彼の場合
ある晴れた日の昼下がり。
今日も私は自室でごろごろしていた。名誉のために言っておくが、午前中にやることはちゃんとやってある。さすがに仕事をほっぽり出してだらだらするほど駄目じゃない。多分。最近あまり自信がないが。
暇なので、部屋をすみからすみまで転がってみる。一応、審神者ということでかなり広い部屋をいただいているので、こういう遊びをするには困らない。悲しいことに、身体に凹凸がないせいで実によく転がる。
案の定、スピードがついて押入れに衝突した。
上から何か硬いものが倒れてきて、顔にごちんと当たる。
「痛った……」
アホすぎる。低い鼻をこれ以上低くしてどうするというのだ。
倒れて来たのは、一振りの太刀だった。
そう。例の騒動の黒幕である。もうそろそろしつこいので端折るが、私の一族は自分の魂を物の形に具現化できるのである。私はたまたま太刀だった。こう説明すると字面が厨二のようでイタい。
死神代行?あんなもの所詮はマンガの中の話だ。一見似たようなこの能力は、実際のところもっと使い勝手が悪くて、面倒なものである。いとこの具現物が漬物石だと言えば、お察しいただけるだろう。
詳しくは以前の騒動にて。
さて、とある事情にて、消していたはずのこれが何故ここにあるのか。
理由は押入れにある。
私の部屋は押入れの戸の建て付けが悪い。風が吹くとガタガタうるさく、勝手に開いてくる。中に詰め込んだ乙女の秘密が、部屋に撒き散らされたことは一度や二度で済まない。パンツとかパンツとかパンツとか。もちろん、布の方ね。
という訳でずっとつっかい棒をしていたのだが、ある日から行方不明になってしまった。ちょうどいい長さということで、誰かの鍛錬にでも持ちだされたのだろう。
このままでは寝ている間に戸が開いてパンツまみれになってしまう。
しかし、夜になってごそごそ探しまわるのは大変だ。布団から出たくない。何かないか。あ、あれを使えばいいじゃん。
ということで、私はそのままの体勢で刀を具現化して、押入れにつっかえたのだった。
それがそのまま残っている。不便なことに、この能力は出すのも消すのも少々面倒くさいのである。時間がかかるし、疲れるし。以前に消した理由を忘れた訳ではないのだが、代わりのつっかい棒を探すのを忘れてばかりで、なかなか消せずにいる。
もちろん刀剣たちには内緒なので、彼らが部屋に来る時は押入れの中に隠すことにしている。彼らはどういった訳か、私のこの刀にえらく興味があるらしい。意味がわからない。
刀の観察がしたいのなら、こんなしょぼいやつじゃなくて、自分のを見ればいいのに。
キャラが濃いので忘れがちだが、この本丸にいる刀剣の大部分は正統派の名刀である。国宝とか重要文化財がうろちょろしているここの管理を、こんなけちくさい小娘に任せるなど、政府も思い切ったことをするものだ。何かあっても弁償できないぞ。
ごろりと寝転んだまま、倒れてきた刀を手に取った。
ぱっと美しい装飾もなければ、綺麗な塗りもない。まあ、出している時はちゃんと手入れをしているので、清潔感はある。
これは私の内面を映し出す鏡。貧相なのは当然か。
だけど、こいつと一緒に今までいろいろな修羅場を乗り越えてきた。辛いことも、嬉しいことも。今も昔も、のん気で馬鹿で失敗ばかりの私だが、あの鎮圧部隊にいて何も経験してこなかったわけではないのだ。
人生の相棒。そう思うと、無骨なこいつもちょっとはかわいく見える気がした。
鞘から引き出して、刀身を眺める。銀色にきらめくそれは、やはり昔よりも鈍くなったように思う。しかし、厚みを帯びてしなやかだ。
私は、あれから少しは強くなれたんだろうか。
◇◇◇
気が付くと、太陽が傾いていた。うっかり眠ってしまったらしい。慌てて飛び起きると、すぐ近くの廊下が騒がしかった。和泉守兼定の声がする。遠征に出ていた部隊が帰ってきたようだ。今回は資材調達がメインだから、戦闘はなかったはず。それでも外で頑張っている彼らを尻目に、昼寝をしていた私はやはりダメ審神者で間違いない。
