「えっと、シャンクスはたぶん、私が今何を言いたいかわかってくれていて、そのうえでそういう顔をしているんだろうけど、さらにそれをわかったうえでやっぱり言ってもいい?」
「ああ、イチル。俺はお前がその歯に物がはさまったような言い方で今から何を言おうとしているのか大体予想がついているし、ついたうえでこういう顔をしているわけだが、そのうえでも、もしお前がどうしても言いたいというなら言ってかまわない」
「あのね、シャンクス。私ひとりで買いものに」
「ダメだ」

 即答である。最後まで言わせてももらえなかった。

「変なところには行かないし、日が暮れる前には帰ってくるし」
「ダメだ」
「もちろん無茶な真似だって絶対にしないから大丈夫――

 シャンクスは身ぶり手ぶりでどうにか説得しようとしていた私の手首を、がしっとつかんだ。

「アアン?『大丈夫』だと? 」

 完全にチンピラの顔である。ひい、と引きつりながらも私は一生懸命答えを考えた。

「いや、あの、つ、次こそは大丈夫、なはず、というそんな希望的観測です」

 筋者に恫喝される一般人のように―― いや、実際それで間違いないのだが―― どきどきしながら相手をうかがっていたところ、シャンクスは盛大なため息をついてがくっと肩を落とした。
 頭を下げたついでに私の額に軽い頭突きをかます。

「言うにこと欠いてそれか、このバカッ」
「いでっ」
「むしろあれだけの騒動を引きおこしたあとで、何で許されると思ってる」
「で、ですよね」

 苦笑いで答えた私の額に、今度はデコピンが炸裂した。

「あうっ」

 のたうちまわる私を見おろしながら、シャンクスは懇々と語った。

「勘違いするなよ。この前の騒動にしても、俺はべつにお前が悪かったとか、責任を感じろとかそういうことを言ってるわけじゃねェ。出歩けば何かとトラブルに巻きこまれる、そういう奴はたまにいる。これはもう体質みたいなもんだ。そして俺のほうはどうかというと、問題が起こるとわかっていて、みすみす野放しにしておくほど無責任な人間じゃねェ」

 めずらしくお説教モードのシャンクスを前に、私はもぞもぞと両手の人さし指を突きあわせた。

「向こうにいたころはそんなこと全然なかったし。普通の人間だったし」
「へェ、向こうの普通の人間ってのは、うっかり別の世界から手紙を受けとったり、いきおいあまって次元の壁を超えちまったりするもんなんだな」

 ぐうの音も出ない反論に、おもわず「たしかに」と頷いてしまいそうになった。例のごとく、私の心の中など一から十までぜんぶお見通しのシャンクスは、私が納得したことを悟って話を進めた。

「というわけで、当分ひとりで買いものに行くのは認めない」
「でもみんなについてきてもらうの、すごく申し訳ないよ。せっかくの非番なのに」
「それなら気にするな。俺が行く」
「あっ、そうだね。それなら気もつかわない……ん?」

 私はシャンクスの顔を二度見した。

「今なんて?」

 シャンクスはもう一度繰りかえした。

「俺が行く。今日はなんとなく外に行きたい気分なんだ。目立つようなことはしないし、人混みには行かないようにするし」
「いやいやいやいや」
「帽子だってちゃんとかぶっていくから大丈夫――

 私は身ぶり手ぶりで説得しようとしていたシャンクスの手首を、がしっとつかんだ。

「いや、大丈夫じゃないよね?」
「あー、イチル顔が怖いぞ。いや、あれだ、しいていうなら次こそは大丈夫、なはず、というそんな希望的観測だな」

 バカもん、と頭突きをかましてやろうと思ったが、結局ため息をつくだけにとどめた。このままじゃ永遠に話が終わらない。

「ベックマンさんには言ってある?」
「そ、それとなく」
「次こそ本当に海の藻屑になるよ……」

 過去のことを思い出したのか、一瞬頬が引きつったシャンクスだったが、すぐに気を取りなおすように咳ばらいをした。

「大丈夫だ。そんなに小さな島じゃない。海軍基地からも遠いし、厄介事はまず起こらねェさ。それに俺は気づいたんだ。お前と一緒なら絶対に正体はバレない」

 なぜ、と首をかしげた私の前で、シャンクスは自信満々にサムズアップした。

「かんたんな話だ。俺みたいなちょっとイケイケでスゴめの海賊がはべらせるのは、ボンキュッボンのグラマラス美女と相場が―― おふう」

 シャンクスはその場で床に倒れ伏した。このたび華麗に決まったのは、ボンちゃん直伝・おかま拳法初級技『彼のハートを撃ち抜くぞ☆乙女の正拳突き』である。

「さて、準備しないと」

 しくしくと泣く大の男をしり目に私は上陸の準備をはじめたのだった。



chapter7 SLEEPING BEAST

74 還らずの海―白昼―


 外はカンカン照りの夏空だった。
 縁日の綿菓子のような入道雲がのそっと空の真ん中に鎮座している。
 上陸地点から目当ての街まではすこし離れているらしく、私とシャンクスは人通りのない野道をふたりでのんびりとたどっていた。

