どこだ。どこから狙ってくる。

 身をかわした瞬間、光線が右頬をかすめていった。浅く切れた場所から、プシュウ、とトリオンの霧が噴きだす。間一髪で回避した弾丸は、背後のビルに着弾し、一瞬遅れて周囲を盛大に吹きとばした。ガレキが砲弾のようにかっ飛んでくる。

 流れ弾であの威力。まともにくらえば命はない。
 見えない敵から隠れながらも、足は止めず、ビルの間を走りつづけた。

 一対一タイマンの中距離戦は決め手に欠ける。索敵・火力集中・自陣防衛など、ミドルレンジの兵が真価を発揮するのは集団戦においてこそ。逆にいえば、懐に飛びこめる攻撃手アタッカーや一撃必殺の狙撃手スナイパー、その他仲間の支援がなければ、短期決戦には持ちこみにくい。お互いに撃っては隠れ、隠れては撃つの慎重策、疲労を誘う定石に徹するほかはないのである。

 傷だらけの身体から、じわじわとトリオンが染みだしてくる。動けなくなるのは時間の問題だ。その前にこちらから仕掛けてやる。思いきってビルの陰から出た私は、眼前の事態にぽかんとした。

「うそでしょ」

 四方八方から飛来する光の矢。隕石のように尾を引くそれらは、空をいっぱいに埋めつくし、私ひとりに殺到していた。

「全部トマホーク!? こんなの反そ――

 逃げる間もなく閃光が弾けた。天地がひっくり返ったような轟音。爆風と煙塵になぶられて、視界と意識が一時ホワイトアウトした。

 気づいたとき、私はまっさらな大地にへたりこんでいた。
 ビルは皆、足が生えて逃げていったにちがいない。そんな馬鹿げた想像をしてしまうくらい、馬鹿げた光景だった。見わたすかぎり、瓦礫の原。原型を留めている、いや留めさせてもらっているのは、私だけである。
 超火力で構造物ごと消しとばす。そんなデタラメな中距離戦があってたまるか。

 ピン、と額に照準が合う。黒いコートには汚れひとつ見あたらない。

「さすが俺、コントロール抜群だな。で、もう一ラウンドいっとく?」

 口笛を吹き吹き現れた天才は、余裕の笑みで敗者を見おろした。



プロミルの矢をつがう


「回避が下手。行動もバカ丸だし。トリオン切れが近いからって、普通あそこで特攻するか? だいたい、あのビルに隠れた時点でセンス悪すぎなんだよ。最後のトマホーク、いつから狙ってたと思う?」
「わ、わかりません」
「はじめからだ、バカ。通常弾アステロイドは低火力、変化弾バイパーは低精度。トリオンの余裕もないくせに、数撃ちゃ当たるで乱射するな、バカ」

 ちゅどーん。ばきゅーん。小言の弾丸が雨あられと降りそそぐ。“数撃ちゃ当たるで乱射するな”はこっちのセリフだ、バカ。
 言いかえしてやりたかったが、悲しいことに“数撃ちゃ当たる”どころか全弾命中、クリティカルヒットである。

「もうやめて、これ以上私の心をメテオらないで!」
「いや、更地になるまでやる」
「やめてェ!」

 悲鳴をあげた私に、出水はため息をついた。

「アンタさ、そんなんだからいつまで経ってもB級なんだろ」
「い、言ってはいけないことを。太刀川くん、子分のしつけがまるでなってないよ!」

 太刀川は餅をほおばったまま「がむばれ」といい加減な返事をした。

「ほら、太刀川さんも言ってるぞ。『努力が足りないぞ、バカ』って」
「出水流超訳は聞きたくありません!あのさあ、後輩のくせに私にだけなんでそんなに失礼なの?」

 私は今年二十歳になる。入隊時期は遅かったが、年齢的には太刀川と同期である。
 出水はまるっきり馬鹿にした様子で肩をすくめた。

「敬語ってのは敬意を示すための言葉だろーが。おわかり?」

 プッツン。頭のなかで何かが切れた。

「上等でい。表に出やがれ高校生」
「おうおう、かかってこいよ。返り討ちにしてやる」
「……ただしトリガーはおいてけ」
「弱気かよ」

 至近距離でガンを飛ばしあう私たちをしり目に、太刀川は漫画を読みながら「もっとやれー、もっとやれー」とやる気なさげに言った。

◇◇◇

 出水に教えを請うて、もうずいぶんと経つ。
 格闘センスなし、狙撃センスなし、トリオン量は平均、というステータスから消去法的に射手シューターを選んだ私は、元来の不器用さに加え、十八歳という入隊時期の遅さがわざわいして、長らくB級の低辺をさまよっていた。だがあるとき、私のあまりにもお粗末な戦い方を見かねた太刀川(彼は高校時代からの友人である)が「コイツに教えてもらえ」と同ポジションの有名人、つまり出水を連れてきてくれたのである。これが彼との付き合いの端緒だ。
 射手シューターとしてはハイエンド、年下だろうがなんだろうが、これ以上のお手本はない。

