息が苦しい。酸素が足りなくて、足がビリビリする。
体力の限界に挑みながら、私は林道をひた走っていた。
「くる、しっ」
しばらくいって立ちどまり、地面に膝をついた。全身が空気を求めて、ひきつれるような浅い呼吸を繰りかえす。
もう走れない。
「でもっ、さすがに、ここまで来れば」
がさり、とすこし離れた草陰が鳴った。
ダメだ!
私は飛びおきるように立ちあがり、ふたたび走りだした。
みっともなく逃げまわる私を嘲笑い、じわじわと追いつめる。そういうゲーム。
ウォーカーもフライもダンピアも、もういない。私ひとりを逃がすために、勝てない相手だとわかっていて、それでも。
「ごめん、みんな」
だから、どんなに苦しくても追いつかれるわけにはいかない。
盾になってくれたみんなのために。人としての尊厳のために。
71 The game(Ⅰ)
ある晴れた日の午後、名もなき無人島にて、赤髪海賊団もとい赤髪さん家の愉快な仲間たちは今日も楽しくアルコール三昧だった。
島に着いたのは今朝、三週間ぶりの陸ということもあり、上陸の際にはみんな年甲斐もなく大はしゃぎだった。
海に生きる海賊だが、陸が嫌いなわけではないらしい。この島には最長で一週間ほど滞在するとのこと。
『たまには羽をのばすのも必要だ、最近ひまだったからな』と白いビーチに降りたったシャンクスも、言葉のとおり気持ちよさそうにのびをしていた。
午前中はそろって飲み騒いでいたが、午後になるとクルーたちはそれぞれしたいことをしはじめた。中堅層はカード遊びに興じ、ウィックは木陰で静かに読書をし、幹部は奥のほうで相変わらずちびちびやっている。
若手はというと、どこからかボールを持ちだしてきてビーチバレーをはじめていた。メンバーはウォーカー・フライ・ダンピアの見習い三人組、それよりハルゼー・エヴァンズの先輩二人組、それからもうすこし年上のクルーが数人。
ハルゼーとエヴァンズは私よりすこし年上、二十代半ばのクルーなのだが、赤髪海賊団の中では若い部類に入るため、ウォーカーたちと一緒にくだを巻いていることが多い。見習い三人組がやってくるまでは、このふたりがいちばんの下っ端だったらしい。年齢が近いため見習い三人組同様、私にも親しく接してくれる。
ちなみに陰で私は見習い三人組のことを『たまごクラブ』、ハルゼーとエヴァンズのコンビのことを『ひよこクラブ』と呼んで区別している。どうでもいい話だが、『こっこクラブ』は最近廃刊になったそうである。
「オラァッ!」
目にもとまらぬはやさでボールがネット上をすっ飛んでいった。
絶対に取れないだろうという豪速球をたやすくひろう敵陣。彼らは一瞬にして砂浜のはるか上空に跳躍し、空中でボールを打ちあった。
はじかれた球が砂浜に落ち、ドゴォン、とスポーツにあるまじき効果音がした。おそろしい。これもうバレーボールじゃない。ボールはボールでも悟空やベジータが活躍するタイプのボールではないだろうか。シェンローン!
地上でボールをひろったエヴァンズはにやりと笑って腕を振りかぶった。
「俺必殺、デスペナルティ・オブ・ブラックシューティング―― 」
言いおわる前に、ダンピアが容赦なくボールをたたき落とした。
「お、俺のデスペナルティ・オブ・ブラックシューティングスター・オブ・トリニティプラチナムパイレーツが、敗れた、だと?」
エヴァンズが愕然として崩れおちた。
いい歳してネーミングセンスが致命的に中学二年生な先輩に、たまごクラブの面々は白けきった表情を隠そうともしなかった。
「センスが行方不明」
「あとボールも行方不明なんすけど」
「痛々しい」
さっきからダンピアがやたらと手厳しいぞ。過去に何かあったのだろうか。
エヴァンズは泣く泣く遠くに転がってしまったボールを拾いにいき、彼らはそのあともビーチバレーを楽しんだ。といっても足の使用やらプレーヤーへの直接攻撃やら、便宜上私が勝手にビーチバレーと呼んでいるだけで、実際のところはバレーに似た何か(それも格闘技寄りの何か)にしか見えなかった。そもそもネット自体の高さが四、五メートル近くある時点でちょっとおかしい。
ルール無用の海賊ビーチバレーで汗を流したあと、ぐびっと冷たいアルコールを一樽ほどやった彼らは、早々にひまをもて余して次なる遊びを探しはじめた。
「カードは船でもできるしなァ」
「手あわせ?いやいやそんな真面目じゃないっしょ俺ら」
「この狭い島で探検かァ。三十分くらいで終わっちまいそうだ。探検っていうか花畑探しだな」
一同の視線がこちらに向いた。私はさきほどから日陰でアイスティー片手に彼らの観察に勤しんでいた。深酒をきめたダーティな幹部連中にからまれるよりもフレッシュな新人を見ているほうが精神衛生上、健全である。
