。
つまり、わざわざついてきてくれた三人を振りきってでも手に入れたかったのはそういう類の物なのである。
パンツとかパンツとかパンツとか。
旅というものはとにかく持ち物を増やせない。仕方なく少ない下着で日々やりくりしていたところに、先日の横腹大出血事件である。べっとりと染み付いた大量の血液は、私のおパンツ事情にとどめを刺した。
一枚死んで、残りたった二枚!リーチ!もう後がない。一枚でも失えば、究極の選択を迫られることになるのだ。二日に一度はノーパンか、それともずっと履き替えないか。
シャンクスに補給船が来ることを聞いた時、危うく正直に「パンツが欲しいです」と白状してしまいそうになったのも、仕方のないことだと思う。喉元まで出かかった言葉を飲み込ませたのは、わずかに残った乙女の恥じらい……だったらいいな。
少しの逡巡の後、思い切って看板と同じエナメルカラーのドアを押し開けると、店内にはこれでもかというほど派手な下着たちが並んでいた。
店員らしき女性が私に気付いて、まつ毛をバチバチ鳴らした。
「いらっしゃい。あら、見ない顔ねェ」
ボディラインが極めて強調された装いをした彼女は、怪訝そうに私を眺め回した。
「どこの店の子?……って聞こうと思ったけど、あなた夜働きの女じゃないわね」
珍しいわァ、と指先を唇に当てた彼女を見て、ようやく入る店を間違ったことに気付いた。が、今更撤退するのも気が引けるし、そもそも他の店をまわる時間はない。ウォーカーたちが待っているのだ。
私は腹をくくることにした。
「この中で一番地味なやつをください」
「うーん、これなんてどう?」
出されたのは、真っ赤かつスケスケレースな下着だった。三角形の部分がサテン生地のようにテリテリと光っている。
自分が履いている様を想像した瞬間、悪寒が体表を駆け巡った。間違いなく逮捕ものだ。目が潰れる。
「もうちょっとレベルを下げてもらえませんか」
「ええ?結構シックだと思ったのに」
そう言いつつも彼女は、すぐに別の商品を出してきた。
「これなんかも清楚で大人しい感じかしら」
言葉通り、控えめな薄水色の生地だった。
良かった、今度は普通だ。
そう思ったのも束の間、ひらりと目の前に広げられたそれに、私は頭を抱えたくなった。
紐パン―― いや、これはそんな生易しいものではない。パンツのついた紐だ。パン紐。極限まで布を削ぎ落とした結果、もはや履く意味があるのかどうかすら分からない形状と化している。
「ああ、うん、ええと。これは、うん」
「ほんとにわがままねえ。どんなのが欲しいのかちゃんと説明してくれる?」
要領を得ない客にしびれを切らしたのか、彼女は腕を組んで唇を尖らせた。
「紺色とか黒色とかで、かつお尻をきちんと覆ってくれる感じのものだと嬉しいです……」
「あったかしらそんなの」
私のお尻をちらりと見て、ちょっと残念そうな表情をした彼女は艶やかなヒップをプリプリと揺らし、店の奥へ入っていった。
想定内の反応である。しぼんだ風船のような臀部ですみません。
山積みの箱の底を掻き探していた彼女は、しばらくしてようやく代替品を持ってきた。
「これしかなかったわ」
差し出されたものは、概ね要望通りの色と形をしていた。もちろん今履いているものに比べると布の量は少ないけれども、これならなんとかなるだろう。
精算をしてもらおうとカウンターまで行った時、表のドアが開いた。
「おい、レイシィ。来てやったぞ」
「マック。ここには来ちゃダメって言ったでしょ」
入ってきたのは、あちこちに目立つ刺青をした若い男だった。ポケットに突っ込んだ手といい、足を投げ出すような歩き方といい、見るからに柄の悪そうなタイプである。
レイシィと呼ばれた店員は精算前の商品を放り出し、慌てて男の元へ走り寄っていった。
そのまま戸口の方でイチャイチャし始めた二人。どうしていいか分からず、後ろで立ちぼうけをしていると、奥からもう一人店員が出てきた。
「またこれだわ。レイシィ、彼にお熱なの。ろくでもない男だからやめておいたほうが良いって言ってるのに。買ったらさっさと出てった方が良いわよ」
ハイ、上下セットで三千ベリー。
休憩の途中で出てきたらしい彼女は、迅速にお金を数えると商品を紙袋に入れた。
「お帰りは裏口から」
そう言ってカウンターの横の指差す。入ってきた玄関口を見ると、傍迷惑なだけのラブシーンが繰り広げられていたので、大人しく裏口から出ることにした。