64 Children in Lunatic / 神の愛し子(Ⅲ)
顎の高さで切りそろえられたエマの黒髪を、さらさらと弄ぶダンヴェガン。
「あの下賤な海賊男、失敗した女どもをどこに隠していたのかと思えば、こうやってメイドたちに紛れこませていたわけか。黒い瞳、黒い髪。ああ、本当に汚らしい」
「“新月の子”っていうのはまさか」
こみあげる吐き気に歯を食いしばりながら、ようやくそれだけを発した。
「見てのとおりさ」
唐突に、指に通していた髪を握りこみ、彼はエマを引きずり倒した。エマとアイリーンの悲鳴が重なる。
「なんとおぞましい姿なのだろうね。君もそう思わないかい」
黒目黒髪、彼女と同じはずの私の容姿がまるで目に入っていないかのように、彼はゆったりとほほえんだ。
「神がなぜこのような人間をおつくりになったのか、僕にはわからないよ。いや、神ご自身もそのつもりじゃなかったのかな。伝説にあるとおり、神の怒りを買って呪われてしまった結果なのだからね」
「ダンヴェガン、おやめなさい!彼女たちに手を出してはいけません」
「おや、安全な檻に入っていると身体の調子が良いようだね。麗しく愚かなアイリーン。だが、役立たずはそこで黙っていなさい」
怒りを露わにしたアイリーンを一蹴して、ダンヴェガンは私たちのほうに向きなおった。
「“病の獣”が“新月の子”を喰らわないなら、僕が滅ぼしてしまおう。古く貴きドナン・ドゥイックの力をもって、この正統なるドナン・ドゥイックの末裔が」
「正統?」
聞き返すと、ダンヴェガンはここではじめて気分を害したような顔になった。
「伝説ではドナン・ドゥイックの先祖は、“病の獣” を退治したあと、呪われた地を捨てて、外海へ旅立ったとされている。だが僕の家に伝わる文献によると、ドナン・ドゥイックの祖はひとりではなく兄弟だった。力強く勇敢だった兄はおぞましき島に見切りをつけたが、怯懦で非力な弟は外を恐れてこの島に残ったという。兄のほうの血を引く僕こそ正統なドナン・ドゥイックの末裔であり、今おこがましくも正統を名乗っているこの島のドナン・ドゥイックは下賎な傍流にすぎないということだよ」
「たしかにあんたはその兄とやらの血を引いてるみたいだね。自分の子供を怖がって、捨てちゃうような臆病者の」
エマが吐き捨てた。ダンヴェガンは表情を消し、彼女を見下ろした。
「醜く生まれた赤子を捨てて何が悪い」
耳を疑う言葉にぞっとした。さすがのエマも青ざめて唇を噛んだ。
そんな私たちをどうとらえたのか、ダンヴェガンは朗らかな口調に戻って言った。
「ああ、すまないね。すこし熱くなってしまった。僕の正義と君たちの正義が違うのは当然のことだ。そうだろ?なんたって君たちと僕は同じ人間じゃないんだから」
あはは、とダンヴェガンは心底楽しそうに笑った。彼の唇を通る言葉はすべて、優雅で洗練された形に整えられ、正当な美談に変貌する。他人に理解を示し、個性の尊重を謳う。だが今や私たちのなかに、その腐臭のする本意を嗅ぎ取れないものはいなかった。
同じ人間じゃない。そう、ダンヴェガンにとっては、私たちは文字どおり「人間」ではない。
エマから離れ、彼はふたたび私のそばに戻ってきた。
「まあいい。君は“新月の子”だが、今回はよく働いてくれたからね。君に免じて彼女のことは許してあげよう」
聞くだけでもむかむかする言葉のなかに、ひっかかる部分があった。
「よく、働いた?」
「おやおや、可哀想に。何も知らなかったんだね。君たちは君たちなりに一生懸命働いて、僕のためにあの死に損ないから遺産の在りかを訊きだしてくれたんだ。ひとつ、簡単な質問をしよう。どうして僕は今ここにいるんだろうね? べつに今日でなくてもよかったのに、どうして君たちがここでこんなことを企んでいる、この日に?」
