こんなことを言うのはあまり好きではない。好きではないが、事実なので白状する。

 忙しい。
 目玉が飛び出るくらい、忙しい。

 

Chapter.1 時計の針は二度回る

File.6 肉喰らう女たち(Ⅰ)


 実際、トウコは多忙だった。

「うっはあ。もう朝か」

 20key/秒の超速でキーボードを叩きながら、トウコはたったいま朝食に変わった夜食用の極太カルパスをかじった。きつめのスパイスと塩味とが眠気をすこし弱めてくれる。

 現在のトウコは、大きくわけて三つある。

 ひとつめは『大学生』。
 授業に出席して、レポートを提出する。期末にはテストを受けて合格点を取る。
 潜入捜査ということで、報告書は一応書いているものの、内容が内容だ。トウコにとっては趣味のようなもので、たいした負担にはならない。

 ふたつめは『探偵の助手』。
 浮気調査の下調べをしたり、探しものをしたりする。
 そこそこ手間暇はかかるが、こちらも今に始まったことではないので、溜めさえしなければそう厄介な仕事ではない。

 三つ目は『風見の部下』。
 これが問題だった。
 本配属になってまだ一ヶ月。しかし、トウコが命じられた仕事はすでに多岐にわたっていた。
 資料の整理、動画像の編集・抽出、データの整合化、外国語資料の翻訳、録音データからの文字起こし等々。

 機密性・重要性ともに最低度の、いわゆる雑務の類だが、「厳重監視対象にここまでやらせる!?」というくらいに数が多い。やってもやっても終わらない。むしろ増えていくような気さえする。
 信頼して預けられているというより、そんな奴でも使いたくなるくらい人手が足りないのだろう。

 その証拠に、トウコはいまだ他の同僚との接触を許されていなかった。

 資料やデータは持ち出し禁止のため、仕事をする際はあちらに出向く必要がある。
 しかしこれまで、トウコの仕事場―― おもに隅っこの資料室だが―― に他の人間が現れたことは一度もない。
 おそらく、意図的に人払いがなされているのだ。

 だが、それについて彼女はとくに寂しくは思っていない。
 は元々、隣の同僚が何をしているのか、場合によっては隣の同僚が誰なのかもわからないような部署だ。
 誰がいつどこで何をしているのかは、少数の責任者が知るのみで、仲間とはいえ詮索はタブー。

 だからこそ、トウコのような人間にも居場所がある。

「ああっ、もうこんな時間!」

 気付けば分針が半周ほど先へワープしていた。
 クローゼットに半ば身体を突っこむようにして着替えを済ませたトウコは、食べかけのカルパスをカバンに放りこみ、大学へと向かった。

◇◇◇

「うわっ、トウコじゃん!」
「生きてたんだ。ホンモノ?」
「本物じゃないの。ぼっち飯だし」

 授業後の空き教室。
 仕事をしながらひとり昼食を摂っていると、後ろのほうでなんだか失礼な会話が聞こえた。
 こめかみをぴくぴく震わせて、トウコはパソコンを閉じた。

「一年ぶりに再会した友人に対して、ほかに言うことはないの!」
「いやあ、懐かしい声だわ」

 悪びれもせず肩をすくめる三人の女。
 後ろのドアから入ってきたのは、身長も服装もバラバラな女子大生三人組―― 入学時からのトウコの数少ない友人たちだった。

「よっ、元気そうじゃん」

 と、ひょうきんな仕草で片手を上げた友人一号は、“トラ”。本名・虎ノ小路とらのこうじ貴子たかこ
 健康的に日焼けした、金髪ポニーテールの女だ。
 見た目はチャラついた小娘だが、ごついフルネームが示すとおり、目玉が飛びでるような財閥系の令嬢である。

