今剣はうずくまったまま途方に暮れた。いろいろな感情が綯い交ぜになって涙がぽろぽろとあふれてくる。
 こんなことなら焦らずにちゃんと待てば良かった。知りたくなかった。聞きたくなかった。
「あるじさま、どうして……」



蓼食う虫どもの話

そのイチ


「きょう、ほんまるにおきゃくさまがくるってほんとうですか?」
「そうだよ、今剣。まあ、少し話をしたらすぐに帰るらしいんだけど」
 首をかしげる今剣に心臓をずぎゅうんと撃ち抜かれながら、私は頷いた。
「ええっ!他所の人なのに本丸に入れるんですか?」
「どんなお話をするんです?」
 私と今剣の会話を聞きつけて、年少短刀組がわらわらと集まってくる。
「私が時の政府にいた頃にちょっとだけ一緒に仕事をした人でね。会うのは三年?いや、四年ぶりくらいだから、近況報告やら世間話やらをしようかと思ってるんだけど」
「すごい!主様は審神者になられる前、官職におつきだったのですね」
 五虎退が目をキラキラさせて言った。五虎退の脳内にはしずしずと朝廷へ出仕する衣冠束帯姿の私が浮かんでいそうである。これが本当のジェネレーションギャップ。
「政府にいたのは五年ぐらいだけどね。入ったのは十八歳の時だから……」
 おっと、これ以上話すと年齢がばれる、と私は慌てて口を閉じた。といっても鎌倉生まれの粟田口メンは私の年齢なんて気にも留めていないに違いないが。今剣に至っては平安っ子、年齢下二桁は切り捨てしているクチだろう。
 政府に入ったのが十八歳というのは少し早いが、私は元々こういった非日常的なものを扱う家系の生まれで、高校生の時に見習いとして政府のお抱えバイトになったのである。
「お昼過ぎに着くらしいから、それまでみんなお掃除手伝ってくれるかな?久しぶりだから、ちょっと見栄張って綺麗にしときたくて」

 ◇◇◇

 昼過ぎに本丸を訪れたのは赤ら顔に笑いじわを刻んだ中年男性だった。
 午前中に主への訪問者の話を聞きつけて気が気ではなくなった加州清光は、嫌がる大和守安定をひきずって主のところへ行き、「俺が案内するから、主はわざわざ出てこなくてもいいよ!」と半ば強引に案内役を買って出ていた。
 自分の知らぬ人間と主が親しく話すなんて。もしくだらない奴だったら途中で追い返してやろう。男とか男とか男とか、とこれが彼の脳内である。
 しかし、門前で出迎えたその人物は、確かに男性ではあったものの、主と釣り合うような年齢にはとても見えなかったので(あと見た目も)、清光はひとまず胸を撫で下ろしたのだった。
 男は人の形をした刀剣にずいぶんと興味を抱いているらしく、案内途中も清光と安定に「食事はどうしているのか」「病気はしないのか」等あれやこれやと質問してきた。清光は正直うんざりだったが、あまりにもニコニコと陽気な顔なので追い返すタイミングはすでにない。
 この狸め、と彼は心の中でぐつぐつと狸汁を煮込んだ。
「お久しぶりです!お元気でしたか?」
「おお、お陰様でね。君が審神者になったと聞いて驚いたが、様子を見るかぎり順調そうだな」
「いえいえ、まだまだ未熟者で。なんとかやっていけているのは、刀剣たちのおかげですよ」
 案内役を務めた清光と安定にいつも通り丁寧に礼を言うと主は部屋に入っていってしまった。それでもぐずぐずと部屋の前から離れられずにいた清光だったが、安定から蹴りを入れられてとうとう退場と相成った。

 ◇◇◇

 

