chapter6 FEAR IS LIKE FIRE

47 パストラル・プリズン(Ⅱ)



 雑貨屋の看板を探し、私は村中を歩き回っていた。
 雑貨屋に目がないのは日本人の性、と言いたいところだが、今回にかぎってはもっと切実な動機があった。
 私が欲してやまないもの、それは地図である。

 三ヶ月に一度しか行き来できない島が観光地であるはずもなく、外部の人間に対するサービスは皆無である。案内所や看板・地図はどこにも見当たらない。
 島に留まるにしても、何らかの方法で脱出するにしても、このルイスハリス島の場所と周囲の島名くらいは早急に把握しておきたかった。

 三十分ほど探しまわったが、結局見つけられないまま、今度は通りを挟んだ反対側の区画に入った。
 さっきと同じような景色が続いている。レンガの家々、藁や羊毛を満載した荷馬車。

 店というものは本来都会に発生するものだ。このような田舎の村では、住民個人同士の物々交換が一般的である。が、今回は村と言ってもそれなりの人口と規模を備えた集落であるため、店のようなものも散見される。

 パンかごを抱えて走り去るおさげ髪の少女を見て、こんな状況にも関わらず、私はほうと感嘆の息をついた。
 住人は一人残らず金髪碧眼、アンデルセンの童話世界に飛び込んだら、きっとこんな感じなんだろう。

「みんなお人形さんみたい、ってそういえば前の島もこんな感じだったような」

 港街で出会った彼の、あの高貴なプラチナ・ブロンドを思い出した。

 “偉大なる航路”おいては、隣り合う島であっても四季や文化が大きく違う。だが全ての島がそうなっているわけではなくて、アンタナ・リボナが乾燥帯系の諸島に属していたように、同じ気候帯に位置する群島地域もあるのではないだろうか。気候や風土が近ければ、身体的特徴や文化も自然と似通ってくる。

 それほど遠くに連れて来られたわけではないのかも、と考えたところで、お目当の店が視界に入った。

「あ、雑貨屋あった」

 道から少し奥まったところに、こぢんまりとした小屋がある。
 民家の一部を改築して作られたらしい雑貨屋―― 手彫りの看板には“ジャックの何でも屋”と書いてある―― は見るからに商売ッ気のない店構えだった。

 木製のドアの前に立つと、内側から女性の談笑が聞こえてきた。なんとなく入りにくい雰囲気である。
 そごめんください、と一言断ってドアノブをひねると、笑い声がぴたりと止んだ。恰幅の良い中年女性が二人、店の奥からこちらを訝しげに見つめている。それぞれ店番と常連客、といった感じの彼女たちはカウンターを挟み、井戸端会議の真っ最中だったようだ。

「あのう、地図はありますか……?」

 居心地の悪さについモジモジしてしまう。すると、二人は顔を見合わせ、安心したように肩の力を抜いた。

「ああ、なんだ。誰かと思ったら旅人さんかねぇ」
「おやまあ、こりゃまたずいぶんと若い娘っ子だぁよ」

 ルイスハリスの主婦たちは、今度は私を肴にして、ぺちゃくちゃとおしゃべりを再開した。

「物好きもいたもんだねぇ。こんな島、羊と山以外何にもありゃあしないのに」
「羊と山と、鈍臭トロくさい旦那とね」

 豪快に笑う女たちに、私もあははと空気を合わせた。閉鎖的な島にも関わらず、思ったよりフレンドリーな気質である。

「あのうそれで――
「どこから来たんだね?ルテティアのあたりかい?それとももしかしてメディオラヌム?」

 このあたりでは一般的な地名なのだろうか。聞き覚えのない単語に困惑した私は、小さな声で答えた。

「“東の海イースト・ブルー”です」
「“東の海”? どこかで聞いたような」

 ボロニヤソーセージ風の腕を組み、客の女が唸る。それを聞いた店番の女が呆れ声で叫んだ。

「お馬鹿。“東の海”って言やあ、外海のそのまた向こうの海だよ! メディオラヌムなんかよりずっと遠いところさ。そうだろ、お嬢ちゃん?」
「はい。その通りです」

 本当は“東の海”なんかよりもずっと遠いところなんですけど。
 真実は腹の底にしまい、誤魔化すように笑っておくと、客は幽霊でも見たかのように目を白黒させた。

「なんとまぁ!」
「“東の海”“西の海”、亭主の話に出てくるもんでね。商品の場所は覚えらんねぇくせに、どうでもいいことばっかり覚えてくる。どうせ一生行くこともないだろうに」

 客の女よりもほんの少し物知りらしい店番の女は、遠く離れたそれらの土地の名に小指の先ほどの関心も寄せずに言った。

 単に言葉を知っているというだけで、彼女にとって“東の海”はルイスハリスの山々を覆うアカマツの、その葉の枚数がどれくらいか、ということよりも縁遠く、想像しがたいものなのだろう。
 彼女たちの世界は完結している。中心はこの島で、外海は“ルテティア”、“メディオヌラム”を越えることはない。

