45 船倉(Ⅱ)
「どこ!?」
人がいないのをいいことに、それらしい船室を片っ端から探しまわった。手垢のついたドアノブを捻り、カビ臭い部屋に頭を突っ込む。その繰り返しだ。
覗いた部屋にたまたま居残りの海賊がいたらおしまいだった。
だがその程度のこと、今となっては大したリスクには感じられない。最も恐ろしいのは『日誌』を失うことだった。海賊に追い掛け回されることよりも、もしかすると、命の危険にさらされることよりもずっと。
アレがなければ、私は家に帰れない。
半ばパニックを起こして、次から次へとドアを開けた。海賊たちの居住空間と思しき階層だったが、意外なことにそのほとんどは空き部屋だった。
見つからない。
泣きべそをかきながら、最奥の船室にのぞきこんだ。
物置きのような、狭い部屋だった。汚れきった丸窓からは、ぼんやりと濁った光が差し込んでいる。絨毯のように分厚く埃が落ち重なった床は、ここが使われなくなって久しい場所であることを示していた。
こうなったら目につく物を手当たり次第に確認してやろうと、足元に転がっていた箱の蓋を開けた。
ところが、中をのぞきこんだ私は人目を忍ぶ身であることも忘れて、短い叫び声を上げた。
箱に入っていたのは、まさしくお目当てのものだったのである。黒っぽい擦り切れた表紙。ボロボロの紙。
『日誌』だ。
そう確信した次の瞬間には、黒表紙を引っ掴んで元来た道を走りだしていた。走りながら手持ちの麻袋の中に放り込む。
広い船の中、こうも上手く見つけ出せるなんて。“その他大勢”を地で行く私も、たまにはこうしてチャンスの女神様にウインクを飛ばしてもらえたりする。
「急がないと」
海賊たちが出て行ってもう随分経つ。早ければそろそろ戻ってくる頃だ。
足音を立てないように廊下を走りぬけ、最後のハシゴにたどり着いた。だが、甲板に顔を出そうとして―― 即座に引っ込めた。人影が頭上を掠めたからである。
「あー、船番めんどくさい。やる意味あるのか、これ?」
「帰ってくる時にサボってると、チェスターの奴がまたガミガミうるさいぞ」
二人の海賊は私の隠れている出入り口のすぐ横を通って、それぞれ前部と後部の見張り台へと歩いて行った。
光から逃げるヤモリのごとくハシゴの裏にはりついていた私は、ひそかに冷や汗を拭った。
危なかった。
あと一瞬でも早かったら、あの場で吊るしあげられていた。やはり今日はツイている。
「落ち着け」
頭を引っ込めたまま、甲板を見やった。
見張り台と言っても、見張っているのは人間だ。三百六十度、必ずどこかに死角はある。上陸した海賊たちが帰ってこないかぎりはまだ間に合う。
肩にかけていた麻袋がズレてきたので、よいしょと背負い直した。背中に当たった固い感触で、私はふと袋の中身のことを思い出した。
そうか、あれを使えば。
再びゆっくりと頭を出しかけた時、見張りの一人が叫んだ。
「補給の連中、帰ってきたぞ!」
寂れた港にざわざわと人の声が戻ってきた。
―― やばいぞイチル。ええい、もうやってしまえ!