 木陰を選んで歩きながら、大きくのびをした。

「うん、いい感じの夏だね」
「いい感じ?」
「青い空と白い雲。セミがどこからかみんみんうるさい昼下がりに、誰もいない道の上には陽炎が立ちのぼってて」

 私は白い帽子をおさえて、その場でくるりとまわった。水色のワンピースの裾がアサガオの花弁のように広がる。

「そんな風景を見るとね、胸のあたりにさびしいような、なつかしいような、どうしようもない気持ちせりあがってくるんだよ。シャンクスはそんなふうに思ったことない?」
「残念ながら。俺にとっては、なんてことない夏の一風景だな。でも、何を言いたいかはなんとなくわかる 」

 彼は肩をすくめた。

「俺とお前じゃ、その気持ちを感じる場面が違うってことだ」
「つまり夏だからそういうふうに感じるんじゃなくて、私だからそう感じる、ってことだね。私の中にある記憶や経験がそう思わせてる」
「さあ、どうだろうな。お前にかぎらず、お前の国の人間はみんな、お前のように思うのかもしれない」

 そうだ、と彼は思い出したようにつぶやいた。

「“還らずの海”」
「“還らずの海”?」
「ロジャー船長が言ってたんだ。大事な思い出や、なくしちゃいけない記憶は全部そこに流れていくんだと。海の女神ってのはさみしがり屋でな、船乗りが持ってる記憶のなかに気に入ったものを見つけたら、遣いを送ってそっと抜きとっていっちまう。その行き先が“還らずの海”。この世の人間たちの大切な思い出は皆そこで一緒くたになって渦潮みてェにぐるぐる回ってる」

 シャンクスは人さし指でくるくると宙をかいた。

「“還らずの海”は誰もたどり着けないところにあるんだ。でも時折、 女神が目を離した隙に“こっち側”に染みだしてくることがある。この広い海をつたって俺たちの中に流れもどってくるのは、自分のものだったのか、それとも他の人間のものだったのか、誰のものかももうわからない記憶だ。だから、よく思い出せないのに―― とても、なつかしい」

 彼の目は遠くの海を見つめていた。

「シャンクスには“還らずの海”からどんなものが流れてきたの?」
「そうだな、たとえば」

 シャンクスはすこし考えてからしずかにつづけた。

 残照に照らされた誰もいないデッキ。水平線のあたりはすこしずつ夜色がせりあがってきている。どこからともなく流れてくる夕飯のにおいに、食器の音。

 歌うような声は、そこで止まった。

「それから。ああ、えっと。どうだったかな」

 彼は困ったように眉間にしわをつくって、足元を見た。真昼の太陽の下で、帽子をかぶった彼の影は実際よりもとても小さく見えた。

◇◇◇

 しばらく歩いてたどりついた街には、この炎天下にもかかわらず大勢の人がいた。念のためシャンクスは帽子を深く引きおろしたが、真夏の陽光で濃い陰をつくったツバの奥をわざわざのぞきこむような物好きはそういない。

 必要なものを買いおえて、ひとやすみしようかと話していたとき、視界の隅にさびれた露店が見えた。
 こぢんまりとしたひさしの下、看板も掲げずに営業しているそこは、見たところ行商の出店のようだった。美しい形や不思議な色をした珍品が並べられた店先に、いわれるまでもなくムズムズと好奇心がかき立てられた。
 シャンクスはちらりとこちらを見たあと、私の手首をつかんで店の前へと引っぱっていった。

「いらっしゃい」

 年老いた商人が柔和な笑顔とともに会釈をした。彼は私たちふたりの顔をじっと見たあと、顎を触った。

「ふむ、合縁なるかな。奇縁なるかな。次にお客が来たら、この島での商いは終わりにしようと考えていたところでございました。最後のお客様方、ご所望の品をうかがっても?」
「何か、実用的なものを」

