ぶっちゃけ本当にトイレに行きたかったわけではないが、子どもの手前、嘘をつくわけにはいかない。
File.4 青い瞳のガーネット(Ⅲ)
コナンと仲良く順番にトイレに入ることになったトウコは、その動線を利用して、さりげなく現場に合流することに成功した。
コナンもなぜかちゃっかり着いてきている。
「話を整理しましょう」
当事者たちのいるテーブルに行くと、ちょうど高木が話の主導権を取りもどしたところだった。
「まず梓さん。このぬいぐるみは、貴女が誕生日にお兄さんからプレゼントされたもので間違いありませんね?」
「はい。シリアルナンバーの下四桁が私の誕生日と同じだからって理由で、わざわざこの『ヴァロちゃん』を選んでくれたんです」
梓はテーブルの真ん中に鎮座する問題の黄色い小鳥さん―― ヴァロちゃんこと、高級服飾ブランド『ジョルタヤ・ヴァローナ』のマスコットキャラクター―― を指差した。
丸っこくデフォルメされた身体、うるうるの黒目。おなかには銀色のチャック。
仰々しいブランド名には似つかわしくないいたいけな風貌だが、創業何周年だかで販売されているアニバーサリーキーホルダーということで、そこそこ暴力的なお値段設定がなされている。
「ところが、えーっと、そちらの方―― 三栖丘さんの主張によると……」
「何度も言わせんな。カノジョに頼まれて買ったんだっての!」
三栖丘と名乗った男はトゲのある声で答えたが、そこは高木も刑事である。相手の雰囲気にのまれることなく、「ふむふむ」とマイペースに聞き取りをつづけた。
「キーホルダーをなくしたのは?」
「三日前だよ。仕事が終わったら渡そうと思って、カバンに入れて会社に行ったんだ。夕方まではたしかにあったのに」
「それで、紛失する直前に訪れていたポアロが怪しいと考えたわけですね。キーホルダーを紛失した日は、何時にここに来ましたか?」
「17時ごろだったと思うけど。客先との約束が18時だったから、それまで時間をつぶそうと思って」
男は男でスラスラと事情を説明した。態度にも内容にも、とくにおかしな点はない。
高木はふたたび梓に向きなおった。
「そして、その時間はちょうど梓さんもポアロにいた、と。たしかに出勤していたんですね?」
「ええ。その日は午後シフトだったので、昼前から19時くらいまでいました」
「梓ねえちゃん、三栖丘さんが来たときのことは覚えてる?」
コナンがぴょこんと小動物のようにテーブルの上に顔を出した。
「その日はひとりで回してたから、忙しくて正直あんまり……お客さんの顔もまともに覚えていないなんて、店員としてどうかとは思うんだけど」
「あれれ?夕方はいつもマスターか安室さんが来て、ふたり以上でお仕事してるんじゃなかったっけ」
「……その日はね、安室さんのシフトだったの」
梓は突然「フフ」と虚ろな表情で笑いはじめた。
「あ、梓ねえちゃん?」
「何もむずかしい話じゃないわ……安室さんはやっぱりその日も安室さんだった……それだけの話よ。フフ、フフフ……」
乾いた笑いを漏らす梓。
話が読めたトウコは、「Oh……」と皆には見えないように片手で顔を覆った。
役に立たないどころか、むしろ害すら及ぼしているドタキャン男。彼女の場合、這いつくばらせて土足で踏んでやるくらいでちょうどいいと思う。
とにかく、これ以上話がこじれてはたまらないので、トウコはさりげなくキーホルダーに視線をやって、高木の注意を事件に戻した。
「と、とにもかくにも。残念ですが、現時点では梓さんのアリバイを証明することはできません」
と、高木。
落胆する梓を見て、三栖丘が勝ち誇ったような顔になった。
「ほらな。だいたい俺はシリアルナンバーも覚えてて―― 」
「もっとも、梓さんが盗んだっていう証拠もないんですけどね。シリアルナンバーなんて、見ようとおもえば後からでも見られるわけですし」
