62 Children in Lunatic / 神の愛し子(Ⅰ)
塔の隣の屋敷で一晩を過ごした翌日、私はオルランドと一緒にドナン・ドゥイック邸に戻ることになった。
目的はドナン・ドゥイック卿から遺産の在処を聞き出すため、そして『日誌』を探しだすため。
待機しているのも時間がもったいないということで、マルコとエースは森に行って、てっとり早く遺産の在りかを探す役目を買ってでた。
ドナン・ドゥイック島に莫大な遺産が眠っているのであれば、それは間違いなくこの大きな森のどこかだろうというのである。
私の探し物についてオルランドは、
『そういう特徴のものを見た記憶はない。が、屋敷に置いてあった俺のノートが何らかの手違いでダンヴェガンの手下どもに持ちだされたというなら、その逆も十分ありうる』
と語った。
ダンヴェガンの手下ども、というのはドナン・ドゥイック邸で見かけたあの黒服たちのことだ。一見オルランドに従っていたようだったが、実際はオルランド―― ダンヴェガン側は彼のことをドナン・ドゥイック本家の次男だと信じている―― とドナン・ドゥイック卿を見張り、逐一ダンヴェガンに報告するための監視役である。そのほとんどがダンヴェガンが親戚から呼び集めた貴族筋の次男三男で、オルランドの言葉を借りれば“鼻持ちならない態度とごますりだけが取り柄のどうしようもないボンボン”ばかりらしい。
「そういえばオルランドさん。あの黒服たちは昨日の騒動についてどう思ってるんでしょう。もしダンヴェガンに報告されていたら……」
「昨日のことはメイドや執事を使って、なんとか隠蔽できた。この際、簀巻にして海に放りこんでやっても良かったんだがな、ダンヴェガンへの定時連絡を途絶えさせるわけにもいくまい」
オルランドは事も無げに言った。一夜明けて言葉遣いはすっかり格調高い貴族風に戻っている。髪は撫でつけられ、頰の大きな古傷もきちんと隠され、一見どこぞの御曹司かと見紛う姿だったが、中身はさすがに筋金入りの海賊である。水死体をこしらえるのはお手のものらしい。
「が、ドナン・ドゥイック卿への謁見に失敗したアンタが屋敷に現れれば、さすがの無能どもも気づくだろう。口封じをするにしろ何にしろ、定時連絡は途切れる。ダンヴェガンが異変を察してこの島にやってくるまで、長くて一週間。その間にかならず遺産を見つけ―― ここを離れる」
オルランドは決意したように言った。アイリーンのことには一言も触れなかった。それはそう、きっと彼自身がいちばんよくわかっているからだ。
「それにしても、中身を見られてしまったな」
彼はうつむいていた。羞恥よりは、悔悟の表情に近かった。
「あのノートのことですか」
「ああ」
―― 俺には力がない。俺は何もできない。
己の無力を嘆く悲痛な一文がよみがえる。
「故郷を捨てて以来、ずっと海で生きてきた。きっと“そういう形”に生まれついたんだろう、どんな相手であっても戦うことをおそろしいと思ったことはなかった。ああ、そうだな、あるとすればオヤジと出会ったときだけだ。だが白ひげのクルーになったからといって、海の掟が変わるわけじゃない。力さえあれば、とずっとそう思っていた」
愚かだった、とオルランドは瞳を伏せた。
「ここに来て俺にできたことといえば、せいぜいアイリーンの兄の振りをして、あの男の機嫌取りをすることくらいだ。計画に加担する代わりに彼女には手を出すな、とな。ああ、それから字を書く練習もした。貴族の男の立ち振る舞い、言葉遣いも学んだ。皮肉だろう。俺の剣となり、アイリーンの盾となったのは結局、俺がこれまで軽んじて切り捨ててきたものだった」
彼は地を見て、自嘲した。
「不甲斐ねェよ。自分がこんなに無力だとァ思わなかった。ほかにどうしようもないとはいえ、小汚ねェ人攫いの手伝いまでして。オヤジの顔に泥を塗り、アイリーンには受けた恩ひとつ返せねェ」
不甲斐なく、助けられてばかりの私には、わかろうとしてもわからない感情に違いなかった。
だがそれでも苦しげに歪んだオルランドの口元から、その屈辱と苦悩を読みとることは容易かった。
「オルランドさん」
「だからこそ、絶対になんとかしないといけねェ。マルコさんとエース、ふたりを長くこの島に留まらせるわけにはいかねェんだ」
オルランドは立ちどまり、私に向きなおった。
「あらためて頼む。もうアンタしかいねェ。俺の大切なもののために、どうか力を貸してくれ」
いつしか海賊言葉に戻っていた彼は、今度こそ恥も外聞もなく、深々と頭を下げた。
「できることはかぎられているかもしれないけど。私でよければ」