 意外にもシャンクスはそのような応えをした。てっきり冷やかし程度に見るものだと思っていた私は、つい驚いて隣にいる彼の顔をのぞきこんだ。

「実用的なもの、でございますね。ならばこちらに」

 老商人は地面に直接敷かれた黒い毛氈のようなものを指さした。黒い布の上に置かれているのは、紙にはじまり、インクやペンなど机まわりの品だ。シャンクスは品定めをはじめた。真剣なまなざしをひとつひとつに送っていく彼の前で、老商人は相変わらず人好きのする笑みを浮かべている。
 その頬のあたりにきらりと反射する光を認めた私は、本人に気づかれないようにこっそりその日焼けした耳朶に視線をやった。

 はたしてそこには金色の耳飾りがぶらさがっていた。何をあらわしているのか、見たことのない不思議な形をしている。

「ご関心がおありで?」

 隠れて見ていた気恥ずかしさで、私は肩を縮こまらせた。

「ええ、とてもきれいで」
「ありがとうございます。父から受けついだものにございますが、一族のしきたりにより生まれて間もないころからずっとここに住まわせております」

 老商人は茶目っ気のある言い方をし、愛おしむような手つきで耳飾りに触れた。どのような仕組みなのか、しゃらりと澄んだ音がする。
 半世紀以上、いやもしかするともっと古いものかもしれないのに、耳飾りは今なお真新しい金色に輝いている。
 見る者の目を惹く、美しい品だった。

イチル

 シャンクスがこちらを向いて言った。

「好きなものはあるか?」

 目をぱちぱちさせた私に、彼はもう一度言った。

「お前が使うものだ。やっぱりお前が自分で選んだほうがいい」
「えっと」

 船に乗った時からの取りきめで、生活に必要なものはすべて私が自分で買うことになっている。買うことになった、というよりも、買いたいという主張を押しとおした、のほうが正しいが。たかたが居候ひとりにかかる金を惜しむほど、レッド・フォースの台所事情は逼迫していない。私個人のプライドの問題である。

 というわけで服や洗面用具は上陸のたびに自分で買い、食事代に関してはいちいち計算して渡すことが難しいので、レッド・フォースでの“仕事”―― ウォーカーたちの先生をすることの対価が具体的な金銭のかたちをとらずにそのまま食費に充当されている。

 つまりは自分で言いだしたことではあるが、つねに金欠なのである。ドルテン先生の太っ腹のおかげでもうしばらくはもちそうだが、収入がないので減る一方、欲しいものは多々あれど、最近の私はますます無駄遣いを厭っていた。店先で品物を見ず、店主の顔ばかり見つめていたのはそういうわけだった。

 あまり格好のつかない事情をどう言いあらわしたものかと悩んでいた私だったが、金の心配はするな、とささやかれるところまできて、ようやく彼の好意を汲みとった。
 買ってやる、と。

「シャンクス、でも」
「仕事に使うものならいいだろ。支給品だ、支給品」

 私のプライドを慮りながら同時に私の願いを叶えるすべを持ちあわせていたシャンクスは 、あっさりとそう答え、今度ははっきり「選べ」と言った。
 支給品にしてはどれもこれも贅沢すぎるものばかりだ、と苦笑したが、その気持ちがとても嬉しく、結局、好意に甘えることに決めた。

 さて、財布の重さを気にとめる必要がなくなった私は色とりどりの商品にさっそく魅了されてしまった。店主の言葉も耳なかばに、あれを眺め、これを触りと、心ゆくまで店先を堪能する。

 薄紅色の石でできた花の形の文鎮と繊細な木皮細工のペン入れをそれぞれ左右の手にのせて、ペン入れは使える、いやだがこの文鎮もなかなか捨てがたい、と心のシーソーをぎったんばったん漕いでいたとき、ふと毛氈の上に目新しい青色があるのに気づいた。

 ならんだ商品は上から横からひとつ残らず眺めまわしたあとだというのに、それが目に止まったのはこの時がはじめてだった。別のものを見ている間に店主が出したのか、とも考えたが周囲を動かしたような形跡はない。どうやらはじめからそこにあったらしい。
 単にそれがそこにあることに今まで気づかなかっただけなのだ。

 私は文鎮とペン入れをそっと置いて、青いそれ―― 一本の羽ペンを手にとった。

 そばにいた店主とシャンクスが同時に息をつめた気配がしたが、当の私はというと手の上のそれを見るのに忙しく、彼らの様子にまで気をまわす余裕はなかった。

 ペン先から羽の先まですべてが深海のような青色だった。

 羽先にいくにつれてうっすらと波が立ったような色の揺らぎがあり、それがなんとも言えず繊細でうつくしい。海をそっくりそのまま羽根の形に流しこんだら 、こういうものになるのかもしれない、と私はぼうっと波間に漂っているような恍惚とした気持ちで羽ペンを見つめた。