「イチル、なんかヒマ潰せるような遊び知らねェ?」
「なあなあイチル先生よう」
百八十センチ後半級の巨人がわらわらとまわりに集まってくる。私がウォーカーたちに勉強を教えていることはエヴァンズとハルゼーも知っている。
常識知らずの小娘だが、一応は先生。彼らの間における私の評価はだいたいそんな感じである。
「みんなでできる遊びかあ」
アイスティーを地面に置いて腕を組んだ。
子供のころ、どんなふうに遊んでいただろうか。鬼ごっこもしたし、かくれんぼもした。砂遊びも縄とびも。でもそのどれもエネルギーを発散させたくてたまらないこの青年たちを満足させるには足りないだろう。
みんなでできて、身体も頭も使う遊び。
「そうだ、缶けり」
「缶けり?」
「なんだそれ」
予想通りの反応である。首をかしげる彼らに、簡単にルールを説明した。
「つまり缶を蹴飛ばして、鬼がそれを見つけて帰ってくるまでの間に隠れるってことか。おいおいお前、本当にガキのころにそんな遊びしてたのかよ」
「うん。十歳くらいのころかな、近所の女友達とね」
そう答えるとなぜか場がざわついた。
「か、缶はどれくらい飛んだんだ?」
「子供だったから、そんなに飛ばなかったはずだけど。よく飛んで十メートルかそこらだったと思う」
その途端、「まじかよ」とか「とんだダークホースじゃねェか」とかよくわからないささやきが飛びかった。何がまじなのかはあまり理解できなかったが、彼らが缶けりに興味を持ったことは間違いないようだった。
としきりざわついたあと、場を収めるようにフライがえへんと咳ばらいをした。
「結構おもしろいんじゃない?単純だけどちゃんと考えないといけないし」
「でもこのルール、鬼が大変だな。ひとりで探さないといけないうえ、缶のそばを離れられないんだろ」
「ふうむ」
「賭けにすりゃァいい」
今まで聞こえなかった渋い男声が割ってはいった。私以外の全員がぎょっとした顔になる。私の後ろに立っていたのはシャンクスだった。
「楽しそうな話してるな。俺も混ざってもいいか」
「も、もちろんっス!」
目を輝かせたウォーカーの返事に、シャンクスは機嫌良さそうに笑った。
「鬼が勝ったら鬼は一週間その他全員を犬にしていい。ひとり勝ちってやつだ。 逆に、逃げる側が勝ったら鬼を下僕にしていい。ひとり負け、一週間ずっと全員の犬だ。ハイリスク、ハイリターン。海賊の基本に忠実だろ?」
「お頭もやんのか?」
近くでカードをしていた中堅クルーが大声でたずねた。外野の視線がシャンクスに集まる。
「ああ、同じ条件でな。負けたら裸踊りでも女装でも何でもしてやるよ」
Foooo!とオーディエンスが一斉に歓声をあげた。
今までカードをしていたグループ、昼寝をしていたグループとかなりの人数が遊びに加わった。幹部の姿は見えない。彼らは大人なので、こういうシャンクスの悪ノリには基本的に付きあわないのである。
「鬼やりたいやつ!」
とシャンクスがガキ大将風に呼びかけた。もちろん全員挙手。鬼になりたい海賊たちはめいめい自己アピールをはじめた。
「いや普段は海兵どもに追っかけられてばっかりだからよ。たまには追っかけてみてえ」
「テメエはいつも女の尻追いかけてるじゃねェか」
「へい、お頭!俺、俺がやる!」
「ここやらなけりゃ、男がすたるってもんよ。ひとり勝ちを狙うのが海賊の流儀だろォ」
「お頭に靴を舐めさせるチャンス」
誰だ、不穏なことを言ったやつは。
しかし幸い本人には聞こえなかったらしく、シャンクスは鷹揚に手を打った。
「よし、志願者多数だな。じゃあ誰が鬼をやるかはここはひとつステゴロタイマンで決め―― 」
「不穏!むしろそっちの方が不穏!」
今まで黙っていた私だったが、とうとうツッコミを入れてしまった。
ドキッ、海賊だらけの天下一武闘会。優勝者は缶けりで鬼になれます。
さっきのビーチバレーでも大概だったのに、ガチバトルなんておっぱじめられたらとんでもないことになる。ヤムチャと天津飯の試合ではなく、ベジータと悟空級の戦いである。やめてくれ、島ごと、いや星ごと消し飛ばす気か。クンって。
案の定、シャンクスはぶうたれた。
「えー、目つぶしナシルールにするのに」
「そういう問題じゃなくて」
必死で抗弁した結果、なんとかじゃんけんに取りつけた。一部の人、おもに赤い髪の人から文句が出たが無視した。
ほかのクルーもお頭をまじえてのステゴロタイマンはさすがに厳しいと思っていたのか、皆じゃんけんに賛同した。
「ところでイチルもやるよな?」
死角からの狙撃に、おもわず「う」とうめいてしまった。なんだって?
