彼女が去ったあと、俺たちの置かれた状況はますます過酷になった。
お目当ての刀が揃ったにも関わらず、ブラック審神者はひたすらに資材集めを命じてくる。
意味のない出陣と意味のない遠征。身体はこわばり、ろくに寝る時間もとれない。
しかし俺の心にはいつも見習い審神者が微笑んでいた。
もう会えないとしても、思い浮かべるだけで身も心も癒やされていく。
どれだけの月日が流れたか分からない。苦しく辛い毎日が続いた。
◇◇◇
「―― 以上が今回の遠征の報告だ」
寝台の御簾ごしにブラック審神者に話しかける。ブラック審神者は近ごろ一歩も寝室から出なくなった。
いつもと同じく返事はない。ただ何事かをつぶやく低い声が聞こえるのみである。
「じゃあ次の遠征も近いんで、これで下がるぞ」
退出しようとした時、騒々しい足音が聞こえてきた。訝しがる間もなく、勢いよくとびらが開かれる。
「視察です!武装を解除してください!」
政府の使者を引き連れて大きな声で宣言したのは、なんとあの見習い審神者だった。
いや、もはや見習いではない。
成長した彼女はすでに一人前の「ホワイト審神者」になっていた。
「本丸の現状が規程に著しく反しているため、現審神者には政府の審議に出頭する義務があります」
◇◇◇
四人目: ホワイト審神者
File No. 22 【ホワイト審神者】
《ランクアップ後ステータス》
[体力]41
[物理]27
[精神]71
[霊力]73
[経験]42
[人格]58 [合計値]312
これまでの所業が明るみに出たブラック審神者は政府へと引き立てられた。
久しぶりに見た彼女は隈が目立ち、削げた頬の上に眼球をぎょろつかせていた。
ブラック審神者は失脚し、後釜としてホワイト審神者の着任が決定している。悪いことなど何ひとつない。
しかし腹の底には後味の悪さがへばりついていた。
確かにひどい主だった。わがままで自分勝手な女。
けれど時折「ごめんね、こんな奴でさ」と寂しそうな顔をすることがあって、その時は捨てられた子どものように見えた。
彼女はただ愛されたいだけで、本当はいつだって自分を止めてくれる相手を探してたんじゃないか。
今はそんな風に思えてならない。
俺が諦めなかったら、彼女は変わっていたのだろうか。
去っていったブラック審神者と入れ違いにホワイト審神者が姿をあらわした。
こんな顔してちゃいけないな。
後悔を心の片隅に押しやって、俺はホワイト審神者の着任を祝った。
◇◇◇
ホワイト審神者の尽力によって、傾いたブラック本丸はまたたく間に生まれ変わった。
限度を超えた出陣はなくなり、手入れ部屋も再び稼働しはじめた。余計な鍛刀を行わない彼女は資材を減らすこともなかった。
「おはよう!今日もいいお天気だね!」
「おはよう。ホワイト審神者ちゃんこそ、早くから頑張るなあ。感心するよ」
「仕事はとっても楽しいよ。皆のおかげかな」
しばらく見ない間に、彼女は大人の女性へと変貌を遂げていた。艶のある栗毛が風になびいている。
新しい主になった後も、彼女はちっとも偉そうな顔をせず以前と同じように良く働く。言葉遣いは砕けたものになったが、よそよそしさのとれた言葉がかえって距離の近さを感じさせて、聞くたびに嬉しくなった。
「おかえりなさい!怪我はなかった?」
「ああ、きっちり刀装をつけてくれてるからな。よく考えたら最近は手入れ部屋に行ってねえなあ」
「無理は禁物だよ。何かあったらすぐに教えてね」
満たされて、幸福な日々。
長い間、心の中でしか会えなかった彼女とまたこうして話ができるなんて。
やさしい微笑みは眺めているだけで胸が高鳴り、一日中そのことばかり考えてしまう。
他の奴が彼女の話をしているとモヤモヤした気持ちが収まらなかった。嬉しかったり、不快だったり、俺の心はあちらこちらへ揺れ動き、時折どうしていいか分からなくなる。こんな気持ちははじめてだった。
◇◇◇
「御手杵。君、近ごろ少し様子が変だね。どうしたんだい?」
夕餉の時間、隣になった歌仙兼定が尋ねてきた。
「俺が聞きたいよ。どうしちまったんだろう」
「僕で良ければ相談にのるけど」
風流を愛するこの男ならそういった機微も心得ているに違いない。
俺は歌仙に心の秘密を打ち明けることにした。
話を終えた後、彼は浮かない顔をした。
「悪いことはいわない。当分の間、彼女には会わないことをオススメするよ」
「なんでそんなことを言うんだ?」
「君のそれは、人間の言葉でいうと『恋煩い」って奴さ。いくら元が武器だと言っても、こうして身体を得た以上はそういうこともあるだろうね。だが、今回は相手が悪い。分かってるとは思うけど、どんなに願ったところで彼女は決して叶わない相手だ」