教師がするように、彼はすまして人差し指を立てた。だが、教師がするように生徒の答えを待とうとはしなかった。誰にともなく満足げに頷いたダンヴェガンは、懐から何か小さなものを取り出した。
「さて、知っているかな」
天使のように白く繊細な手のひらにあったのは、一見何の変哲もない巻き貝の殻だった。
「電伝虫は普通、生きていなければ音を伝えられない。しかしなかには、死んだ後も貝殻だけで音を受けとることのできる種が存在する。電伝虫がどうやって音を発しているか―― 電伝虫の殻に発音器官が存在しないということは、さすがの君たちも知っているだろう? では、単なる受音機能だけこの殻がなぜこんなにも珍重されているのか。答えは簡単、別にもう一匹生きた電伝虫を用意すれば、貝殻の拾った音をどこからでも聴くことができるから。ベッドの下、壁の中、どこに隠そうが決して探知されない優秀な盗聴器さ。何の変哲もない、こんな小さな貝殻を誰が気に留めるだろう、ってね。生きた電伝虫とは違って世話の必要もない。何ヶ月でも何年でも忍びこませておけるんだ」
ダンヴェガンは愛しそうに貝殻を撫でた。
「この島のあちこちに仕掛けておいたコレのおかげで、あの海賊男と君たちの悪あがきははじめからすべて耳に入っていたよ。“東の海”から来たお嬢さん、泳がせておけば何かの役に立つと思っていたけれど、まさかここまでうまくやってくれるなんて!本当に『困ったときはお互いさま』だね。そう思わないかい、盗人ども。女たちが辛い目に遭っているというのに、いつまで隠れているつもりだい。そろそろ出てこないとまるで臆病者みたいだよ」
木陰に向かって話しかけるダンヴェガン。林に忍んでいたオルランドは眉間に深い皺を刻んで姿を現した。
「そろそろ、黙れ」
今にも喉元に喰いついてきそうな視線を受けつつも、ダンヴェガンはまったく動じなかった。
「おや、僕は全員に向かって言ったつもりだったんだが。臆病な小物には臆病な仲間しかいないのかな」
「ダンヴェガン、俺に対しては見逃してやる。だが、あのふたりに対してのそれは断じて許さん。立場を考えろ。なんなら今ここでお前を」
「立場を考えろ?それこそまさに僕の台詞だ!これが何かわかるかい」
さっきとは反対のポケットから、ダンヴェガンはもうひとつ電伝虫の貝殻を取りだした。
「とあるルートで手に入れたんだけれどね、このあたりの者にとっては何よりも頼りになるお守りさ。この貝殻は君たちが決して会いたくない男のところへ繋がっている。僕が今話していることも、君が今言おうとしていることも全部“あちら”に筒抜けだ。わかったら、手荒なことはやめておくれよ」
カイドウとの繋がりをちらつかせてオルランドを黙らせたあと、ダンヴェガンは草陰に向かって犬を呼ぶような感じで手まねきをして見せた。
「さあ、早く出ておいで」
「テメエみてえな胸糞悪いゲスはひさしぶりだよい」
まずはエース、つづいてマルコが姿を見せた。どちらもおそろしく冷えきった表情だった。
「人を殺すのが生業の君たちとなら、いったいどちらが下衆だろうね。僕のほうは少なくとも人殺しじゃない」
「テメエ、その口をいい加減に―― 」
「水掛け論は嫌いなんだ。君たちなんぞと正義について語りあうつもりなんて毛頭ない。そうだ、正義といえば、あの死に損ないもなかなか愉快だったねえ。娘と遺産を閉じこめてまで守ろうとしたのに、結局はこうやってぜんぶ駄目になってしまったんだから。行きすぎた愛情はかえって伝わらないという教訓かな」
「お父様が、私を?」
塔の中のアイリーンが愕然としたような声を出した。