―― んだけどね、先輩に対してあの暴言ですよ。『アンタ』ってなんだァ!敬称略禁止!ちょっと天才だからって」
「入隊時期でいえば、出水のほうが先輩なんだけどな」
「シィィ!ブルータスはお口にチャック!」

 机を叩いて立ちあがった私に、迅はどうどうと馬をなだめるような仕草で応じた。ひとつ年下の幼なじみである彼とは、何かにつけて気の置けない間柄だ。

「落ちつけって。ぼんち揚げ食うか?」
「うん、ありがと!……じゃなくって。教えてもらってるんだから厳しい言葉は覚悟の上だよ。だけど限度というものがあってね。一応訊いておくけど、出水くんって二宮くんの師匠だったときもあんな感じだったの?」
「まさか」
「だよね。出水公平ゆるすまじ。あんのダサT高校生め」

 言いながら、彼お気に入りのTシャツを思いうかべた。

「出水の趣味に口をだす気はないけど、『千発百中』ってどういう意味だろうな」
「『数撃ちゃ当たるで乱射するな、バカ』って意味だよきっと。さすがはシューティング界のトレンドスター、自己訓戒に余念がないね。なんとなく格好いいと思って着てるんだろうねえ、哀れみを通りこして愛しさすら感じるねえ」

 ひとり机を叩いて大笑いしていると、迅がドアのほうを指さした。

「なあ、うしろ」

 振りかえると、まさにそのダサT高校生が柱にもたれて立っていた。引きつった私を見て、切れ長のツリ目がニヤアと細くなった。

「い、出水くん、違うのこれは」
「さァて、第二ラウンドといきますか。千発撃てるようになりゃァ、A級も夢じゃないぜ。一発零中のお姉さん」

◇◇◇

「許さん、許さんぞ」

 さんざんなぶられ弄ばれ、這々の体で訓練室から戻ったあと、私は自室でひとり机に向かい、取り憑かれたようにガリガリとペンを動かしていた。

「回避が下手くそ。特攻するな。ほかに何言われたっけ。ええっと、そうそう」

 『センスが悪い』『乱射するな』『行動がバカ丸出し』と書きくわえた。『乱射するな』はともかく、残りのふたつはただの悪口である。

「くそう、先輩をナメくさりよって」

 呪詛の言葉を吐きつつも、私は今日の指導内容を律儀におさらいした。注意点とともに、彼のくせなどもノートにまとめる。私はこれを『出水ノート』と呼んでいた。正式名称『出水をハチの巣にするためのノート』である。

 過去のページには、彼の名言および暴言がびっしりと収録されている。

『出水公平っす。訓練映像みたけど、まー、かなりひどくない?』

 初めて会った日、彼はそう言って苦笑した。あれ以来、私の日常は一変した。

 彼の指導は容赦がなく、訓練中回数は百や二百ではすまない。だが、彼との演習を辛いと感じたことは一度もなかった。着実に成長している実感。私を支えてきたのは本当にそれだけだろうか。一緒にいるとき、私の舌の上にはどんどん言葉が湧いてきて、怒ったり笑ったり忙しい。

 考えなしと見せかけて、その実、緻密な計算が裏にあり、慎重に機をうかがうかと思えば大胆に仕掛けていく。戦闘での立ちまわりはその人の内面そのもので、私はいつだって彼の戦い方から目が離せない。

 いつまでこうしていられるんだろう。
 ふとそんなことを思って、首を横に振った。

「そんなことより打倒出水。そう、打倒出水ィ!オオオ、燃えてきた!次こそはハチの巣にして、あの小姑のような口をふさいでやるゥ!」

 セルフで己を奮いたたせた私は、本腰を入れて作戦を練りはじめた。

◇◇◇

 頭を狙う弾丸を、身をかがめて回避した。
 一拍おいて、背後のビルが倒壊する。あらかじめ張っておいたシールドが、ビルのガレキを弾きかえした。

 今日こそは絶対に負けない。

 橋桁の下、車の陰などフィールド全体を飛びまわりながら、撃っては隠れ、隠れては撃ちを繰りかえす。弾着の気配に身を引いた途端、立っていた場所が地面ごと撃ちとばされた。

「撃ってきたのは誘導弾ハウンド、っと」

 頭のなかで『出水ノート』のページをめくる。
 操作系の弾を使わないのは敵の姿が見えないから。高威力の弾を使わないのは、自分を巻きこみかねないから。

「つまり敵は、このビルの裏側!」

 壁に向かって、通常弾アステロイドを乱射した。間髪入れずに、あいた穴めがけて炸裂弾メテオラを叩きこむ。私の弾は威力にとぼしい。少々近くで撃ったって自身を巻きこむことはない。

