目を覚ました私は、後頭部の痛みに呻いた。

「うう……」

 痛む箇所をさすろうとしたが、手が動かない。そこではじめて、自分が両手足を縛られて、床に転がされていることに気付いた。
 木でできた床は湿っぽくカビくさい。ゆっくりと左右に揺れる感覚は、海を行く船独特のものだった。

 しまった、という言葉とともに湧き上がってきたのは、攫われたことに対する動揺、次いで、迂闊な己に対する憤りだった。

「バカだ……」

 この世界に来て、私は一体何を学んできたんだろう。いくら案内がしてくれる人がいたとはいえ、人気のない場所にホイホイ入っていくなんて絶対にやっちゃいけないことだったのに。

 歯噛みしつつ、私は周囲を見回した。
 並んだ樽と散らばった麻袋。低い天井。波の音がすぐ下から聞こえてくる。
 監禁されているのはどうやら船倉のようだった。

 脱出、ということを考えて、私は半ば絶望的な気持ちになった。
 現在監禁されている船倉は完全な密室という訳ではなく、天井に出入りのための四角い倉口が空いている。この船の構造が一般的な帆船のものだと仮定すると、船の最下層である船倉から外に出るためには、天井の倉口から上の階にのぼり、その階のハシゴをさらに上にのぼり、さらに上の階へ……というように、船の中を垂直に突っ切っていかなければならないはず。
 だが、いくら見回しても倉口にのぼるためのハシゴが見当たらなかった。必要な時にだけ上の階からハシゴを降ろして出入りしているのだろう。

 脱出に際しての問題は他にもあった。考えようによっては、こちらの方がよほど深刻かもしれなかった。

 この船の主は誰か、ということだ。
 海軍船にしては捕虜の扱いが雑すぎる。商船はそもそも人を攫ったりしない。となると、残る可能性はひとつだ。

「……海賊」

 普段はその海賊にお世話になっているのだが、いざ敵側に回すとなると、その言葉は恐ろしい響きを帯びて我が身に迫ってきた。
 地べたを這いずりながら、身体を起こそうと苦心していた時、天井の出入り口から顔が覗いた。

「おい、気分はどうだ?」

 若い男が三人、両手足を縛られた私を見下ろし、にやにやとした笑いを浮かべていた。どの顔にも見覚えがある。あの港町で私を攫った男たちだ。

「ここはどこですか」
「知ったってどうしようもねェぜ。ここは海の上だ。なにせ俺たちは海賊だからな!」

 彼らは腰に手をあて、“海賊”という部分をやたらと強調した。
 嫌な予想が当たってしまい、頭を抱えたくなった。やっぱり海賊船なのか。
 勇気を出して、声を張った。

「私に何の用ですか?」

 頭に浮かんでいたのは『日誌』のことだった。
 ―― 君は今後、罪なく追われる身になる。

 久しく忘れていた現実に、ぶるりと背筋が震えた。

「“私”ィ?」

 海賊たちがからかうように笑う。木梯子を降ろして船倉に現れた彼らは、私を取り囲んで言った。

「何の用かって?言ってるだろ、俺たちは海賊なんだ。人くらい攫って当然だろ」
「当然?」
「そうだ、運が悪かったなあ。たまたま俺らの標的になっちまって」

 最年長と思しき青年が得意気に言った。
 “たまたま”ということは、私個人を狙って攫ったわけではなく、足のつかない相手なら誰でも良かったということだ。つまり今回『日誌』は関係ない。
 危機的状況には変わりないが、ひとまず胸を撫で下ろした。

「ま、女一人でウロウロしてたんだ。当然の結果だろ」
「違いないな」

 鼻で笑う海賊たち。その様子に、私は違和感を覚えた。なんだろう、何か変な感じだ。
 違和感の正体が分かりそうな気がした時、海賊の一人が近くの空樽を思い切り蹴飛ばした。けたたましい音とともにタガが外れ、そこら中に木片が散らばる。
 私は思わず悲鳴を上げ、ぎゅっと目をつむった。

