chapter6 FEAR IS LIKE FIRE

54 The Merchant of NALVA(Ⅱ)



「煙草屋さん? どうしてここに」
「姉さんあんた、会うとそればっかりだねえ。前に言ったこと、お忘れですかい」
「『ひとつところに留まっていちゃ、商売はできない』」
「その通り」

 鋭い印象のある目元を崩して、煙草屋は喉の奥で笑った。金やら銀やらのピアスが耳周りでじゃらじゃら揺れる。
 三十に届くか届かないかという年頃の精悍な造作の男は、前に会った時と何ら変わらない姿をしていた。
 黒い短髪と、地黒ではないが日に焼けた肌。そして相変わらず最も目を引くのは、砂漠の旅人が纏っているような、荒っぽい材質の長衣だった。

 ひとたびフードをかぶり身を覆えば、目立つはずの長身はあっさりと周囲の景色に溶け込んでしまう。確かにそこにいるはずなのに誰もそれに気づかなくなる。ぺらぺらと良く動く舌とは裏腹に、男の気配は常に無機質で希薄だった。

「さて、“時は金なり”。さっそく店開きさせていただきましょうかね。本日は何をお求めで?」
「ああ、ええっと」
「ちなみに本日のおすすめはこの薬入れ。何でもあの“カタロネアの十六王”が遺した千の財宝のひとつで、海に落とそうが火口に落とそうが、絶対に壊れないそうです。実際に落としたことのある奴がいるのかはまあ、聞かねえでおくんなせえ」

 お茶目な商売文句を飛ばし、あっけらかんと笑った後、煙草屋はあれやこれやと説明を始めた。どんなに価値のないガラクタだって、彼の舌にかかれば古の財宝やら魔法の秘薬やらに変わってしまう。
 不思議な魅力で人を虜にするのはシャンクスも同じだが、シャンクスの持つ力が天性のものであるとするなら、この煙草屋のそれは技量、それも緻密に計算し尽くされたものであるように思えた。

 肝心の商品よりも彼自身の手練手管に感心しきりの私を見て、どう思ったのか、煙草屋は思案するように首を捻った。

「ふうん、お気に召しませんでしたか。いい品だと思うんだけどねえ。それじゃあ、次は方向性を変えて――
「あの、ポーンショップ島ではありがとうございました。助けてもらったのに、結局お礼を言えてなくて」

 華麗なトークに惹き込まれてしまう前に、私は強引に話題を攫った。「おや」という感じで眉を上げた煙草屋だったが、すぐに空気を読んで、愛好を崩した。

「いえいえ、とんでもございませんや。お得意様には徹底的にサービスするのがモットーでしてね。お喜びいただけて恐悦至極」
「それで、今日だって本当は色々お買い物したいんですけど、なんというか、あまりそういう気分になれなくて。ほら、お財布もこんなんですし」

 スカスカの財布を振って、遠回しに断りの意を告げた。ところが、返ってきたのは耳を疑う一言だった。

「おやまあ、今度は置いてけぼりですか」

 ピアスの並ぶ耳介のあたりにぼんやりと焦点を置いていた私は、思わずまじまじとその顔を覗き込んでしまった。

「不思議そうなお顔をなすって。なんのことはありゃあしません、私共は目鼻が利きますのでね」

 煙草屋はすました様子で己の鼻先を指さした。常日頃の、人を食ったような態度をすっかり掻き消して、彼は洗練された言葉遣いでこう囁いた。

「すっかり話して御覧なさい。私が売るのは物だけじゃあございません」

 差し障りのない形で事情を話すと、煙草屋は顎に手をあて、ふうむと唸った。

「姉さんは探し物がしたい。でも、ご友人たちは役立たずの……失敬、“か弱い”姉さんを危険な場所に連れて行きたくない」
「まあ、おおまかにはそんな感じです」

 『役立たず』―― 返す言葉もない。
 心中の嘆きが聞こえたはずもないのだが、煙草屋は興味深げにこちらを見やった。そして壁から身体を起こし、「昔聞いた話なんですがね」と切り出した。

「何かを手に入れたいと願う時、人間は何種類かに分かれるんです。まずは“職人”。『自分で作って手に入れる』人間。まあ、こいつはそこそこ珍しい。才能のないやつにはひっくり返ったって無理だものな。そう生まれつかないかぎりこの類の人間にはなれませんや。そしてその次は、“客”。ほとんどの人間はこれでしょうね。つまり『財産を費やして手に入れる』、ってことです。一番無難で、平凡な選択肢。まあ、だいたいのものは手に入ります。値札のついたものならね。それから―― “盗人”。ああ、あの男が処刑されてから、この手の輩の増えたこと増えたこと。この連中の説明は必要ありませんね。『対価を支払わずに手に入れる』。さあて、何が言いたいかわかりますか?」

 目を覗きこまれてどきりとする。

「貴女のやろうとしていることは、いわば無賃乗船だ。自分の身は切らず、ただ乗せてもらうだけ。まあ、今までは相手の好意で助けてもらってきたようですから、“盗人”というよりかは“物乞い”ですかね」

