93 奴隷商人(Ⅰ)
「奴隷、商人?」
同じ言葉を繰りかえすことしかできなかった。
「人間限定ならそこそこ有名なんだぜ。『ミスタ・シルバの商品はハズレがない』ってな。こう見えて手堅い方なんだ。シャボンディの人間屋みたいに手当たり次第にやるのは色気がねェ」
人間限定?
商品?
知らない言葉と知りたくない言葉が頭の中を行き交う。
しかし、真っ白になった心からこぼれ落ちたのは、考えていたものとはまるで違う言葉だった。
「どうして?」
話しつづけていたミスタ・シルバが口をつぐんだ。
黒い瞳が光を失い、死んだように瞬きを止める。
男はつぶやいた。
「……WHY?」
彼の目は遠く仰ぐように誰もいない宙に向けられていた。どうして。なぜ。なんで。
しかしその意味を読み解くより前に、ミスタ・シルバは何事もなかったかのように元の気怠げな表情に戻った。顎に手を当て「なるほど、なるほど」と納得したようにうなずく。
「まともな言葉が話せることはわかった。立ち振るまいからしてそれなりの教育を受けてもいそうだ」
彼はなぜかそこで、「ハア」と大きなため息をついた。
「が、悲しいかな。肝心の話の中身がつまらねェ。病的につまらねェ。どこぞの子女の教育係として売れるかと思ったが……やっぱり道で拾った物は所詮その程度ってことか」
急に私の姿が見えなくなったように、ミスタ・シルバは壁のほうを向いてひどく残念そうに肩を落とした。そのままくるりと背を向ける。
「拾った物で儲けようなんて考えるんじゃなかったぜ。あーあ、時間を無駄にしちまった」
「まだ話が―― 」
「おい、コレいつもの場所に片付けとけ」
彼は部屋の中を指差しながら、廊下にいる警備兵に声をかけた。部屋の中を見回すが、室内にあるのはランプと寝台だけだ。
そう、部屋の中には何もない―― 立ち尽くす人間以外は。
「せっかく運んだのに、いいんですかい?」
「高値がつかねぇなら特別扱いする必要ねェからな。あ、でも世話代の元は取りてェから傷はつけんなよ」
「世話代っつってもここに寝かせただけじゃねぇですかい」
「人件費」
「へいへい」
呆れた声で答えながら、傭兵は慣れた手つきで私の手足に枷を嵌めた。しかし私はそのことにも気づかないくらい、ミスタ・シルバの言葉に呆然としていた。
THIS?
「ちょっと待っ―― 」
「やっぱり、ただより高いものはねェなァ」
ミスタ・シルバはあくびをしながら、やはり怠そうに部屋を出ていった。
引きずられるようにして放りこまれた先は、さっきの部屋とは段違いに暗く汚い地下牢だった。
あたりに漂う不衛生な臭いに、私はおもわず顔をしかめた。スラムですっかり慣れたと思っていたが、長年身体に染みついた感覚は簡単には変わらないらしい。
暗さに目が慣れると、向かい側の牢に誰かいることに気づいた。
息を潜め、獣のようにこちらを伺う複数の瞳。
おそらくは子どもだろう。一人、二人、三人、四人……いや、もっとたくさんいる。怖がらせないようにそっと様子を伺っていくと、その中にデジャヴュを感じる視線があった。
まさか。
「エルル?」
「……イチル?」
闇が動き、何かがものすごい勢いで跳ねでてくる。子猿のように鉄格子に飛びついたのは、やはりエルルだった。
「イチル!?どうしてこんなところにいるの!?」
「エルル!怪我は?ひどいことされなかった!?」
まったく同じタイミングで質問を交わし、互いに顔を見合わせた。
「良かった」
「イチルこそ」
見張りの傭兵がちらりとこちらを見たが、囚われの女と子どもに何ができる、と言わんばかりに大あくびをした。