「だが……」
「僕だって人の恋路を邪魔するような野暮なことはしたくないよ。けど、彼女だけはやめておけ。せめて―― 」
「分かった。もういい」
歌仙が俺を心配してくれているのは分かっている。だが、今更会うなと言われたところで聞けるはずもない。
彼のため息を後にして、俺はふたたび彼女の元へと足を運んだ。
「おはよう」「おつかれさま」「もう夕方だね」「おやすみなさい」
いつも通りの挨拶も、聞くたびに色を変えて耳に飛び込んでくる。
「恋煩い」に苦しみながらも、彼女と暮らす日々はやはり楽しいものだった。
◇◇◇
ある日、本丸に戻るとこんのすけが待っていた。
「最近、審神者殿に変わった様子はありませんでしたか?」
自分のことを聞かれたわけでもないのに、何故かどきりとした。
「変わった様子?いや、特に思い当たらないなあ。どうした?」
「気になることがありまして。ないなら良いのですが」
それだけ言い残すと、伝令役のきつねは姿を消す。妙な胸騒ぎが後をひいた。
その日からホワイト審神者の様子に特に注意を払うことにした。
よくよく観察していると、最近の彼女は確かに変だった。口数が少なくなり、代わりにため息が増えている。ぼんやりと物思いにふける時間も長くなってきていた。
まさか、また。
不安が胸をよぎる。最初の主の失敗は忘れることのできない記憶だった。
なにか心配ごとを抱えているのだろうか。審神者としての責任?それとも別の何か?
何かあるなら手遅れになる前に解決したい。主をなくすのはもう嫌だった。
いてもたっても居られなくなった俺はとうとう直接問いただすことに決めた。
「心配ごとなんてないよ。ほら、いつも通りじゃない」
「俺の目はごまかせないぜ。あんたが見習いの時から一緒なんだから」
「大丈夫だって。本当に何もないから」
案の定、彼女は「何でもない」の一点張りだった。しかし何度も問いかけているうちに、弱々しい声になっていき、ついにこう答えた。
「実は、大変なことをしてしまったの」
彼女の声はひどく震えていた。続く言葉を予想できず、ごくりと唾をのみこんだ。
「好きになっちゃったの。この本丸にいる、あなたと同じ刀剣男士」
目の前が真っ暗になる。戦場で敵に後ろ頭を殴られたみたいだった。
青ざめた唇が話をつづけた。
「審神者にとって一番やっちゃいけないことなんだ。人の形をしていてもあなたたちは人じゃないから。本当にごめんなさい」
頭がぼんやりとする。
彼女には好きな相手がいたのか。俺じゃない、だれか。
立ち直れない俺を尻目に、ホワイト審神者はさらに信じがたい言葉をしぼりだした。
「けれど、これでやっと踏ん切りがついた。主従の位置を守れなくなった時点で審神者をつづけることは許されない……分かっていながら、ずっと迷っていたの。私はこの本丸を離れます。手遅れになる前に」
思考が追いつかない。彼女は今なんて言ったんだ。
色んなことが一度に起こって、俺は良く分からなくなった。
そうしている間にもホワイト審神者はこんのすけを呼び出してありのままを打ち明けた。
「今まで本当にありがとう。あなたのおかげで楽しかった。勝手な女でごめんなさい」
いつかよりも大人びた彼女は寂しげに謝った。
今度は「またね」って言ってくれないんだな。そんなことだけをぼんやりと思った。
「彼女がここに戻ることはもうありません。残念なことではありますが、ご心配なさらず。引き継ぎはすぐに行われます」
初恋の相手をうしなって呆然とする俺に、こんのすけはいつかと同じく淡々と告げた。
◇◇◇
それからはもう何も考えられなかった。
新しい審神者がやってきても、ろくに目に入らない。だれもかれもが同じように見える。
彼らはそれぞれの理由でやってきて、それぞれの理由で去っていった。
ありとあらゆる審神者が俺の前を通り過ぎた。
人外審神者。
特殊能力持ち審神者。
そして再びブラック審神者。
戦闘可能審神者。
見習い審神者。
新人審神者。
ブラック審神者。
ブラック審神者。
拉致された系審神者。
ブラック。
新人。
見習い。
ブラック。
ブラック。
拉致。
人外。
ブラック。
新人。
誰が来ようと、もうどうでも良かった。
仲間たちは俺のことを心配し、なんとか元気づけようとしてくれたが、喪失感は埋まらない。
どうしてああなってしまったんだろう。どこで間違えたんだろう。
俺のせいだ。俺がちゃんとしなかったから。
いや、どうしようもなかったじゃないか。
後悔、悲しみ、罪悪感、諦め、いろいろな感情がないまぜになって、俺の苦しみはいつまでも続いた。