 イチル、と名前を呼ばれた。止まっていた時が流れだして、私はぱっと顔を上げた。シャンクスと店主が真剣な面持ちで私を見つめていた。

「ああっ、勝手に触ってすみません」

 羽ペンを慌てて店先に戻そうとした私の手を、店主の言葉が押しとどめた。

「いえ、お目が高い、とそう思っていただけでございます。それが何かをご存知で?」
「知ってのことじゃない。そうだろう、イチル

 羽ペンを手にのせたまま頷いた。シャンクスは私を顎で指して、店主に告げた。

「ためしに、コイツに使わせてやってくれねェか」
「もちろんですとも。どれ、ここに書いてみなされ」

 差しだされた紙切れにペン先を置こうとして、私ははたと手を止めた。当然のことなのだが、ペン先にインクがついていない。

「あの、インクが」
「そのままでいい」

 シャンクスにそう言われて、半信半疑のままそっと紙の上を一文字に走らせてみた。
 その途端、乾いたペン先から鮮やかな青色があふれだした。
 あっ、と短い声をあげ、さらに一本、二本と手の動くままに線を引く。荒い羊皮紙の上に、美しい青波が幾筋もさざめいた。

「海神の遣いとも呼ばれる南伽藍みなみがらん鳥の羽根は、類まれなる性質を有しておりましてな。尽きず、褪せず。古くよりたいへん珍重されてきたものなのですよ」
「俺ですら数えるほどしか見たことねェ。こんな貴重品を店先なんぞによく置けたもんだ」
「偶然手に入れて以来、外に出したことはなかったのですがね。今朝からどうにも騒ぐもので」

 私が、手の上にのった艶やかな青い羽根に視線を落とすと、店主は訳知り顔で頷いた。

「左様。長くこの生業をやっていますとな、物も人も見ただけでよくわかるようになるのです。のう、赤き御髪の王よ」

 老いてなお、くもることのない透明な視線を向けられて、シャンクスは穏やかな笑みを浮かべた。

「言い値だ、ご老賢」
「ほほ、さすがに気持ちの良い。では、お言葉に甘えるとしましょう。お代は、この老いぼれが“外”に出られるだけのものを」

 シャンクスは懐から取りだした布袋を、そのまま店主の手元に置いた。ざらり、と羽ペン一本の代金にしては重すぎる音がした。
 金を己の懐にしまったあと、商人は毛氈の上の商品をひとつひとつ布でくるみはじめた。

「店じまいか」
「この海の潮気は身体にこたえますゆえ。それに、すこし疲れました」

 最後にそうつけ加え、老商人は顔を上げた。彼が見ていたのはシャンクスではなく私だった。
 目をそらすことができず、じっと見つめあっているうち、目や口のまわりに刻まれた深いしわが―― 笑いしわだと思っていたそれらが、朽ちる寸前の木肌のような痛々しいひび割れにすぎなかったことに気づいた。

「ながく、待っているのですか」

 突然、そんな言葉が口をついて出た。
 老商人は目を見ひらき、喉元に真っ赤に焼けた火かき棒でも押しあてられたような、短く引きつれた声を漏らした。

 自分でもなぜそのようなことを言ったのかわからないまま、私はみるみるにごっていく老いた瞳を見つめていた。

 ゆっくり動く雲の影が右から左へと足元をすり抜けていった。死人のように硬直していた老人がようやく言葉を発した。

「そう、あまりにも長く待ちつづけ、擦りきれ果てた」

 彼は私の目を通して、どこかぼうっと遠いところを見ているようだった。

「この世に生まれ出でた日よりずっと。だが見えぬ、見えぬ。まだ見えぬ。儂にはわからぬ。わからぬほうが良いのかも知れぬ。災いなるかな、祝福なるかな」

 彼は枯れ木が倒れるように地面に膝をついた。ひざまづく騎士のように私の手を取り、そして私であって私でない誰かにこう問いかけた。

「いまだ乾きし常世の泉よ。約束の日はいつ来たる」

 すがるような声で言った老人の、その耳元で揺れる金色があった。
 今日ははじめて見たもののはずなのに、その光は夏の陽炎のようにどうしようもなく私の胸を締めつけた。


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