「なんだ。全然連絡ないし、てっきり死んだのかと思ってたよぉ」

 と、友人二号。打って変わってゆるふわ栗毛のチビである。
 本名は甘熊あまくま里子りこ
 あざとい喋り方から“テディ”と呼ばれている。

「ちょっと髪切った?」

 友人三号は、伊達だて朝子あさこ―― あだ名は“イタチ”。
 真っ黒なストレートボブとしなやかな長身が人目を惹くが、実態はただの低血圧女である。喫煙者。

 偶然ではあるが、トラ、クマ、イタチ。
 そのことから、トウコは彼らをこう呼んでいた。
 捕食者たちプレデターズ、と。

「怒んないでよトウコ。ちょっとからかっただけだって」

 全然反省していなさそうな顔のまま、トラはトウコの目の前の席に陣取った。残りの二人もニヤニヤしながら、トウコの両側に腰を下ろす。

「それにしても、ほんっと久しぶりじゃん。ちょっと痩せたんじゃなーい?」
 
 ホレホレと無遠慮に頬を突っついてくるトラ。
 トウコは「環境の変化で……」と肩をすくめた。
 別に間違っちゃいない。事実、彼女はこの一年で二キロ痩せた。

「休学してたんだよね。授業は大丈夫ぅ?」

 ぶりぶりの仕草で首を傾げたクマには、「ギリギリなんとか」と困った顔で答えておいた。
 二足どころか三足のわらじを履いているため、ギリギリなのは本当である。

「たしか東欧のほうに行ってたのよね。言葉は達者になった?」

 赤いルージュに人差し指を当てながら訊ねるイタチ。
 トウコは「ある程度はね」とうなずいた。これもウソじゃない。
 子どものころ十年近く住んでいた場所だ。メジャーな東欧言語ならいくつか話せる。
 
 三人はそれからもニコニコ笑いながらな世間話を繰り返し、トウコも差し障りのない回答でそれに応じた。

 しかしトウコは知っていた。これ自体が彼女たちの巧妙な罠だということを。
 うら若き女子大生を『捕食者プレデター』などという物騒な名前で呼ぶからには、それなりの理由があるのだ。

 きゃっきゃうふふ。
 きゃっきゃ、うふふ。
 きゃっきゃ……うふふ。
 
 世間体の良い会話でカモフラージュしつつ、忍び足で近づいてくる狩人たち。
 じわじわと周囲を取り囲みトウコの逃げ道を塞いだ女たちは、ニヤリと笑って口を揃えた。

「で、?」
―― ヤッてません!」

 あまりの質問にトウコは机を叩いて立ちあがった。
 「で」ってなんだ「で」って。

トウコやばーい」
トウコこわぁい」
トウコ過激ー」

 三人はわざとらしく身を寄せあったあと、期待のこもった目でトウコを見あげた。

「あたしらずっと想像してたの。留学先、偶然立ち寄ったバーで金髪碧眼のHunkいい男と出会ったトウコは……」
「一度は断るものの、積極的なリードと異邦の雰囲気に身体をほてらせ……」
「熱く濃厚なキスの後、たくましい身体の下でめくるめく一夜を……」
―― 過ごしてません!」