オルランドは顔を上げた。黄土色の目が細められ、隠された頬の傷痕が引きつれてうっすら浮かび上がる。出会ってはじめて見た笑みだった。
ぎこちなかったが、思ったよりも暖かみのある笑顔だった。
好いているのは、きっとこういうところなのだろう、とはるか後ろに過ぎ去った塔の中の女性を思った。
「で、オルランドさん。具体的には、私はアイリーンさんのお父様の部屋に行って、昨日と同じようにたずねればいいんですね」
「ああ。病床のドナン・ドゥイック卿は己がもはやこれ以上当主たりえないことをよくわかっているはずだ。ドナン・ドゥイック卿が次代の正統な継承者として認め、また遺産の在りかを伝えるであろう相手はアイリーンただひとり。アイリーンが今の場所から動けない以上、アンタに代わりをやってもらうしかない」
「でも、昨日一回失敗してるのに、どうやって再チャレンジするんです? ドナン・ドゥイック卿には私がアイリーンさんでないってばれちゃってますよね」
「服装を変える」
服装をチェンジした程度で実父を欺けるのなら、アイリーン美女説は死んだも同然である。
「それでも駄目だったら?」
「死ぬ気でなんとかしろ」
「死ぬ気……」
オルランドは真顔で言った。冗談の「じ」の字もない。さすが海賊、体育会系のハイエンドだ。
私たちはその後もえっちらおっちら屋敷への道を歩いた。無論えっちらおっちらは私だけで、体育会系オルランドはむしろ手心を加える側である。
しばらくして、ようやく屋敷の屋根が見えてきたのだが、どうやら裏口のほうらしかった。
「正面からではダンヴェガンの手下どもに気づかれる。ここでもうすこし待って、屋敷の者と落ちあう手はずになっている。メイドが迎えにきたらすぐに行って着替えろ」
メイド、という言葉に、ひとつ引っかかっていたことを思いだした。
「そういえば、塔の隣の屋敷のメイドさんは、皆ヴェールをかぶってましたね。あれって何か意味があるんですか」
「そうか、伝えていなかったな。アンタには言っておいてもいいだろう。あの女たちは―― 」
言いかけたとき、駆けてくる足音が聞こえた。二人組の男女が屋敷の方から走ってくる。ひとりはモーニングを着た執事らしき男、もうひとりは今まさに話題に登っていたヴェールのメイドだった。
執事のほうが、息も絶え絶えに呼びかけた。
「オルランド様! ダンヴェガンの船がついさっき船着き場に着いたとの報告が!」
「なんだと?」
オルランドの顔色が変わった。執事は隣にいるメイドを指し示して言った。
「彼女が高岩の上から見たそうです。間違いありません。おそらくはいつものご機嫌伺いだと思いますが、なんと間の悪い……!とにかく早くその方とご友人を森の奥へ」
情報を持ってきたというメイドは、ヴェールの下で荒い息をついている。オルランドはすぐに判断を下した。
「わかった。向こうの屋敷への連絡には俺が向かう。それがいちばん早いだろう。お前たちはこのまま大旦那様の部屋に行け。ダンヴェガンが来るまでに、何としても」
焦りを表に出すことなく、オルランドはまるで本当のドナン・ドゥイック当主のように冷静な指示を出すと、そのまま元来た道を駆け戻って行った。
私もオルランドに言われたとおり、ドナン・ドゥイック卿の部屋へ向かおうと裏門をくぐった。
「お待ち下さい、イチル様」
呼びとめたのは執事だった。
「若旦那様―― オルランド様はああ言われましたが、貴女も今すぐ屋敷を離れて森の奥に身をお隠しください。一刻を争います」
銀髪まじりの初老の執事は、真剣な面持ちで言った。
「貴女が此度の“アイリーン様探し”の被害者であることは、オルランド様より聞き及んでいます。ダンヴェガンは冷酷な男です。内情を知ってしまった貴女をどういう目に遭わせるかわかりません」
「でも、そんな」
「探し物があるのでしょう」
執事の慧眼に見抜かれ、どきりとする。
「いつだったかダンヴェガンの手下達の話を立ち聞きしたことがございます。誘拐した女たちから奪った物は、すべてダンヴェガンの船にあると。貴方の探し物もきっとそこにあるはずです。ダンヴェガンはすでに船を降り、こちらに向かってきている。今がチャンスです。裏道を抜けて船着き場にお向かいください」
ぐらりと心が揺れた。彼の聞いた話が本当ならば、まさに今こそ『日誌』を取り戻せる最初で最後のチャンスに違いなかった。
ふたつの思いが心の中でせめぎ合った。
どうする。どうする。オルランドと約束した。でも、私は一度失敗してるじゃないか。本当にドナン・ドゥイック卿から遺産の場所を聞き出せるのか。やっても無駄骨になるんじゃないか。これを逃せばもう二度と『日誌』には届かないかもしれない。でも。
考えがまとまらないまま、口を開く。
