「すまん」
 迅は深く頭を下げた。
 リノリウムの白い床が、蛍光灯の光を浴びて清潔そうに光っている。
 ベッドの上で、部屋の主が身動ぎした。
「迅さん」
 昏睡期間が長かったせいか、少し掠れている。名前を呼ばれた迅はゆっくりと顔を上げた。
 三雲はまっすぐに迅を見ていた。
「何で謝るんですか」
「君を利用した」
 迅は目を逸らさず答えた。四年も経てば誰しも成長する。
 しかし三雲の瞳が陰ることはついぞなかった。
「必要なことだったんでしょう。皆のために」
「……それでも」
「迅さん、謝らないでください。貴方はいつでも助けられなかった人のことを思うんでしょうけど、貴方のおかげで助かった人のことも考えてください。ぼくも千佳も、それから空閑も。迅さんがいてくれなければ今ここには居なかった。あの時、どうするか選んだのはぼく自身です。自分の選んだ未来に悔いなんてありません」
 力強く言い切った三雲に、迅は頭を掻いた。
「昔、似たようなこと言われたよ。お前ごときに何が背負える、ってね」
「その通り!」
 バーンと勢い良く、病室の扉が開いた。林藤親子を先頭に、玉狛支部メンバーが揃って顔を覗かせた。その後ろから嵐山隊、おまけに緑川まで入ってきて、小さな病室はすし詰め状態になった。
「迅! おまえというやつは……! ちょっとはなかまをしんじろ!」
「バカの癖に考えすぎなのよ。バカ」
「小南先輩、本当のことは言っちゃダメっすよ」
  お前ら、と迅は苦笑した。情けのない顔をしている自覚がある。眉毛の下がりきった、今にも泣き出しそうな顔だ。
 わいわいとうるさい見舞客の喧騒に紛れて、三雲が唇を動かした。その言葉を読み取って、迅は溢れないように天井を向き、ゴーグルをかけた。
 ―― 取り戻しましょう、迅さん。
「……うん、俺たちの未来だもんな」
 
 
◇◇◇
 
 
 通りを渡り、堤防を行く。
 街灯は点々と行く手を照らし、迅を導いた。細くて長い橋の上へと。
 迷わずずんずん渡っていくと、真ん中あたりに思った通りの相手が立っていた。
 欄干に背を預けた太刀川は、迅に気付くと片手を振った。
「おう、来たか」
「だーかーら、何で分かるんだよ」
「お前もだろ?」
「俺はちゃんとサイドエフェクト使ってんの。きっちり未来見てここに来たの」
「へェ。見ない間に成長して」
「はいはい。そっちこそ飽きもせず真っ黒に決めちゃって」
 換装したままの太刀川は、今日も今日とて黒いコートを着ている。入隊してから今に至るまで、この格好は彼の一番のお気に入りだった。迅だけがその理由を知っている。
 軽口を叩きつつ、彼は太刀川の隣に並んで立った。欄干に頬杖をつき、川面を見下ろす。川は真っ黒に塗りつぶされ、ただ水音が聞こえてくるだけだった。
「ここに来るのも久しぶりだ。最近はお互いに忙しかったよな」
「俺はそうでもなかったぞ。それよりいつからランク戦に復帰するんだ」
「んー、まあそう遠くない未来に」
 答えると、太刀川は口笛を吹いて、迅の肩を小突いた。迅も小突き返す。その時、キラリ、と川面が光った。波のあちらこちらに輝きが宿りはじめる。
 二人は空を見上げた。はるか遠く、山の端が白く縁取られていた。どちらともなく口を開いた。
「夜明けだ」
 冷たい風が頬を撫でて、換装しているにも関わらず、彼らは「寒ッ」と身体を震わせた。
 心臓のそのまた奥にあるもの、凍えやすいそれが冷えきってしまわないように。寒さを厭うのは身体ではない。
「それはそうと、お前のところの新人、目ェ覚ましたんだってな」
「さっき見舞いに行ってきたよ。まったく、病室だってのにどいつもこいつも」
 そう言うと、太刀川はニヤリと口の端だけで笑った。
「お前の予知、ほんとにポンコツだな」
 夜空が淡く薄れていく、その様子を見上げながら、迅は懐に手を突っ込んだ。指先に触れたものをガシャガシャと引っ張りだす。
 口からぽっぽと白い息を吐きながら、彼は言った。
「言ってるだろ。あんたが絡むと外れるんだよ……で、ぼんち揚げ食う?」
 
 


夜明けの賛歌

07:太陽の姿はまだ見えない。だが朝はすぐそこ。



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