高木がちょっとむっとしたように三栖丘の言葉を遮った。トウコもすかさず加勢する。
「トイレに行くふりをして荷物置き場をのぞく、とかですね。どこかのドタキャン男のせいで、その日はすごく忙しかったみたいだし」
「むう……」
当事者ふたりが沈黙する。
アリバイもなく、証拠もない。目撃者がいない以上、利益相反する二者の議論など何の意味もないのだ。
本気で解決したいなら、防犯カメラを調べるなり、店舗に購入履歴を調べにいくなりするしかない。
そんなことは高木だってわかっているだろう。いや、本当はみんなわかっている。
わかっているけど―― 悲しいかな、やっぱり誰にもそんな時間はないのである。
「諦めてくれよ」
男がうつむいた。
「シリアルナンバーの下四桁は俺たちの記念日だったんだ。苦労してやっと見つけて……今日中に持っていくって約束したのに!」
「そんなの私だって同じです。今日の夜は、えーと、その」
「なんだって?」
「あの、その、ええい、合コンの予定が入ってるんです!ヴァロちゃんの件が解決しないとゲットできるものもゲットできません!」
いったい何をゲットしにいくというのか。
切羽詰まった梓は、切羽詰まりついでにテーブルを叩き、言わなくてもいいことまで暴露した。
「合コン?合コンがなんだってんだ!こっちは破局寸前なんだぞ!」
「破局!?はじまってもいない私のほうがはるかに悲惨ですう!」
ふたりは犯人探しもそっちのけで、感情に任せた分捕り合戦をはじめた。
「俺は、あのヒヨコじゃないとダメなんだ!ブランド物の価値もわからん小娘は黙ってろ!」
「なによ!それだったらアナタだって似たようなものだと思いますけど!」
「うるさいんだよ、このアマ!」
「アマ!?勤務態度もすこぶる良好な私に向かってアマですって!?訂正してください、私は紛うことなきプロです!」
「まあまあふたりとも―― 」
「うるさい!」
レフェリー高木がイエローカードを出すも、ヒートアップしているふたりには、かまぼこ板ほどの効果もなかった。
一方、トウコは突如耳に飛びこんできたとある単語にポカンとしていた。
「ヒヨコ?」
疑問を口に出したとき、コナンが急に「わわっ」とテーブルの上に倒れこんできた。テーブルの足につまづいてバランスを崩したらしい。
テーブルが揺れたはずみで、ぬいぐるみが床に落ちる。
慌てて立ち上がった大人たちを差しおいて、コナンは素早くぬいぐるみを拾いあげた。
「ごめんなさい、つまづいちゃった」
「大丈夫かい?コナンくん」
「うん。でもヴァロちゃんが汚れちゃった」
そう言って、ごしごしとぬいぐるみのほこりを払う。
埃を落とすだけにしては、やけに力が入っている。
「コ、コナンくん。そんなに強く擦ったらヴァロちゃんの毛並みが……」
「うーん、きれいにならないなあ」
「おいガキ!それ以上触るんじゃ―― 」
高級なぬいぐるみを容赦なくグルーミングする小学生に、大人たちがそろってざわつく。
しかし、本格的に大変なことになったのはそのあとだった。
「あれれー?」
熱心にぬいぐるみを揉んでいたコナンが、こてんと首をかしげた。
「なにか入ってるよ。お腹の中に」
ぬいぐるみのお腹のチャックを指し示す。
しゃがみこんだ高木は、一緒になって小鳥の腹をつついた。
「本当だね。なんだろう?梓さん、このチャック開けてみても?」
「それはかまいませんけど……でも私チャックを開けた記憶なんて―― 」
梓のセリフは「うわあッ!」という高木の叫び声でかき消された。
高木の指先がつまんでいたのは―― 五カラットはあろうかという、大粒のダイヤモンドだった。
「なっ、私のヴァロちゃんからダイヤが!?」
店内はたちまち大騒ぎになった。
ところが。
警察がなんだの報告がどうだのと皆が口々に騒ぎあうそのかげで、こっそりと玄関から逃げていこうとする人影があった。