 今剣は悩んでいた。
 二、三間先にある主の部屋へこれで何度目になるか分からない視線を送る。
―― お客様が来るという話を一番最初に聞いたのは自分だったのに。
 畑の内番を終わらせた後のことである。今剣は畑の脇に髪紐を一本置いて来てしまったことに気が付いた。主にもらった大切な髪紐。慌てて取りに戻った彼だったが、取って返した時にはすでに主と訪問者は部屋に入ってしまっていたのである。彼女の部屋は今剣たち刀剣が普段生活している棟と、畑とのちょうど中間に位置し、畑の内番に行く際は必ず前を通る必要がある。
 執務をする主から「頑張ってね」「お疲れ様」と声をかけてもらえるこの内番を、今剣は普段から一等気に入っていた。
「どうしましょう……」
 天気が良いこともあり、障子戸は大きく開け放たれていた。話の最中に前を横切ったからと言って腹を立てるような主でないことは良く知っている。そもそも今剣たちが聞いてはいけない話なら、もっと音の漏れにくい部屋を使ったに違いない。
 そうわかってはいるのだが。
 今剣は今なんとなく部屋の前を通りたくなかった。盗み聞きをしていたと勘違いをされたくないからか、あるいは主が外から来た客と談笑している様を見たくないからか、理由は彼自身にもわからない。
「ながくははなさない、とおっしゃっていました。おはなしがおわるまで、きこえないところでまちましょうか」
 しかし、今剣が畑から長く戻らないとなったら薬研藤四郎をはじめとした他の刀たちが心配するに違いない。
 あれこれと考えた今剣は結局、縁の下を通って脱出することに決めたのだった。

◇◇◇

「まったく、今剣はどこ行ってんだ。もうすぐ客人も帰るってんのに。早く戻って来ねえと大将に心配かけちまうぞ」
 今剣が忘れ物を取りに戻ってからだいぶ経つ。
 薬研藤四郎は今剣を探して本丸内を歩き回っていた。粟田口兄弟のまとめ役で、短刀たちの兄貴分でもある薬研は、こういう役目を自ら引き受けることが多かった。
 本丸は途方もなく広い。これから新しい刀剣が増えても窮屈にならないように設計されているのだろう、普段使っていない区画に迷いこむと戻るのに一苦労する。数カ所ある演習場や鍛錬場の中には、大砲や火薬、罠などが積まれた危険な場所もあって、薬研は短刀たちの迷子には特に注意を払っていた。
 そうしているうちに、薬研はふとのぞきこんだ物置部屋に、たずね人の見知った小さな背中があるのを見つけた。
「おい、今剣。お前こんなところに座り込んで何やってんだ。大将の書物に茶でもぶっかけたか?」
 応えがない。
 その後ろ姿に違和感を感じた薬研は「おい?どうした?」と肩を掴んで振り向かせた。
「ううっ。やげん。あるじさまが、あるじさまが」
 こちらを向いた今剣は涙と鼻水でくしゃくしゃな顔をそのままに、薬研の肋骨をバキバキしかねない勢いでその胸に縋り付いた。