「いいか女、逃げようなんて考えるなよ!痛い目に遭いたくなかったらな!」

 海賊が映画の悪役のように喚き散らす。顔を伏せたまま、私は小さく何度も頷いた。
 若い海賊たちは満足気に顔を見合わせると、ハシゴを使って上の階へと戻って行った。
 足音が聞こえなくなってから、ゆっくりと顔を上げた。

「海賊……のわりには、なんかこう、マヌケなんだよなぁ」

 私は壊された樽と立て掛けられたままのハシゴに視線をやった。



chapter6 FEAR IS LIKE FIRE

44 船倉(Ⅰ)



 見回りが天井から顔を出した。

「おーい、女。飯だ」

 色白の海賊が縄梯子を伝って降りてくる。傷のない、海賊にしてはきれいな手が、持っていた小さな盆をぽんと私の前に投げ出した。
 アルミの深皿が二つ、ひとつには小さなパン切れ、もう一つには水が入っている。

「食え」
「縄を外してもらえませんか」

 このままでは食べられないと伝えると、海賊は首を横に振った。

「ダメだ、そのまま食え」
「そのままって……」

 犬のように手を使わずに食べろということだろうか。助けを求めるように見回りの男を見上げたが、待遇を改善してくれる気はないようだった。
 私は水の入った深皿を視線を使って指し示した。

「分かりました。あ、でもひとつだけ。この水のお皿、もう少し浅いものに替えてもらえませんか……?深すぎて上手く口をつけられないかも……」

 相手の機嫌を損ねないように、丁重に提言すると、彼はしぶしぶといった様子で頷いた。

「ちっ、仕方ねェな」
「すみません」

 舌打ちをしつつも、彼は出入り口の方に近づいて行った。

「まったくテリーの奴、ここの木梯子どこに持ってったんだよ。縄梯子は嫌いだってあれほど言っておいただろうが」

 ぶつくさと文句を言った海賊は、足を引っ掛け引っ掛けしながら縄梯子をのぼると、上の層を足音高く走って行った。
 しばらくすると、再びどすどすと天井を歩く音が聞こえて、同じ海賊が戻ってきた。
 ほらよ、とアルミの皿が顔の前に置かれる。前よりもかなり浅い皿に取り替えられていた。

「ありがとうございます」
「それなら、手を使わなくても飲めるだろ。次の島まであと半日だ。そしたらもうちょっとマシな飯を出してやる」

 嘘か本当か分からないことを言って、海賊は立ち去っていった。
 アルミ皿のパン切れをくわえ、私はぐうぐう鳴るお腹を慰めた。

◇◇◇

「錨を下ろせェ!」
「おい、そこの!ロープを引きすぎだ!」

 港に入る際の、聞き慣れた掛け声を耳にして、私はぱちりと目を開いた。
 幾人もの足音が上層をひっきりなしに走り回っている。戦闘時を除き、船内が最も忙しくなるのは入港・出港の時だ。船に乗って間もない頃、シャンクスが教えてくれたことだった。

 ドタバタという音とともに、天井から先日の海賊が顔を覗かせた。

「おい」
「生きてます」

 返事をすると満足したのか、見回りはそれっきり何も言わずに去って行った。
 騒がしい音はしばらく続いて聞こえてきたが、ひとり、ふたりと足音が減っていき、じきに誰の声もしなくなった。

 横たえていた身体を静かに起こした。
 念のためもう一度聞き耳を立て、人の気配がなくなったことを確認する。

「計画通り」

 私は思わずにやりとした。
 そして、ぎゅうぎゅうに縛られていた―― いや、縛られているように見せかけていた荒縄から、するりと難なく両手足を抜いた。続いて樽の残骸の後ろからハシゴを引っ張りだし、天井の穴に立て掛ける。
 海賊たちが片付け忘れていった備品たちは、そのまま私の脱走道具となっていた。