気づかれないように背後から近づき、トウコは彼に声をかけた。
「どうしたんです?せっかく盛りあがってきたのに」
「うわあ!」
逃走を企んでいた男―― 三栖丘は、文字どおり飛びあがった。
その隙をついて足をかけてやると、男はつるりと床に引っくりかえった。傍からは、まるで三栖丘がひとり勝手に転んだように見えただろう。
「クソが……!」
悪態をついた三栖丘は、あろうことかナイフを取りだした。本性も露わにトウコを睨みつける。
一方、玄関での騒ぎに気付いた高木の反応は―― それはもう見事だった。
三栖丘がトウコに襲いかかるよりはやく、駆けよってナイフを叩きおとす。左足で大きく踏みこんで、お手本のような大外刈。
派手な音とともに男を軽々と地面にはいつくばらせた高木は、きょとんと愛嬌のある仕草で首をかしげた。
「ねえねえ。これどういうこと?」
「まさか、宝石泥棒だったなんて……」
慌ただしく警官が行き来するポアロの片隅で、梓が「ほう……」と感慨深げな息を吐いた。
彼女にとってはよほどドラマチックな展開だったのだろう、このセリフを口にするのもこれで四回目である。
話の流れはこうだ。
先日、都内の宝飾品店に強盗が入った。さいわい怪我人はなかったものの、強盗犯は展示されていた大粒のダイヤを盗んで逃走した。
「でも、そんな高価なもの、怖くてとても持ち歩けないでしょ?家に置いておくにしても、うっかり家宅捜索なんてされたら大変だし。だから、犯人はほとぼりが冷めるまで、絶対に安全なところに置いておくことにしたんだ」
「それが私のヴァロちゃんのお腹だったってこと?」
コナンは気取った仕草で人差し指を立てた。
「正確には、三栖丘さんのヴァロちゃんだけどね。三栖丘さんは本当は、ダイヤの入ったヴァロちゃんを『ジョルタヤ・ヴァローナ』のお店から出すつもりはなかったんだ」
コナンは本格的に解説をはじめた。
「宝石を盗んだあと、『ジョルタヤ・ヴァローナ』に行った三栖丘さんは、ぬいぐるみの取り置きを頼んだんだよ。そして『シリアルナンバーが正しいかどうか確認したい』とかなんとか理由をつけて、現物を手元に持ってこさせた。それで、店員さんが目を離した隙に、お腹の中にダイヤを隠したんだ」
うんうん、と梓が相槌を打つ。
「『ジョルタヤ・ヴァローナ』は高級店だから、支払いさえすませておけば『サプライズにしたい。見つかりたくないから、それまでここで預かっていてほしい』なんて頼みもきいてくれるんだ。シリアルナンバーで個別管理されているから、うっかり他人に譲られてしまうこともない―― はずだったんだけど」
「その『うっかり』が起こっちゃったんだね。不運なことに」
ずっと黙っているのもアレなので、トウコも一応口をはさんでおいた。
本当に稀なことだが―― 梓のヴァロちゃんと三栖丘のヴァロちゃんは、シリアルナンバーの下四桁が偶然同じだったのだ。店員が取り違えてしまったのもそのせいだろう。
「取り違えられたヴァロちゃんは、そうやって梓ねえちゃんのお兄さんに買われていったってわけ。間違いに気付いた犯人はさぞかしびっくりしただろうけど」
「でも、それなら犯人はどうやって私がここにいるって知っていたの?もしや秘密の組織が私を狙って―― 」
「普通に店員さんに訊ねたんだと思うよ。『カノジョが知らずに二重購入したのかもしれない。誰が買ったか知りたい』ってさ。梓ねえちゃんのことは、お兄さんのSNSか何かから辿ったんじゃないかな」
渾身の『悪の組織の陰謀説』をさくっと流されて、梓はちょっとしょんぼりした。最近の小学生はクールである。
「ま、シリアルナンバーのある商品に目をつけたのは良いアイデアだったけど、それを取り返すためのやり方はお粗末だったってことさ」
