走り疲れてへたりこむのもこれで二回目だ。そろそろきつい。
「まさか一日に二回も秘蔵の痴漢撃退シリーズを披露する羽目になるとは……」
 と、汗を拭いながら格好つけてみたものの、虚しくなってすぐにやめた。秘蔵と言っても今まで使う機会がなかっただけである。
 一生お蔵出しすることはないと思っていた私の黄金のかかとが発動した以上、親指の爪の生存は極めて絶望的だと言っていい。痴漢に使ったのは初めてだが、相手を確実に血祭りにあげる必殺技―― いや、決殺技である。
「三日月にしろ、小狐丸にしろ本当に一体なんなんだ。話がさっぱり見えてこないんだけど……二人とも『近侍』がどうとかこうとかって」
 うちの近侍が当番制であることを古参の彼らが知らないはずはないのだ。ここ数日の記憶をさらっても、特に思いあたることはなし。一昨日に古くなっていた近侍の当番表を新しく書きなおしたが、それが関係しているのだろうか。名前の字が気に入らないとか。確かに自分でもちょっとどうかと思う仕上がりだったが、その程度のことでここまで暴走されては先行きが不安である。
「とにかく戻らなきゃ。これ以上ひとりでいたら……」
 取り返しのつかないレベルの独言癖がつきそうである。



蓼食う虫どもの話

そのヨン


 不幸中の幸いで、今度は見知った場所にたどり着いていた。普段刀剣たちが屯している棟の一角であり、このあたりにいればじきに誰かに会えるはず。
 髪も服もぼろぼろだから、薬研や燭台切にはガミガミ言われるに違いないが、今はそんなお母さん達の小言でさえ恋しい。
 角を曲がってすぐ、小さな人影を認めた。
「五虎退!五虎退だ!これはちゃんとした五虎退!」
 まともそうな相手に出会えた嬉しさのあまり、言語に少々支障をきたした。これではまるでちゃんとしていない五虎退もいるようである。
 良かった、ようやく日常に戻ってきた。
「五虎退?」
 だが何故か五虎退は返事をしないばかりか、足を進める私を見て後退り始めた。もう一歩進むと、また後退られる。よく見ると身体が震えていた。
「……五虎退、どうしたの?」
 俯いたまま顔をあげようとしない。足元から仔虎の唸り声がする。
「あ、そっか。ごめん、こんな汚い格好で近づいたらそりゃちょっとひいちゃうよね」
「……違います」
 聞き取れないほど小さな声で五虎退が返事をした。
「そうじゃなくって、だって、主様、み、みんな大切だって」
 鼻を鳴らしながら、震える声でつづける。それから、ふつりと黙ると、大部屋の方へ走っていってしまった。
「ちょ、ちょっとストップ!」
 この本丸で何かが起こっていることはもはや確実だった。
 五虎退が奥の大部屋に入っていくのが見えて、慌てて追いかけた。
 障子は閉めきられており、中に人の気配はあるが、何の音も聞こえてこない。
 勇気を振り絞って戸に手をかけた。