幸か不幸か、私の牢に先客はいなかった。私は鉄格子に近づき廊下越しに彼女と話をした。
ここに連れてこられた経緯、目的、現状。
残念ながらエルルが話してくれたことは、私の知っている話と何ら異なるところがなかった。
「そうだったんだね……」
「うん」
天井近くでランプの光が頼りなく揺らぐ。エルルの表情は闇に曇ってはっきりとは見えなかった。
「エルル。もし、私があの時―― 」
その時、彼女の背後で人の動く気配がした。
「大丈夫、怖い人じゃないよ」
エルルの声に誘われて、複数の光る瞳がそうっと鉄格子のそばまで近づいてくる。エルルの牢の子どもたちだ。
大人が怖いのか、「こんにちは」と声を掛けるとクモの子を散らすように牢の奥に逃げこんでしまった。
「あの子たちもエルルと一緒に来たの?」
「ううん。私が来る前からここにいたみたい」
そう言ってエルルは彼らとこの場所のことを教えてくれた。
牢にいるのはエルルを含めて九人、十歳前後の子どもばかりであるということ。エルルたちの牢はD-4と呼ばれていて、どうやら他の場所にも子どもがいるらしいこと。食事は一日二回、決して贅沢ではないが、飢え死ぬような状態ではないこと。大人しくしていれば、乱暴に扱われたりはしないこと。
「商品だから大切に扱え、って。長い髪の男の人が」
「……そう」
なんと答えていいかわからず、私は下を向いた。
『奴隷』という言葉が今になって重苦しく胸にのしかかってきた。
―― 奴隷。
歴史や物語で目にするだけの言葉だった。あちらの世界にはそんなものはなかったから。
私はぼんやりとした気持ちで手と足につけられた枷を見下ろした。
急に黙り込んだ私を、エルルが心配そうな顔で伺っていた。
助けるどころかむしろ、助けようとした相手を心配させている。ミイラ取りがミイラになるってこのことだよね、と笑ってみようとしたが、笑えなかった。
「ねんねの時間だぜ」
いつの間にかすぐ近くに立っていた見張りが、言葉と同時にガチャンと鉄格子の前に戸を下ろした。わずかなランプの火すら見えなくなる。
真っ暗な牢の中、私のそばに寄り添うのはひんやりとした枷の感触だけだった。
「……イチル」
かぼそい声が聞こえてきたのは、戸が下ろされて一、二時間が過ぎたころだった。
「イチル……」
「エルル?」
戸の向こう側から途絶え途絶えに聞こえてくるその声は、たしかにエルルのものだった。
「どうしたの?」
「……手と、足が……」
「エルル?大丈夫?」
「イチル……」
声が遠くてよく聞こえない。ただなんとなく良からぬものを感じて、私は戸を叩いた。
「誰か!誰か来て!早く!」
「うっせーな。ガキでもあるめぇしガタガタ騒ぎやがって」
しばらくして、見張りがしぶしぶ明かりを持ってやってきた。乱暴に下ろし戸を開けて私の顔を照らす。
「なんだ?つまらねぇ用だったらはっ倒すぞ」
「向かいの牢の女の子、何か様子が変なんです!お願い早く見て!」
「アア?」
子どもの様子を見るのも仕事のうちなのだろう、男は愚痴をこぼしながらも向かいの牢を照らした。
背中に冷たい汗が流れた。エルルが床に倒れている。
「エルルどうしたの!?しっかりして!」
「手と足が、痛、くて」
見張りがエルルの手足にランプをかざす。ところが男はその途端、肝をつぶしたような声を上げた。
「な、なんだこりゃ!」
牢の隙間から覗きこんだ私もおもわず息を飲んだ。
手足のあちらこちらに赤紫色の斑点が浮かびあがっている。
エルルの息は荒く、ぐったりとして呼びかけにも反応しない。危険な状態なのは素人の目にも明らかだった。
「ミスタ・シルバを呼んできてください!早く!」