うう、すまない。製造機がいなくとも自家自産できるなんて。
この本丸のダメ審神者はひとりひとり手作業で作られた伝統工芸品です。
こちらに向かって走ってくる足音を聞いて、慌てて刀を押入れに放り込む。戸を閉めると同時に、縁に面した障子が開いた。
「主!三日月さんが負傷しました!」
全身の血の気が引いた。少し遅れて鼓動が速まる。
「すぐ手入れ部屋へ行くから。用意しておいて」
自分を抑えながら、急いで準備をする。部屋から出ていこうとした時。
「その必要はない。俺はここだ」
負傷しているはずの三日月宗近本人が現れた。冷静に全身を確認する。目に見える傷はない。血の痕も。しかし内臓をやられているかもしれない。おちつけ。蒼い狩衣にしがみついて、丁寧に確認していく。
「痛いのどこ?胸は苦しくない?脇腹は―― 」
「こうまで主の気遣いを受けられるとは。怪我のしがいもあるものだ」
見上げると、三日月宗近はくっくっくと笑っていた。襟を引っ張って、鎖骨のあたりを見せながらつづける。
「案ずるな。ほれ、ここだ。和泉守め、えらく騒ぎおって」
見ると、大きな青アザがあった。痛そうだが、重大さは感じられない。ほっと、胸を撫で下ろした。いつまでたっても怪我には慣れない。心配、というよりも恐怖。
これじゃ審神者失格だ。やっぱり少しも成長なんてしていない。
「時に主よ、今日はずいぶんと積極的だな。まあ、俺は一向に構わんのだが」
笑いを含んだ声で言われて、狩衣にしがみついたままだったと気付いた。慌てて離れる。
「お、お元気そうでなにより……」
「うむ」
この深刻な場面になんて奴だ。空気を読め。自意識過剰か。これだから平安人は困る。お前もどうせ、夢に出てきた相手が、自分のことを好きだとか思っちゃうタイプだろ。
「まあ、でも結構腫れてるし、手入れはしとこうか。これぐらいなら私の部屋でいいかな」
気を取り直した私は、三日月宗近を手招いた。
◇◇◇
「ん……」
「……は、…」
吐息の混ざった艶かしい声が部屋に響く。
「……ふ」
うるせえよ!!なんて声だしてんだ!このじいさんは!
慎ましいが悩ましい喘ぎ声の発生源は、上半身裸で横になっている三日月宗近だった。もちろん布はかぶせてある。彼は肘をついて腹ばいになった姿勢で、刀剣本体の手入れを受けていた。切れ長の目がここちよさげに細められている。やるからには、どんな小さな傷でも、相手が誰であっても、持てる技量を出し尽くして手入れをする。それが私の審神者として、いや全国審神者手入れ決定戦、若年の部の王者としてのプライドだ。であるからして、私は現在も最高級の手入れ用具(自分用)を駆使して、総力体制で三日月宗近の傷の治療にあたっていたのだった。
清潔な紙で優美な反りの刃を拭い上げる。
初対面なのにいきなり「天下五剣で最も美しい」とか自己紹介してくるだけあって、やはり腹が立つほど綺麗だ。
「あ……」
打ち粉をはたくと、また変な声を出した。いくら私が自他ともに認めるお手入れテクニシャンだと言っても、さすがにこれはひどすぎる。絶対わざとだ。この前の手入れの時は、うんともすんとも言わなかった癖に。
小娘だと思って、すぐにこういう嫌がらせをするんだこいつは。齢をとると意地が悪くなるって実家のお母さんが言ってた。
それに対して、この前の薬研は良かった。おんなじ手入れでも、ああいうのでないと可愛くない。楽しくない。ああいうのを征服感というのだろうか。機会があったら、今度こそじゃれつかせてみせる。
反省しているようで実は反省していない、痴漢審神者は健在です。
◇◇◇
「いやあ、やはり主の手入れは素晴らしいな。俺もいろいろな人手を渡ったものだが、主ほどの人間は少なかったぞ。若返る。ははは」
「それはどうもありがとう。ははは」
あんなふざけた反応をされて、今更白々しく褒められたところで全然嬉しくない。乾ききった笑いをお返しする。
