File.3 青い瞳のガーネット(Ⅱ)
いやあ、まさか、本当に。
「娘さんから直接、毛利探偵の武勇伝が聞けるなんて……!」
トウコは感極まって、すすりあげた。
「いや、武勇伝だなんてそんなたいしたものじゃ」
「何をおっしゃいます!お嬢さんの蘭さんだからこそ知っている、数々の逸話!解決した事件は千にも上るともっぱら噂の毛利探偵ですからね」
「あは、あはは」
向かいに座った少女―― 毛利蘭が苦笑もとい失笑した。
身内への謙遜というよりも、実態を知るがゆえに笑えない、という実娘の心境である。
しかし、悲しいかな、毛利過激派モードに突入しているトウコには、そのへんの機微が理解できない。
場所はポアロ。
ティータイムを少し過ぎた中途半端な時間だけあって客の数は少ない。カウンターの向こうでコーヒーを沸かしているのは梓ひとりだった。
『今日の天気は曇り時々……』『先日宝飾店に押し入った強盗犯はいまだ……』云々、ポップな効果音とともにテレビ画面がニューステロップを躍らせる。
蘭は鮮やかな色のレモネードをかき混ぜながら言った。
「本当に『お礼』がこんなのでいいんですか?そりゃあ、私は助かりますけど……」
「ええ、もちろん」
トウコは一年ぶりのアールグレイをテーブルに置いて、喜色満面で答えた。
父親である毛利小五郎の話を聞かせてほしい―― トウコの望んだ『お礼』はシンプルだった。
「それに、蘭さんとも仲良くなれて一石二鳥!蘭さんのことはポアロの人達から聞いていて、いつかお話しできたらいいなあって思ってたんです。なかなか機会がなくてこんなに遅くなっちゃったけど」
「トウコさんって、たしか留学に行っていたんですよね?」
おや、とトウコが首をかしげると、蘭は笑ってつづけた。
「ポアロはうちの家みたいなものだから、常連さんの名前はわりと耳に入ってくるんです。梓さんとか……あとは、父からも。ね、コナンくん?」
隣で至極どうでも良さそうにジュースを飲んでいた少年・コナンが突然の指名に視線を上げた。
「ボクも、前に元太たちから聞いたことあるよ。『ポアロでよく会うトウコねえちゃん』って」
「そうだったんだ」
「ほかにも『紅茶中毒者』『神出鬼没のアナログ魔人』『青車の女』などなど」
トウコは少年探偵団の面々を思い浮かべて、ため息をついた。
渾名をつけるのは勝手だが、もうすこし的を射ないものにしてほしい。
しれっとした顔でジュースを飲んでいるコナンに、トウコも意趣返ししてやることに決めた。
にやりと笑って顔を覗きこむ。
「でもね、実は私も知ってるんだよ」
「なにが?」
「コナンくんの正体」
「……しょ、正体?」
コナンは、弾かれたように顔を上げた。メガネの向こうで大きく目を見開き、トウコの顔を凝視している。
彼女は怪しげな笑みを浮かべたまま、びしりと人差し指を立てた。
「『サッカーがうまくて物知り!少年探偵団の影のリーダー』ってね。出どころは同じく元太くんたちだよ」
「な、なあんだ」
そこまで安心しなくても、というぐらいにコナンは目に見えてほっとした。脱力したようにソファにもたれかかる。
「怖い顔で言うからびっくりしちゃったよ」
「ふうん。何かやましいことでもあるの?」
「そ、そんなことはぜんぜん―― そうだ!トウコねえちゃんは、どうしてさっきボクたちだってわかったの?これまで会ったことなんてないよね」
コナンは慌てたように両手を振って、新しい話題を持ちだした。
紅茶のカップに手を伸ばしつつ、トウコはあっさりと答えた。
「だってふたりとも、毛利探偵と一緒によく新聞や雑誌に載ってるじゃない。有名人は大変だね」
「あ、あははは。そういうことかあ」