「とりあえず今晩は様子見でいいんじゃ―― 」
「何かあったら見張りの貴方の責任になりますよ!いいんですか!?」
「お、おう」
怒り狂うミスタ・シルバの顔を思い浮かべたのか、見張りが慌てて駆け去っていく。
五分も経たないうちに辺りがにわかに騒がしくなり、ミスタ・シルバが姿を見せた。
「どこだ」
指差すよりも前にミスタ・シルバは床にしゃがみこんでいた。ランプに顔を近づけて食い入るようにエルルの手足を見つめる。
「まずいな」
蒸し暑い夜半のこと、浅黒い頬からぽたりと汗が垂れる。ひと言呟いたその横顔は、昼間の様子からは想像もつかないほどひどく深刻なものだった。
「危険な病気なんですか?」
ミスタ・シルバは答えるかどうか一瞬迷う素振りをみせたが、無視をすれば余計にうるさいことになると予想できたらしかった。見張りの傭兵たちにも聞かせるように、汗をぬぐいつつ大きめの声で答えた。
「この島の風土病だ。高熱が出て手足が壊死する。薬がなけりゃ一日も保たねぇ」
真っ青になった私の顔を見て何を勘違いしたのか、ミスタ・シルバは軽く笑って付け加えた。
「心配するな。大人には伝染らねェからな」
私たちの見張りをしていた男を含め、周囲の傭兵たちがほっと胸を撫で下ろす気配がした。しかし当然のことながら、私にとっては何ひとつ慰めにならない言葉だった。
私は鉄格子にしがみつくようにして喚き立てた。
「早く薬を!このままだとエルルが……!」
「ああ、このままだとまずい。他の牢に伝染る前にD-4は全員処分だ」
立ち上がったミスタ・シルバは冷静な口調で周囲に告げた。
「牢の外から全員撃ち殺せ。死体ごと牢を消毒する」
「C-1のガキはどうしやす?」
「『ガキ』はやめろと言ってるだろうが。『商品』と呼べ。C-1は作業の前に生きたままま別棟に移す」
この人たちはいったい何を言ってるんだ?
今まさに目の前で交わされている会話が現実のものとは思えなかった。ぽかんとして立ち尽くす私に気付き、牢の前にいた傭兵がこちらを顎でしゃくった。
「この女はどうします?」
「隔離牢に移せ。発症はしないが数日間ウイルスを保有する場合がある。他の商品に伝染ったら事だ」
「―― 待ってください」
張り上げたはずの声は、枯れ枝のようにか細く掠れていた。
「それから消毒班とは別に検査班をつくれ。一応他の商品にも不具合がないかチェックする。病持ちなんか売った日にゃ信用ガタ落ちだ」
「待って」
「ほら、さっさと始めるぞ!急げ!」
下を向いて、息を吸いこんだ。
「―― 話を聞け!」
今度こそ、私の声は地下牢中に響きわたった。わんわんと四方から迫るような叫び声にミスタ・シルバも傭兵も黙りこんだ。私は立ち上がって、ミスタ・シルバに問うた。
「どうして殺すの?」
「その耳は飾りか?罹ったら一日も保たずに死ぬんだ。全滅を避けるのに他に方法がない」
「薬を飲まなければ、といったのは私の聞き間違い?」
「……耳だけじゃなくて脳みそもイカレてるらしいな」
低く唸るように呟いたかと思うと、彼は荒っぽく手を伸ばし私の襟首を格子ごしに掴んだ。
「割にあわねェからだよ!薬の仕入れにゃ金がかかる。薬飲ませた以上は完治させねェと無駄になる。じゃあ熱を出した『商品』を毛布でくるんで栄養のある飯を食わせて……人件費だけでいくらかかる!?にもかかわらず、こいつらにはその元を取れるだけの値はつかねェ。そりゃそうだ、常識もねェ、字も書けねェ、赤ん坊からの栄養不足のせいで大人になっても寿命は短ェ。生まれつきの弱者ってのはそういうモンだ。理解できたか?理解できたらその口閉じてな!」
「薬、持ってるんですよね」
