73 The good old days
紙束をひもで束ねて、端に寄せる。腕いっぱいに抱えていたそれを床に下ろすと古臭いほこりが盛大に舞った。
「ぐへえ、すみません」
「バタバタいわすんじゃねェよ、コラァ。こっちは精密作業してんだ」
咳きこむ私を見て、ヤソップが笑った。彼のまわりには銃の古部品が散乱している。
どこから転がりおちるのか、いつのまにか書棚の下やら壁の隙間やらに溜まってくる細かな半端物。それらを判別し、使えるものは使えるものとして整理するのが大掃除における彼の役割だ。
大幹部がわざわざやるような仕事じゃない、とか、そこまでケチケチする必要はない、とかいう部下の声もなんのその、彼はこのかぎりなく地道な作業に手を抜くことなくはげんでいた。凝りはじめると止まらない男ヤソップ。
「こういうことをおろそかにすると肝心なときにダメになんだよ。道具ってのは、女と一緒だ」
目を凝らして歯車を磨くその姿も古株クルーにとっては見慣れたものらしく、ベックマンは引きだしの奥から火薬皿やら何やらが出てくるたびにぽんぽんとヤソップのもとに放りなげていた。
この書斎の主は書机に座って目下古い書類を整理中である。
私はヤソップと同様に作業の丁寧さを買われて書斎の掃除にスカウトされたわけだが、なかなかのラッキーパンチだった。銀縁メガネの横顔が最高にかっこいい。エロインテリ万歳。
と、掃除に関係ないことを考えていたのがバレたのか、当のエロインテリがふとこちらを向いた。
「どうだ、進んでるか」
「ま、まだ半分くらいです」
私は自分が担当している手元の紙束、もとい古い手配書の束を指して答えた。ざっと大型のダンボール箱四、五個分くらいだろうか。
処分しやすいよう束ねて端に寄せるだけの単純作業だが、経年劣化や水濡れでヨレヨレになっているものも多く、意外と時間がかかっている。茶味がかった粗い紙がうず高く積まれているさまは、まるで学校のテスト準備室のようだった。
「本当にいっぱいありますねえ。これ半分くらいはここのクルーの人達のぶんって、ちょっとびっくりしちゃいますよ」
「うちもこれでけっこう長いからなァ。人も増えたしよ」
ヤソップが何かネジのようなものをつまみあげながら答えた。いたみを確認するように目を近づけている。
「ひと暴れするごとに、どんどん新しい手配書がまかれるもんでな。自分の立ち位置を知るには懸賞金を見るのがてっとり早い、っていうのはさすがにちょっと建前か。単におもしれェのよ。良い酒の肴になる」
「まァ、暴れなくとも政府にとって“都合の悪いこと”をしでかせば手配書なんざいくらでも増えるがな」
増刷されなくてよかったな、とつけ加えたベックマンのニヒルな笑いに私はおもわず胃を押さえた。うう、古傷が。
「それにしても、えらく古いのも混じってるんですね。これはデンバーさん、これはギャラハンさん」
私は手配書の中でもとくに印刷が古びているものをいくつか指さした。写真の中の彼らはみな若い。
「それから、あ!これはまさかベックマンさん―― 」
山の中に見知った男を見つけ、取りあげようとした。が、次の瞬間には気配なく下りてきていたベックマンの手にすっと抜きとられてしまった。
「あー!」
「刺激が強すぎる。また今度な」
「ちぇ。ベックマンさんの昔の写真、見てみたかったのに」
抗議には応じず、ベックマンは写真をそのまま引きだしに入れてしまった。くい、と眼鏡を押しあげる動作を見ながら私は歯噛みした。このミステリアスエロクールインテリめ。
ヤソップが自分の手配書を見ながらしみじみと言った。
「昔のオレ若ェなあ。十年くらい前か」
「私にも見せてください、ヤソップさん」
横から首をつっこんで見てみると、確かに今よりもすこし若い見た目のヤソップが写っていた。だが私がもっとも衝撃を受けたのはじつは写真ではなかった。
「な、なんですかこのゼロの数」
「ん? 懸賞金のことか」
写真の下にならぶゼロ。ゼロ。ゼロ。
写真の中の彼は私と同じくらいの年ごろに見えるのに、その懸賞金は一般サラリーマンの生涯年収よりもはるかに多い。しかも十年前のものと仮定すれば、現在の年齢から逆算して当時は二十代半ばである。
この時点でこの金額。懸賞金の相場はわからないが、こちらの物価はすでに把握している。十年の間に物価の上昇がないというのは考えにくいからして、貨幣価値の上昇を含めた現在の懸賞金総額は少なくとも――
「おい、イチル。目がベリーになってんぞ」
はっ、と我にかえった。
「すみません。ちょっとヤソップさんたちの首から上が札束に見えただけです。えへへ」
「えへへじゃねェよ。こえェよ」
生まれついてのエコノミックアニマル・イチルはよだれをぬぐってふたたび手配書の山に向きあったのだった。