「オルランドさんは一刻も早くこの島から立ち去らないといけません。でないとドナン・ドゥイックにも迷惑がかかってしまいます。だってオルランドさんは―― 」
「知っておりますよ」
迷いを感じとったのか、それとも別の理由か、執事がほほえんだ。
「あの方が普通の方でないうことは。もちろん最初は驚きましたが、あの方は誰よりもドナン・ドゥイックを想い、救おうとしてくださいました。我々にはもうそれだけで充分なのです。本当は皆わかっているのです。長年に渡る内婚の慣習によりドナン・ドゥイック家は次第に短命になってきています。ドナン・ドゥイックはどんなに足掻こうともいずれ終わりを迎える。わかっていながら、ずいぶんと長く縛りつけてしまった。あの方はこのような地にいるべき御方ではありません。ドナン・ドゥイック最後の“若旦那様”は私たちの手で必ず外の世界にお返しします。それが大旦那様とアイリーン様のご意思ですから」
行ってください。穏やかにほほえみつつ、だがはっきりとした意思をもって、彼は私の背中を押した。違う、違う、と心の声が叫ぶ。でも、何が違うのかわからない。悩む間にも、正直で臆病な足は己の利益と保身を求め、そろりとドナン・ドゥイック邸から離れていこうとする。
「し、執事さん。私は―― 」
「おやおや、これは大ニュースだ」
突然、男の声が割ってはいった。
行く手をさえぎるように現れたのは、あの忌々しい黒服だった。咄嗟に振り返ると後ろにももうひとりいる。
「由緒正しきドナン・ドゥイックの次期当主が、まさか海賊!道理で気品の欠片もなかったわけだ。ダンヴェガンさんが聞いたら何と言うか」
「ダンヴェガンさんは“あの人”と仲がいいからなあ。可哀想に、アンタたちはもう終わりだ」
鬼の首を取ったように、黒服共は高笑いをした。
「そこの小汚い女。お前はとくにな。ダンヴェガンさんがいちばん嫌うその―― ん?」
黒服が私の顔を凝視した。私もはじめて黒服の顔を直視した。
「ん?」
「うん?」
そして、同時に叫んだ。
「あっ!私を攫ったエセ海賊!」
「あの時、逃げた女!」
なんと目の前の黒服は、あのエセ海賊船で見た顔だった。たしかテリーとかいうマヌケな見張りの男だ。髪型と服装が変わっていたのでよく見るまで気づかなかった。なるほど、ラフな海賊の格好より、なよなよした貴族装束の方がよほど似合っている。
ダンヴェガンが“アイリーン探し”に親族の若者を使っている、というのはこういうことだったのか。
「どこかで見たことがあると思ったら、そういうことか。つまりお前らは初めからグル。くそう、騙したな!」
相変わらずのB級台詞を吐いて、テリーは地団駄を踏んだ。
「騙したも何もそっちこそ、いきなり人のこと攫っておいて」
「お前が逃げたせいで俺はダンヴェガンさんから大目玉を食らったんだ!俺はずっとダンヴェガンさんのお気に入りだったのに!どうしてくれる!」
「どうしてくれるって言われても」
「うるさい!黙れ!」
―― なんだろう、これ。
「ああもう!嫌だ嫌だ嫌だ!」
子供のように癇癪を起こすテリー。その情けない姿を見ているうち、ぐずぐずと熱をもったようだった頭の中で、散らかっていた諸々の考えがすっとひとつにまとまった。
「そっか」
私は顔を上げた。そして何か通信機のようなものを取り出そうとしていたテリーに向かって叫んだ。
「あー!あそこに金髪の美女が!」
「な……!」
間髪入れずに金的を決める。かち上げた膝が高級そうなスラックスの股にクリティカルヒットした。振りかえりざま、唖然と固まっていた背後の黒服にもお見舞いする。倒れた顔を見ればこっちも見た顔だった。たしかチェスターとかいう名前だった気がする。
地面に崩れおちた黒服を見て、執事が悲鳴を上げた。
「なんてことを!ここはカイドウ様の領域内なのですよ!」
「そうですね。カイドウは怒るでしょう。難癖をつけて戦争にだってなるかもしれません」
すでに頭の冷えていた私は、執事の怯えた顔を見ながら肩を竦めた。
「“白ひげのクルー”が事を起こしたのなら、ね。でも私は?」
たとえ、過去を遡ってどんなに詳細に調べたとしても、私が“白ひげ”と関わった事実は出てこない。出てくるはずがないのだ。そしてそれは“白ひげ”だけにかぎったことではない。私という人間はそもそもこの世界に存在しないことになっている。
屋敷の外へ向けかけた足を元の方向に戻した。
行き先は屋敷の中、ドナン・ドゥイック卿の寝室。
「乗りかけた船です。最後まで一緒に行きましょう。大丈夫!大物は大物しか相手にしないものです」
そして、エースの言葉を噛みしめた。
誰でもない私は、誰にだってなれる。