薬研は衣擦れの音に顔を上げた。布を押し上げて主が奥から戻って来る。
見ているだけで力の抜けるのん気な見た目の主だが、その本性は信ずるに足る。まっすぐで、しかし、しなやかな強靭さを持つ女。
そうでなければこの自分が従うはずもないのである。
俺に限ったことじゃないだろうが、と薬研は改めて主を見上げた。どんな噂が立とうとも、周りがどれだけ騒ごうとも、彼はあくまで冷静だった。
しかし主がその手に持ったものを目の前に掲げた瞬間、薬研の心はひどく乱れた。
一見簡素な拵えの太刀。しかし華美ではないというだけで、よく見ると非常に作りこまれた端正な姿をしていて、隅々まで一部の狂いもない。
主が慣れた手つきで鞘から刀身を抜き払うと、薬研は「それ」に釘付けになった。
それはそれは美しい太刀だった。刃紋はもちろん、刃先の形、反りの深さ。どれをとっても文句の付けようがない。彼が何よりも惹かれるのはそのしなやかさだった。武器として振るわれた時にはさぞかし美しく映えるのだろう、と薬研は自分が同じ刀剣であることを忘れてひたすらに見入ってしまった。
「ねえ、薬研。ちょっと触ってみて」
声をかけられ、彼は我に返った。「大丈夫、怪我しないから」と言って差し出された太刀。おそるおそるその地に触れた彼は、途端にあっと声をあげた。
「…… これは」
「わかった?」
頷く薬研に、他の刀剣たちが怪訝な顔をした。
「何がわかったって言うんだ、薬研」
「この刀は……大将と同じ気配だ」
主は頷いて言葉を紡いだ。
「うん、そう。だってこれは私の分身みたいなもんだからね」
そのゴ
私の家は代々術者の家系である。
と、この話をする時はいつもそういう始め方をすることにしている。
代々、というと由緒正しき血族をイメ-ジする人間が多いのだが、私の家はかの有名な安倍氏や賀茂氏といった大御所とは無縁のマイナー一族である。漫画や映画で良くあるモンスターハンターやゴーストバスターのような仕事をしている者は今やいないに等しいし、実家が神社だったりすることもない。十年前に父親が建てた新興住宅街の一戸建てに一家ぎゅうぎゅう詰めで暮らしていて、もっと言えばローンの返済すら終わっていないのが現実である。
さて、ここからが大切なところだが、いくら弱小血族だとは言え、この現代に至っても「術者の一族」を名乗っているからにはそれなりにできることもあるのである。そう、私の一族のウリは、「自らの魂を物質化する」能力である。物の魂を具現化する審神者の技とは似て非なる異能である。
ところが、聞いた感じちょっと「すごそう!」なこの能力も、実際には口が裂けてもすごいとは言えない微妙なものだ。
父の力の具現が10tトラックだと言えば、おわかりいただけるのではないだろうか。家族経営の運送業として我が家を支えてきた父のトラックはガソリンを喰わないのは便利だが、10tから大きさを変えることができないので意外と仕事を選ぶ。
それでも親戚内ではかなりましな方なのである。ハエ叩きとか、物干し竿とか、そういうなんともいえない日常品に当ってしまった人に比べれば。
道具だったり、乗り物だったり、武器だったり。私たちの一族はそれらの物を商売道具に、一般の人々と同じやり方で日々収入を得て生活をしてきた。修行法などもあまり確立されていないので、下手をすれば具現化した物より普通に売られている物の方が使い勝手が良かったりする。まだ科学が発達していなかった時代にはそんな物でもそれなりに役には立ち、何かと重宝されていたと聞くが、近年は文明の利器に全く歯が立たない。悲しいことである。
なお死んだおじいちゃんや、もう少し前のご先祖さま達はもう少しいろいろなことができたらしい。
私も一族の例に漏れず、思春期、正確には中学生の時に能力を発現した。
が、なんと、刀だったのである。
刀剣男士、というのを聞いても分かるように古来、刀の性は男である。一族を遡っても、女が刀を発現する例は非常に稀だったらしい。そもそも、刀剣それ自体が良くありそうに見えて意外と少ないタイプなのだ。
はじめて能力を発現した時、手元に現れたそれが刀の形をしているのを見て、お母さんやお姉ちゃんの顔に「お前、中身は男だったのか。やっぱり道理で」との冷ややかな文言が浮かんだのは今でも忘れがたい。対照的だったのは親戚のおやじどもで「ついにうちから刀持ちが!しかも太刀!」と一升瓶を振りまわしては一晩中大はしゃぎだった。
刀の具現は男のロマンだ。涙ながらにそう語ったおじさんのマイ具現は柄長のハタキだった。もっとも、ハタキはハタキでも、一振りすれば埃をミクロ単位で一掃できる超ハイスペックモデルなのだが、所詮はまあ掃除用具である。
それに比べれば私の具現は多少は格好いいかもしれない。多少はね。