「さて、逃げよう」

 完璧な脱出計画に満足した私は、意気揚々と縄梯子に手をかけた。

◇◇◇

 時を半日ほど巻き戻す。

 三人の海賊が樽を蹴倒し、ハシゴを放り出して去った後、私はさっそく脱出の準備に取り掛かった。
 身体を起こし、お目当てのものに後ろ手を押し付ける。背中で縛られた手首を上下に動かすと、ギコギコ、と荒縄の削れる音がした。
 身体を動かし、削る向きを変える。

 やすりの代わりを果たしたのは、例の樽のタガだった。海賊たちが派手に樽を壊した時、私のすぐ近くまで転がってきていたのだ。
 金属製のタガは潮気で錆びつき、触れれば切れるほどにざらついていた。

 わざわざこんなものを用意してくれるなんて、私並にマヌケな海賊さんたちである。

 見つからないように手早く、だが怪我をしないように慎重に、縄を切っていく。
 怪我をするのは絶対にいけない。この世界にいると、身体が傷つくこと対してひどく慎重になる。

 日本では消毒薬や清潔なガーゼが簡単に手に入り、少しでも悪化すれば専門医が診てくれた。緊急の場合は救急車だって使える。そもそも傷口から侵入する危険な細菌自体が少ないのだ。わずかな例外でさえもワクチンで対策されており、重症を負わないかぎりは外傷で人が死ぬことはそうそうない。

 だが、この世界ではそうはいかない。ガーゼも消毒薬も病院もワクチンも、力ある者にしか与えられない。
 権力、財力、暴力。小さな傷から破傷風になり、もしくはもっと恐ろしい病気にかかり、死んでいく者がたくさんいる、らしい。ウィックがそう言っていた。幼いシャンクスがかつて手紙の中で語ったのも同じような内容だった。
 この世界に関する私の知識は、ひとつ残らず誰かの受け売りに過ぎないが、受け売りだろうが何だろうが、無知な者が自分の身を守るためには先人の言葉に頼るより他にない。

 ロープの締め付けが弱くなった頃合を見て、両手に力を込めた。ささくれだった荒縄が手首を苛む。異世界女VS船のロープ。
 「ふん!」という気合とともに、最後の繊維が千切れ、戒めは解かれた。この勝負、敗れ去ったのはロープの方だった。

「よし」

 自由になった腕で一応ガッツポーズをする。
 そこから先は早かった。樽のタガで同じように足首のロープを切る。そのうち二本だけをカムフラージュ用として残し、要らないものは麻袋とロープで作った簡単な手提げ袋に放り込んだ。
 立ち上がって縄梯子を外し、見えないように樽の後ろに隠す。これはさきほど海賊たちが降ろしたままにしていった物だ。

 準備が整ったところで、いつでも解けるような塩梅に、もう一度足首と手首を縛った。
 これなら見回りがやってきても大丈夫。脱走の試みが露呈した場合、大抵は警備が強化され、もう二度と脱出のチャンスはやってこない。

 それから、大人しく捕らえられている振りをしつつ、逃げる機会をひたすら待ちつづけたというわけだ。

◇◇◇

 現在に戻る。

「ということで、イチルさんは逃走します」

 私の前に脱出道具をおいていくとはこれいかに。青キジの軍艦から抜けだした手腕、舐めてもらっちゃ困る。

 ハシゴに手をかけてから、思い直して、置きっぱなしになっていたアルミの皿のうち、ひとつだけを麻袋に入れた。
 三つもあるのだ、一つくらいいただいてもバレないだろう。

 そして、今度こそハシゴをのぼり、船倉の出入り口からそろそろと顔を出した。予想通り海賊たちは影も形も見えなかった。

 肝心の私が放っていかれたところを見ると、おそらくこの島は目的地ではないのだろう。
 となると島に寄った理由はひとつ。補給を行うためだ。時と場合によるが、短時間しか寄港できない時はわずかな見張りを残した上、総出で補給に当たるのだ。