 ◇◇◇

 手を前に出して身体を引き寄せるたび、主の声が近くなる。今剣は一生懸命に縁の下を這っていた。
「そうなんですか。彼女、管制局へ異動になったんですね。知りませんでした」
「ああ、頑張っているみたいだ。そそっかしいところは直っていないらしいが」
 はははと二人が笑う。
 共通の知人の話もひとしきり終えたのか、訪問者の男は新たな話題を切り出した。
「そういえば、君、あの刀はどうしたのかね」
「……刀?と、言いますと?」
「あれだ、君が政府にいる間ずっと帯刀していた太刀だよ。君のいた鎮圧部隊は政府内でも武器の所持が認められていただろう?私のような事務畑の者にはとんと縁がないものだがね」
「ああ、あれのことですか」
 合点がいったように手を打った彼女に、今剣は思わず動きを止めた。話し声に耳を澄ませる。
「あの頃は今みたいに審神者が刀剣男士を呼び出す白刃隊のシステムがありませんでしたから……自分自身が遡行者と戦うしかなかったんです。緊急時に備えて武器は手放せませんでした」
「当時は殉職者も多かったらしいね。それに比べ、今のシステムは女性や若者であっても審神者としての力に長けた者ならば皆戦いに参加できる。おかげで人手不足もずいぶんと解消したと」
「ええ。まあそのせいで、鎮圧部隊は仕事がなくなって解散させられちゃいましたけどね」
 主が苦笑する。
「あのいかつい男ばかりの集団で、君は本当に良くやっていたと聞くよ。まあ、男ばかりというと今もそう変わらない気も……いや、ここはあそこに比べると若い色男ばかりだな」
 男の笑い声が聞こえる。あるじとわれわれはそんなあいだがらじゃありません、と今剣は縁の下で頬を膨らませた。
「そうだ、そうだ。それでその刀の話だよ。最近とある知り合いから聞いたところによると、君の太刀はそれはそれは美しいものだったそうじゃないか。彼は刀にずいぶんと詳しい男だが、あれほどにまで強く美しい刀はそうそうない、自分が知るうちでも指折りの名刀だ、と言っていた。はじめて見た時は興奮で三日ほど眠れなかったらしいからな」
「えっ、それは――
 主の声を遮って男は話をつづける。
「私が君に会った折には、ぜひその刀剣男士を一目見て、美男子ぶりを報告して欲しいと言われたよ。その名剣、もちろんここにいると思うのだが、少しでいいから会わせてくれないか?私も興味が湧いてしまってね。君も本当に大切にしていたんだろう?なにせどんな時も肌身離さず、挙句の果てに布団の中にまで持ち込んで一緒に寝ていたと聞いたものだから」
 笑いながら問われ、彼女は小さな悲鳴を上げた。
「ひえっ、私生活がシースルー」
「この本丸にいるというのはその通りなんだろう?」
「ええ、一応は……審神者になってから実際に振るったことはありませんが、手入れ自体は必要ですから。それなりに思い入れもありますしね……でも、お見せするのはちょっと、いろいろな問題が」
「いろいろな問題?」
 彼女はその後も散々渋ったが、客の男も負けなかった。「いやちょっと」「まあそう言わずに」を繰り返した後、結局折れたのは彼女の方だった。
「わかりました。個人的にはそれほどの評価を受けるものだとは思いませんが、お待ちいただけるなら持って来ます」
「おや、刀剣男士として呼び出しているのかと思ったが」
「それはできませんよ。だって、あの刀は――
 最後の方の言葉はもうほとんど今剣の耳に入っていなかった。
 主が、御自らその手にとって振るわれていた刀。
 ここにいる誰よりもずっとずっと強くて美しい刀。
 それが今もこの本丸にどこかに隠されており、彼女は時々その刀の手入れを行っているという。もしかしたら今でも一緒に寝ているのかもしれない。
 本当に大切に思っているのは、自分も他の刀剣たちも知らない、その素晴らしい刀だけだったとしたら。
「そんな……」
 仲間内には短刀である今剣よりも大きくて強い太刀や大太刀がたくさんいる。三日月宗近のような美しい刀だっている。しかし今剣は今までに引け目を感じたことも不安を抱いたこともなかった。彼女がそういった点で刀たちを区別したことは一度もなかったからだ。
 しかし本当は自分たちの知らない腹心の近侍がいたのだ。その刀が特別な存在でないのなら、自分たちに隠さず一緒に本丸で暮らせば良いではないか。
 主にとって自分は、自分たちは。
 胸を締め付ける考えにこぼれる涙を止められないまま、今剣は縁の下から走り出た。

◇◇◇ 

 今剣の話を聞き終わり、薬研はふうむと頷いた。
「なるほどなあ。それでこんなところで泣いてたってえ訳か。えらい勢いで飛び込んでくるもんだから、もうちょっとで物打が欠けちまうところだった」
 いまだに痛む胸のあたりをさすりながら、薬研は言った。上着が今剣の涙と鼻水で大変なことになっている。主が見たら「くりーにんぐに出さなきゃ!」と叫ぶだろう。
「うう。やげんはなんともおもわないのですか」
「もちろん、気にはなるさ。しかし、あの大将が俺らにそんな隠し事をするかねえ」
「うそではありません。ほんとうにきいたのです」
「お前が嘘つくなんざ思っちゃいねえよ。もっとも、その話が本当だってんなら」
 薬研は眉根を寄せた。
「本丸はじまって以来の大騒動になるぜ」


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