よし、長かったお手入れもこれでほとんど終わりだ。組み直しも終わったし、あとは最終調整だけ!さっさと終わらせて、人を舐めくさったこの男を追い出そう。
もう使わない道具を手早く片付けていると、突然脳裏に記憶がポップアップした。
「あ!忘れてた!」
負傷のことで、すっかり頭からふっとんでいたが、今日は備品の支給日だった。太陽の位置を見る。まずい。いつもならもうとっくに支給係が到着している時間だ。大量の荷物を抱えて門のところで立ち往生しているに違いない。ああ、申し訳ないことをした。
「ごめん、ちょっと支給係さんに会ってくるね。あともうちょっとで終わりなんだけど、ちゃんと最後まで見たいから、ここで待ってて!すまん、すぐ戻る!」
「相分かった。急がずともよいぞ」
三日月宗近を自室に残したまま私は全速力で部屋を飛び出した。
「ほんっとにすみませんでした!遠路はるばる来ていただいているのに……」
「いやいや、気にしないで下さいよ。待ったといってもほんのすこしです。審神者殿がお忙しいことくらい承知しておりますよ」
息も絶え絶え、必死の形相で頭を下げる私に、柔和な顔の支給係さんは苦笑しながら言った。
「では今回はこれだけになります。お受け取りのサインをこちらに」
ポケットを弄り、いつも突っ込んであるボールペンに手をやる。サインしようと腕を持ち上げた瞬間。
背筋に悪寒が走った。
が。すぐにやんだ。風邪でも引いたか。気を取り直してペンを握る。
おうふ。
また悪寒がした。今度はやまない。嫌な予感がする。
冷や汗だらだらで一時停止した私を見て、支給係さんは訝しげな表情をした。
「どうかされました?」
ええ、どうかしてます。なんとか取り繕ってサインをした。う。
悪寒が止まらない。もう原因は分かっている。分からない訳がない。認めたくないだけだ。おお。嘘だろ……まじかよ……。
「では、また来週のこの時間に。追加の品があれば伝令役を通じてお知らせください」
支給係のおじさんは業務を完遂して去って行った。門から姿が見えなくなった瞬間に踵を返す。
あかん。これあかんやつや。泣く。お母さん助けて。
へたりこみそうになる身体に鞭打って、私は自室へたどりついた。どうか勘違いでありますように。けど自前の感覚が「そんなことないよ」とびんびん鳴いている。震える手で障子を開けた。
狩衣を着付け直した三日月宗近が、部屋の真ん中であぐらをかいてゆったりと座っている。自分で服が着られないとか言ってたのはどこのどいつだ。しかし今はそんなことはどうでもいい。そんなことよりも、はるかに重大なこと―― ああ、もう直視できない。なんてこったい―― それは、私の分身たるあの刀が三日月宗近の手の中で弄ばれている光景だった。
幻覚だ。幻覚に違いない。だれかそうだと言って。
「帰ったか。待ちわびたぞ」
心にもない笑顔で三日月宗近が主の帰還を歓迎した。もちろん手には刀がきっちり収まっている。しかもすでに鞘は剥かれている。ゴッデス!そりゃあ退屈しませんな。
「ただいま帰りました。それで、あのですね三日月さん……そちらはいったい……」
「おお。これか。さっき押入れから転がり出てきてな。どこかで見たような刀の気もするが。はて」
「あはは…多分違うと思うなあ……そ、そう!思い出した!それはこの前支給係さんが―― 」
ぞぞぞぞぞ。
過去最大のビッグウェーブが私を襲った。見れば峰を指先でつーと撫でている。
やめろ!背中はだめだ、ああああああ、お願いします!背中だけはあ!
立っていることが難しくなり、畳に四つん這いになった。屈辱だ。
「どうした、主よ。そのようにうずくまって、どこか調子でも悪いのか?」
わざとらしい顔をするな!
心の中でそう叫んだ瞬間、今度は横っ腹に冷たい指の感触が走った。悶える。
すみません!すみませんでした!背中だけって言ったけど、すいません脇腹もほんとは駄目です。もう言わないから、肋骨の間をさわさわするのは止めてください!