 敵の不在を確認した私は、さらに上層へと続くハシゴを探した。すぐ側にひとつあり、離れたところにもうひとつある。現在地から見えるハシゴはその二箇所だけだった。

 最短距離で甲板に出られるハシゴはどっちだ。
 選択を間違えば船番と鉢合わせ、船倉へと後戻りさせられる一か八かのアミダクジ。
 だが、私は迷わなかった。

「こっち」

 近い方のハシゴを選んで登っていく。
 おそるおそる顔を出した先は薄汚れた物置のようなところだった。近くに船番の気配はない。

 ビンゴ、思っていたとおりだ。

 捕まっている間、頭の中に思い描いていた船内地図はやはり間違っていなかった。

 当然のことながら、船内を把握したタネはそう複雑ではない。
 海賊が食事を持ってきた時、わざと水の皿の交換を頼んだのだが、その時彼は船倉のひとつ上の階を歩いて移動し、しばらくして再び同じ経路で戻ってきた。どすどすという盛大な足音を立てて歩いて行ったので、どのあたりを通っていったかは手に取るように分かった。
 飲み水がある場所は厨房か食堂、もしくは休憩室をはじめ人の集まる場所と相場が決まっている。彼が水を取りに行ったのは遠いハシゴの方向だったから、人に遭いたくない私がのぼるべき場所としては近い方のハシゴ、こちらが正解なのである。

 私はよいしょっと身体を引っ張り上げた。
 船内は薄暗く、狭く、じめじめとしている。人に出会わないように進んでいるとはいえ、本当に誰の気配もない。

 レッド・フォース号の船番制度は厳密なもので、船にクルーがいる時でも甲板・出入口・見張り台の最低三箇所に人を置く。サボったりすれば、副船長による恐怖のお仕置きが待っている。
 だが、この船はどうだろう。船番という役目を与えられながらも、休憩室かどこかに引っ込んで、昼寝でもしているんじゃあるまいか。

 物置の前を抜きあし差しあしで歩いていった私は、とうとう甲板に繋がるハシゴを見つけた。天井から四角く光が差し込んできている。

 耳を澄ませたが何も聞こえなかったので、勇気を出してのぼってみることにした。これまでの経験から言って、慎重は銀、思い切りは金。迷っているうちに、上陸した海賊たちが戻ってくるかもしれない。

 私はハシゴをのぼり、甲板に顔を出した。

 甲板、見張り台、出入口。どこにも人の姿はなかった。勝った、と青い空に向かって躍り上がりそうになった。
 身を乗り出して今度は船の外を確認する。停泊しているのは無人の港だった。桟橋の間からはボウボウと雑草が生え、壊れたボートやオールがあちこちに放り出されている。

 もしかして、無人島?

 嫌な想像が脳裏をよぎったが、頭を振って打ち消した。
 海賊は海軍との接触を避けるため、あえて人のいない場所に錨を下ろす。こうやって人目を憚っていること自体、この島が無人島でないことの最大の証拠だろう。

 ありがたいことに太陽はまさに天頂、私が逃げるのにこれ以上適した時間帯はなかった。夜目が利かない上、土地勘を持たない人間にとって、夜の脱出はデメリットの方が大きい。

 ところが、いよいよ渡り板に足を踏み出そうとした時になって、私はとんでもない違和感に気付いた。

「ない」

 腹巻きにしていたビニール袋の感触がなかった。
 ウソ、と身体中を探る。全身から冷や汗が吹き出してきた。

 ない。
 『日誌』がない。

 肌身離さずを体現するように、私は常に『日誌』を持ち歩いている。今回外出する際もきっちり腹に巻きつけておいた。買い物中は確かにあったのだ。
 気絶している間に、他の荷物とともに没収されたのかもしれない。

「わああん!」

 私は渡り板から離れ、半分くらい泣きながら船内へと駆け戻った。


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