 ビルの陰から人影が現れた。

「あっぶねー。この至近距離で炸裂弾メテオラかよ」

 隊服の埃を払う出水。私は答えず、弾丸を放ちつづけた。

「建物ごと仕留めようってか。俺のやり方を真似たつもりかもしんないけど、アンタのトリオン量じゃお話になんないぜ。そんでもって姿を見せて撃ちあえば、勝負は純粋に火力だ」
「そうかな?」

 出水が首をかしげた瞬間、私は低く身を伏せた。背後からの光の矢が、ひゅん、頭上を通過し、彼に向かって飛んでいく。この状況を見越して、あらかじめ放っておいた弾だ。

「ちっ、変化弾バイパーか!」

 シールドを展開しようとする出水に、私の渾身の矢が迫る。
 一瞬の後、両者は激突し、カッと強い光が空を覆った。

◇◇◇

 出水はガレキに腰かけ、ふむ、と頷いた。

「つまり、変化弾バイパーの軌道を死角にするために、炸裂弾メテオラを使ったわけか。ご丁寧に自分自身も壁にして」

 やられたな、と感心したように出水は破れた袖をヒラヒラさせた。

「負けてくれたの?」
「まさか。不得手な変化弾バイパーは使ってこないと踏んでたんだ。火力の低さを逆手に取ったのもうまい。よし、合格。これでアンタの特訓は終わりだ」

 えへへ、と照れていた私は動きを止めた。

「どういうこと?」
「俺に一発でも撃ちこめたら卒業。この話を引き受けたときからそう決めてた」

 これで終わり?
 突然のことにひどく動揺していた。気持ちが追いついてこない。

「え、そんな」
「立ちまわりも良くなったし、何より自信がついてきた。もうちょい頑張れば、B級上位勢とも戦れるかもな。あ、二宮さんは抜きで」
「そんなことないよ。まだまだ全然――
「はじめにくらべりゃ天と地の差だ。よしよし、えらいぞ。よくがんばった」

 いつもは憎まれ口ばかり叩く唇が、今日はひどく優しい。聞きたかった言葉のはずなのに、なぜかちっとも嬉しくなかった。
 ちがう、そうじゃない。馬鹿にしてくれていい、しかってくれていい。だから、もっと教えてよ。いろんな話をしてよ。

 一緒にいてよ。

 そう思ったとき、ドーンと脊髄に雷が落ちたような気がした。頭の中の霧が晴れて、すべての謎が解けてしまった。

 なんだ、私、本当は出水のことが。
 自覚した途端、急に悲しくなって、あえて元気な声を張りあげた。

「でしょ!A級になって、どこかの弾バカを蹴落とす日も近いよ」
「ほーう、そこまで言っちゃう?」

 何のことはない、良くある話だ。天才と落ちこぼれ。先生と教え子。長い時間をともにするうち、憧憬は思慕に変わっていく。
 憧ればかりの片思い。こんなもの、実るはずがないじゃないか。

 向かいあわせで笑ったあと、私は「今までありがとう」と頭を下げた。
 だだっ広い夜の訓練室。か細い声は静かに響き、消えていった。

 出水は何も言わず、じっと私を見つめていた。気の遠くなるような沈黙のあと、彼はおもむろに口を開いた。

「射手の心構えとして、最後にひとつ教えておいてやる。俺の好きな『千発百中』、どういう意味か知ってるか?」
「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる?」

 出水は首を振った。

「千撃って百当てるって意味じゃねーんだ。百当てるために千を撃つ。大事な場面なら、十当てるために千を撃つ。ここ一番ってときには、一当てるために千を撃つ。すべては最後の一発のために、ってこと。さっきアンタが俺に仕掛けたみてーにな。つまり何が言いたいかっていうと」

 私を見おろす薄茶の瞳。身をかがめた出水は、ゆっくり息を吸った。そして、大事に大事にとってあった何かを宝箱から取りだすように、丁寧に慎重に、こう言った。

「先輩、ずっと好きでした」

 心臓がぴたり、と止まった。

 私は目を見ひらき、立ちほうけた。空気が足りない金魚のように口をパクパクさせる。しばらくして、ようやくひと言だけつぶやいた。

「死角から、変化弾バイパー
「弾着は?」

 不安げに問うた出水に、私は深呼吸をして答えた。

「ど真ん中に、命中」

 丁寧に慎重に絞りだした言葉に、出水の瞳がくしゃりと細まった。はにかんだ笑みが伝えてくるのは、憧憬と思慕と敬意と、あとは何だろう。

「なら緊急脱出ベイルアウトされる前に捕まえとかねーとな」

 軽く腕が引かれ、頭上に影がかかった。

 上を向いた瞬間、あたたかな何かが唇に触れた。人目を避けるように、黒いコートの立襟の内側で、ほんの一瞬だけ。
 豆鉄砲を喰らったハト。身動きできない私を見て、ふふん、と彼は生意気そうに笑った。

「いつから狙ってたかってーと……いや、まあいいや。それよりどうする?もう一ラウンドいっとく?」

 相変わらずよく動く、愛しい唇。
 返事代わりに背伸びして、自分のそれでそっとふさいだ。


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