「君を閉じこめさせたのは僕だと思っていたかい? 相も変わらず愚かなアイリーン!むしろその逆、僕の欲しいものはすべてその塔の中に放りこまれてしまったのさ。跡継ぎの座も、遺産もね。君を眠らせてこの塔に閉じこめる、それを命じたのは何を隠そうドナン・ドゥイック卿その人だったんだよ。だから僕はずっと待っていたんだ。誰かが塔を開いてくれる日を。といっても、勘違いはしないでおくれよ。僕自身だって何も努力しなかったわけじゃない」
ダンヴェガンが指を鳴らすと、部下が何かの液体の入った瓶を取りだした。どろりとしたそれを見て、アイリーンが叫んだ。
「お父様の薬……!」
「そう、とってもよく効く薬さ。あの老いぼれを生かさず殺さず、ベッドに縛りつけておくためのね。息子が死んで気落ちしたところにすこうし盛って、耄碌してもらおうと思っていたら、予想以上に効きすぎてしまってね。ベッドどころか墓穴に放りこんでしまうところだった。いやあ、あのときは焦ったよ」
「ダンヴェガン、貴方という人は、そこまで!」
アイリーンの叫びは痛々しく引き攣れて、もう声とも聞こえない。戸の隙間を抜ける風のようなひゅうひゅうとした息の音が悲痛に尾を引いた。
ダンヴェガンが、さて、と私のほうに向きなおった。
「ということで、今となっては君こそが勲一等の働き者さ。ありがとう、東の海から来た勇敢で醜き"新月の子”よ。さあ、その鍵を僕の手に。今こそ栄えある塔の門を開こう」
舞台役者のように大げさに扉を指したダンヴェガン。頭が真っ白になって、その顔すらまともに見られなかった。
こんな奴のために。
いつのまにか奥歯がぎりぎりと鳴っていた。卑劣な手を使われた悔しさよりも、卑劣な目に遭わされた苦々しさよりも、もっとも拭いがたい感情はまんまと出し抜かれオルランドやアイリーンを救う機会を失ってしまった自分自身への怒りだった。
私は苦心のすえ、握りしめていた鍵を、ぽとりと男の手のひらに落とした。止めようとする者はいなかった。誰にもどうすることもできなかった。皆が皆、無力だった。
「ハッ、アハハッ、アハハハハハッ!」
ダンヴェガンの高笑いが響きわたった。
貴族の気品と紳士の仮面をかなぐり捨てて、彼は醜い本性そのままに哄笑していた。興奮おさまらず、時折ククッと喉を引くつかせながら、ダンヴェガンは両手を広げた。
「さて、そろそろフィナーレとしよう。今からこの鍵で塔を開くわけだが、その前にひとつおもしろい仕込みを紹介しようと思う。じつは海賊が紛れこんだとわかった時点で、身元を調べるよう手配したんだ。君たちの行動は筒抜けだったけれど、唯一昨日の夜にあの小屋の中で話した内容については把握できていなくてね。というのも、不思議なことにこの塔のすぐそばだけは受音機能が働かないみたいなんだ。感動の再会で丁寧に身元を自白してくれるものと期待していたのに、とんだ誤算だったよ」
訊いてもいないことを饒舌に説明したあと、ダンヴェガンは部下に命じて一匹の電伝虫を取りださせた。今度は受音用の貝殻ではなく、通話に使える生きた電伝虫である。
「それで、僕の島に残った部下からその返事がもうそろそろ来るはずなんだ。僕はほら、海賊なんていう卑しい人種には今までまるで興味がなくてね、手配書なんてものはまともに見たことがないんだ。大物の名前くらいはもちろん知っているけれど、顔まではよくわからない。だからこうして確認が必要なのさ。君たちがどこの誰で、どこの勢力に属した海賊なのか。内容によっては、この場で“全員”に聞こえるよう復唱してもいいかもね」
彼はカイドウに繋がる貝殻をくるりと手のひらでまわした。
「そういうことなら、今ここでケリをつけることになるぞ」
マルコが低く唸ったが、ダンヴェガンは余裕のある笑みを崩さなかった。
「落ちつきなよ。心配しなくとも、僕は君たちのような下賎な人殺しとは違う。僕が言いたいのはね、君たちの誠意次第では勘弁してやってもいい、ってことさ」
彼は優雅な所作でさらさらと手帳に何かを書き付けた。