◇◇◇

 駄目審神者に、ついに天罰がくだったというのか。
 さまざまな感情がこめられた数多の視線にさらされながら、私は大部屋の真ん中に立ち尽くしていた。怒り、悲しみ、苛立ち……好意的なものはひとつもない。ちなみに三日月と小狐丸の姿もない。
「えっと、あの、一体どういうことでしょう、か……?説明してくれるとありがたいんだけど」
「それはこちらの台詞だ!」
 山姥切国広が煮えたぎった目で睨みつけてくる。
「口先でなんと言おうとも、やはり所詮は影打だったということか。ふん、どうせそんなことだろうと思っていた。写しなどその程度の」
「主っ!なんで!何でだよ!」
 今まで黙っていた清光が山姥切を遮って、縋り付いてきた。
「俺のこと可愛いって言ってくれたじゃん……嘘だったの?いらない子だった?ねえ、俺もっと可愛くなるからさ。お願いだから、捨てないでよ」
 清光は俯いて、泣き崩れた。
「か、加州!?捨てるって一体どういう……」
「とぼけるな!これほどの裏切りを働いて、今更何を!」
 次から次へと投げかけられる言葉。頭上にクエスチョンが乱舞する。
 なんだって?裏切り?
「待って。みんな何か勘違いしてるんだと思う。話を……」
「いつもそうだ!写しだ写しだと。もういい、それならば――
 山姥が鯉口を切る。がちゃりと鍔鳴りがした。近くにいた数人がさすがに危ないと慌てて止めに入り、うつろな目をして同様の動きをしていた清光も、ついでに取り押さえられた。
「落ち着け、山姥切。今は主の話を」
「放せ!俺を軽んじるやつは皆……」
「話をしようって!私にも言い分が」
「主様、なんで!」
 どいつもこいつも話を聞けえ!
 断片的な情報を結び合わせると、私が皆に嘘をついて、裏切ったということらしい。が、本当に身に覚えがない。自分が主としてダメダメな自覚はある。しかし、嘘だけは絶対につかないと決めているのだ。自分を信頼してくれている刀剣たちに対しては。
 太郎太刀、和泉守兼定……冷静に話を聞いてくれそうなメンバーは揃いも揃って遠征に出かけている。燭台切光忠。頼りになる相手を思い出し、慌てて周囲を見回したが、どこにも姿はなかった。そうだった。この時間帯はここからかなり離れた厨で食事の準備をしているのだ。
 くそ。とにかく何か話さないと。
 息を吸い込んで、大声を出そうとしたその時だった。
「ほう。ではその言い分とやらを聞かせてもらおうではないか」
 ゆったりとした、しかし底冷えのする声が大広間の畳を這った。
 一斉に静まり返る。
 おそるおそる振り返ると、三日月と小狐丸がこちらを見てにっこりと微笑んでいた。
 心臓がかちんこちんに凍る。
「は、ハアイ」
「それはもうよろしい」
 アメリカンな感じで手を振ってみたが、両人ともに絶対零度の笑みでスルーされた。
 三日月は顎の下がほんのすこし赤くなっているだけで、特に大きな後遺症はなさそうだった。日本刀が縦からの衝撃に強いというのは本当らしい。
 ひとまず国宝損壊の罪は免れたが、同じことなら鼻の骨ぐらい折っておいても良かったかもしれない。
「間男を連れ込んでいることをどう申開きなさるのか楽しみだ。まあ、俺には皆目見当もつかぬがな」
 言いながら、すらりと腰の物を抜き放つ。優美な曲線が露わになった。
 気づいた鶴丸が、押さえていた山姥切を放して走り寄ろうとした。
「三日月!ちょっと待て」
「のう、おぬしは気にならぬのか、鶴丸?ぬしさまを独り占めする間男どのが」
 しかし、これもまた刀を抜き放った小狐丸に行く手を阻まれる。
「ま、間男!?そんなものができるくらいなら、こんなに人生苦労してないよ。言いたくないけど、そもそも、間男どころか間じゃない男もいないからね!この齢になってもぴっかぴかですから」
 どことは言わないけれども。
「そう固くならずとも、じき終わる。ゆるりとせよ」
「違う、違うって!そんなことがありえないってことくらい普通に考えればすぐにわかる――
 その時、後ろから必死な叫び声が聞こえた。
「うそ!だって、あのとき、あるじさまには、とってもだいじなかたながあるって!ずっと、おふとんをごいっしょしてたって!」
 黙っていた今剣が、最後の最後で大型爆弾を落としていった。
 大広間が一瞬で草木一本残らない荒涼とした大地へと変わった。
 布団、布団で一緒に……まさか。
 びりっと脳に信号が走った。あれか。まさかあれのことか!
 昨日あの元同僚と話した内容が浮かぶ。これはとんでもない勘違いだ。
「分かった!分かった、その刀見せる。見せるから!」

◇◇◇

 刀剣たちを引き連れて本丸の廊下を歩いていく。
「主の寵を一身にうけるなど、近侍殿はさぞや美しい姿をしているのであろうな。早くお目にかかりたいものだ」
 さっきから三歩歩くごとにちくちくと刺してくるのは三日月である。
「齢をとると愚痴っぽくなるって実家のお母さんが言ってた」
「主殿、なんと?」
「いや何でもないです……着いた。奥でちょっと準備してくるから、この部屋で待ってて」
 清光が「主は間男と心中するつもりだ」と騒いでいるのが聞こえた。が、それもじきに静かになった。安定の天誅が下ったのだろう。いや、あの二人の場合、『天誅』ではなく『粛清』だろうか。
 私たちが辿り着いたのは、天守の近くにある狭い物置部屋だった。布で間仕切りした後ろ半分には、この本丸に来るときに実家から持ってきた荷物がまとめて保管してある。
 刀剣たちを後に残して、奥へと進んでいった。
 あの元同僚の要望で出したばかりだから置いてある場所は分かっている。もっとも、そうでなくたって元より探す必要などないのだが。
 一番奥の棚の中段から目当ての箱を下ろし、フタを開けるとそれは懐かしい姿を覗かせた。手に取ると馴染みある鞘の感触がピタリと手のひらに吸い付くる。
「なんだかんだ言って、『これ』やっぱり落ち着くんだよね」
 さて、これ以上ややこしくなる前に誤解を解かなければ。


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