「いや、私は物見高い衆になって―― 」
「やるよな?」
「な?」となれなれしく肩を組んでくるシャンクス。ニコニコと一見親しげな様子だが、これが脅迫の一種であるということを私はすでに学習している。首を横に振ったが最後、そのままチョークスリーパーに移行できる黄金のマウントポジションである。
「お前がやんないなら、やっぱりじゃんけんじゃなくてステゴロ―― 」
「わかったよう!やるよう!」
「よしよし、物分かりがいいなイチルは」
自分が楽しく遊ぶためなら手段は選ばない赤髪海賊団大頭。とっても海賊らしくてグッドですね。
「イチルはじゃんけん抜き、はじめから逃げる側で。万が一じゃんけんに負けて、ひとりで鬼をする羽目になったらさすがにかわいそうだからな」
さんざん脅してきたくせに、変なところで手心を加えてくる赤髪海賊団大頭。わかってて緩急つけてくるあたり本当にたちが悪い。とっても海賊らしくてグッドですね。
準備ができたところで、じゃんけん大会が開始された。野太い「じゃんけんぽん」のかけ声が夏島のビーチにこだました。
だがいざはじまってみると、なぜだかあいこばかりで勝負がまったく決まらない。
最初は人数のせいだと思っていたのだが、しばらくして本当の理由がわかった。彼ら全員、お互いに指の動きを読みまくっている。どれだけはやく指を出すか、どれだけ先読みするか。手をすばやく動かそうとするあまり、千手観音と化している残像拳の使い手もいる。
かなりの時間、攻防戦がつづいたが結局勝負は決まらなかった。
どんなくだらない勝負にも全力で取りくむ、これは彼らの習性のひとつである。
「お前ら譲れよ」
「お頭こそここは部下に華をもたせるモンだろ」
しびれを切らしたらしいシャンクスは、チョキの手をかかげ、高らかに宣言した。
「わかった、よく聞け。俺は次にチョキかパーしか出さないからな。わかったな、チョキかパーだぞ。いっておくが、俺は約束を守る男だ」
そして、ひときわ気合の入ったかけ声。
最初はグー、じゃんけんぽん。
ガッツポーズを決めたのは、シャンクスだった。彼は本当にチョキを出していた。
一方、残り全員は、やはりというかなんというか、そろってパーを選んでいた。
「嘘だァ!」
「お頭が真面目だァ!」
「なんでだよォ!」
砂浜に崩れおちるクルーたち。ここまで口約束に信用のないボスもめずらしいのではなかろうか。さすがのシャンクスもちょっとしょんぼり肩を落としていた。
「俺、チョキかパーしか出さないって言ったよな」
「私もたぶんパーを出しただろうな」
「イチル。お前の今度の誕生日プレゼントにはぶあつめのオブラートをやるよ。鯨の皮ぐらいあるやつ」
とまあ、そんなことを話している間にクルーたちは復活し、ようやく本格的に缶蹴りをスタートすることになった。シャンクスの指示でウォーカーたちが船から缶を運んでくる。
彼らが運んでくるそれを見て、私は遠い目になった。道理で。
彼らが担いできたのは、缶は缶でもドラム缶だった。それもガソリンなどを入れておくいわゆる大容量たっぷりサイズ。缶蹴りを説明したときのウォーカーたちの動揺の理由がようやくわかった。ドラム缶を十メートルも蹴とばせる女子小学生がいるとしたら、クラス内でのあだ名は間違いなく破壊神だ。
「かわいいクルー相手だからな、ハンデをやるよ。缶は俺が蹴る。そっちのほうがよく飛ぶだろ?」
空っぽのドラム缶を所定の位置にセットし、足で周囲に円を描いたシャンクスは、三つカウントしたあと、いかにも運動神経が良さそうなフォームで蹴りとばした。
ゴーン、と寺の鐘のようなにぶい音がして、二百リットルオープンドラムが青空に舞う。
ようい、どん。
最初からトップギアで駆けだしたクルーたちの背を追うように、後ろからシャンクスの声が聞こえた。
「さあて、命がけで逃げろよお前ら。俺が勝ったら……わかってるよな?」
背後の悪人面を想像して、私は恐怖のあまり「ヒィ」とひきつった。
とりあえず、ゲームスタートである。