荒い足音が桟橋を踏んだ瞬間、私は身を乗り出し、手に持っていたものをフルパワーで放り投げた。
放たれた銀色はフリスビーのようにかっ飛び、謀ったようにメインマストにぶつかった。甲板に落ちたそれは、甲高く、空虚な金属音を響かせた。
カラン、カラン。
「何だ!?」
見張りの海賊たちの意識がそちらに引きつけられた隙に、私は甲板を横切り反対側へ駆け抜けた。上陸組の足音がすぐそこまで近づいている。
見張りが視線を戻したのと、上陸組が甲板に顔を出したのと、私が船の裏側の縄梯子にしがみついたのはほぼ同時だった。
見張り台の海賊が、船に戻ってきた男に話しかけた。
「おいおい、チェスター。妙なものを投げるなよ。びっくりしただろ」
「何だって?わけの分からないことを言うな」
チェスターというらしい上陸組の男は、不機嫌に言い返した。見張りの海賊が怪訝そうな声を出す。
「だって、今さっき―― 」
「テリー、さてはお前またサボって夢でも見てたな!船番中くらい目かっ開いてろ!」
チェスターが怒鳴ると、見張りのテリーは負けじと言い返した。
「船はこの通り無事なんだ、いちいちケチをつけるなよ!だいたい、なんで俺たちばっかり留守番なんだ」
「そうだそうだ、テリーの言う通り!見張りなんてもう飽々だ。たまには替われよ!」
盛大に仲間割れをはじめた彼らを尻目に、私は「しめしめ」と縄梯子を降り、反対の方から逃げ出した。ボートや雑草の陰に隠れ、忍者のようにひっそりと船から離れていく。
船倉から失敬したものがこんな形で役に立つとは。もらえるものは遠慮せずもらっておくものだ。
カラン、カラン。海賊たちの気を引いてくれた銀色のブツに感謝を捧げつつ、私は寂れた港を後にした。
グッジョブ、アルミのお皿。
「あ、あったー!」
どれくらい走ったか、息も絶え絶えに走りついた丘からは朝もやに包まれた人里が一望できた。
山の麓に青々と広がる牧草地、十かそこらの少年が犬を連れ、羊の群れを先導していた。レンガ屋根の家々。鐘のある小さな教会。集落の中央を走るのはメインストリートというにはいささか狭隘な農道である。
山裾から流れ出る清流は、段々とした地形に合わせてカーテンのように水を迸らせ、美しい水系を形作っていた。小川のせせらぎ、積み荷をゴトゴトいわせる荷車、メエメエという平和な鳴き声、村から流れ出る全ての音が朝のひとときに穏やかな色を添えている。
良かった、普通の島だ。
せり上がってきた安堵感に、膝から崩れ落ちた。私の身体をさわりと受け止めてくれたのは、羊が好んで食みそうな緑の下草だった。足元を濡らす冷たい朝露の感触に、やっとひと心地ついた。
ふう、と体中の息を吐ききった後、ガタピシいう身体に鞭打って、私は再び立ち上がった。
獲物の不在に気付いた海賊たちがいまにも追いついてくるかもしれない。ゆっくり休むのは確実に逃げ切ってからだ。
小高い丘から見渡して、とりあえずの目的地を決めた。小川を渡った先、村の外れにある小さな教会、あそこがいいだろう。いかにも“隣人を愛せよ”という面構えだし、もしそうでなかったとしても周囲の生け垣は身を隠すのにもってこいだ。
足を踏み出そうとして、大きくよろけた。
少し休んだくらいでは長距離疾走の疲れは抜け切らない。木でも何でも掴まるところがあればいいのに、と私はさらりとした草原を見渡した。
その時、遠くから人の呼び声がした。
「おーい、そこの。避けろォ」
「え?」
振り向いたと同時に、何か固いものが肩口にぶつかった。
ただでさえ生まれたての子鹿のように膝がガクガク覚束なかった私は、安々とバランスを崩し、再びひっくり返った。慌てた足音が駆け寄ってくる。
「げ、やっちまった」
腰を打った衝撃で声が出ない。背中を丸めて唸っていると、声の主はさらに動揺しはじめた。
「ま、まさか死んでないよな?」
「まったく何やってんだ。余計な仕事ばっかり増やしやがって」
青年の声を追いかけるようにして、低い男声が近づいてくる。
「まさか死ぬなんて思わなかったんだよ。どうすりゃいい、マル―― じゃなかったマリオ」
「どう見ても死んでねェだろうが。ちょっと落ち着け」
丘を登ってきたのは、フードを被った二人組だった。両方ともかなりの長身で、おまけにごついサングラスをかけている。年上と思われる方が、しゃがんで手を差し伸べてきた。
「うちの若造が粗相したな。怪我はねェかよい、嬢ちゃん」