 客の女が私の顔をしみじみと眺めながら言った。

「道理で“そういう感じ”なんだねぇ。旅人に娘っ子がいるとは思わなかったもんだからさ。あたしゃてっきりエマが……」
「シッ。それ以上お言いでないよ」

 店番と思しき女が早口でたしなめた。もうひとりの女ははっとしたように口を押さえ、視線を泳がせた。
 彼女を一瞥した後、店番の女はカウンターの向こうからぐいっと身を乗り出した。

「で、何が欲しいんだっけ、旅人のお嬢ちゃん」
「この島の地図を。周辺の海図があればもっと嬉しいんですけど」
「地図ぅ? ああ、はいはい」

 彼女は木イスから大きなおしりを持ち上げた。

「よっこらしょっと。地図ねぇ。どこかで見たような気もすんだけどねぇ、どこだったっけ」

 この辺だったかねぇ。いや、あっちだったかな。
 女はこちらに背中を向けて、埃だらけの棚をのぞきこんだ。

「あのボンクラ亭主、まったくどこへ仕舞いこんじまったんだよ。珍しく働いたと思ったら、ろくなことをしないね。箱に入れるときは目印をつけとけっていつも言ってるのに」

 散々ブツブツとこぼした後、彼女は「あった」と背伸びをした。棚の最上段から古臭い巻紙を取り出した拍子に、隣の本が倒れてくる。バタン、という音とともにひどい埃が舞った。

「ゲホッ、うちで扱ってるもんはこんだけだ。ゴホッ、まあ他の店と言ってもあとはアーサーの古道具屋くらいさね。エホッ、あそこは役に立たねぇガラクタばっかりだがよう。なにせ店主が外海かぶれなもんで」

 カウンターに出された海図は非常にボロ臭く、触っただけで崩れていきそうな風合いだった。紙面にはうっすらと島と海が描かれているが、良く見なければ島なのかシミなのか虫食いなのか分からない。

 私は目を凝らし、ポツポツと散った島々の中に“ルイスハリス”の文字を探した。

「ルイスハリス、ルイスハリス……」

 だが、お目当ての文字は見当たらなかった。消えてしまったのか、元から書かれていないのか、島名自体が見当たらない。
 小ミミズのような字で、ごちゃごちゃと数字が書かれているだけである。見たこともない四桁の数字だ。

 島名が書かれていないことについて尋ねようとして、私は結局口をつぐんだ。
 以前、アンタナ・リボナで例の箱の偽物にケチをつけたがために(実際ところケチをつけたわけではなかったのだが)、女店主の不興を買ったことがある。そのせいで大切な手がかりを逃したことは記憶に新しい。
 商品を貶すのは値切交渉の常套手段だが、どうしても手に入れたい一品物の場合においてはやめておくのが無難だ。

 どうしても手に入れたい、というところで私はほぞを噛んだ。
 手に入れたい。でもお金がない。

 このままひったくって逃げ出したい気持ちに駆られたが、何と言っても孤立無援の小さな島、後々首が締まるのは私自身である。死んだおばあちゃんだって唯一の愛孫が泥棒になってしまったら、天国のご近所様に顔向けできないだろう。
 ということで、かねての計画通り、海図をじっと睨みつけ暗記に徹することにした。

 右上には三角形を描くように小島が三つ、その下に少し大きめな島が二つ。書かれた番号は5127、5126。その左に――

「アンタ、ちょっと」

 店主に呼ばれて、私はびくりと顔を上げた。

「すみません、あのもう少しだけ見せていただきたいんですけど……」
「いや、そうじゃなくって。お嬢ちゃん、娘っ子のくせに外海が好きなのかい?」
「はい。とても」

 今は特に、という言葉は飲み込んだ。だが嘘は言っていない。昔から私は海が好きだ。

「珍しいねぇ、年頃の娘が海に興味を持つなんてさあ。やっぱり旅人だぁね」

 二人の主婦は驚いたような呆れたような様子で肩を竦めた。さっぱり理解できない、という顔である。しばらくして店番の方が口を開いた。

「なんだったらそれ、持って行ってもいいけどね」
「本当ですか!?」
「うちのロクデナシが、外海かぶれのアーサーに唆されて仕入れてきたもんさね。あんときゃあ、『この島の誰が外海なんぞ知りたがんだ!』ってえらい喧嘩になったもんだがよ、案の定何年経っても売れやしない。棚も片付かないことだし、欲しかったらアンタにあげるよ」

 アンタにあげるよ、という言葉が耳の中でエコーした。井戸端会議のおばちゃんが、さながら後光差す大仏様に見えた。だが、中世ヨーロッパ風の村と大仏様とではさすがに世界観が違いすぎるので、代わりにこう拝むことにした。

「ありがとうございます、聖母マリア様……」

 意味は通じなかったようだが、褒められていることは感じ取ったらしい。巨体の聖マリアは「いやあねえ」と腹を揺らして大笑いした。

◇◇◇

 ほくほく顔で店を後にした私は、そのまま村の中心部へ向かった。
 集会場代わりの広場は村人たちの憩いの場所でもあるらしく、どこからともなく人が集まり、賑やかな社交の場となっていた。
 リューン、リューンという楽器の音をBGMに、羊番を終えた少年が元気よく犬たちと駆け回っている。軽食が食べられるような屋台もあった。