コナンは若干引きつりながら頬をかいた。このネット時代、個人情報なんてあってないようなものである。
そのとき、窓の外を見ていた蘭が声を上げた。
「あー、やっぱり降ってきちゃった」
表のアスファルトにぽつぽつと雨粒の跡がつきはじめている。
今日の天気は曇り時々ほにゃらら。さっきニュースが予報していたとおりだ。
「ごめんなさいトウコさん。私、お父さんに傘を届けに行かなくちゃ。もしかしたらすぐには帰ってこられないかも……」
「いや、こちらこそ長時間引き止めちゃってごめんなさい。もうすこしゆっくりしたら、適当なところで切り上げて帰ります」
「蘭ねえちゃん、ボクもいっしょに―― 」
「あ、カミナリ!」
空が光って、蘭が小さく叫んだ。その声をかき消すようにして雷鳴がつづく。
「急がなくっちゃ。コナンくんはここでお留守番してて。トウコさんに迷惑かけちゃだめよ!」
『ボクもいっしょに……』のポーズのまま停止しているコナンを放って、蘭は風のように駆け去って行った。いかにも運動神経の良さそうな走り方だ。
「なんかごめんね、コナンくん」
「ううん、こちらこそ」
妙な取りあわせで残されてしまったふたりは、黙ってそれぞれ手持ちの飲み物をすすった。
「おい、どういうことだ!」
店内に怒声が響きわたったのは、蘭が出ていってすぐのことだった。
慌てて振りむけば、帰り支度をしたシフト上がりの梓が、見知らぬ男に詰めよられていた。
「そ、そんなこと言われたって」
「しらばっくれるな!お前が盗ったんだろ」
梓は困惑した顔で、手に提げたバッグ―― 正確には、バッグの持ち手についたキーホルダーを見下ろした。
ぱっと目につくのは、鮮やかなレモンイエロー。
ふたりの口論の対象は、小鳥を模したぬいぐるみだった。
「ど、泥棒なんてするわけないじゃないですか。兄から誕生日プレゼントにもらったんです」
「誕生日プレゼント?ウソも大概にしろ!」
ジーンズを履いた三十後半くらいの男は、鼻息荒くキーホルダーを指差した。
「右の羽がすこし傾いてる。まちがいなく俺が三日前にカノジョに頼まれて買った物だ。シリアルナンバーだって覚えてる!ウソだと思うなら確認してみろ」
言うなり、男はスラスラと7桁ほどの数字を諳んじた。
しぶしぶぬいぐるみのタグを裏返した梓だったが、一転して驚愕の表情を浮かべた。
「ウソ……合ってる。どうして?」
男は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「ほらな、言ったろ。べつに警察に突き出そうっていうんじゃねえ。さっさと返せば、盗んだことは許してやる」
「イ、イヤです。盗んでなんかないし……」
「アア?」
男にすごまれて梓が身を固くする。トウコが止めに入ろうとした瞬間、カランカランとドアベルが鳴った。
「いやあ、花金の夕べとはかくも素晴らしき―― ってあれ。どうしたのこの雰囲気?」
能天気に片手を掲げた状態のまま、その人物はドア前で固まった。
上っ調子な顔のわりに、妙に着古されたスーツを着ている闖入者―― は、若い男だった。
「高木刑事!」
梓が男を突き飛ばすようにして、玄関へ走った。背中に逃げこんだ彼女は、すがるようにスーツの袖をぎゅっとつかんだ。
「あ、あ、梓さん!ぼ、僕にはもう心に決めた人が―― 」
「違いますう!事件です!」
「事件?」
条件反射とはかくあるべし。その単語を耳にした途端、高木の表情ががらりと変わった。
梓は高木の後ろに隠れながらも、男を力強く指差した。
「あの人に冤罪を着せられているんです。私のキーホルダーが盗難品だって」
「キーホルダー?」
視線の先にはふわふわのぬいぐるみ。高木は途端に目を泳がせた。