と、ニヒルにメガネを光らせたコナンだったが、周囲の大人の顔を見て、慌てて当たり前のことをつけ加えた。
「―― って、高木刑事が言ってたよ!」
「高木さんもやっぱりさすがに刑事さんよね。あんなにあっさり犯人を倒しちゃうなんて。見直しちゃった」
「ああ、それわかります……」
ちょっとうっとりしたような顔の梓に、トウコも深く同意した。たしかにあの捕物は文句なしにかっこよかった。
コナンはこの女子談議にまったく興味がないらしく、能天気にあくびをしていた。
「ボク思うんだけどさ、この事件って―― 」
「ちょっと高木くん、聞いたわよ!」
派手な音を立ててドアが開いた。女性がひとりヒールを鳴らして入ってくる。
「さ、佐藤さん!」
犯人の移送でてんてこ舞いだった高木が、飛びあがるようにして立ちあがった。
「す、すみません!せ、せっかく今日はひさしぶりに―― 」
「お手柄じゃない!さすがね」
恐縮しきりだった高木の背中を、佐藤の手がバンバンと叩く。高木は「がんばってよかったァ!」と目の幅涙を流しながら、ガッツポーズを決めた。
そうこうしているうちに梓が呼ばれていき、ふたりの刑事も一緒にポアロを出ていった。
またもや取り残されたふたりは、マスターがサービスしてくれたドリンクをすすった。
「そういえば、コナンくん。さっき何か言おうとしてたよね」
「さっき?」
すこしして、コナンは思い出したようにうなずいた。
「ああ、あれね。この事件って『青い紅玉』みたいだね、って言おうとしたんだ」
「ブルー・カーバンクル?シャーロック・ホームズの?」
「うん。クリスマス用のガチョウを買ったら、お腹の中に青い宝石が入っていて……ってやつ」
そう語るコナンの表情に、トウコはぴんときた。
「コナン君ってもしかしてホームズ好き?」
「大好き!全部読んでるもん」
出会ってはじめての、心の底からの笑顔だった。
トウコはすこし考えて、カバンから封筒を取りだした。「もし良かったら、なんだけど」と前置きして、中身をテーブルに乗せる。
「これって、チケット?」
「アーサー・コナン・ドイルの特別展。人数限定の招待制で、すごく珍しい資料も出るらしいんだ。友達が送ってきてくれたヤツなんだけど、私は予定が合わなくて―― 」
ちらりとコナンを見ると、つむじが小刻みに震えていた。
「コナンくん?」
「―― ほ、本当にいいの!?」
さっきまでのクールさをかなぐり捨てて、コナンはトウコににじりよった。メガネの奥がキラキラしすぎて直視できない。
「もちろん。それに、コナンくんのおかげで約束に間に合いそうだしね」
「約束?」
「ううん、こっちの話。一枚で二人まで入れるらしいから、他にも好きな人がいたら誘ってあげて」
「そうするよ!ありがとう、トウコねえちゃん」
チケットを握りしめて、ほくほく顔のコナンが見送ってくれる。
席を離れる前に、トウコはふと思いついてもう一度だけ振りむいた。
「そういえばさ。『ジョルタヤ・ヴァローナ』ってかなり高級なブランドなのに、マスコットがヒヨコなんだよね。なんだか雰囲気に合わないよねー?」
「ヒヨコ?」
コナンはきょとんとしてから、笑って答えた。
「トウコねえちゃん。ヴァロちゃんはヒヨコじゃなくてカラスだよ。ほら!」
コナンが携帯を掲げて、商品ページを見せてくる。
ゼロがたくさん並ぶ、黄色い小鳥の下には『カラスのヴァロ』と書かれていた。
コナンがぼそりとつぶやく。
「犯人のお兄さんも勘違いしてたみたいだけどね」
『ジョルタヤ・ヴァローナ』―― ロシア語で『黄色いカラス』。
本当に恋人に渡そうと思って準備していたなら、商品名くらいは調べただろうに。
トウコは肩をすくめた。
猫に小判、豚に真珠―― 強盗にヴァロちゃんだ。
「よし、急ごう」
なにはともあれ、これにて一件落着。
待ちに待った約束の時間だ。