紙を繰る音、小さな金属が触れあう音、書斎はそれぞれが作業するしずかな平穏につつまれていた。古くてほこりっぽい紙のにおい、ツンとにぶったい整備油のにおい。
山と積まれた手配書の中には私の知らないクルーの名前もちらほら見える。彼らがどういう事情で今はもうここにいないのか、私は知らない。知るすべもない。
船に刻まれたたくさんの傷跡は、彼らがたどってきた時間そのものなんだ、といつかシャンクスが言っていた。傷を負ったのが船だけだったなどと、誰にそんなことが言えるだろう。
ひと山を束ねおえて、新しい束を引きよせようとしたとき、はらりと一枚すべり落ちたものがあった。
「これって……」
隣にいたヤソップがのぞきこんで目を丸くした。
「こりゃえらく古いのが出てきたな。お頭、まだガキじゃねェか」
歳のころは十八、九、ウォーカーたちと同じくらいだろうか。白黒の写真枠の中にいたのは、溌剌と笑う麦わら帽子の少年だった。
オウ、グッドルッキング・ボーイ。
私は天井をあおいでぺちんと額をたたいた。写真の中にいたのは悲しいくらいにハンサムな青年だった。ゼロの数はまだそれほど多くはない(と言っても私の生涯年収よりは確実に高い)彼は見慣れない麦わら帽子をかぶり、太陽のように笑っていた。
手配書にはまるで似つかわしくない、陰のない笑みだった。腕もまだちゃんとある。
私はボロボロの手配書を握りしめ、写真に見いった。
それは私の知らないシャンクスだった。
幼馴染なんていっても、文通をしていたのは十三歳から十八歳までのたった五年間だけで、それ以降のシャンクスを私は知らない。彼が語る過去は、おもしろおかしく切りとられた断片の集合体にすぎず、切りとられなかった部分は私の見えないところに厳重に鍵をかけてしまわれている。
手紙の隅に赤黒い染みを残して音信不通になってから、誰と出会い、何を考え、どんなふうに生きてきたのか、本当は何も知らないのだ。
「楽しそう、ですね」
「お頭はだいたいいつもそんな感じだ。昔っからな」
私はつめていた息を吐いた。じわり、と喉のあたりにあたたかいものが広がるのを感じた。
よかった。
辛い目にあったって、折れも欠けもしない強い人であることくらいわかっている。でも彼が強いことと、私が彼を想うこととは何の関係もないのだ。
長年の空隙に小さなピースがはまり、私はようやくすこしだけ安心した。バレないように一度だけ目元をこすってから、私は笑って大声でたずねた。
「麦わら帽子、似あいますね。もうかぶらないのかな」
「さァな。だが、お頭はそいつがいつかかならず、手元に戻ってくると信じてる」
ベックマンが答えた。にやりと笑った副船長を見て同じく意味ありげに口の端をあげたあと、ヤソップはふたたびシャンクスの手配書に視線を落とした。
「ま、時の流れは残酷だな。俺にしろお頭にしろ。今じゃただのヒゲオヤジだ」
「ヤソップさんは今でも若々しいじゃないですか。お父さんとは思えません。もちろんいい意味で」
「ヘヘッ、ありがとよ。でもまァ、俺のガキのほうこそそう思ってるだろうな。こっちは悪い意味で。母親と自分を放ったまま、ろくすっぽ家にも帰らないロクデナシの親父なんざ」
「息子さん、今おいくつでしたっけ?」
「来月の一日で十五になる」
即答するヤソップ。ベックマンはというと、おもしろそうな顔で私たちのやりとりに耳をかたむけていた。
「誕生日もうすぐじゃないですか!あの、余計なお世話なのは承知なんですが、何か送ってあげたりしないんですか?」
彼はふうむと腕を組んだ。
「送るったってよ。親父の顔なんて忘れちまってるに違ェねェし」
「逆に写真なんてどうですか? 」
「足のつくもんはダメだ。あるとすりゃァ、それこそ手配書くらいだが、こんなもん送りつける父親なんて正気じゃねェだろ」
「まあたしかに。それなら、手紙は?」
口をついて出てしまった。
「手紙ィ? 」
ヤソップは素っ頓狂な声をあげたあと、首を横に振った。
「もういいんだよ、イチル。口でどう取りつくろっても俺は結局自分の生きたいように生きることを選んだんだ。俺を頼りにしてる嫁さんとガキを放りだしてな。恨まれても文句はいえねェよ」
自業自得だ、と軽い調子で笑いながら、彼は自分の手配書をぽいと古紙の山に投げもどした。その肩はいつもよりほんのすこしだけ下がっていた。
そんなことないのに。
私は心の中でつぶやいた。
子供は親がしてくれることなら、なんだって嬉しいのだ。顔を覚えていないくらい分かたれているならなおさら。
「そうか? 喜ぶだろうぜ。ガキってのは親のことを慕うもんだからな」
私は顔を上げた。口をはさんだのはベックマンだった。