「そういうことはァ、ちょっと管轄が違うっていうかァ……で、でも大丈夫!明日、僕のほうから担当部署に―― 」
「高木刑事」
梓がドスの効いた声を出した。
「な、なにかな?」
「どうせ今日はこれからデートなんでしょ。ここで待ち合わせして……佐藤刑事と」
突然プライベートな話題を持ちだされ、高木は目に見えて動揺した。
「な、なぜそれを!」
「ここの人はみんな知ってますう。それよりも花の金曜日、心置きなく夜のデートを楽しむために、必要なことがあるとは思いませんか」
「必要なこと……」
ごくりとつばを飲みこんだ高木。その胸ぐらをつかむように迫った梓は、一歩も譲らない気迫で訴えた。
「すぱっと解決してください、刑事さん!」
困ったことになった。
すっかり出ていきそびれてしまったトウコは、緊迫した空気のなかで時計を確認した。
現在時刻、五時半。
約束の時間まであと一時間もない。
「こんなときにかぎって……」
こんなときにかぎって『彼』はやっぱり留守だった。忙しいのはわかるが、決めるところは決めてほしい。
『探偵』兼『喫茶店員』とかいう非常識な肩書が、めずらしくまともに機能する数少ないチャンスだというのに。
一番役に立ちそうで、結局一番役に立たなかった男をさっさと脳から追放して、トウコは現状の分析をはじめた。
救いはある、と思う。
あのスーツの男―― 梓が『高木刑事』と呼んでいた人物が、本当に刑事なら、さくっと解決してくれるかもしれないからだ
現場のほうに視線をやれば、梓と高木、謎の男の三人がテーブルを囲み、今なお喧々諤々の論争を繰り広げていた。
「だから、盗ってませんって」
「だったら、盗ってない証拠を見せてみろ」
「証拠証拠って……わかりましたよ、そこまで言うなら、今からこれをくれた兄を呼びます」
「身内なんてグルに決まってるだろ。そんなもん証拠になるか」
「じゃあどうしろって言うのよ!」
「逆ギレしてんじゃねえ!」
「まあまあ、おふたりとも、そう熱くならずに―― 」
「うるさい!」
ふたりから同時に怒鳴られて、高木はすごすごと引っこんだ。
仲裁を依頼された本人にすら相手にしてもらえない刑事。救いはないかもしれない。
時計の分針がまた一目盛り動いた。
こうしている間にも、残り時間は減っていく。
ポアロで顔見知りになった相手に職場でうっかりエンカウント―― 想像しただけで背筋が寒くなる展開だ。
風見からも厄介事は避けろと口を酸っぱくして言われている。
でも、今日の話にかぎっていえば、天秤の傾きは少々変わってくる。
約束に遅れるのだけは、絶対にごめんだ。
トウコは決意した。
こうなったら、バレないように解決するしかない。
さいわい、ここには刑事も子どももいる。トウコが関与したと思われないように、うまく動いてもらえばいい。
そう思ってソファから立ち上がろうとしたとき、トウコは突如、首筋がざわつくような妙な予感に襲われた。
反射的に首を押さえて周囲を確認すると、コナンが腕時計を掲げたポーズでこちらを凝視していた。光るメガネも相まって、どことなく異様な雰囲気だ。
「コナンくん?」
「へ、へんしーん!正義の味方デカレッド!なんちゃって。あはは」
コナンは慌てたように笑いながら、いそいそと袖のなかに時計を隠した。
現逮戦隊パクルンジャーの変身デバイスは腕時計らしい。
気を取り直したトウコは、今度こそ作戦を実行することにした。
状況開始のひと言は―― 。
「私、ちょっとトイレー」
「ボク、ちょっとトイレー」
おもわぬタイミングで声が重なり、トウコとコナンは顔を見合わせた。
「い、一緒に行く?」
「そ、そうだね」