 自尊心をズタズタにするような言葉を投げかけられたにもかかわらず、不思議と怒りは湧いてこなかった。彼の薄い唇を通った途端、あらゆる言葉は感情を毛羽立たせる棘という棘を滑らかな皮膜の内に隠してしまい、するりと心の中に入り込んでくる。
 反発心は古びたゴム布のごとく力なく萎えていた。私は視線を下げ、弱々しく答えた。

「おっしゃる通りです」
「では従順なお嬢さん、最後のひとつは、いったいなんだと思います?」
「“職人”、“客“、“盗人”と」

 答えあぐねる私に、彼はゆっくりと答えを口にした。

「最後は“商人”。相手の望みと引き換えに、自分の欲しいものを手に入れる人間」

 己を指差した煙草屋は、この上なく愉快げに笑っていた。

「盗人?物乞い?俺にはわからないねえ。その気になれば、何だって手に入るのに。かねだけじゃあない。王の持つ億万の富も、賢者の持つ知恵も、戦士の持つ力も。何もかも全部。だって、欲のない人間なんて一人もいやしないんだから。喉から手が出るほど欲しがっているものを目の前に差し出してやれば、欲にまみれた人間どもは、自分の持っているものをみいんな吐き出して、『それをくれ』と這いつくばるんだ。富める王も、知恵ある賢者も、力ある戦士も、誰も彼もがこの手のひらの上。人の欲が渦巻けば渦巻くほど、“商人”は生きやすい」

 荒野の獣のような、爛々と光る狡猾な目に見下されて、背筋がぞくりとなった。煙草屋は立ち上がり、ぱんと手を叩いた。

「さあ、よってらっしゃい見てらっしゃい。ここは誰もが好きに買い物できる大店おおだなさあ。職人、客、盗人、商人。あんたの目の前にゃ、ずらりと商品が並んでる。さあて、そこの箱入りお嬢さん。あんたはどれが御入り用で?」

 節を付けて、口上を吟じる商人。私は力なく答えた。

「そんなの、答えは決まってます。“物乞い”なんて、やりたくない。でも、私には今、本当にお金がないんです。借金だってしてる。相手が望むものどころか、自分に必要なものだって用意できない」

 そう言うと、煙草屋は「はあ」と呆れたようなため息をついた。

「ずいぶんと頭がかたくなっちまってんな。借りた金?相手がチャラだと言ったなら、その言葉をもって清算完了、相手と姉さんはすでに対等だ。余計なことは考えるな。いいか、考えないといけないのは『相手の欲しいものは何か』。金に物を言わせて何でもかんでも仕入れる奴が良い商人なんじゃない。良い商人ってのは、相手が欲しがっているその時に、欲しい商品をぴったり準備できる奴のことだ」
「相手が、今欲しがっているもの」

 二人の姿を思い浮かべた。
 お金はある。力もある。知識もある。仲間もいる。彼らには何でも揃っている。なのに、どうして彼らはいまだ目的を果たせていないんだろう。どうしてオルランドは見つからないんだろう。
 オルランドの手がかりがあるとされる、“病の獣ナックラヴィー”の島。そこまで迫っていてなお、二人の顔色が思わしくない理由はなんだ。

 私は顔を上げた。
 今の彼らに足りないもの、それは――

「情報?」
「いい子だねえ」

 煙草屋が満足気に微笑んだ。若い容姿に似つかわしくない、老獪な笑みだった。

「足りないものは“島の位置”。ご友人たちが喉から手が出るほど欲しがっているものがあるとすれば、それでしょうね」
「島の位置……」

 長い話の結論としては、お粗末な答えだった。
 情報を欲しがっている相手に、その情報をタネに取引を持ちかける。
 その程度のこと、少し考えれば子供だって思いつく。単純明快で、おそらくは最も効果的であろうそのやり方は、それでも候補にすら上がらなかったのだ。理由は簡単。島の位置がわからないのは、彼らだけじゃなく、私も同じだからだ。

 ―― でも。
 私は目の前の煙草屋を見上げた。

 この男が、無意味にこんな話をするだろうか。
 答えは間違いなく『否』だ。煙草屋がわざわざ私に言うからには、必ず何か理由があるのだ。

 半ば地面に叩きつけるようにして、肩にかけていた麻袋をおろした。口を開き、中身を漁る。入っているのは、すでに見飽きたものばかりだ。海賊船から持ってきたロープ。衣服。オルランドのノート。

 それから、雑貨屋の女主人に譲ってもらった古地図。

 心臓がさっきとは違う感じに高鳴りはじめた。折りたたまれた古地図を手に取り、ゆっくりと開くと、パラパラと紙くずが落ちた。今にも崩れてしまいそうな風合いの海図には、素人の微生物スケッチのような雑な楕円がざっと十から二十ほど印刷されている。雑貨屋の女主人の言葉が正しければ、この地図はこの近海の島々を描いたものであるはずだった。