 あらためてツッコミを入れたあと、トウコはがっくりと机につっぷした。
 この女ども、友人としては信頼できるし、見てくれだってそこそこ良いのだが――

「下世話……下世話が服を着て歩いている……」
「何言ってんだか。な二十代女性なんてこんなもんよ」

 三人は口をそろえて言った。
 歩く十八禁。脳内どピンク横丁。日本版セックス・アンド・ザ・シティ。
 まさしく超肉食系女子プレデターズ

「つまんないなあ。今度こそうまくいくと思ったんだけど」
「ウブもここまでくると罪っていうかぁ」
鉄の処女アイアン・メイデンは堅牢なりってところかしらねえ」

 口々に好き勝手な感想を述べる三人組。黙っていれば言いたい放題である。
 トウコの心、プレデターズ知らず。しかしトウコは黙って耐えた。

 ひとしきり騒いだあと、トラが「それにしてもさあ」とため息をついた。

「身も心もこんなにピチピチなのに、気づけばもう四年生だよん。来年の春には卒業じゃん。トウコはあと一年あるんだっけ?」
「うん」

 このたびの休学によって、トウコの学年は一年ずれていた。どんなに頑張っても同じ年度には卒業できないだろう。
 そう言うと、トラは寂しそうに瞳を伏せた。

「同じ授業は取れなくなっちゃったけどさ、あたしたち、トウコのこと、ずっと応援してるから」
「トラ……」

 小麦色の手でトウコの手をとったトラは、女神のようにやさしい顔でほほえんだ。

「祈ってるね。トウコが一刻も早くできるように」
「……ん?」

 首をかしげたトウコの前で、トラはハンカチで目元を拭った。

「ううっ、大事な親友が二十歳をすぎても未経験なんて、可哀想すぎて……」
「そうそう、早くしないと錆びついちゃうよぉ。何がとは言わないけどぉ」
「美しい女の条件は、バランスの取れた食事、十分な睡眠、それから適度なってね。ほら、お腹ぷにぷにじゃない」

―― うるせー!」

 とうとうプッチンしたトウコは、三人を締めあげてそれなりに反省させたのだった。

 

◇◇◇

 ガン、ガン、ガウン。ガン。

「黙っていれば好き勝手いいやがってぇ……!」

 ガウン。ガン、ガン。
 カシ、という腑抜けた音が弾切れを知らせる。舌打ちをして弾を込めなおしたトウコだったが、周りに人がいないことを思いだして、自分の腹をつまんでみた。

 ―― ぷに。
 深いため息が出た。
 なにやってんだ、私。

 場所は警視庁の射撃訓練場。ぼっちとセクハラに耐えながらわざわざ大学でランチをとったのに、午後コマは突然休講になった。
 プレデターズは昼から授業だったため、今晩あらためて会うことになった。
 なんでも『トウコおかえり会』というものを企画してくれているらしい。あんな奴らだが、なんだかんだ言ってトウコの一番の親友なのだ。

 ガン、ガウン。ガン。
 的にひとつずつ穴が増えていく。
 大きく外しはしないが、決して上手くはない。使えなくはないという程度だ。

「今後のことを考えると、もうちょっと戦闘力があってもいいかな……なんて」
「殊勝な心がけだな」

 さっそく疲れて下がってきた腕を、誰かが後ろからつかんだ。無遠慮に手首まで上がってきた手のひらが、トウコの指ごとトリガーを押さえる。

 ガン。
 弾丸は正確に的の真ん中を貫いた。

 振りかえると、顔のすぐ前に白いワイシャツがあった。視線を下げた先にはグレーのスラックス。
 例の『オールシーズンで頻繁に着回している』ヤツだ。あれ以来、クリーニングの頻度は上がったらしい。

「たまたま通りかかったら、めずらしい後ろ姿が見えたんでな」

 トウコが何か言う前に、降谷は先回りして言った。

「ライフルは撃てるか?」
「撃ち方くらいは。当たるかどうかは知りませんが」

 ガウン。
 照準を合わせて、トウコはもう一発撃った。
 
「やる気があるなら、そういう機会も用意できるぞ。道具の扱いには自信があるんだろう?」
「ありがたいお話ではありますが……」

 トウコは眉を下げた。

「武器はちょっと特別なんです。あとは楽器も。このふたつは、小手先の技術よりも精神的な要素が重要ですから」
「なるほど」

 降谷はやけにあっさりと引き下がり、脱いで置いてあったジャケットを腕にかけた。帰るのかと思って眺めていたら、彼はなぜか近づいてきてトウコの腕をつかんだ。

「行くぞ」
「ど、どこへ?」

 引きずられるように駐車場まで連れだされる。
 いつものように雑に助手席に放りだされたが、トウコもそろそろベテランだった。

 たしっ、とお尻から上手に着席。流れるようにシートベルトで身体を固定し、ドア上のアシストグリップを握る。ここまで三秒。
 降谷号に乗る際は、どれだけ迅速にシートベルトを着用できるかで生還率が変わってくる。トウコ調べ。

 さっそくアクセルを踏んだ降谷は、前を見ながらこんなことを訊いてきた。

「人が健全に生きるために、必要なものはなんだと思う?」

 なぞなぞ?と首をかしげたトウコだったが、正答を求めていたわけではなかったらしい。
 彼はすこぶる機嫌の良さそうな顔でつづけた。

「バランスの取れた食事、十分な睡眠。それから―― 適度なさ」


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