「飲んだくれて顔を見ればしこたま殴ってくる父親でも捨てられねェ。ヤク浸りで真っ昼間から男を連れこむような母親でも放っておけねェ。ネズミのクソみてェな奴らでも、親は親だ。そういうもんだろ」
「そういうもんかねえ。だが海賊が手紙なんざ」
「変じゃないですよ。ぜんぜん」
そう言うと、ヤソップはすこし驚いたような顔で口を噤んだ。
「立場上、名前を書くのが難しければ名前なんていらないです。そんなものがなくても誰から届いたものかなんて、ちゃんとわかります。家族なら」
それを、どれだけ願ったことだろう。
父の日と母の日に小学校で手紙を書いた。学校の先生は「お父さんもお母さんもきっと返事をくれますよ」と言った。その日から私は毎日ポストをのぞきつづけた。
「お節介かもしれませんが。伝えられるときに伝えてあげてください。子どもはずっと待ってるんです」
手紙を送るのはさびしかった。手紙を待つのは悲しかった。本当は手紙なんて嫌いだった。
手配書の写真を見ながら思う。
でも、だからこそ彼から手紙をもらったとき、私は。
「おっ、どこの男前かと思ったら俺じゃねェか」
写真が手の中から消えた。覆いかぶさるような長身の上に見知った赤色が見える。
「ふうん、あらためて見りゃあなかなか悪くねェな」
シャンクスは顎に手をあて、いろいろな角度から昔の己を観察した。字面どおり自画自賛である。
「お頭、掃除は終わったのかよ」
「俺のなかではな」
「なんだそれ」
呆れるヤソップをベックマンが笑った。
「お頭、これまで楽しかったか?」
シャンクスは突然そう問いかけたベックマンに不思議そうな顔を向けた。ベックマンは目元をすこしゆるませたまま何も言わない。何を思ったかシャンクスはくるりと向きなおり、私の顔を見つめた。
そして、「そうか」とゆったりと笑った。
「それならそう言え、イチル。足りねェならいくらでも聞かせてやるから。虹の島の話か?それともルウが見つけた宝箱の話か? ほら、さっさと行くぞ」
有無をいわさず猫のように首元を引っぱりあげられた。
「まってまって、まだ整理が」
「ふたりいりゃ十分だ。それよりお頭の話し相手になってやってくれ。ヒマなまま放っておくとろくなことをしない」
「ベック、お前なァ」
すでに私を俵のように担ぎあげていたシャンクスは、すねたように肩をすくめた。
廊下に出た彼は、船長室に向かってずんずんと歩きはじめた。一歩進むたび、お腹のあたりに肩がめりこむ。
「お、おふう。そろそろ下ろしてもらえると嬉しいんですが」
「できない相談だ」
「わかった。じゃあここで吐くね」
きっかり一秒後、私の両足は床板に着地していた。シャンクスにならんで歩きながら、ポケットから取りだした例の手配書を眺めた。
「はぁ。昔のシャンクスはこんなにきちんとした少年だったのに。少なくとも掃除をサボったり、人を荷物のように運んだりはしなかったはず」
「手配書に載ってる時点できちんとしてないだろ」
「こんなときだけ常識人ぶるのはやめようね。でもまあ、笑っててほっとした。これは本当」
隣の彼を見あげ、笑いながらため息をついた。写真の中のシャンクスは白黒の写真がフルカラーに見えるくらい、明るく色のある笑顔をしている。
「今の俺と昔の俺どっちがいい?」
「難しいこと言うなぁ。じゃあ聞くけど今の私と昔の私、どっちがいい?」
シャンクスは肩をすくめた。
「お前のそういうところ嫌いじゃない」
「私もシャンクスのそういうところ嫌いじゃないよ」
「ふうん? なんだか気分がいいな。よし、今晩は寝かせてやらねェことにする。徹夜で話してやるから耳の穴かっぽじっておけよ」
「とか偉そうに言いだしっぺになるくせに、いつも話の途中で先に寝てしまうシャンクス氏なのであった」
「やめろ。未来を予知するな」
目的地についた私たちは、笑いながら船長室のドアを開けた。
待ちつづける私に手紙をくれた人は後にも先にもたったひとりだけ。彼が私をどう思っているかなんて関係ない。 彼がどんなに強い人でも関係ない。私にとっては大事な部分はそんなところにはないのだ。
と、ちょっと良いことを考えた数秒後、船長室をのぞいた私は盛大に悲鳴をあげることになった。掃除途中でほっぽり出されたぐちゃぐちゃの室内。さらにこのあと、飛びだしてきた黒光りする虫の大群に白目を剥くことになるのだが、それはまた別の話である。
「アアア、なにこれェ!」
「何ってゴキ―― 」
「その名をたやすく口にするんじゃないわよーう! ちょっ、無理、だめ、自室に帰らせていただきます!よろしいか、よろしいね!?」
「待て、話せばわかる。ほら、ここにおいしいお菓子―― 」
「―― だったものに、何かがうごめいてますけど!うげええ、ベックマンさぁん!」
「やめろォ!その名を容易く口にするんじゃねェ、後生だから!」