私は区切るようにゆっくりと言った。
ミスタ・シルバは今度こそ完全に狂人を見る目になった。床に倒れているエルルを指差して言う。
「まさかとは思うが、ここに来た理由はこれか?」
「こんな場所に来るのに、他にどんな理由が?」
ミスタ・シルバは目を見開き、じっと私の顔を覗きこんだ。喉首を掴む手がわなないている。このまま泡でも吹いて倒れるのではないかと思うような形相だった。
殴られるか撃たれるか―― そう覚悟した私の予想は外れた。
ミスタ・シルバは突然、腹を抱えて笑いだした。
冷静さをかなぐり捨てた、割れるような大声だ。周囲の傭兵はみな動きを止め、化け物でも見るような表情でミスタ・シルバを眺めていた。
大笑いの後もまだ笑い足りないように時折喉を鳴らしながら、ミスタ・シルバは私に言った。
「つまらねェヤツだと思っていたが、ここまでくると話は別だなァ。そこまで言うならチャンスをくれてやる。D-4の処分は保留だ」
傭兵たちが揃って目を見開く。
「本気ですかい?他のガキ、いや、商品に伝染ったら大変だってさっき―― 」
「ほんの少し猶予をくれてやるだけだ。それ以外の作業はそのまま続けろ」
ミスタ・シルバは羽織った粗布を翻し、私に背を向けた。
「ついてこい」
ミスタ・シルバの向かった先は彼の自室だった。
奴隷商人という言葉から豪奢な部屋をイメージしていたが、実際にはベッドと書物机があるだけの簡素な一室だった。
そういえばミスタ・シルバ自身の格好も華やかさからは程遠い。
黒目に黒髪、浅黒い肌。彫りが深く精悍な顔立ち。ローブのような粗くて長い布。
そのときふと、その姿に違和感を感じた。本来あるべきパーツが欠けているような、そんな妙な感覚だ。
「あの―― 」
そのとき、あるものを視界の端に見つけて、一気に意識がそちらに向いた。
テーブルの上に、取り上げられた私のナイフが載っている。
「ああ、それか。処分するには忍びない品だったんでね。どこで手に入れた?」
男の手が小さなナイフを弄ぶ。
「知人にもらいました」
「はあ?」
ミスタ・シルバが素っ頓狂な顔をする。だが、私の顔を見て嘘を言っていないとわかったらしく、心底ぞっとしたような声でつぶやいた。
「ソライト鋼のナイフをこんな小娘にやっちまう奴がいるたァな。“偉大なる航路”ってやつァこれだから……」
ミスタ・シルバは肩をすくめたあと、ナイフをそれなりに丁重に懐にしまった。「適当なところに座れ。ま、何もないがな」と言葉通りの室内を指して言ったあと、自分は文机のイスに腰をおろした。
「さて、この島の住民はなぜこんなに飢えていると思う?」
唐突な問いだった。イスの上でゆったりと足を組んだミスタ・シルバは、どこか面白そうに私を見上げた。
「土地が痩せているのと……泳げなくて魚が獲れない、こと」
つっかえながら答えると、ミスタ・シルバは「ほう」と感心したように笑った。
「さすがに外から来た奴にはわかるか。じゃあ、なぜこの島の奴らは泳げないんだと思う?」
目の当たりにしながらも、深くは考えてこなかったことだった。
「海のそばに生きる者が泳げないなんてことはありえない。誰に教えられるでもなく人は海に入りその日の糧を得る。そうだろう?」
元の世界のことを考えた。私は誰かに泳ぎを教わったか?友達はスイミングスクールに通っていたか?
答えはノーだ。
海があれば人は泳ぎを覚える。そういうものなのだ。
「この島もそうだった。港があり、船があった。人々は海と共に暮らしていた」
「だったら、なぜ……?」
ミスタ・シルバの瞳に仄暗い光が宿る。
「『神』の怒りに触れたのさ」