「まあ手始めにこれくらいかな。僕はこれからドナン・ドゥイックを立て直さなきゃならないんだ。遺産があるとはいえ、たくさんあるに越したことはない」
「取引だと!?舐めやがって」
「無力な若君オルランド。いくら粋がっても無意味だよ。君にできることといえば、電話がかかって来るまでの数分、じっくり考えて―― おや、早いね」
プルル、プルル、と電伝虫が鳴いた。ダンヴェガンを除く全員に緊張が走った。白い手が電伝虫を取る。
「僕だ。ああ、順調だよ。うん、じゃあこいつらの正体を教えておくれ」
これ見よがしに電伝虫に話しかけるダンヴェガン。受話器の向こうから部下の声が漏れ聞こえてきた。
『彼らは―― 」
まずい。そう思った瞬間、私は自分でもわけのわからない叫び声をあげていた。
「そう、私たちはイチル海賊団!」
ここ数年出していないような大声だった。ダンヴェガンが何かを言う前に、エースの腕を引きよせ、畳みかける。
「この子は航海士!若いけど腕が良いんだ。それからそっちのオルランド君はコック!得意料理はハーブチキンとレモンプディング。あー、っとそれからそこの鳥っぽいお兄さんはあれだ、最近入った見習い!今までの職場に嫌気が指して、三十代だけど転職することにしたんだって。キャリアアップに余念がないね!」
「見習い? 俺が?」
マルコが半目で己を指差した。
「うるさい、電話が聞こえな―― 」
「こうなったら全部ぶっちゃけちゃうけど、私みたいな普通っぽい女がこんな一癖も二癖もある海賊たちをまとめていくのはそりゃあ、大変ですよ。航海士は火の元注意、コックは迷子癖あり。見習いに至ってはなんと幸せの青い鳥だからね。なんとかなってるのは、ひとえに私のカリスマのおかげ」
自分の頭を指さして見せる。ダンヴェガンはとうとう受話器から口を離して、叫んだ。
「うるさい、お前が海賊だと!?いい加減なことを言うな!」
「本当のことだよ。そうであろう、皆の衆」
おほんといかめしく咳払いをしてみる。
それぞれ口元を引き攣らせたり、目を白黒させたりしていた三人だったが、なんだかんだで各々素直に頷いた。
「お、おう。キャプテン」
ダンヴェガンの革靴がいらいらと地を叩く。
「たとえそうだとして、お前らに何の力がある。イチル海賊団?そんなもの聞いたこともない!」
「大事なのは、知名度じゃない。そうでしょう」
ダンヴェガンが動きを止めた。
「何が言いたい」
「私が考えていることはあなたと同じだよ。つまり私にも後ろ盾がいるってこと。私のスポンサーとあなたのスポンサー、喧嘩したらどっちが強いかな」
海賊三人組はそろって「そんなの聞いてない」という顔をした。当然、後ろ盾などいない。ただの口からでまかせである。
だが事実を知らないダンヴェガンは、予想外の展開に大いにうろたえはじめていた。
「嘘をつくな、くそ!」
荒い手つきで電伝虫のボリュームを最大し、至近距離で叫ぶ。
「応答しろ!今すぐにこいつらの素性を明かせ!」
『こちら本邸、いったいどうした?』
「どうしたもクソもない、いいから黙って言うとおりにしろ!この無能どもめ、そっちに帰ったらいの一番に奴隷小屋に売り飛ばしてやる!ああもう、どいつもこいつも!滅びろ、滅びてしまえ!」
唾を吐き散らして怒鳴る。ダンヴェガンの本拠にいるらしい部下たちは、電話の向こうで黙りこんでいたが、しばらくして返事をした。
『承知した。もちろんそいつらの素性はわかっている。その後ろ盾もな。そいつら“イチル海賊団”だが』
そこで大きな笑い声が入った。電話の向こうで、腹を抱えて誰かがひいひい笑っている。それがふと、知った声であることに気づいた。
『“イチル海賊団”の後ろには“赤髪”がいる。どうだ?これなら文句ねェだろ』
電話の向こう、シャンクスが愉快そうに喉で笑った。