「い、いやいや。ちょっ……と腰が痛くて。わ、私も齢かな、……あっ」
当の加虐者は、なんとも楽しそうな顔をしている。手を止める気配はない。
「薬研の手入れも大変だったようだしな。そうだな、俺がほぐしてやろう」
微笑みながら、峰の根本に指を這わせた。
腰から慣れない感覚がかけのぼる。一撃で腰くだけた。
あかん。これあかん。こんなん反則や。経験の差か。
やめて。前人未踏の乙女の柔肌よ。素材は鉄だけど。鉄は鉄でもアイアンメイデンなの。その指先の動きはハード過ぎる。お手入れマスターとか言ってすみません。あんたには勝てない。ああああ。
手入れの時に刀身を撫でるのは、皆にも今まで普通にやってきた。でも、人にされるのってこんな感じなのか。初めて知った。こんなのを日常的に耐えてるなんて、やっぱり本物の刀は違う。
「あう」
息も絶え絶えである。変な声もでた。もうやめて。これ以上かわいそうな審神者をいじめないで。
「それにしても、本当に優美なものだな。俺も天下五剣などと呼ばれているが、そう違うまい。せめて銘だけでも知ることができれば」
刀を目の前に掲げて言う。
白々しいベタ褒めはやめろ。どうみたってあんたとは次元が違うだろ。嫌がらせもここまで来ると、逆にすがすがしい。
愛撫がやんだので、少し持ち直した。なんとか手放させなければ。あれがあちらの手にあるかぎり、勝ち目はない。呼吸を整えながら言う。
「無銘の鈍ら刀です……きっといきなり有名人に濃厚接触されてびっくりしてるから、そろそろ解放してあげて……ほら、コミュ障だし、お触りできる嬢じゃないんで―― 」
最後の抵抗とばかりに手を伸ばして、刀に迫る。
しかし、腰をさあっと撫で上げられて、再び畳に倒れこんだ。あばばばば。もう審神者のライフはゼロよ。
薬研、お前もこんな気持ちだったんだね。ごめん。人の気持ちが分からない審神者でごめん。
「そうか。それは残念だ。この世に生を受けて幾百年、初めて女人に出会えたというのに」
三日月宗近は切れ長の目を細めて、刀に頬ずりをした。
「だが、心配せずともすぐ慣れる。女の身体は良く知らぬが、同じ刀であるならばそう違いはあるまい。安じて身をまかせよ。なにせ、伊達に齢をくってはおらんものでな」
そう言って、赤い舌先で刃をぺろりと舐め上げた。
太陽は完全に落ちている。
審神者は死んだ。魂はここではないどこかへ去っていった。
年老いて背の曲がった男が暖炉の前で幼い孫たちに古い昔話をしている。
どこへ行ったの?
楽園に行ったのだ。
楽園?
そう、そこでは花々が咲き乱れ、美しい音楽とともに、鳥達がさえずって――
いません。
もう夜です。私はぐずぐずになって部屋に転がっていた。隣にはあの刀も転がっている。
「もうスクラップにしてください……お嫁にいけない……」
「俺から見れば主もまだまだ分かっておらん。もっと腕を磨いてもらわなくてはな。俺のためにも。ははは」
楽しそうにそう言い残して、私をめちゃくちゃにした男は去っていった。つやつやだった。色々吸い取られた。これが若さの秘訣なんですね。ああ、遠くで誰かの呼んでる声がする。あれは死んだおじいちゃんだ。ついに私も楽園に行くのね。あら、パトラッシュも一緒なの。あは。あははは。
その後、自室でパトラッシュと一緒に天へ召されようとしていた彼女は、偶然部屋を訪れた和泉守兼定の手で保護された。光忠の懸命な介護のおかげで意識を取り戻した彼女であったが、いまだに手入れ道具を見せると怯えて、部屋の隅で「楽園……楽園……」とつぶやく。手入れのし過ぎで何か恐ろしいものでも見たのだろうか。
それと三日月宗近が最近やたらと桜の花びらを撒き散らすので、本丸の掃除は少し大変になった。