 どれだけ目を凝らして見ても、やはり島の名と思しきものは見当たらない。が、その代わりに、前に見た通りそれぞれの島のすぐ近くには、ミミズののたくったような字で四桁の数字が書かれている。
 萎んだ三日月型の島には「5117」、そのすぐ南の島には「5125」、円形を描く北西の島は「5113」。

 紙上の海に視線を走らせ、ひとつずつ数を追っていく。5119、5120、5121。
 そして、地図の真ん中に、他と離れてぽつんとひとつ浮かんでいる島が「5122」。

 深呼吸をし、オルランドのノートを開いた。
 手帳サイズのページを繰り、目的のページを探す。1ページを除きまっさらのノートの中からそれを見つけ出すことは、そう難しいことではなかった。

 オルランドが救けを求めて書いたというメッセージ―― の下。そこにあるのは、例の“SIZZ”という言葉である。
 いくら考えてもわからなかったその単語の意味するところを、私は今はっきりと理解した。

「アルファベットじゃなかったんだ。“SIZZ”……5122。それが島の場所」

 そう言うと、煙草屋はにやりと笑って頷いた。

「政府制定第293海域“旧”島番5122。現コードにしてCN-3481。通称“ドナン・ドゥイック島”。こんな古地図、今時滅多にお目にかかれませんや。一体どこで手に入れたのやら。姉さん、あんたの右目には金の蛇が住み着いてるに違いねえよ」
「持って生まれた幸運に感謝、です」
「ええ、その通り」

 煙草屋は私の目を見つめ、意味ありげな笑みを浮かべた。

 お礼を言い、さっそく宿屋へ向かおうとした私は、「ちょいとお待ち」の声で振り返った。

「お忘れ物ですよ」

 と言って手渡されたのは、さっき麻袋にしまいわすれたロープの束だった。片側に結び目ノットのある一メートルほどのそれらは、例の海賊船からかっぱらってきた戦利品である。

「ありがとうございます」
「二、三本は必ず手元においておきなさいよ。ロープってもんは、船乗りとは文字通り切っても切れねえ物ですからね」

 かたい結び目を、男の指がつるりと撫でた。

「こうした結び目ひとつにも、人の有り様が表れるってもんです。どこに生まれて、どう育ち、どんな風に生きてきたか」
「それは、ロープに限ったことじゃないかもしれませんね」

 傷だらけで、荒々しくて、それでもどこか暖かな感じのするレッド・フォース号の甲板を思い出した。海に生まれ、海に育まれてきた男たちの一生が染み込んだ、かけがえのない船。
 恋しい気持ちが湧いてきて、照れ隠しのようにロープに目をやった。

「前にちょっとだけロープの結び方を習ったんですよ。『俺らが好んで使う、絶対に解けないやり方だ』って。確かこうやって、こうやって」

 手の中でくるくると結び目をつくっていった。細めのロープは女の手にも扱いやすい。思ったよりも上手にできたため、私は今作ったばかりの結び目と元からあった結び目を見比べてみた。

「うん、こんなもんかな。ん? あれ?」

 直観的に感じた違和感に、首をかしげた。視線を上げて煙草屋を見ると、彼はまたもや意味深な微笑みを浮かべていた。
「まさか」
「さて、どうでしょうね。すべては貴女次第です」

 すまし顔で言われて、私は今たどり着いた自説の正しさを確信した。そうか、そういうことか。

「重ね重ね、ありがとうございます。宿屋に帰る前に確認したいことができました」
「お客様の喜びは私の喜び。お役に立てまして光栄に存じます。このしがない煙草屋、お客様のためとあらば、古今東西、ありとあらゆる貴品珍品を取り揃えてご覧に入れますゆえ」

 片手を胸に当て、うやうやしく一礼。それから、にっこりと営業スマイルを見せた。

「新しい靴をご所望の際には、ぜひともこの私に。“どこにでも行ける”とっておきをご用意しております」

◇◇◇

 それから数時間かけて必要な確認と準備を済ませ、宿屋に帰り着いた頃にはもう太陽が傾きはじめていた。はやる気持ちを抑えて、二人の部屋の戸を叩く。

 返事はない。人の気配も感じない。
 長時間の疾走のせいか、それとも別の何かによるものか、首のあたりにたらたらと冷たい汗が流れた。

 出発は明日のはずだ。大丈夫、まだいる。
 もう一度ノックしようとした時、後ろから声をかけられた。

「おい」

 階段の踊り場に立っていたのはルフィだった。二人と話をしたのはつい数時間前なのに、随分と昔のことのように思えた。
 息を吸って呼吸を整える。それから思い切って話しかけた。

「ルフィさん。マリオさんと一緒に来て欲しいところがあるんです」

 ルフィはすぐには答えず、伺うように見返してきた。

「あなたたちを困らせるようなことはしません。絶対に。何があってもこれが最後です。信じてください」
「……場所は」
「港」

 目を瞑って考えた後、彼は「わかった」と呟いた。


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