 広場に入ると、好奇の視線をちらほらと肌に感じた。
 しかしそれ以上のことは特に起こらなかったため、ほっと胸を撫で下ろした。閉鎖的な場所だと決めてかかっていたが、この島の住民は思ったよりも外の人間に理解があるのかもしれない。
 人数が多くガヤガヤしていることもあり、私という異物はすんなりと人混みに溶け込めた。

 無視されるのも辛いが、興味を持たれすぎるのも困る。迂闊な私のことだ、質問攻めにされたら、うっかり海賊船だの誘拐だのというセンセーショナルな単語を口にしてしまいかねない。

「地図、どこかに座って読みたいな」

 周囲を見渡すと、広場の端に泉があった。
 人の背丈ほどの高さから水が迸り落ちているそこは、小岩があちこちに転がり、腰を落ち着けるのにはよほど良さそうな場所だった。

 そちらに向かって広場を横切りながら、少年と犬との追いかけっこを眺めた。少年の周りをぐるぐる回る白黒の牧羊犬は、いかにも利口そうな顔つきである。羊を追って一仕事を終えた後は、やんちゃ盛りの主人の遊びに付き合ってやるのが日課らしい。

「どっかの誰かさん達みたい」

 年甲斐もなく部下を振り回す赤毛のおじさんと、全部分かった上で振り回されてやっている腹心たち。
 まだ居座って数ヶ月しか経たないあの船が、故郷のように懐かしかった。

 ぼんやりと思いを馳せていた時、どん、と何かにぶつかった。正確には、“何か”ではなく“誰か”だったのだが。
 肌色の壁に鼻先をぶつけたと思った時には、私は衝突の衝撃でスーパーボールのように弾き飛ばされていた。宙を舞った後、無様な体勢で地面に転がる。

「いった……す、すみません!」

 飛び起きて謝った眼前には、巌のような体躯があった。軽四が重戦車に喧嘩を売ってしまったような状況である。バキバキに割れた腹筋を見て、私の心臓は豆粒サイズに縮み上がった。

「ほんっとすみませんでした!これからはちゃんと前を見て歩きます!」
「ん?アンタさっきの」

 聞き覚えのある若い声が背中を丸め、顔を覗き込んできた。
 声の出処を見上げた時、もう一人が駆け寄ってきた。

「どうかしたか?」

 潮焼けした渋声。デジャヴュである。
 視線の先にいたのは、今朝会ったフードとサングラスの二人組だった。黒髪の青年は、近づいてきた長身の男に首を振って見せた。

「なんでもねェ。ちょっとぶつかっちまっただけだ」
「またかよい。酔ってるわけじゃあるめェし」
「うるせェな。今回は本当に俺のせいじゃねェからな」
「誰のせいでも構わねェが、目立つような真似だけは絶対にするなよい。ここはカイドウの――

 背の高い二人は、私のはるか頭上でモソモソと話をはじめた。
 やり取りを聞きながら、私は彼らの足元に屈み込み、散らばった荷物をかき集めた。転んだ拍子に麻袋の中身をぶちまけてしまったのだ。一般的にはガラクタに分類される物ばかりだが、身ぐるみを剥がされた今の私にはかけがえのない財産なのである。

 船から盗ってきたロープ、予備の麻袋。それから『日誌』。
 命の次に大切なそれは、一メートルほど先の地面で、空に仰いでばさりと大の字に寝転がっていた。そよ風に吹かれてページがひらひら捲られている。

 いけない、中身が見えてしまう。
 四つん這いのまま片手を伸ばした時だった。

「こりゃァ」

 傷だらけのごつい指が『日誌』をつまみあげた。宝物がクレーンゲームのように持ち上げられていくのを、私はぽかんと見ていることしかできなかった。

 ページをのぞきこんだ途端、男はそれまでの気怠げな雰囲気をかき消し、真剣な面持ちになった。何かを察した青年が、横から『日誌』を覗きこむ。そしてひゅっと息を飲んだ。

「おい、これってまさか」

 その声で私は我に返った。

「拾ってくださってありがとうございます。すみませんが返してくださ――
「嬢ちゃん、ひとつ教えてくれよい」

 『日誌』から視線を外した男は、サングラスを取って私を見下ろした。

 色素の薄い猛禽の瞳だった。
 目が合った瞬間、鉤爪で胃の腑を掴み出される。そんな気さえした。

 狭い部屋の中、天井がじわじわ落ちてくるような絶望的なプレッシャー。背筋が冷え込み、手足が寒くなる。だが心臓だけは目に見えない炎で火だるまになり、今にも爆発しそうだった。

 なァ、嬢ちゃん。
 男が一歩近づいてきた。まぶたの焼け焦げるようなピリついた感覚が、“逃げろ”と警告していた。

「こいつ、どこで手に入れた?」


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