だが、私自身は大いに不満だった。刀ってなんだ。しかも装飾のほとんどないごりごりの太刀。ザ・無骨。
当然のことながら、構え方すらさっぱり分からない刀を使う機会など平々凡々な中学生にやってくるはずもなく―― というかそもそも現代日本で真剣を振り回すという発想自体がなかった―― ため、発現後もかなり長い間放ったらかしにしていた。
状況が変わったのは高校生の時だった。当時、遡行者との戦いは困難を極めており、政府は人手不足から戦えそうな能力者を片っ端からかき集めていたらしい。そういう状況の中、どこから噂が漏れたのか、ある日政府の役人がやってきて、私は半ば強引に非常勤戦闘員、つまりバイトとして引ったてられた。
“そういう”業界から離れて幾百年の我が一族、だが戦わねばならぬ時は戦わねばならぬ、と両親親戚は私を戦場に送り出したのである。
こう見えて意外にも運動神経の悪くない私は、それ以降男ばかりの鎮圧部隊でモリモリ鍛えられ、それなりに戦えるようになった。痴漢撃退がお手のものなのはそのためである。 五年目にして戦闘中に利き手を怪我してしまい、あえなく引退となったが、総合戦績はまあ悪くなかったと思う。
ちなみに審神者と白刃隊のシステムが導入されたのもちょうどそのあたりで、自分の魂を具現化できるなら、物の魂もなんとかなるんじゃないかという政府のやっつけ判断により、私はそのまま審神者へ転向した。具現が刀であったことが幸いしてか、鬼のような訓練の末、なんとか刀剣だけなら人の形を取らせられるようになり、今に至る。
「というわけで、これは触れるし、目にも映るけど、実在していない刀なんだよね。ということでこの刀から刀剣男士が発生することは絶対にありません。結論、私に間男はいない!以上、解散」
タネ明かしを終えると、部屋の空気が一気にだれた。
だから落ち着いて話そうと言ったのに。
「とりあえず、誤解が解けたみたいで安心したよ。一時はどうなることかと思った」
一息ついていると、小狐丸が考えこむような顔をして言った。
「ははあ、そうでございましたか。この小狐丸、早合点をしていたようでお恥ずかしい。しかしながら、ぬしさま。確かにその刀が間男でなかったことは認めまするが、書室で別の男と睦み合っていたのはどういうことにございましょう」
そう言って小狐丸は三日月を睨みつけた。三日月は気にした風もなく、言いかえす。
「おや、主の首元になにやら下世話な痕が見えるな。どこの狐が噛み付いたものか」
緩んでいた部屋の空気が再び冷え込んだ。全員の視線が私に突き刺さる。
「え、ここで私にくる? 被害者!被害者です!」
加州と山姥切がうつろな目で刀を抜いているのが視界に入り、私は慌てて近くの薬研にSOSの視線を送った。
のだが。
「気持ちはわかるぜ大将。だがよ、この大騒動、結局大将の不用意な発言が発端だったってことだろ。散々振り回しやがって」
ぐっと顔が近づけられて、冷ややかな声で絞められる。
「悪いがな。これに関しては、自業自得だ」
脱兎のごとく逃げ出そうとした私を三日月ががっちりとホールドする。
「ふらふらと尻の軽い主にはしつけが必要だな」
◇◇◇
「三日月のおじいさんはそれはそれは綺麗なお顔で微笑みましたとさ……はは、あはははは」
その日の夜、遠征から帰ってきた鳴狐はよれよれになった主に出迎えられた。口から魂のような何かを吐きながら何事かをぶつぶつと唱えつづける主を見て、鳴狐は昨日の昼の会話を思い起こした。
お気に入りの場所、つまり主の部屋の屋根の上に座って、鳴狐は耳を澄ませていた。下からは主とその客の会話が聞こえてくる。
『ほう!これはこれは。いやあ、本当に美しいなあ。想像以上だ。うん、実在するなら国宝級だな。これが君の心映えというわけか。まっすぐでしなやかな精神が良く現れている』
『や、やめてください!本人の前で具現化したものをべた褒めするのは、うちの一族ではタブーですよ』
『はっはっは、顔が真っ赤になってるぞ。まあ、確かにこれだけの物だと抱えて眠りたい気持ちも分かる』
『いやいや、そんなナルシスティックな理由で危険物を布団に持ち込んだりしませんから。私は長時間の具現化が下手くそで、一日使うと身体の近くにおいて力を貯めなおさないとすぐに消えちゃうんです。だからてっとり早くそうしていたというだけで……使わなければ少々放っておいても大丈夫なんですけど。というか私、そんなキャラに見えてたんだ。痛すぎる』
男の笑い声に混じって、悶絶する主の悲鳴が聞こえる。
『そうかそうか。でもこれで良くわかった。刀剣たちが君をあんな目で見ているわけが。なるほど、彼らから見れば君は絶世の美女、いや美刀だったんだな。あっはっは』
あの客はなかなか見る目があった、と泣きついてくる主の頭を撫でながら、彼は面の下でこっそり微笑んだ。
そうとも、我が美しき主よ。